第16話 そんなの聞いてない! 1
追悼式までの一週間、ジョスラン夫妻は居座ることにしたようだ。
何かとじろじろ検分されるのが気分的によくないものの、セシアはセシアでやることがある。暇そうにしているルイに用事を言いつければ、仲良くしているように見えなくもない気がする、と、セシアはルイもこき使って準備を進めた。
そして迎えた追悼式。
セシアは喪服を着て弔問客を出迎えた。親族の中には、不躾にルイを見つめる者も少なくない。
そんな親族に対し、ジョスランが何やら話しかけている。時々ちらちらとこちらを見るので、セシアたちのことを話しているのはわかる。
――ルイの悪口ね。私の相手を選ぶ目が悪かったとでも言いふらしているんだわ。
ここでケンカをしてはだめだ、ルイのことでとやかく言われるのは織り込み済みだから相手にするなとルイ本人からも言われている。
わかってはいるが、どうしても視線が鋭くなってしまう。
まあ確かにセシアの結婚はあからさまではある。
だが、と思う。そもそも叔父がしっかりしていれば、叔父がドワーズ家を継ぐことになっていたはずだ。セシアにお鉢が回ってきたのは、叔父の性格や態度のせいともいえる。叔父から一方的に悪者にされるのはどうも納得がいかない。
自分の悪口を言うジョスランを睨みながら、セシアは必死で荒れ狂う心を抑えつけていた。
追悼式そのものは時間が短いこともあって、特に問題もなく終わる。教会での追悼式のあとは、弔問客を屋敷に招いて食事を振る舞うのが一般的だ。
「ところでルイ君……といったかね」
和やかな食事会の雰囲気の中、ジョスランが大きな声でルイに話しかける。
――仕掛けてきたわ。
何かするなら追悼式だと思っていた。セシアは思わず体を固くする。
故人に近いジョスラン夫妻とセシアたちは、同じテーブルだ。
「君はどうやって、うちのセシアと知り合ったんだ?」
「……仕事でアルスターの貧困院を訪問する機会がありまして、その時に」
「それはいつごろの話だい?」
「……一年ほど前の話です」
ルイは臆することなく、にこやかに打ち合わせしてある馴れ初め話を話す。
「君は、セシアがドワーズ家の娘だと気が付いていて、近づいたんじゃないのかい?」
「最初は知りませんでした。親しくするうちに、ドワーズ家のご令嬢だと気が付きましたが、それでセシアのことを……」
「君は、確か子爵家の人間だったな? ドワーズ家は侯爵家だ。身分違いだとは思わなかったのか? 男なら、潔く身を引くべきだったと思うね」
ジョスランの大きな声に、食事会がシン……となる。
――特権階級の義務は果たしていないくせに……!
ジョスランは厳格な貴族社会からも、アルスターからも逃げ出している。それなのに侯爵家の人間であると声高に主張する。
セシアはテーブルの下できつく手を握り締めた。隣の席のルイは、そんなセシアをちらりと見たあと、睨みつけてくるジョスランに青い目を向ける。
「……それは承知の上で、彼女に求婚しました」
「父上には話していないと聞いているが? もし反対されたらどうするつもりだった。というより、父上は絶対に反対したはずだ、侯爵家の娘を子爵家の、当主ならまだしも、君はどうやら後継ぎですらないようだし。なぜかセシアはこのあたりを濁してしまうのも気になってねぇ。君は、ずいぶん後ろ暗い経歴の持ち主なんじゃないかい? たとえば……」
「叔父様、いい加減にして!」
あまりの言い分に、セシアは思わず声をあげた。
「彼は立派な人よ。前にも話したでしょう。きちんと仕事も持っているわ。……借金だって持っていないし。それにこの家の当主は私なのだから問題は……」
「ははあ、なるほど。おまえは種馬が必要なだけで相手は誰でもよかったというわけか」
「……!」
あまりの言い草に、セシアの顔が引きつる。
心で思っていても、人前で言っていい内容ではない。
「ドワーズ家の血をつなぎさえすれば、それでよかったのか? セシア。父上もおまえもその考えか? おかしいだろう! 直系男子はここにいるのに!!」
ジョスランがテーブルを叩く。衝撃でワイングラスが倒れ、クロスに赤い染みが広がっていく。
突然始まった叔父と姪の言い合いに、和やかな食事会の空気が凍り付く。
――なんなの……これじゃ醜聞が広まってしまうわ。
「お集りのみなさんも、おかしいとは思いませんかね? 下賤な血をドワーズ家に入れるわけにはいかないでしょう?」
ジョスランが立ち上がり、大きな声で問いかける。
どこの街頭演説だ。
狭い貴族社会において悪評は命取りだ。いくら伝統的で堅苦しい貴族の暮らしが嫌いだからって、ジョスランはそんなことも忘れてしまったのか。
それともセシアをいたぶって遊んでいるのか。
くやしい。
くやしい……!
――なんとか場を収めなくちゃ……。
このままジョスランと罵り合うわけにはいかない。ちらりとルイに目をやれば、ルイは無表情のまま成り行きを見つめている。
セシアに助け舟を出すつもりはないらしい。
――なんて頼りない「夫」なの!
どうすればいいのか考えをめぐらした時だった。
「はいはい、難しい話はそれくらいにしましょう」
パンパンと手を叩いて、明るい声が叔父と姪の言い争いを終わらせる。
二人に近づいてきたのは、別のテーブルで食事をしていた母方の伯母だった。
「セシアが選んだ男性だもの、間違いなんてないわ。そうでしょ? こんなにかっこいいんですもの。それに、ほら、とても誠実。貧困院でセシアと知り合ったのよ、誠実な方に違いないわ」
言いながら会場を見回す。
「二人とも、おじい様がこんなことになって慌ててしまったのよね。本当はもう少しゆっくり話を進めていきたかったのでしょう?」
「……そう、ですね」
伯母の助け舟に、セシアは頷く。ちらりとルイに目をやれば、ルイも頷いてみせた。
「今日で喪が明けるわ。ねえ、オリッサの別荘に遊びに来ない? 七月の終わりに、海祭りがあるのよ。セシアは一度、来たことがあるわよね。オリッサ」
「ええ」
記憶を頼りに頷くと、伯母がぱあっと笑った。
オリッサは海に面する美しい町で、この国でも有数の観光地だ。
「そこにいらっしゃいな。きっと素晴らしい思い出が作れると思うわ。新婚なんだもの、楽しいことをしなくちゃ」
「えっ? でも、でも……」
祖父の死からひと月足らずで、二人で旅行?
「それにしても、セシアがそんなに情熱的だなんて知らなかったわ。そう、身分差ね。……今の人たちはそれほど身分差についてとやかく言われなくなってきているから、いいわね。好きな人と一緒にいることが一番だものね。そう、セシアはあの堅物の侯爵に負けずに、想いを叶えたのね!」
伯母は相変わらずニコニコしたままである。セシアたちのでっちあげロマンスにひどく感動されてしまった。
ああああ~、全部嘘ですよぉぉぉ、と内心で叫ぶが、表に出してはいけない情報なのでセシアは笑顔を浮かべたまま頷くことしかできない。
「このところバタバタと忙しかっただろう。海辺でゆっくりしてくるといい。これから長い付き合いになるんだ、夫婦の時間は大切だよ」
伯母の夫、ランコン伯爵まで援護射撃をしてくる。
「それに私はね、セシアとルイ君が身分なんて関係ない、という気持ちを貫いて一緒になってくれたことが嬉しいね。もう血筋で生き方が決まる時代じゃない。君は事業をやっているそうだ、わかるだろう? 実に頼もしい……実業家の視点でセシアを支えてやってくれ」
ランコン伯爵がルイを見ながら言う。
「そうよ、セシア。身分なんて気にしないで。そういうことだから、また連絡をちょうだい。別荘を準備して待っているわね」
伯母が笑って席に戻る。
会場の空気は、だいぶ軽くなった。
――身分なんて関係ない。
そう言ってくれる人がここにいてくれてよかった。セシアはちらりとルイを盗み見た。……自分のことが話題になったのに、顔色ひとつ変わらなかった。動揺しているのはセシアだけなのだ。
なんだかひどく疲れた。
ジョスランは相変わらず睨んでくる。
セシアは徒労感を抱えながら、食事を続けた。
やがて一波乱あった食事会も終わり、セシアはルイとともに玄関先で参列者を見送る。なんだかんだ引っかき回してくれたジョスラン夫妻も荷造り後、本日中に出ていくようだ。田舎は退屈だという捨て台詞つきで、荷造りのために使用人をよこせと指示してきたのでセシアは呆れた。
傍若無人極まれり、である。
「絶対に連絡をちょうだいね」
伯母に改めて言われ、セシアは微笑みながら頷いた。
見送った客は、伯母が最後だった。
前向きな話題で追悼式を締めくくってくれたのは、伯母の気遣いだったのだろう。
そして誰もいなくなった玄関で、セシアはルイに向き直る。
「……さっきは叔父が不快にさせて悪かったわ……。でも、助けてくれてもよかったんじゃない?」
「どう助ければよかったんだ。俺が何を言っても、あん……セシア嬢の叔父上は逆上するだけだから、好きに言わせておいただけだ」
「……そう、そうね」
実に冷静な判断だ。
セシアは悔しいやら腹が立つやらで叫び出したい気持ちに駆られた。
「本当は、ワイングラスを落とそうと思っていた」
ルイに何か痛烈な一言でも浴びせてやりたいと思っていたところに、ぽつりと、そのルイが呟く。
「大きな音を立てて叔父上の気でも引いてやろうかと。それでも黙らないようなら外に連れ出そうかとは思っていた」
「……何を、する気だったの」
「……。さあな」
玄関ドアを見つめたまま、ルイが言う。
「もう少し早くに俺が行動すればよかったな。不快な思いをさせて悪かった」
ルイの言葉に、セシアは目を見開いた。
謝られた?
ルイに?
「……すごい顔になっているぞ」
思わず固まってしまったセシアの気配に気づいて振り返ったルイが、ぽかんとしているセシアを見て感想を述べる。
「だ、だって……」
ルイがセシアに対して自分の非を認めることなんて絶対にないと思っていた。
「そ、そういえばさっきの旅行のことだけれど」
なぜかドキドキし始める鼓動を無視するように、セシアは伯母に誘われた旅行のことを持ち出した。
「行かないわよね」
「オリッサ?」
「そうよ」
「……まあ、行かなくても問題ないだろう。ドワーズ侯爵の死去から間もないし」
ルイの言葉に、セシアはほっと息をついた。
「それに、叔父上もいなくなった。寝室も別々のままで問題なさそうだ」
「あっ、本当ね! よかったわ」
ルイの言葉に、セシアがぽんと手を打つ。
懸念が取り払われ、気分が明るくなったセシアは足取りも軽やかに、食事会の後片付けを手伝いに食堂へ向かった。
そんなセシアの後ろ姿に、ルイが思わずといった感じで口元を緩めたことに、セシアが気付くことはなかった。その後、ルイがしばらくその場で考え込んでいたことも。
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