第26話 ジョスランの独白 1

 セシアたちが王都を再訪するひと月ほど前。


 モーリス・ラング・ドワーズの遺言に従い、結婚したセシアがドワーズ家の相続人になることが決定したあと、ジョスランはセシアの夫について調べることにした。


 セシアによると、夫であるルイ・トレヴァーは王都で事業を営んでいるというし、本人から名刺ももらっている。

 そこでジョスランは弁護士の友人と興信所に、ルイについての調査を依頼した。


 彼らの事務所はすぐに見つかった。登記情報から、設立は三年ほど前、事業内容は輸出入の代行業務。「ノーマン・イヴェール」が経営者だ。トレヴァーの名前はない。

 興信所が覆面調査に入ったところ、職員から「ルイ・トレヴァーはイヴェールの友人で、経営者の一人だ」という情報を得ることができた。登記に名を連ねてはいないが、確かに経営には関わっているらしい。

 ただ、イヴェールとトレヴァーの二人は調査依頼をかけたひと月の間、一度も姿を現していない。事務所そのものはきちんと営業しているようで、何人かが勤務しているのは確認できた。

「マルセル・フランク」という青年が経営者の代わりに事務所にいるようだ。


「貿易業なので、お二人は全国各地を飛び回っているんです。あ、トレヴァーさんのほうは最近ご結婚されたので、奥様のところにいますが、いずれは月の半分を王都、半分を奥様のもとで過ごすことになるようですよ」


 経営者がいないことを聞けばそう答えてきたという。

 おかしなところはない。

 絶対に急ごしらえの夫のはずなのに、相手の正体がつかめない。

 まあ、そうだろう。相手も侯爵家に入り込むつもりなら、徹底的に身元は隠すはずだ。


 行き止まりになってしまったジョスランに情報を与えてくれたのは、弁護士の友人であるエリック・レーズだ。


「おまえが探し回っている男と同姓同名の人物が、たずね人として載ってるぞ」


 エリックが持ってきたのは、トップに国王が王妃の首飾りを探していると出ていた、いつかの新聞だった。


「どこかで見た名前だと思ったんだ」

「まさか今までの新聞全部とっているのか?」


 たずね人欄自体は、ほぼ毎日掲載されるものだ。


「新聞はとっていないが、たずね人に関しては切り抜いてまとめてはいる。ただ、この首飾りには興味があってね。それでこの日のたずね人に関しては新聞ごと残っていたというわけだ」


 発生から三十年近くたっている盗品が今から見つかるわけないよなあ、とニヤニヤ笑うエリックに「まあな……」と頷きつつ渡された新聞を開きたずね人欄を見れば、確かに「ルイ・トレヴァー」の名前がある。二十七歳、北部出身。トレヴァー子爵の子息の一人で東方軍に所属しており、リーズ半島戦争に参加したことまではわかっているが、消息不明。トレヴァー子爵が息子の行方をたずねる記事が載っていたのだ。


 リーズ半島では、隣の大国ロレンシアと国境を接するリーズ半島をめぐって四年にもわたる戦争があった。局地的な戦争なのでバルティカ王国全体――特に王都――ではそれほどの緊迫感はなかったのだが、戦地に近い王国東部ではかなり空気がぴりぴりしていたのを覚えている。


 名前と出身地は同じだが、経歴は異なるようだ。確か、セシアの夫は軍人ではなかった。


「……名前と出身地が丸かぶりするな」

「だろ?」


 ジョスランの呟きに、エリックが自慢そうに頷いた。




 ジョスランは「ルイを知っているかもしれない」と、トレヴァー子爵に連絡を取ってみることにした。幸いにして社交シーズンということもあり、トレヴァー子爵にはすぐ会うことができた。


「これがうちの息子です」


 そう言ってトレヴァー子爵から差し出されたアルバムを見ながら、ジョスランはルイ・トレヴァーという人物について話を聞いた。

 ルイは、トレヴァー子爵から見ると婚外子だった。とはいえ息子には違いないので、トレヴァーを名乗ることは許していたものの、本妻の子どもらとは区別して育てていたという。ルイもそのあたりはわきまえており、寄宿学校を出たあとはすぐに軍隊に進んだ。配属先は東方軍……。

 そしてリーズ半島の作戦に参加。軍からは行方不明、捜索中という連絡を受けたきりなんの進展もないまま数年が経過しており……、せめて息子がどうなったのか知りたい、ということだった。


 しかし本妻の子とは区別して育てたあげく軍隊に放り込んだトレヴァー子爵がなぜ、その婚外子の息子の行方を知りたいと思ったのか?


 聞けば、長男が重い病気にかかってしまい、結婚はしているものの子を残す前に亡くなりそうなのだという。娘の方はすべて嫁がせてしまった。そこで認知している息子がいたことを思い出して、取り返したくなったようだ。本妻の手前、つらくあたったが、自分にとっては大切な息子なんだと訴える老いた子爵に対し「ずいぶん都合のいいことを言う」とは思ったが、黙っておいた。貴族にとって大切なのは跡取りになる長男のみ……その風潮は、自分もよく知っている。


 大切な息子の写真は数枚しかない。最後の一枚は軍服を着ているので、これが直近のルイ・トレヴァー本人なのだろう。

 ジョスランの知る男とはまったくの別人だった。


 一通り話を聞いたあと、「確認のために写真を借りたい」と直近の軍服写真を借り受け、子爵の前を辞す。

 部屋を出たところで思わずガッツポーズをしてしまったのは、しかたがないことだ。


 ――やっぱりな!!


 セシアは実在する「ルイ・トルヴァー」になりすました人物と結婚している。

 ではセシアの夫であるルイの目的は何か?

 ドワーズ家の財産に決まっている。

 あのうぶな娘はまんまと騙されたのだ。


 セシアが自分を毛嫌いしているのは知っている。あの高潔な父をそのまま小娘にしたような人物がセシアだからだ。ジョスランに財産を渡すくらいなら、と結婚に踏み切ったのはまあいい。遺産を巡るトラブルは壮絶なものがあるから、そういうこともある……だが、そのために別人になりすました人間と結婚するのはいただけない。


 女という生き物は総じて愚かだと思っているが、だからといって騙された姪を助ける気はさらさらなかった。

 その足でエリックのもとに駆け込む。




「まあ、同姓同名の他人という可能性もあるけど、おまえの姪はトレヴァー子爵の縁者だと名乗ったんだよな? トレヴァー姓を名乗れる人間は、少なくとも子爵が認めた人間だけだ。そう多くないはずだから……なりすましの可能性は高いよな?」


 結果を聞いてエリックがにやりと笑う。


「ルイ・トレヴァー本人を見つけ出せれば確実なんだが、リーズ半島で行方不明か……。本人を見つけ出すことができないから、ルイ・トレヴァーが選ばれたんだろうな。子爵家の人間なら、ギリギリ……本当にギリギリだが、侯爵家の娘と結婚できなくもない。貴族同士だから」

「本人は婚外子だがな」

「貴族同士の結婚で重要なのは、お互い同じ階級に属しているかどうかだよ。実際はどうであれ、体裁は大切だ」


 エリックに言われ、ジョスランは頷いた。


「さて、作戦会議といこうじゃないか。まずはルイ・トレヴァーが偽物であることを証明する。次にこの事実をセシア嬢に突きつけて、相手がふさわしくないことを理由に離縁させる。セシア嬢の結婚理由は『ドワーズ家を守るため』だったよな?」

「ああ……本人はそう言い切っていた」

「なら詐欺に遭いドワーズ家を危機に陥れたセシア嬢の責任は重い。離縁しただけでは、ドワーズ家の相続権はセシア嬢が握ったままだからな、責任を取らせる形で相続権をジョスラン、おまえに譲らせるんだ」

「……そんなことができるのか?」

「できるだろう。家を守ると言ってジョスランから相続権をかすめ取ったくせに、自分がその家を危機に陥れていた。セシア嬢にドワーズ家の当主は向かない。だいたい女というものは世の中を知らない。年が若いのならなおさらだ。孫娘かわいさにあんな遺言を残したドワーズ侯爵も同罪だ」


 もっとも、とエリックが続ける。


「相続のための結婚については問題ないから、ルイ・トレヴァーが偽物だと証明できなければこの作戦は使えないよ。……ドワーズ侯爵は自分がしっかりしているうちに、姪御さんを結婚させるつもりだったんだろうな。突然の心臓発作とは、いやはや……運命とはおそろしいものだね」


 エリックは、ジョスランが何をしたのかは知らない。心臓が弱かった父が興奮しすぎて発作を起こしたのだと信じている。

 そういえば今年の父はセシアを伴って王都に現れていた、と思い出す。自分とマデリーの売却の話し合いをすることが目的なら、セシアを連れて来る必要はない。……そうか、セシアに伴侶を見つけるために連れてきたのか……。

 そう思えば、ジョスランの行動は間一髪で間に合ったとも言えるのだ。


「……そうだな。運命とはおそろしい」


 ジョスランは頷いた。




 古い伝統を守る父が嫌いだった。

 その父の教えを忠実に守る兄も嫌いだった。兄は品行方正で、学業も優秀で、剣も乗馬も完璧で、おまけに誰に対しても寛容で、非の打ち所がない。だからだろう、父はことあるごとに「お前と同い年のときに、ジョエルは……」「ジョエルなら」「ジョエルだったら」……、そんな言葉を聞かされた。

 どうして兄ジョエルと比較する?

 自分は兄にはなれない。


 十歳以上年が離れているから、兄には優しくされた覚えはあっても親しくした覚えがない。父に対しても、兄に対しても、あまり「身内」という親近感がわかないのだ。住む世界が違い過ぎて。そしてジョスランからすると、兄のせいで自分は認められないのだという、暗い感情を抱かせる存在でしかない。

 そして自分が出来損ないであるとは痛感していた。


 やがて兄は結婚し、父から次期侯爵の指名を受ける。そして兄のところに子どもが生まれた。


 寄宿学校に通うようになると、それがどういう意味を持つかわかる。ジョスランは兄の代理品にもなれなかったわけだ。この国の決まりで、相続人と指定された人間だけが財産をそっくり受け継ぎ、それ以外の子どもたちは自分で生計を立てていかなくてはならない。女はいい、結婚すればいいから。だが男はそうはいかない。当主の補佐を務める者、事業を興す者、官僚になる者、軍隊に入る者……寄宿学校の卒業後の進路は様々だ。


 父と兄は、ジョスランに当主の補佐を務めればいいと言ってきた。アルスターの領地は広い、一緒に管理しようというものだ。

 冗談じゃない。これからもあの堅物の父や兄と一緒にいなければならないのか?

 堅苦しいことは嫌いだ。貴族らしい振る舞いというのが、本当に苦手だ。自分は本当に貴族としては出来損ない、欠陥品なんだと思う。だが寄宿学校でこんな自分でも受け入れてもらえる優しい世界を知った。父や兄は貴族のルール遵守を至上の命題として生きているところがあるが、そんなルールを守らなくてもいい世界がある。もっと自由で、奔放で、好きに振る舞っても誰からも咎められない。そんな世界がある。


 悪友たちと悪い遊びを覚えてしまえば、父や兄のような堅苦しい態度で生活することはもう不可能だった。品行方正な兄と比べられてきたこともあり、兄には反発心しかない。

 兄のように生きることは自分にはできない。だから兄の補佐なんてまっぴらごめんだ。

 そうなると自分にできることは、事業を興すか、官僚か、軍人か。……決まりを守らなくてはならない官僚と軍人はナシだ。なら、事業をやるしかない。


 ジョスランが寄宿学校に入るころ、結婚した兄のもとに子どもが生まれたこともあり、父はジョスランに領地の一部であるマデリーを与える決定をした。マデリーはドワーズ家の領地の中でも大きく、また豊かでもある。きちんと領地を治めれば、つつましく暮らせば貴族としての体裁を保てるくらいの収入が得られる。爵位は兄のものだから、ジョスランはただのドワーズ家のジョスランになる……貴族の序列でも末端に追い込まれてしまうのだが、それも気に入らない。


 寄宿学校を出たあと、ジョスランは正式にマデリーの管理を任されたついでに、王都で事業をしていく拠点としてタウンハウスの使用を求めた。兄が財産のほとんどを継ぐのだ、これくらいはもらっていいだろう、と言うジョスランにモーリスは「体裁が悪い。侯爵家なのにタウンハウスが利用できないとは」と渋ったが、ジョエルはジョスランの意見に頷き、最終的に父が折れた。以降ジョスランはドワーズ家の王都のタウンハウスに暮らすようになる。そしてドワーズ家の人々はとある高級ホテルのワンフロアを通年で借り、必要に応じて部屋を利用するようになった。


 何もしなくても収入はあるから、真面目に事業に取り組む気にはなれない。そこで誘われた投資話に乗る一方で、学生時代に手を染めた賭け事にはまっていった。


 投資も賭博も一か八かだが、当たれば大金を手にできるのがいい。金があると人が集まり、いろいろと楽しい思いをさせてくれる。金さえあれば爵位なんてなくても大切にしてもらえる。もっと金がほしい。そして成功したい。堅物の父と兄を自分のやり方で見返してやりたい。


 成功に失敗はつきものだが、いくら失敗したところで最後に勝てばいいのだ。そういうものだと思っているのだが、堅実さを崇め失敗しないことをモットーにしている父や兄には、ジョスランの生き方は理解されなかった。まあ、理解してほしいとも思わない。あの二人と自分は決定的に何かが違うのだろうから。

 時間がたつほどに父及び兄との距離はどんどん開いていったが、構うものか。

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