第24話 幸せになる資格 2

 指定された場所に行けば、一頭立ての二輪馬車が止まっていた。


「ほら、あまり時間がない。早く乗って」


 御者はルイが務めるようだ。手綱を持っているルイに急かされてセシアは馬車に乗り込んだ。

 小型の馬車なので、振動がかなり大きい。車輪の揺れを感じながら、セシアは馬を操るルイの背中を見つめていた。


 仕事だとわかっていても、ルイに置いていかれそうになって悲しかった。

 それがなぜなのか考える。


 ――既視感ね。私ったら、バカだわ……。


 クロードだ。森へ遊びに行くたびに、クロードはセシアの手を引いて少し先を歩いてくれた。その背中をセシアは一生懸命に追いかけていたものだ。この人がいてくれるから私は大丈夫……迷子になんてならない。


 広い背中、セシアを気遣いながら歩いてくれる存在。クロードとルイを重ねていたのだと気付く。

 この気持ちはきっと、妄執というのだろう。恥ずべき感情だ。いつまでも幼い頃の思い出にしがみついていて情けないことこの上ない。

 もう、二十二歳。いい大人なのだから……一人でも平気にならなくちゃ。




 駅で馬車を待機所に停めたあと、二人は連れだって窓口に向かった。

 昨日の海祭りに来た人々なのだろうか、駅はずいぶん混んでおり窓口には長い行列ができていた。夏場ということもあり、人いきれにセシアは顔をしかめた。だいぶよくなったと思っていた二日酔いがぶり返し、気持ち悪くなってくる。


 それにしても、まわりの人たちが不躾に見つめてくるので居心地が悪い。

 列に並ぶのも構内を行きかうのも平民ばかりなので、貴族の装いをしているセシアはかなり浮くのだ。対してルイは平民と大差がないシャツとスラックスなので、周囲の雰囲気になじんでいる。

 一般的に貴族階級の人間は自分で窓口に来たりはしない。たいてい誰か人を使って切符を買うものだ。それに一等車の利用者は、二等、三等の利用者とは出入り口も待合室も分けられている。セシアは場違いなのだった。


「時間がかかりそうだ。ここにいると気分が悪くなるかもしれないから、風通しのいいところで待っていてくれ。でも俺の目が届く範囲にいるんだ」


 セシアの顔色がよくないことに気付き、ルイが声をかける。

 セシアはおとなしく頷いて、その場を離れることにした。気持ちが悪い上にじろじろ見られるのは不愉快だ。

 人が少なくて風通しのいい場所に行きたかった。


 人通りが少なく風が良く通る場所を探し、セシアは駅の構内を歩いていく。やがて外に通じる大きな柱の横が涼しくて人も少ないと気付いた。駅の裏手の薄暗い路地に通じているせいか、表側に比べて人通りが少ないのだ。このあたりも少し薄暗いが、風が涼しいのでよしとする。

 ルイが並んでいる行列もここから見えなくもない。大丈夫だろう。


 セシアはそこに立ち、路地裏を背に駅の構内を見つめた。……その裏路地が浮浪者のたまり場であり、そのせいでセシアの立つ一帯を人々が避けているとは知らずに。




「一人かい?」


 どれくらいたっただろうか。涼しい風のおかげで多少気分がよくなってきたセシアに、誰かが背後から声をかける。

 振り返ると三人……四人、五人……。薄汚れた服装の、体の大きな男性たちがセシアに近づいてきていた。

 片目がない。義足。揺れるような歩き方をする。……全員がではないが、男たちの体に異変を見て取ったセシアはすぐにピンときた。戦傷兵だ……。


「……いいえ、人と一緒です」

「その人はどこだい? なんで貴族のお姫さんがこんなところに一人で?」


 ニヤニヤしながら最初に声をかけてきた男が近づく。

 セシアは無視して立ち去ろうとしたが、サッと目の前に仲間のうちの一人が立ちはだかる。

 はっとして見回すと、セシアはいつの間にか男たちに取り囲まれていた。風呂も着替えもずっとしてないのだろう、男たちから漂ってくるにおいに、落ち着いていた吐き気がぶり返す。


「どいていただけますか? 私、行かなくては」


 セシアは声が震えないようにおなかに力を入れながら、目の前にいる男に声をかけるが。


「『どいていただけますか』か。オレたちにも丁寧に接してくれるんだねえ、お姫さんは」


 目の前の男がわざとセシアの口調をまねし、まわりの男たちが一斉に笑い声をあげる。……バカにされている。気分が悪い。


「ねえねえお姫さんは、どこの国から来たのォ? ここがどういうところか知らないみたいだから、きっといいところの生まれなんだろうねえ」

「もしかして王家と関係あるう? だったら嬉しいなあ」


 右側にいる男がセシアに近づきながら言う。


「ありません!」


 近づく男から逃れようとしたが、反対側の男もいつの間にかセシアのすぐそばまで近づいてきていた。


「あ、なーんだ。でもきれいな服を着ているからきっと、お金持ちだよねえ……オレたち、体がこんなだからさ」


 目の前にいる男がシャツをめくると、肘から先がなかった。


「知ってる? これなあ、味方にやられたんだぜ。総指揮官の王子様がよォ、逃げる時にオレたちを囮にしてなあ……、オレたちを置き去りにして行ったんだぜ? 信じられるか? オレたちが残っているのに唯一の逃げ道の橋を爆破しやがってなあ……後ろからは敵が迫ってるっていうのになあ。国の命令で戦争に行ったのに、見殺しだぜ? ひどいもんだ」

「……ッ」


 セシアは肘から先がない腕を目の前で振られて、言葉を失った。


「助けてくれたのは敵のロレンシアだったんだよ、ウケるだろ? そんかわり丸二年の捕虜生活が待っていたけどなあー」

「お姫さんは王族じゃなくてよかったなあ。もし王家とつながりがあったら、どうしてやろうかなァと思ったんだけどさア……」


 セシアは真っ青になって男たちを見つめた。


 ――いったい私をどうするつもり?


 おそろしい目に遭うだろうことだけはわかる。逃げなくちゃ。そう思うのだが、取り囲まれていてはどうすればいいのかわからない。


「高貴なるお方は、立ち話はしないみたいだ。ゆっくり話せるところに移動しようか」


 一言も発さないセシアに、最初に声をかけてきた男が言う。両側にいる男たちがセシアの腕をそれぞれつかむ。……それが捕虜の連行方法だとセシアは知らなかったが、両腕をつかまれてさすがのセシアも悲鳴を上げた。


「離してください! 人と待ち合わせているの! 呼びますよ!」

「へえ、どこに?」


 最初に声をかけてきた男が言う。この男がリーダー格らしい。


「助けて……助けてください……っ」


 セシアは腕をつかまれたまま首をひねって一生懸命、駅構内に向かって声を上げたが、すぐ後ろにも大きな男がいて人通りはまったく見えない。……それに誰かが気付いて立ち止まる気配もない。


「諦めなお姫さん。面倒ごとはみんな嫌いだからさ」


 リーダー格が言う。


「お供もつけずに一人でいたのが運の尽きだよ」


 腕を引っ張るがびくともしない。


「ルイ……ルイ! ルイ!! 助けて!!」


 セシアはずるずると引きずられるように歩きながら叫んだ。


「ルイ――――!!」


 セシアの叫びに誰かが舌打ちをする。


「おい、お姫さん。おとなしくしないと、あんたが痛い目に遭うんだよ?」


 リーダー格がポケットからナイフを出してセシアに突きつけた。

 セシアは息を飲んだ。刃物……!

 おとなしくなったセシアを、男たちが連れていく。

 つかまれた腕が痛い。ひきずられていく足も痛い。

 何よりもこわい。




 こわい。こわいこわい。

 何をされるの?

 どうなってしまうの?




「手を離してもらおうか」


 その時、聞きなれた声が間近で聞こえた。聞きなれてはいるが、聞いたこともないような怒気を孕んでいる。

 はっとなって顔を上げると、セシアの腕をつかんでいる男の腕を、ルイの左手がつかんでいた。急いで走ってきたのか、顔が上気し肩で呼吸をしている。


「誰だ……おまえ」

「その娘の連れだ。……もう一度言う。手を離せ」


 ルイが手に力を入れたのか、男が呻いてセシアの右腕を離す。緩んだ隙にセシアは腕を引き抜いた。


「聞こえなかったのか? 手を離せと言っている」


 ルイの低い声に左腕も解放される。

 セシアはさっと体を離すと、ルイに体を寄せた。ぐい、とルイがセシアを自分の体の後ろに追いやる。


「へえ、騎士のおでましか。さすがお姫さんだなあ」

「……おい、待てよ。おまえの顔には見覚えが……黒髪に青い目……まさか」


 片目の男が何かに気付いたようだ。


「こいつだぞ、間違いない。アレンの忠犬。オレたちを囮にしたあげく、橋を爆破した張本人だ」


 片目の男の言葉に、残りの全員がルイに敵意を向けたのがわかった。怖くなり、セシアはルイの背中に隠れる。


「おまえか……!」

「あと一時間もあれば、オレたちの部隊の撤収は完了していたのに!」

「……一時間もしないうちに敵が橋を突破していた」


 気が立つ男たちに対し、ルイが静かに答える。


「橋の向こう側には数万の味方がいる。総司令もいる。ロレンシアに峡谷を渡らせるわけにはいかなかった」

「だからオレたちを見殺しにしたのか!!」

「――無事だった者を守るためだ」


 一人の男がルイに殴りかかる。ルイはそれをかわし、左腕で男をはねのけた。


 ――左腕……また左腕。


 そのことにセシアは違和感を持った。

 ルイはエスコートに左腕を使う。でもカトラリーは右手。

 左利きの人が右利きに矯正されている可能性はあるが、それならとっさの時に右腕も出るのでは?

 右手が使えないわけではないことは知っている……けれど、もしかして。


「ルイ、逃げましょう」


 セシアはルイに声をかけた。


「そういうわけにはいかないな」


 セシアの声に気付いたリーダー格が言う。


「俺に言いたいことがあるんじゃないのか? アレンに伝えてやるよ。話を聞こうじゃないか」


 ルイがぐっとセシアを右手で押し、体を離す。体勢的には、男たちには左側を向けている。右側をかばっているように見える。

 嫌な予感がする。


「だがこの娘は関係がない。巻き込むようなら……を、呼ぶ」

「……いいだろう」


 セシアには、ルイのひそめた声は聞き取れなかったが、リーダー格には聞き取れたようだ。


「セシアは駅員に保護してもらえ。俺のことは気にするな。――行け、すぐに」


 そう言い残してルイは男たちと連れ立って、薄暗い路地のほうへ歩きだす。

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