第22話 セシアは酒に弱すぎる!

 ルイは、正体をなくしたセシアを抱えて辻馬車を拾った。

 上機嫌でシーフードとワインを楽しんでいたかと思ったら、デザートを口にする前に、いきなり目を閉じて寝てしまったからである。

 セシアのワインを飲む速さに嫌な予感はしていたのだ。ごくごく飲むからてっきり酒に強いのかと思ったが、そうではない。セシアは酒の飲み方を知らないようだ。もしかして、酒そのものにも弱いのかもしれない。……弱い人間が、あんなにごくごく飲むのかという疑問は残るが、この様子ではそのうち大きな失敗をしそうだ。

 セシアに深入りする気はないのだが、酒の飲み方を教えてやったほうがいい気がする。


 その酔っ払いセシアに慌てたのはルイであり店の人間だった。店員にセシアを支えてもらいながら、二人ぶんのデザートを大急ぎで口に入れ、そのまま会計をする。そしてセシアを抱き上げると、ルイは大きな通りを目指した。

 握力がないせいでセシアを支えていられるかとても不安だったが、なんとか落とさずに運べた。偉い。この頑張りは表彰ものだ。


 店の外は花火が上がるからだろう、どんどん人が多くなる。セシアを人混みにぶつけないように気をつけながら辻馬車を探し出し、花火の音を背に聞きながら別荘への道を急いだ。

 セシアは幸せそうな顔で眠っている。寝顔は幼い頃と何も変わらない。ミルク色の頬に、ぷっくりとした唇。ああ本当に、おいしそうだなと思う。

 まったく人の気も知らないで。


「まあまあセシア、どうしたの?」


 別荘に着くと、出迎えに現れたセシアの祖母が、ぐでんとなった孫娘に驚いたような声をあげる。その声でセシアが目を覚まし、窮屈なルイの腕から逃れたがったので足を床に下ろし、立たせてやった。


「なんでもないわ、おばあ様」

「なんでもないとは思えないわよ、もう。ご迷惑をおかけしてごめんなさいね、ルイさん」


 寝ぼけ眼のセシアに、祖母が呆れる。


「いえ、大丈夫です。……それでは、彼女を休ませたいと思うので、これで失礼します」


 ルイは祖母に頭を下げ、立っているのもやっとなセシアを連れて二階の客間へと向かった。

 部屋にたどりつくと、セシアはふらふらと居間を通り抜け、迷いもなく寝室に入りベッドに飛び込む。


「セシア、だめだろう。服は脱がないと。それに髪の毛も」


 お出かけ用にセシアは髪の毛を結っている。いくつものピンを使っていることをルイも知っているので、寝ている間に頭に刺さってしまうのではないかと心配したのだ。


「うん……」


 セシアが頭に手をやり、ごそごそするが、何も見つけられなかったようだ。そのまま本格的に寝息を立て始めたので、ルイはどうしようかしばらく思案した。

 隣にいるメイドを呼んでセシアの面倒を押し付ければいい。なんとかしてくれるだろう。セシアの長い髪の毛をまとめるのに何本のピンを使ったのか、ルイは知らないし、ぴっちりしたデザインのドレスの脱がせ方も、ルイは知らない。ただ、ぴっちりしているがゆえに脱がしたほうがいいだろうなとは思う。苦しそうだ。

 そのドレスをまとった胸が、定期的に上下している。流行中のドレスが細身のデザインだからだろう、胸の大きさが強調される。


 ――十二年も過ぎれば、大人になるよな……。


 昼間のセシアは無邪気に昔話をしたかと思えば、急に遠い目つきになっていた。自分がいない十二年の間に、きっといろいろなことがあったのだろう。ただ、自分がいた頃のことは楽しい記憶として残っているようで、少しほっとした。

 その一方で「結婚するつもりはない」という言葉がひっかかる。


 ドワーズ侯爵が生きていれば独身の謳歌もできるだろう。だが、もしあの叔父が次のドワーズ侯爵となればセシアの未来が楽しいものになるとは思えない。ドワーズ侯爵だって、セシアの将来が心配だったからこそ、あの変な条件がついた遺言を書き残したはずなのだ。セシアが困らないように。


 結婚が前提になっていたのは、セシアの子孫にドワーズ家を継がせていくためだろうから、セシアが結婚しないという選択肢はドワーズ侯爵の意に反する。直系がいなければ再び相続問題が発生するおそれもあるわけで、賢い選択とは言えない。セシアは誰でもいいから結婚をするべきなのだ。


 ――誰でも?


 それなら、このまま自分と結婚していても、構わないんじゃないか? セシアは今、正当な自分の妻。誰かに譲るくらいなら、このまま。

 脳裏にレイモンドが浮かぶ。セシアと懇意にしている友人。旧知の仲らしい、親しい雰囲気が気に入らなかった。付き合いの濃さでいえば、自分のほうが上なのに!

 ルイは寝息を立てているセシアの唇に、そっと指を這わせた。


「俺に気を許すなと言ったはずだよな?」


 髪色以外、外見を偽っているわけではないが、十二年の歳月でずいぶん変わってしまった自覚はある。見た目も、雰囲気も。きっとセシアはルイがクロードだと知ったら驚くに違いない。その証拠に、今のところ、疑っている様子がない。……もし疑われても、知らぬ存ぜぬで押し通すつもりではあるが、それでもセシアに見破られるのが怖くて、一定の距離は保ちたかった。予防線として「興味はない」と伝え、セシアが近づいてこないようにしたつもりだったのに、どうもうまくいっていないみたいだ。

 きっと自分の迷い、あるいは心の弱さのせいだと思う。どう、距離を保つべきなのか……。


「う……ん……」


 苦しいのか、セシアが寝返りを打ち、ルイのほうに向きなおる。ぎくりとなってルイは唇に這わせていた指を離した。

 寝返りを打ったセシアはそのまますうすうと気持ちよさそうに寝息を立てている。

 この十二年、忘れたことはなかった。でも手が届かないこともわかっていた。

 何の因果か、焦がれてやまない女性は今、本物の妻になっている。


 こんなことをするべきではないと、わかっている。


 ルイはセシアの傍らに手をつくと、唇を寄せた。セシアのよく熟れた果実のような唇に、自分の唇を重ねる。何度か啄んで唇の甘さを確かめて体を離す。

 体の中で心臓の音がうるさいほど大きく響く。

 このまま理性を手放してしまいたくなる。それは甘美な誘いだった。


 悪いのは誰だ?

 悪いのは、「気を許すな」と忠告したにもかかわらず、無防備にひっくり返っているセシアだ。

 ああだめだ。収拾がつかなくなる前に寝室を去らなくては。


 とりあえずメイドを呼ぼう。服を脱がせなくては……。そう思うのだが、メイドを呼べばセシアはたたき起こされて着替えさせられるに違いない。すっかり夢の中にいるセシアの、少し幼く見える寝顔を見ているとそれもかわいそうに思えてきた。


 ――セシアが着ているのは旅行用の動きやすいドレス。夜会に出るようなものではないから、そんなに複雑ではないはず……。


 やってみて、だめならメイドを呼べばいい。

 ルイはセシアの上着の大きなボタンに手を伸ばした。


 左腕をセシアの体の下に差し込んで少し浮かせ、上着を脱がせる。その下に着ているブラウスも同様に。

 ブラウスの下は豊かな胸を押さえつけているコルセットだ。触ってみれば、案外固い素材でできていることに驚いた。これでは体が休まらないだろう。

 少し考えてから、セシアの体を横にして、背中の紐をほどく。コルセットの下には薄い生地のシュミーズを着ているから直接裸体を目にするわけではないが、ルイはなるべくセシアの胸元から目を逸らした。

 こんな機会はないだろうからと見入ってしまったら、今度こそ理性が吹っ飛ぶ。そんな不名誉な自信だけはあった。


 次いで、下半身に目を向ける。

 腰の部分で締めつけているベルトを取り、スカートを緩めると、少しためらってからそのスカートを抜き取った。ついでにペチコート、それからストッキングも。

 シュミーズとドロワーズ姿にしておけばいいだろう。あとは頭のピンだ。

 と、その時、身じろぎしたセシアの右側おなかあたりに、ちらりと盛り上がった皮膚が見えた。

 躊躇したのは一瞬。

 ルイは少しだけドロワーズをずらしてみた。


 なだらかな曲線を描く下腹部。なめらかで美しい皮膚の中に突然、醜い傷跡が現れる。

 思ったより大きいな、というのがルイの感想だった。あの時、セシアが傷を負ったことはわかっていたが、どれほどのものかはわからなかった。

 昼、足が痛いとさすっていたのはこういうことか。

 セシアが頑なに結婚を拒んでいる理由も、これなのかもしれない。

 改めてセシアの顔に目をやる。


 セシアの顔は整っていて、美しい。箱入りゆえに物知らずなところがあるが、菫色の瞳に宿る理知的な光はむしろ好意的に受け止められるはずだ。困窮する貴族も多い中、ドワーズ家はきちんと資産を管理しており裕福な暮らしを維持している。結婚市場でのセシアはむしろ優良物件なのに、相手を探さないのは、探したくない理由があるからなのだ。


 ――本当は寂しがり屋のくせに。


 家族が不在になる社交シーズンの夜、セシアはよくクロードを呼び出して一緒に寝てとせがんだものだ。夜会で一人締め出された夜もそう。

 あの日、手を離してしまったばっかりに、セシアから幸せな未来を奪ってしまったのかもしれない。


 ルイは自分の右手を見つめた。大けがをしたせいで、もとのように動かなくなった右手。今のところボロは出ていないが、できるだけ右手が使えないことは秘密にしておかなくては。


 セシアの栗色の髪の毛をさぐってピンを引き抜き、何も残っていないことを確認すると、ルイはセシアに夏用の薄い上掛けをかぶせた。そしてそのまま、足音を立てないようにそっと寝室から立ち去り、ドアを閉める。




 セシアに触れて高ぶってしまった気持ちを落ち着けるために、バルコニーに出て夜空を見上げる。理性を保てた自分は偉い。二度目の表彰ものだ。

 少し距離はあるが、海祭りはまだ盛況なのだろう、港がある方向がわずかに明るい。


 ルイがセシアを新婚旅行に誘ったのには、ジョスランを焦らせるのとは別にもうひとつ理由があった。

 七月後半に王宮へ顔を出すよう、アレンから指示が来ている。内容は例の王妃の首飾りの捜査状況である。新婚旅行ついでに王都に寄ろうと思ったのだ。


 本当はセシアの祖父母におかしく思われないよう、一週間まるまるオリッサの滞在に付き合い、セシアをアルスターに返して自分だけ王都に寄ろうかと思っていたのだが、予定変更だ。明日ここを発とう。こんなに不安定な心のままでセシアのそばにいては、距離を保つことが難しい。


 ――俺の名前はルイ・トレヴァー。クロードじゃない。そんなやつは知らない。だから、俺はセシアも知らない……。


 関係者に対し仲良し夫婦に見えればいいのであって、本当に仲良くする必要などないのだ。

 明日、朝一番にアレンに連絡を入れて王都行きの切符を手配しよう。ルイは実業家で忙しい設定でもある。その設定をフル活用だ。急用が入ったことにし、明日のうちに王都へ発とう。セシアにはメイドが一人ついているし、祖父母もいる。


 どうせ王都では「首飾りは未だに見つかっていない」という一言を報告するだけなのだから、用もすぐに済む。王都からの帰りにセシアを拾い、アルスターに戻ればいい。


 セシアを連れていきたくないのは距離を置きたいからでもあるが、アレンから「髪色を戻せ」という指示が来ているというのも理由だ。今まで髪色はもとより自分の人種についてアレンから言及されたことはないのだが、今回はわざとイオニア人であることを王宮で示せと言ってきている。理由は聞いていないが、何か意図があるのだろう。

 セシアに、元の銀髪に戻している姿を見られたくないのだ。

 さすがにバレる気がするから。


 そういえばそろそろ、アレンが職権を濫用して王都のドワーズ邸に何か妨害を仕掛ける頃合いだろうか。……さて、思惑通りセシアに目を向けてくれるか……。

 それともうひとつ、アレンに依頼している件もある。


 ――ついでに確認しておくか。


 これをアレンが貸しととらえて、ニヤニヤしていたら面倒だが。

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