第18話 そんなの聞いてない! 3

「待って……!」


 ツテをたどってようやくつかんだ誘致の話だったのに、なぜルイは潰す方向に持っていくのだ。それでは困る。いろんな人にお願いして回っているセシアの身にもなってほしい。


「好条件? あまり俺を舐めないでくれるか? 提示された条件を見せてもらったが、ぼったくりすぎだろう」


 言い募ろうとするセシアを無視して、ルイがそう言い放つ。


「何を根拠にそのようなことを」

「俺も同業者だからだ」


 視線をそらさないまま告げるルイに、マーノスがぎくりとなるのがわかった。


「というわけで、この話はここでおしまいだ。遠路はるばるご足労、アルセニー・マーノス殿」


 ルイが言い切る。マーノスはルイを見つめ、次にレイモンドに目をやった。レイモンドが何も言わないので、汗でてかてかになった頭の上に帽子を乗せると「そういうことなら、長居は無用ですね。私はこれにて」と短く告げて立ち上がる。

 セシアはマーノスを呼び止めようとしたが、ルイがぐっと腕を引っ張ったのでできなかった。


「室内で帽子をかぶるなんて、失礼だね」


 室内に控えていたメイドに見送られてマーノスが出て行った扉を見つめながら、レイモンドが苦笑交じりに呟く。


「そうよ……失礼よ! なんであんなこと言うの! 工場誘致のために、どれだけの人が動いてくれたと思っているのよ!」


 セシアはレイモンドではなくルイに食ってかかった。


「さっきトーマに工場誘致の条件を見せてもらった。誰が決めたんだ、あれ」

「わ……私だけど、おじい様にも確認してもらったわ! それにレイモンドにも」


 セシアの言葉にルイは青い目を動かしてレイモンドを見た。レイモンドが「僕は経済には詳しくないんだ」と、肩をすくめる。


「なるほどな。ところで、工場誘致のために、セシアは実際に頭を下げて回ったか?」

「もちろんよ! 組合の人たちとは何度も話をしたわ」

「その組合の人のツテをたどったわけだな」


 ルイが腕組みをしながらセシアを見下ろしてくる。……単なる身長差である。


「そうよ……いけない?」


 風向きが怪しくなってきたので、セシアは身構えながらルイを見上げた。身長差である。


「いや、悪くはないが。……ひとついいことを教えてやろう。王都にいれば手に入る情報なんだが、五年後には南部のヘルソンまで鉄道を伸ばす計画がされている。ヘルソンの港はこの国の貿易の拠点のひとつだ。ということは?」

「……アルスターの利便性が上がる……?」

「その通り。アルスターは今後、工業地帯として好立地になる可能性が高い。だからアルスターを安売りするな。さっきあいつが言いたかったことはつまりこういうことだ。事業を手がけようと思うなら、自分で動くんだ。できるだけ視野は広く、できることは全部やる。信頼というのは、そうやって作るんだ。見る人は見ている」


 セシアはじっとルイを見つめた。

 今まで何度かルイには物知らず扱いされたが、今回はそれほど腹が立たない。なぜだろう。


 ――まるでアドバイスじゃないの……。


 セシアの失敗を未然に防いでくれたからにほかならない。

 何より、セシアのやりたいことをルイは否定してこなかった。

 祖父には呆れられたし、目の前にいるレイモンドにも最初は「セシアがやるの? 難しそうだね」と言われたことなのに。


 とはいえ、もう一度、工場誘致を初めからやり直すとなると、ツテ……ルイが言うところの信頼関係を、経済に明るい人と構築するところから始めなければならないのか。

 具体的に何をすればいいんだろう……。さすがにそこまでは、ルイも教えてくれまい。


「それじゃあセシア、僕もそろそろお暇するよ。また落ち着いたら貧困院のほうにも顔を出して。連絡をくれたら僕のほうも都合をつけるから」


 ルイの言葉に黙り込んでしまったセシアに、レイモンドが声をかけて立ち上がる。


「さっきはセシアを助けてくれてありがとう。僕も王都に興味がなくてね……でもそれじゃいけないんだと気付かされた。セシアがあなたを選んだ理由がわかった気がする」

「……こちらこそ、セシアを支えてくれてありがとう」


 ルイの言葉にレイモンドがにっこりと笑い、暇を告げて部屋を出ていく。

 パタンとドアが閉じたあと。


「……さっき、どうして私を擁護したの? あなたには関係がないことなのに。任務外のことには関わらない方針だったんじゃないの」


 ぽつり、とセシアは呟いた。


「目の前で『妻』を侮辱されて、気分を害さない『夫』はいないと思うが」


 それはさっきセシアが思ったことだ。


 ――つまり、私が侮辱されたことが本当に気に入らなかったということ……?


 この人が?

 セシアに興味なんてこれっぽっちもない、この人が?

 そんなはずがない。


 ――ああ……そうよ。


 つまりこれは演技なのか。


 ――そうよね、この人が私のことを本当に庇ってくれるわけがない。だって、私のことはどうでもいいんだもの……。


 セシアはしみじみと、目の前にある広い背中を見つめた。華奢なレイモンドとは違う。


 ――私のことは、どうでもいいものね……。


 この背中が、自分を守ってくれたら。さっきみたいに、守ってくれたら。

 ほんの少し、そう思ってしまったのは自分の弱さのせいだろう。セシアはかぶりを振り、弱気を追い出した。


 ――しっかりしなくちゃ。どうせこの人は任務のためにここにいるのであって、それが終わればここを出ていく。あとは私が一人でなんとかしなければならないのよ。


 独身で生きていくというのは、そういうことのはずだ。セシアは自分に言い聞かせた。


   ***


 ジョスランは王都に向かう列車の中で、セシアとその夫、ルイ・トレヴァーという男のことを思い浮かべていた。父の遺言公開後、姪のセシアからいきなり結婚すると紹介された男だ。


 背が高い。体格がいい。顔も、まあいい。だが愛想はない。子爵家だというが、セシアのもとへ婿入りするくらいだから嫡男ではないのだろう。


 父が倒れた時、セシアは自分に疑いの目を向けた。あの時はごまかしたが、セシアは何かに勘付いているはずだ。それは間違いない。だが証拠はどこにもないし、うまい具合に父の心臓は弱っていた。それで押し通したが、父の遺言公開後、「もしかして」と思った通り、セシアは「結婚する」と言い出した。自分を疑っていることが丸わかりの行動だ。


 婚約者どころか、浮いた話のひとつもなく、領地にひきこもって出てこない娘にすぐ結婚できる相手がいるはずがない。ジョスランへの相続を妨害するための結婚であることは明らかだ。


 ジョスランは目を閉じ、葬儀後、いったん戻った王都でのことを思い出す。


   ***


「小賢しいと思わないか? あの小娘から相続権を取り返すにはどうしたらいい? あいつを階段から突き落とすか!?」


 ジョスランは懇意にしている弁護士の事務所で、一連の出来事を相談していた。弁護士のエリック・レーズは、寄宿学校から付き合いがある友人でもある。


「どちらとも不幸な事故だとしても、父君が亡くなった直後に相続人の姪まで亡くなったら、さすがにおまえに疑いが向くよ。滅多なことは言うな」


 エリックには父の死因を心臓発作と伝えてある。


「じゃあどうすればいい。僕が受け継ぐはずだった遺産を、あの小娘は横からさらっていったんだぞ。黙って見ていろというのか!」

「相続条件を満たすための便宜上の結婚なんだろう? だったらその便宜上の結婚であることを暴けばいいさ」


 興奮するジョスランに、エリックは読んでいた新聞をたたんでテーブルの上に放り投げ、冷静に助言をする。


「どうやって」


 なんとなく、ジョスランはその新聞に目をやった。

 大きな写真が載っている。見出しは「王妃の首飾りは今どこに?」

 新聞には見覚えがあった。


「……すこし前の新聞だな。今頃?」

「たずね人の情報は、新聞に載ることがあるからな。しかし王宮から首飾りが紛失したとなると、責任者のクビは吹っ飛んでるだろうな。首飾りだけに」


 面白くもない冗談を言うエリックを睨んだら、コホン、とひとつ咳をしてジョスランに向き直る。


「便宜上の関係の証明の仕方だが、ないこともないと思う。ひとつは、夫婦としての生活実績。結婚しているのに別々に暮らしているとか、それこそ夫婦としての営みがないとか。聞けば君の姪御さんは、ずいぶん身持ちが固いようじゃないか。書類だけの関係なら、夫婦生活は無理そうだけどな」


 エリックの指摘に、ジョスランも「ふむ」と頷く。確かに。


「もうひとつは、相手の男の素性。こいつが詐欺師とか……まあとにかく後ろ暗い人間なら、ドワーズ家にはふさわしくない。そういう人間を捕まえてこなきゃいけないくらい、姪御さんは切羽詰まっていたということになるだろ? このあたりを証明できれば、姪御さんの結婚がジョスランへの相続を妨害するためのものだということが証明できるとは思う」

「それでセシアを相続人から引きずり下ろせるのか?」

「欠格事由というものがあるんだよ」


 エリックが人の悪い笑みを浮かべる。


「なんだ、それは」

「早い話が、犯罪者や、相続の邪魔をした人間は、相続人にはなれないというものさ。君の姪御さんは、君への相続の妨害のために偽装結婚をした。これは欠格事由に当てはまる可能性が高い。ただ、姪御さんの悪意を証明できればね。相続のために結婚するなんて話はザラだからな」

「……なるほど」

「訴訟になるというのなら引き受けるよ。健闘を祈る」


 エリックの言葉に、ジョスランは頷いた。


 結婚を決めたセシアに対しては言いたいことをぶちまけて動揺させる作戦をとったものの、セシアは乗ってこなかった。セシアも相応の覚悟を決めてジョスランに挑んでいるのだろう。昔からお優しい兄の血を引くだけあって小生意気な娘だが、まあいい。遺産を奪い合うのだ、生半可な覚悟でいてもらっては潰し甲斐がない。


 その後の追悼式では二人の様子をつぶさに観察もした。恋愛結婚というわりには二人の関係はずいぶんあっさりしたものに見えたが、それでも時々は体を寄せあっていたのは確認できた。二人の実際の関係はわからない。だから、王都に帰ってまずするべきことは「ルイ・トレヴァー」という男が誰なのか、だ。


 正しく貴族の娘として育てられた侯爵令嬢のセシアが、父にも相談することなく、あわてて結婚したのだ。あの二人が便宜上の夫婦でしかないことは間違いない。どこかに突破口はあるはずだ。

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