第23話 幸せになる資格 1
オリッサに到着して三日目の朝、セシアは二日酔いの頭痛とともに目を覚ました。
自分の体を見下ろすと、寝間着ではなく下着姿である。着ていた服はどこに? と思えば、ベッドサイドのテーブルの上に、ヘアピンとともに無造作に置かれていた。
メイドを呼んで詳細を聞いてみると「昨夜、私は呼ばれておりませんが? ルイ様に脱がしていただいたのでなければ、ご自分で脱がれたのでは?」との答え。
ご自分で、の可能性に賭けたいところだが、背中をリボンで締めるコルセットを自分で脱げるはずがない。挑戦したことはあるが、今まで一度としてうまくいったためしがないのだから。
――や、やってしまったあああああ!!
真相に気付いてセシアは頭を抱えた。二日酔いとも相まって頭痛がひどい。
――お、思い出せない。何も思い出せない。何をやってしまったの、私は!?
服云々の前からすでに記憶はない。どこから……お店で食事をしたところから……。そこから導かれる答えはひとつ。ルイはレストランで寝てしまったセシアを連れて帰宅し、服まで脱がせてくれた。時間帯が遅すぎたのか、セシアの態度がひどすぎたのか、とにかくルイはセシアの酔っぱらった姿をメイドには隠してくれたわけだ。おおう……これはちょっと……ルイに合わせる顔がない……。
「とりあえず、お風呂に行きましょう」
真っ青な顔をしているセシアを「二日酔いでグロッキーなんだな」と解釈してくれたメイドにより、優雅に朝風呂を決め込むことになったセシアである。
そのせいで朝食というにはだいぶ遅い時間帯に食堂に現れたセシアを、意外なことに祖母が出迎えてくれた。
「昨夜はずいぶんお酒を飲んだみたいね、セシア。大人の女性が人前であまりお酒を飲むものではないわよ? ルイーズがいないから、そのあたりは誰も教えてくれないのかしら」
口調こそ明るいが、そこに込められた非難に気付かないわけではない。メイドからはセシアを隠してくれたルイだが、祖母には見つかってしまったようだ。まあ、あのルイのことだ、うまく取り繕ってくれてはいるだろうが……。
自覚はあるので、セシアは縮こまった。
「ごめんなさい、おばあ様。次からは気を付けるわ……」
「まあ、新婚旅行で訪れているんですものね。今回くらいはいいでしょうが、王都での夜会でそのようなことをしてはいけませんよ。すぐに社交界中で噂されてしまいますからね」
うわあああ、とんでもない。
――どんな夜会に呼ばれても、もうワインにだけは口をつけないわ。
ところで、今、会いたくない相手ナンバーワンであるルイは、どこにいるのだろう?
「朝一番で出かけたわね。どこに行くとは聞いていないけれど、馬を借りて行ったわ」
聞いてみると、祖母はあっさり教えてくれた。
「セシアはゆっくり朝食をとりなさい。お昼をどうするか、できればうちの使用人に伝えてくれると助かるわ。その、今日も港のほうへ行くのか、それともここでのんびり過ごすのか、ということよ」
「……ルイが戻ってきたら聞いてみるわ」
セシアの答えに頷き、祖母が食堂を出ていく。
確かにもう十時近く。別荘の厨房では、本日の昼食は何人前用意すればいいのか知りたい時間帯だろう。
ルイは馬を借りたそうだが、そういえばアルスターでもルイはほぼ毎日、朝一番に馬に乗って出かけていた。朝駆けの習慣でもあるのかもしれない。
――まあ、別にいけど。
セシアは食後のお茶を飲みながら、ルイのことを考えた。
昨夜の出来事は……なんといえばいいのだろう。きっとセシアが想像しているよりも数倍迷惑をかけているから、まずはごめんなさいから? それとも、介抱してくれてありがとう?
――記憶がほとんどないのが恐ろしいわ……。何をしたのかしら。
ふんわりゆらゆらしていた覚えはある。うっすらルイに横抱きにされていた、ような、断片的な記憶もある。
――どうしよう、ルイに対する不平不満をぶちまけているようなことがあったら……。それだけは、本当に。酔っ払いの私、そこだけは堪えていてちょうだい!
考えているうちに「自分ならやりかねない」という気がしてきた。
――やっぱり、ごめんなさいから言うべきよね。きっとね……運んでもらうくらいだしね……。
脱がされた服を確認したところ、嘔吐した感じはないので、ルイを吐瀉物まみれにした……ということはなさそうだ。もしそんなことをルイに対してやっていたらと思うと。
――やっていなくてよかったわ!
ルイから覚えてもいない失態を聞かされたくないのでこのまま一生避けたい気分だが、そういうわけにもいかない。予定ではあと二日、オリッサに滞在し、三日目はアルスターへ向けての移動日となっている。
つまり、あとまるまる三日はルイとべったりなのだ。つらい。どうしたものか、と思案していたところに、件の人物がいきなり現れたのでセシアはお茶をのどに詰まらせ、派手にむせた。
「何をしているんだ」
ゴホゴホ、とナプキンを抱えて咳き込むセシアに、ルイが呆れたような視線を向けてくる。
「なん……なんでもないわ……」
「もっと具合が悪いのかと思っていたが、意外に元気そうだな。酒にはとことん弱いが、量を飲まないから回復も早いのかもな」
「うぐうっ……」
セシアが呻くと同時に、ルイがイスを引いて正面に座る。
「……なんか、すごい声が聞こえた気がしたが」
「……なんでも、ないわ……」
セシアはナプキンで口元を押さえつつ、少しだけ体をずらしてルイを正面にとらえないようにした。見られたくない。どんな顔をすればいいのかわからない。
まず言うべきなのは、「ごめんなさい」それとも「ありがとう」?
でもなんだか言いづらい。ルイから昨日の失態を聞かされるのは耐えられない。いや、介抱してもらっておいてそれはどうかと思うが……。
「セシアは、自分の酒の適量を知るべきだな。あんなにすぐに倒れていたら、そのうち大事故を起こすぞ」
セシアが何か言うよりも前に、ルイが口を開く。
先制攻撃だ。
「う……わ、悪かったわよ。だって、お酒なんてほとんど飲まないんだもの……」
「ワインはけっこうアルコール度数が高い。店員がすすめるまま喜んでグラスを差し出していたから、好きなのかと思ったが、そうではなかったんだな。酒の度数のことも少しは知っておいたほうがいい」
ルイの言葉がグッサグッサ心に刺さる。非常に痛い。本当のことだから余計に。
「そ、それはそれは、ご丁寧に、ありがとうございます。でも大丈夫よ、もう人前では飲まないわ。昨日みたいに記憶をなくしてしまうのなら、怖くて飲めないわよ」
「……何も覚えてないのか?」
多少の反省を見せたセシアに、ルイが用心深く聞いてくる。
「……覚えてないわ」
きょとんとしてセシアが答える。
もっと何か言われるかと身構えたのだが。
「何も?」
「何も」
「少しも?」
くどいくらい聞いてくるので、逆に不思議に思うくらいだ。
「少しも。まったく。ちっとも。これっぽっちも。お店でおいしいものを食べていたはずなのに、気が付いたら朝になっていて、この別荘のベッドの上にいた、そんな感じよ。……ああ、ルイが運んでくれたんだそうね。ありがとう。道端で夜を明かすことにならなくて助かりました」
「当たり前だろう、そんなの」
ルイが呆れたように見てくる。
――ああどうして私もこんないやな言い方しかできないのかしら。素直に謝ればいいのに。
セシアはナプキンを握り締め、はああ、と溜息をついた。
「……やはり酒が残っているな」
その溜息を、ルイは二日酔いの気持ち悪さだと理解したらしい。
「急ぎの仕事が入った。俺は今日の昼の列車で王都に向かう。向こうで用事を済ませたらまたオリッサに迎えに来るから、セシアはここでおじい様やおばあ様と海辺の町を楽しんだらいい。連れてきたメイドと遊びに行くのもいいんじゃないか? 俺は気が利かないから、貴族のご令嬢を楽しませてやることはできない。それに俺がいない方が、気が楽だろ?」
「……王都へ行くの? あなた一人で?」
「ああ」
「……」
いない方が、気が楽?
その言葉に、セシアはなんだかショックを覚えた。
――つまり、私は邪魔?
昨日、ルイはセシアに対してずいぶん気を利かせてくれたことには気付いている。午前中に足の痛みを訴えてからは、ルイの歩くスピードは遅くなったし、人にぶつからないようにしながら歩いてもくれた。
あれは全部、いやいや……面倒だと思っていたのか……。
「……まあ、私のお守りなんて退屈よね。しょせんは他人ですもの。どうぞお好きになさったらいいわ」
ルイにとってセシアはお荷物以外の何物でもない。頭ではわかっているが、信じられないほどショックを受けている自分がいる。
だって、昨日の気遣いは本当に優しかったのだ。
いやいやだったなんて……そうだと知っていたら一人で出かけたのに……。
ルイがそばにいてくれることに安心感を覚えていたし、レストランでの晩餐は楽しかった。まあ……最後はワインで記憶を失くしたけれど。楽しかった記憶があるだけに、ショックだった。
堪えようとしたけれど、声が震えた。ルイが青い瞳を向けてくる。
バレた。動揺しているのが。
セシアは恥ずかしくなり、顔を背けた。
「そういうわけではない。ただ……本当に俺は貴族のご令嬢の扱いを心得ていないから」
ルイがどこかすまなそうに言う。
セシアがショックを受けていることに気付いている。それがなんだか恥ずかしかった。
「……私は何も不満はないわ。あなたはきちんとエスコートしてくれている。だから……そうね、私も王都へ行くわ」
ルイの「セシアに関わりたくない」という態度は最初から一貫している。ショックを受けるなんておかしい。取り繕うつもりだったのに口からするのと出てきたのは、そんな言葉だった。
セシア自身もびっくりしてしまった。なぜ? 別に、ルイとは仲良し夫婦に見せればいいだけであって、本当に仲良くする必要はない。
でもそれではいやなのだ……気に入らない……そう思う自分がいる。
セシアの答えに、ルイが怪訝そうな顔をした。
「……俺は仕事だぞ? 行くところがあるし、会わなければならない相手がいる。その間、セシアの相手はできない」
「あなたは忘れているのかしら。私は旅行を楽しむためにここにいるわけじゃないわ。叔父様をイライラさせるためにここにいるのよ。一緒に行動するべきでしょ。それとも私を連れていけない理由があるの? まさか浮気?」
ルイの言葉を遮り、セシアがはっきりとした口調で言う。
「……浮気なんかするはずない」
ややあって、ルイが口を開く。
「だが、俺の王都行きは本当に仕事なんだ。……王都には何度も行っているが、詳しいわけじゃない。貴族階級の楽しみなんて知らない……俺についてきても、セシアは何も楽しくない。退屈な時間を過ごすことになる」
「そこまで私を遠ざけたがるなんて、逆に疑うわね。ルイ、あなたはいくつ指示を受けているの? 叔父様をイラつかせるというのは嘘? 試験薬の話も嘘? 私の協力なんて本当は不要で、本当は別の任務で私に近づいているのかしら」
「……試験薬の話は本当だ。セシアの協力も必要だ。フェルトンは、野放しにできない」
ルイがまっすぐにセシアを見る。
「フェルトンさんの試験薬を、私に使わせることが目的なんでしょう。だから向こうが使うまで、私たちは一緒に行動するべきよ……私の命を守るためにも。そうでしょ」
「……ああ、そうだな」
「そうと決まったら切符を手配しなきゃ」
セシアはまっすぐにルイを見つめた。その視線に根負けしたように、ルイが胸のポケットから一枚の紙を取り出す。
それは王都行きの切符だった。時刻は午後二時出発で、座席は三等車。朝、出かけていたというのはこれを購入するためだったのか。
「まあ、急がなくちゃ」
セシアは慌てて立ち上がった。
「本当にセシアがついてくるのなら、もう少し遅い時間のものに変更してくる。車両だって、三等は無理だろう」
「あなたが切符を買いに行くの? なら私もついていくわ」
「どうして」
「置いていかれたらいやだもの。ちゃんと目の前で私のぶんの切符も買ってもらわなくちゃ」
じっとルイを見つめると、
「……そういうことなら、今すぐ駅に行こう」
諦めのにじんだ声で、ルイがそう答えた。
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