第21話 新婚旅行なんて、本気なの? 3

 翌朝、セシアは広いベッドの上で目を覚ました。当然、一人だ。

 そろりとドアを開けて居間を覗いてみれば、長椅子の上には誰もいない。ただ、セシアが使ったのと同じ大きな枕と、男性物の上着が半分床に落ちる形で残されていた。


 ――本当にここで眠ったのね……。


 上着を拾って丁寧にたたみ、長椅子の背もたれにかける。

 ここには一週間滞在することになっている……ずっと長椅子で寝かせるわけにはいかない。


 ――なんとかしなくちゃ。




 その後、セシアはメイドを呼んで身支度を整え、階下の食堂に降りてみた。

 祖父母の姿はなく、ルイが一人で新聞を読んでいた。


「おはよう。ぐっすり眠れたの?」


 セシアの問いかけに、新聞から目を上げてルイが頷く。


「俺はどこでも眠れる。そう訓練されているから」

「……そう」


 心配ご無用と言いたいのだろう。それ以上の声かけはルイにとって迷惑になるのかな、と思い、セシアは現れた給仕係に従ってテーブルについた。やがて朝食が運ばれてくる。それも、セシアだけではなくルイのぶんまで。ルイはセシアを待っていてくれたらしい。


 他人なら、自分の都合だけで動けばいい。でも今は偽物でも夫婦だから。……だから自分に合わせてくれるのだ。昨日の祖母からの追求もそう。ありもしないなれそめ話からのろけ話まで、ルイは――大変意外なことに!――にこやかに披露してくれた。きっと、聞かれた時のために自分たちのストーリーを用意してくれていたのだろう。

 そもそも、オリッサへも「偽物でも夫婦だから」来ることになったのだった。


 ――迷惑をかけているんだろうな。


 セシアは、久しぶりに祖父母に会えて嬉しいけれど。


 ――ううん、これも任務のためよ。私たちが仲良くしていると、叔父様が焦り出すはずだから。


 でもそれは、いつになるのだろう?

 いつまで、こんなことを続けなくちゃいけないんだろう?

 セシアはなんとなく、正面にいるルイの食事風景を見つめていた。


 ――あら? カトラリーは右手なのね。


 エスコートはなぜか左手なので、左利きかと思っていたのだが。

 ただ、利き腕がどちらであっても男性は右腕でエスコートするのが一般的なので、左腕を差し出してくるルイには不自然さを感じていたことを思い出す。


 ――まあ、関係ないわ。


 祖父母の目がないため、特に会話のない朝食をとりながら、セシアはそんなことを考えていた。




 さて、今日はここオリッサの海祭り本番当日である。もともとこの海祭りの日程に合わせてここに来たのだ、行かないわけにはいかない。朝食後、居間でくつろいでいた祖父母も誘ったが、「新婚なんだから私たちに気を遣わなくてもいいのよ」と断られ、セシアはルイと二人で祭りに繰り出すことになった。


 馬車に乗って別荘から祭りの行われる町の中心部まで向かう。距離はそれほど離れていないので、帰りは歩くか、辻馬車を使うつもりだった。

 オリッサには幼い頃に訪れたきり、ほとんど記憶は残っていない。


 海が近づき潮風が窓を開けっぱなしにしている馬車の中にも届き始めると、なんだか気分が落ち着かない。祭りの気配が伝わってきて、そわそわするのだ。オリッサは港町らしく建物が頑丈で色合いもセシアの住むあたりとはずいぶん違う。やがて視界が開け、賑やかなエリアに入る。人の多さと色彩の多さに、セシアは目を見開いた。


 円形の広場には音楽があふれかえり、大勢の人々が陽気に踊っている。芸人が入れ替わり立ち代わり芸を披露して場を沸かせ、芝居小屋の前には人だかりができて時々歓声が上がる。広場を囲むように露店が並び、その後ろにある建物が見えないくらいだ。そして露店の列は海へと続いている。その向こうにはきらきらと輝く紺碧の海が見えた。


 ここへ来ている理由も忘れ、セシアはその賑やかな風景に見入った。普段、のどかな田園風景の中に暮らしているセシアにとって、海はとても珍しい。それにこうした祭りに参加することもめったにない。気分が高揚して開放的になるのは、しかたがないことだった。


「すごい……こんなに大きなお祭りは初めてだわ」


 馬車から降りてルイにエスコートされながら、セシアは広場を眺めた。


「ルイ、あなたは来たことがある?」

「オリッサの祭りになら、来たことはない。……村祭りというものになら、行ったことがある。昔……子どもの頃に」

「まあ、偶然ね。私も子どもの頃に行ったことがあるの。アルスターの村祭り」


 二人は並んで歩きながら、露店をのぞくことにした。宝石、食器、おもちゃ、靴、アクセサリー、珍しい食べ物から家具まで。いろんなものが並んでいる。


「こんなに大規模なものではなかったわ。それに夜だけのお祭りなの……日暮れとともに始まって、夏の夜を楽しむのよ。あちこちに松明が焚かれて、夜なのに昼間みたいに明るくて、すごくわくわくしたわ。……本当は大人の集まりでね、子どもは行ってはいけない決まりだったんだけれど、どうしてあの時は連れていってもらえたのかしら」


 セシアが駄々でもこねたのだろうか。記憶がさだかではないが、クロードと一緒だったことは覚えている。後にも先にもクロードと村祭りに行ったのはその一度きりだ。

 初めて自分で買い物をしたのも、あの村祭りだった。といっても財布係はクロードだったのだけれど。


「おおかた、一人で留守番は嫌だと言ったんだろう」


 ルイが予想通りのことを言う。


「まあ、そうでしょうね」

「貴族の子どもの夏は、寂しいものだからな。まわりの大人たちが気を利かせてくれたんだろう」


 ルイの言葉に、セシアは遠い夏に思いを馳せた。

 社交シーズンになると、家族がアルスターの屋敷を不在にするので寂しかったけれど、そのかわりにクロードがセシアに付き合ってくれたものだ。

 特に屋敷からほど近い森の中の探検は楽しかった。夏の思い出はすべてキラキラしている。

 そしてその日々に終止符を打ったのが自分だということ、二度とあの金色の日々が戻らないということも芋づる式に思い出してしまった。


「どうした?」


 急にうつむいて目をしばたかせたセシアに、ルイが怪訝そうに聞いてくる。


「……なんでもないわ。少し、昔を思い出していただけ。せっかく来たのだから、祭りを見て回りましょ」


 セシアはわざと明るく言うと、人混みの中に踏み出していった。




 しかし、心とは裏腹に早々に体が悲鳴を上げてしまった。歩きすぎて右腹部の傷が痛み、立っていられなくなったのである。


「貴族のお嬢様というのは、体力がないんだなあ……」


 広場の外れ、並んでいベンチのひとつに座り、セシアは右足をさする。本当に痛いのは足の付け根なのだが、人前で触るのは憚られるため次に負担がかかる右足を揉みほぐす。


「しかたがないわ、普段屋敷から出ないもの。夏の王都にも行かないし」

「でも今年は行っていただろ」

「おじい様に連れていかれたのよ。行かなくていいのなら行かないわよ、王都なんて。用がないもの」


 むっとして言い返せば、


「貴族の娘なのに、おかしなことを言うな。貴族というのは、夏に結婚相手を見つけるもんじゃないのか?」


 ルイが不思議そうに聞き返してくる。


「……結婚は考えていないわ」

「結婚しないでいるつもりか? ずっと? ……相手がいる、とか?」

「相手がいたらあなたと結婚なんてするはずがないでしょ。……結婚はしないわ。したくないの」

「結婚しないでどうやって生きていくつもりなんだ」


 ルイの指摘はもっともだ。


「もちろん仕事をして生きていくのよ。いろいろ考えていたのよ私も……あなたが台無しにしてしまったけれど」


 セシアはルイを睨んだ。

 工場誘致の話はルイがだめにしてしまったのだ。まあ、ちょっと、騙されていたようなところがあるようだから、あれはあれでよかったのかもしれないが……。


「……なるほど。悪くはないと思うが、女が一人で生きていくのは大変だ。世の中は、セシアが考えているほど甘くない」

「……そうかもしれないわね。でもあなたには関係がないことだわ。どうせ……すぐに、あなたはいなくなるんでしょう」


 二人の間を潮風が吹きぬけていく。セシアの栗色の髪の毛が揺れる。


「そうだな」


 ややあって、ルイが頷いた。


「どうせすぐにいなくなる。俺には関係ない」




 そのあと、傷が痛むなら中断して別荘に戻ろうというルイの提案を断り、セシアは傷が痛まない程度のゆっくりとしたペースで、広い祭りの会場を見て回った。途中で引き返さなかったのは、もしかしたらこれがオリッサを訪れるのは最後かもしれないと思ったからだ。


 祖父母も高齢だ。伯母も。この次なんてないのかもしれない。人生は何が起こるかわからない……百歳まで生きるだろうと軽口をたたいていた祖父は、あっけなくこの世を去った。そう思ったら、この明るくて美しい港町をしっかり目に焼き付けておきたかった。


 港の方にも足を伸ばし、観覧船にも乗ってみた。芝居小屋は人が多くて入る気にならなかったけれど、芸人たちの芸は間近で楽しめた。ルイは何も言わず、セシアに付き合ってくれる。自分に対しあまり好意的ではないはずのルイだが、いやな顔をせずについてきてくれたのは不思議ではあったが、やはり祭りは一人では楽しめない。必要最低限の関わりを保っているとはいえ、ルイがいてくれてよかった。


 夕食はレストランに寄り、港町オリッサらしくシーフードをたらふく食べてきた。内陸に住むセシアにとってシーフードはめったに口にできない食材だ。そのせいで、おすすめだというワインもすすんだ。口当たりが軽く、お酒を飲み慣れていないセシアでもおいしくいただくことができた。それがいけなかった。


 食事の後半あたりから、眠くてしかたがなくなってきていた。酔いか、疲れか。レストランにいる間くらいは起きていないと、と思っていたのだが、もう少ししたら港で花火が上がりますよ……と、店の人がデザートを持ってきたついでに話してくれたあたりで、セシアの記憶はぷっつり途切れた。

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