第10話 来訪者 2

 イヴェールの言葉に、セシアは固まった。


 結婚?

 イヴェールと?

 こんな不気味な……おっと失礼。

 得体の知れない……も失礼か……。

 ちょっと怖い人と結婚?


 というか、なんで結婚……?


「大混乱しているようだね。まあ当然か」


 固まったまま動かないセシアに、イヴェールがうっすら微笑みを浮かべたまま頷く。


「順を追って話そう。まずあなたの叔父上のもとにフェルトンがいるとわかったので、我々はあなたの叔父上について調べた。なかなか革新的な考えをしていらっしゃる……あと借金が多い」

「……」

「そしてドワーズ侯爵の急逝。フェルトンを知る我々としては、あいつが関わっていると見るのが自然だろ? だから昨日の葬儀にも参列した。何かわかるかもしれないと思って」

「……いらっしゃっていたんですか」


 驚くセシアに、イヴェールが頷く。


「末席にいたので気付かなくても当然だ。軍服でもなかったし。そこでドワーズ侯爵の遺言を聞いた。叔父上の荒れっぷりから察するに、あの遺言はあなたがたにとっても初耳だった」

「おっしゃる通りです」

「叔父上は、ドワーズ家を継ぎたい。この家の財産が欲しい。私の認識は間違っているかな?」

「……いいえ、その通りだと思います」


 イヴェールの指摘に、セシアは頷くほかない。


「先ほどセシア嬢に確認したところ、フェルトンの作った試験薬がドワーズ侯爵に対して使われた形跡が確認できた。我々は……というか、少なくとも私は、ジョスラン氏にドワーズ侯爵は殺害されたと見ている。あなたはどう思う?」

「……ッ」


 セシアはぎゅっとスカートを握り締めた。そんなセシアをイヴェールが赤い目を細めながら見つめる。


「……まあ、事故なのか事件なのか、そこはまだはっきりしない部分ではあるが、ジョスラン氏が何かしなければドワーズ侯爵が亡くなることはなかったのは確かだ。あなたはそのことについてどう思う? 自分の叔父上を信じる? 疑う?」


「……それは……」


「正直に答えていただきたいな。あなたは唯一の庇護者を奪われたんだ……悔しくはないのかい? それだけじゃない、あなたの叔父上はあなたから、この家も、あなたの人生も奪おうとしている。おそらくあなたは叔父上の命じるまま政略結婚をせざるを得ない。違うかい?」


「……違いません……」


「この家を手に入れるために実の父親に得体のしれない薬物を飲ませる神経の持ち主だ。姪に手加減するとは思えないな……。ねえセシア嬢、あなたの叔父上は誰にも断罪されずに、欲しいものを卑劣な手段で手に入れて、これからホクホクと生きていくつもりだ。そんなことが許されるだろうか?」


「……そんなの、許せないに決まっています」


 セシアの現状も胸の内で渦巻いていた不満も、的確に言葉にして投げつけてくるイヴェールを、セシアはキッと睨みつけた。菫色の瞳に涙がにじむ。


「許せないに決まっている! 絶対に叔父様が何かしたのよ!! それなのに証拠がないなんて……ッ」

「だから私に協力してよ、セシア嬢」


 イヴェールが立ち上がり、ゆっくりと歩いて近づき、セシアの左隣に座る。そのせいでソファが少しだけ沈み、セシアの体がイヴェール側に傾いた。

 作り物っぽい外見のせいで体温なんてないような気がしていたが、触れあうほどの距離になると、体温が感じられた。少し意外な気がする。


「このまま何もしなければ、あなたの叔父上がこの家を継ぐことになる。そうなると我々は困るんだよ。潤沢な財産を使ってフェルトンに試験薬の開発を続けさせる可能性が高くなるからね。厄介なことに、あなたの叔父上の人脈はなかなかに広い。その薬をこの国の重要人物に使われたら?」

「……」

「あなたは卑劣な手段でおじい様を殺した叔父上を許せない。そしてこの家を守りたい。わたしは、あなたの叔父上と結託しているフェルトンをつかまえたい。そのためには」


 イヴェールがセシアの左手を取る。


「結婚が一番、手っ取り早い」

「……どういうことですか?」

「考えてもみたまえ。ジョスラン氏にとって一番いやな展開は、セシア嬢がひと月以内に結婚することだ。手に入ると思っていたドワーズ家の遺産を横取りされるように見えるだろう。きっと腹が立って、あなたに何か仕掛けてくるはず。ドワーズ家の法定相続人は二人しかいないんだ。一人が消えれば、自動的に」


 イヴェールが笑う。

 悪魔に見えた。


「……つまり、私とあなたが結婚してみせて、叔父様を怒らせろと……?」

「もちろん結婚は形だけのものだ」


 イヴェールがセシアの左の薬指をなぞる。

 ゾクゾクと寒気が背筋を這い上った。


「だが結婚さえすれば、あなたは本物のドワーズ家の当主になれる。でもそれだけじゃ心もとないだろう、確実に『セシア嬢だけがただ一人の相続人』になれなくてはね……だから、我々がフェルトンを捕獲できたら、あなたのおじい様に試験薬を使ったという証拠を提供しよう。それをどう使うかはあなたに任せるが」


 証拠!

 セシアが一番欲しかったものだ。


「軍の行動の一環だ、結婚自体はなかったことにもできる。その点は安心したまえ。ドワーズ侯爵の遺言にある『結婚』の条件が消えても、叔父上が被相続人や相続人に対し試験薬を使った証拠があれば、欠格事由には相当する。つまり叔父上は相続人としての資格を失う」

「……結婚の事実を取り消しても……私が、当主のままでいられる……?」


 呟いたセシアに、イヴェールが「ご名答」と至近距離で頷き、笑ってみせた。

 この話に頷きさえすれば、今後誰かと結婚しなくても……何もしなくても、あの叔父を相続人から外せる?

 なんて甘い誘惑。


「でも……それ……何かいろいろと問題があるような気がするわ……。わ、私を騙そうとしているわけじゃ、ないんでしょうね?」


 そんなうまい話があるわけがない。セシアは頭を振ってイヴェールを睨んだ。


「疑り深いね。慎重な女性は嫌いじゃないよ、でもねえセシア嬢」


 イヴェールがむんずと両手でセシアの頬をはさんで自分の方に向ける。

 間近で見た真紅の瞳に、自分が映り込む。瞳孔は、縦長ではなかったが、血の色の瞳は迫力がある。頬をはさまれているので逃げることもできない。


「騙すなんてとんでもない。これはれっきとした軍事作戦だ。疑うようなら東方軍の司令官の書面を取ってきてあげよう。それから、形としては『お願い』なんだけど、あなたに拒否権はない。……さっきも言った通り、これは軍事作戦なんだ。フェルトンの逃亡と試験薬の流出は我々にとって不祥事であり表沙汰にはしたくない、東方軍の司令官は微妙な立場にあるお方なのでね。我々は彼の意向に従うしかない。これは極秘の作戦なんだよ」


「さ、作戦……」


「知っているかな、この国の法律には、有事の際は国民の安全を守るための行動が最優先される、というものがあるんだ。これはその法律にのっとった行動なんだよ。もし拒否をしてもこの作戦はすでに実行段階に移っているから、あなたには結婚をしてもらうし、我々の言う通りの行動をしてもらう。できない場合は……」


 イヴェールがニイと笑う。怖い。


「……国家権力を敵にするのはやめたほうがいいよ? あなたを閉じ込めて身代わりを仕立てることだって可能なんだ。煩わしくないからそっちのほうがいいかな? どうだろう?」

「み……身代わり!?」


 セシアに成り代わった別人が、イヴェールと結婚して、この家の相続問題に絡んでくるのか? 身代わりの行動次第で自分の運命が決まる?

 知らないところで運命が動いてしまうのは絶対にいやだ。それにイヴェールは、口ではなんとでも言うものの、フェルトン捕獲が最優先事項なのだから、セシアの立場なんてきっと気にしない。

 生殺与奪権を人に握られるなんて、あり得ない。


「わたしとしては協力要請という形で最大限あなたに配慮をしているつもりだが? なんだったら成功報酬もつけていい……何かひとつ、あなたの希望を叶えてあげよう。もっとも、わたしにできる範囲のものになるけれど」


 イヴェールは恐怖から浅い呼吸を繰り返すセシアに視線を定めたまま、そらさない。

 真っ赤な瞳に映る自分は、まるでこの人に従わないとこうなるよと言っているに思える。血に染まるよ……と。


「もう一度言う。協力してくれるね?」


 この人は本気だ。

 間近から見つめてくる赤い目が怖くなり、セシアはこくこくと頷いた。

 その様子に満足したのか、イヴェールがセシアから手を離してソファから立ち上がる。

 華奢なくせにとんでもない威圧感だ。イヴェールが離れてくれたおかげでようやく呼吸が楽にできるようになった。セシアは大きく呼吸をしながら、イヴェールを目で追った。


「ちなみにだが、あなたと結婚するのはわたしではない。彼だ」


 ドア付近に立ったままの青年のそばに行って、イヴェールがセシアを振り返る。直立不動、応接間に入った時から、彼は一切動いていない。帽子をかぶったままなので表情もわからないが、目の前にいるイヴェールよりは背が高くて体つきもがっしりしているようである。……というより、イヴェールは男性としてはかなり華奢だと思う。


「帽子を取れ」


 イヴェールの指示で青年が帽子を取る。

 現れたのはイヴェールより短くしている、黒髪の男性。目鼻立ちは整っているがイヴェールのような中性的な雰囲気はなく、ずっと男性的だ。瞳の色は遠くてわからないが、眼差しは鋭い。

 セシアはその顔を食い入るように見つめた。


 ――似ている……?


 ような気がする。

 そんなばかな……。


「名前はルイ・トレヴァー。階級は少尉で、北部のトレヴァー子爵家に連なる者だ。あなたとは少々身分に差があるが、特殊な任務に長けているので、お飾りの責任者であるわたしよりずっと有能だ」


 そこで一度区切って、イヴェールが今度はセシアに近づいてくる。


「あなたの形だけの夫役と、万が一の時のための護衛だ。活用してくれたまえ」


 セシアはイヴェールとルイを交互に見つめた。

 イヴェールは相変わらず得体が知れないし、ルイは無表情で何を考えているのかわからない。


「……断るという選択肢は、ないんですよね」


 念のためにたずねてみる。


「ないね」


 イヴェールの即答に、セシアは肩を落とした。


「執事や弁護士と相談は……」

「それもだめだ。さっきも言った通り、これは極秘の軍事作戦なんだ。まわりを巻き込まず穏便に済ませるには、あなたが頷く以外にない」

「……」


 なんと、トーマにも相談できないのか。

 誰にも相談せず、形だけの結婚生活を送らなくてはならないなんて……。


「その代わりといっては何だが、三か月以内に片付けることを約束するよ。アルスターの森が色づく頃には、あなたを煩わせる相続の問題は片付いている。どうだい、少しは気が楽になったかな、菫色の瞳のお嬢さん」


 イヴェールが気取った感じに言う。

 ああいやな感じ……。この男はどっちみちセシアに選択肢など与えるつもりはないのだ。セシアにできることは、せいぜい自分に有利な条件を引き出すくらい。

 改めて、ドアの近くに立つ無表情な男を見つめる。


 帽子を取った時の第一印象は「クロードに似ている」だった。……でもよく見たら、気のせい……だったかもしれない。何しろ最後にクロードを見たのは十二年も前のこと。当時の彼は女の子に間違われるほど華奢だった。でも今目の前にいる人は、どう見ても男性だ。しかもかなり体格がいい。


 似ている、と思ったのは、瞳の色のせいだろうか。それとも、顔立ちのせいだろうか。

 クロードはこの国の北側にあるイオニア王国から逃げて来た戦争難民だ。あの国の人たちは銀色の髪の毛に青い切れ長の瞳、そして硬質的な雰囲気の顔立ちをしている。目の前にいるルイにも、髪色こそ黒色だが、目の色や顔立ちなどにイオニア人の気配がある。イオニア人の血をいくらか引いているかのもしれない。

 それで……似ていると思ったのかも。


 ――だって、クロードが……ここに来るはずがない。


 この十二年、一度としてクロードは姿を現さなかった。

 今さらだ。

 ズキリと右腹部の傷跡が痛む。

 セシアはこぶしに力を入れ、イヴェールを見据えた。


「あなたがたの事情もわかりました。でもやっぱり、口約束では安心できないわ。本当に軍事作戦であるということ……それから証拠の提供と、名誉の回復と。この二つをきちんと書面で約束していただきたいの。結婚まで差し出すのよ。利用されるだけなんてまっぴらよ」

「気の強いお嬢さんだな。わかった。いいだろう。東方軍司令部の司令官から書面を取ってくるよ」


 イヴェールの言葉に、セシアは頷いた。


「ええ……その書面をいただけたら……私、結婚するわ」


 セシアは菫色の瞳をルイに向けた。

 夫になる人は、何を考えているのかさっぱりわからない。


 ――作戦だから淡々と従うことができるのかしら。


「それじゃ、契約成立ということで」


 イヴェールがそう言いながら手を差し出してくるので、セシアも手を差し出した。

 セシアには拒否権のない契約だが……。


 それにしても、おかしなことになった。

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