第17話 そんなの聞いてない! 2

 追悼式翌日。


「ああ、生き返る~」


 昨日のうちにジョスラン夫妻も王都に帰り、久々に叔父の目がない。セシアは室内履きのやわらかい靴すら脱ぎ捨て、家族用の居間のソファでぐでーんと伸びていた。


「侯爵家のお嬢様とは思えませんね」


 そこへトーマが一通の手紙をトレーに載せて持ってやってきた。


「これは?」

「セシア様が工場誘致の話をされていた企業からですよ」


 セシアはがばっと体を起こすと、手紙をつかむ。そしてトレーの上にあったペーパーナイフで封筒を切った。


「……おじい様へのお悔やみと、今後のことについて話をしたいと……あるわ」


 セシアは何度か会ったことがある企業の担当者の顔を思い浮かべた。

 アルスターの経済団体の集まりに顔を出すうちに「工場を誘致して雇用を作りたい」と思うようになったセシアのために、地元の商工業者がツテをたどって紹介をしてくれた企業の担当者なのだが、初対面の時にセシアが「ドワーズ侯爵の代理人」であると名乗った途端、あからさまに落胆してみせた人物なのだ。その場には祖父もいたから、とりあえずはニコニコしていたが、その後、祖父不在で面会すると今度は共同誘致者として名乗りを上げているレイモンドばかり見ていた。


 ――なんて言われるのかしらね。


 その担当者が明日、アルスターを訪問するという。

 一難去ってまた一難だ。


「レイモンドにも同席してもらったほうがいいわよね。手紙を書くわ。急ぎだから、誰かに持っていってほしいんだけれど」


 セシアはそう言って、床の上に放り投げていた室内履きに足を突っ込んだ。


   *** 


 翌日。


 セシアは何度目かわからないが母の喪服に身を包んで、訪問客を迎えた。

 一人は隣の領地に住むベルフォンス伯爵子息のレイモンド。工場の共同誘致者である。


「こうして会うのは久しぶりね、レイ」


 セシアはそう言いながらレイモンドに抱き着いた。


「本当に。それにしても急なことだったね」


 ぽんぽん、と慰めるようにレイモンドがセシアの背中を叩く。

 長い金色の髪の毛を後ろで緩く束ねたレイモンドは、華奢な体つき、翡翠色の瞳に優美な顔立ち、やわらかで男性にしては高めの声質もあって、中性的な見た目をしている。

 セシアと同い年の二十二歳で、セシアと同じく夏の社交シーズンにもかかわらず王都に行かない変わり者だ。伯爵の長男ゆえにまわりからは結婚を求められているが、本人にはその気がないらしい。また、「いざとなれば双子の妹がいるから」と、家族もそんなレイモンドを理解してくれているので、のんびり過ごしているのだとか。


「そしてこちらがセシアの旦那様か。初めまして、ベルフォンス伯爵家のレイモンドと申します」

「ルイです。よろしく」


 ぶっきらぼうなルイに、レイモンドがくすりと笑う。


「そんなに睨まなくても。僕とセシアはそういう関係じゃないよ」


 レイモンドはルイに向かってそう言ったあと、


「それにしても、水臭いな。結婚するような人がいるのなら、教えてくれてもよかったのに」


 セシアに向き直って笑いかけた。


「ごめんなさい。急だったの……」

「父上から聞いてるよ。おじい様の遺言だったんだってね」


 昨日の追悼式には、レイモンドではなくその両親が弔問に訪れていた、レイモンドもセシアの事情を聞き及んでいるらしい。


 レイモンドを応接間に案内して話しているところに、トーマがさらなる訪問者の登場を伝えに来た。リヴーネ社の担当者、アルセニー・マーノスだ。


「アルスターへのわが社の工場を誘致する話なのですが、社内で協議したところ、セシア様ではなくレイモンド様と話を進めさせていただきたいという結論になりましてね」


 外が暑いせいか、マーノスは汗を拭きながら一通りセシアに対しお悔みと結婚の祝いを述べると、単刀直入にそう切り出した。


「どうして僕なの? 確かに工場はアルスターとうちの領地であるコネイルとの境に設置できないかという話はしていたけれど、発起人はセシア……ドワーズ家のほうじゃないか。僕はセシアの話に賛同しただけだよ」

「そうなんですが、工場を実際にこちらに作るとなると、複雑で難しい話を何度もしなければなりません。こちらにいらっしゃるセシア様がどれほどご理解できるか……」

「私に理解力がないと?」


 聞き捨てならない言葉だ。セシアがマーノスに向き直ると、慌てたように手を振った。


「そうは言っておりませんが、ドワーズ家にも我々に融資として相当額のご負担をしていただかなければなりません。女性の身であるセシア様がそれだけの金額を用意できるかどうかは……」


「女だから不可能だというの?」


「セシア様が非常に聡明な女性だというのは存じ上げておりますが、関係者にはそのことを知らない人が大勢います。セシア様の聡明さを説明して回るよりも、レイモンド様の名前を使った方が仕事はやりやすいんですよ」


「それなら私が関係者のところに行って話をします」


「いえ、そういう話ではなくてですねェ……世の中、綺麗ごとだけでは回らないんですよ。社会的な信用の度合といいますか……。ドワーズ侯爵だから信用する、という人も多いんです。ドワーズ侯爵の高潔さは、社交界でもよく知られておりますからね。その点、セシア様にはなんの社会的な実績もありませんし。そもそも女性というのは、社会的な信用を作ることが難しいんですよ。世の中の仕組み的に」


「……ッ」


 セシアはこぶしを握り締めた。


「でも社会的な実績というか信用なら、僕もないと思うけど? 社交界とは距離を置いているし、特に何かした覚えはないし」


 静かに怒りを募らせるセシアの横で、レイモンドが優雅に肩をすくめる。


「レイモンド様は、ベルフォンス伯爵のご令息ですから」

「セシアはドワーズ侯爵家のご令嬢で、今はドワーズ侯爵夫人だけど? よほど僕より社会的な立場はしっかりしている気がするね」

「それでも男性と女性では、やはりね」

「ふうん」


 レイモンドが翡翠色の瞳を細める。納得はしていないのか、剣呑な光が宿っている。


「つまり……」

「つまり、俺となら話ができるということか?」


 レイモンドを遮ってマーノスに話しかけたのは、ルイだった。いつもはセシアに向ける仏頂面をマーノスに向ける。


「俺は男で、貴殿の言う社会的な実績とやらもある。セシアの夫で、こう見えても事業の共同経営者でもある」

「……で、ですが、あなたは確か、セシア様とは身分の差がおありで……」


 冷ややかな気配のルイに、マーノスが怯えたような顔をする。


「セシアより身分が低いから、社会的な信用がないと? そもそも貴殿の言う社会的な実績とは何なのだ?」

「それは……そうですね、身分や、貢献活動や……」


 冷やかさを増したルイに、マーノスがしどろもどろになる。そんなマーノスに対し、ルイは鋭い目をさらに鋭くした。


 ――怖っ。


 地顔が怖いから不機嫌さを全開にされると、蛇に睨まれた蛙の気持ちがわかる。この人はこんな恐ろしい表情もできるのか。さすがにここまで冷たい眼差しを向けられたことはないから、ルイはセシアに対して多少は不機嫌の手加減をしていたのかもしれない。


 でもどうして急に怒ったのだろう。昨日、ジョスランや親族に身分のことを指摘された時には受け流していたのに。


「貢献活動なら、妻は十分に行っている。貧困院をはじめ、領民の暮らしには心を砕いているし、こうして雇用を作るために行動も起こしている。妻が評価されないのは性別ではなく年齢的なものに加え、キルスの社交界がアルスターのような地方の出来事に興味を持たないからだ。アルスターは先のリーズ半島奪還のために、国の要請に応じて大勢の兵士を送り出している。残された人々を救おうとする妻のどこが、『社会的実績がない』になるんだ?」


 ルイの語る内容に、セシアは目を瞠った。


 ――どうして知っているの?


 セシアが今までしてきたこと。セシアが考えてきたこと。何ひとつ、ルイには話していない。必要がないから。

 どうして、と考えて、そういえばルイはトーマと一緒に追悼式の準備を手伝うことが多かったと思い至る。トーマからセシアの話を聞き出したのだろう。別に知られたところで構わないことではあるけれど、


 ――私になんてまったく興味がないと言っていたくせに……。


 任務に必要なことだから調べたのだろうということは、容易に想像がつく。

 それにしても、自分が標的になっている時は受け流せたくせに、妻(セシア)を侮辱されたので夫(ルイ)が怒るなんて……。


 ――これではまるで……まるで本物の夫婦みたいじゃないの……。


 そう気づいてしまうと、こんな時にもかかわらず心臓がドキドキし始めた。


「身分的にも申し分がないだろう? 彼女は侯爵令嬢だ。妻の何が不満で、彼女を下ろす決断になったんだ?」

「それは……」

「答えられないのか? それでは悪いが、この話はこちらから断らせてもらう」

「ちょっと!」


 セシアは慌ててルイの腕をつかんだ。


「どうして勝手に」

「あなたはどうか、レイモンド殿?」

「……僕も異論はない。セシアありきの工場誘致だからね」


 ルイに話を振られ、レイモンドが肩をすくめた。


「本当によろしいんですか? こんな田舎に工場を作ってもいいなどという酔狂な会社はほかにありませんよ? 条件だって、王都ですらこれ以上ないというくらいの好条件なのに」


 マーノスが低い声で呟く。

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