第9話 来訪者 1
葬儀の翌日の午前中、セシアは居間で執事のトーマと今後のことを話し合った。
「セシア様もお察しの通り、旦那様はもともとこの家をジョスラン様に継がせることを考えておいででした。しかし……これをご覧ください」
差し出されたのは帳簿だ。
トーマの指さすあたりを見ると、大きな数字が書き込んである。
「旦那様……この家が立て替えたジョスラン様の借金です。二度が限界でした。三度目はないと通知した直後に、マデリーの売買契約書が届いたのです」
「……なんですって」
セシアは目を上げてトーマの顔をしみじみと見つめた。
「その少し前からセシア様が工場誘致を始めましたね。旦那様も最初は懐疑的だったのですが、レイモンド様にも協力を要請してあちこちら働きかけている姿を見て、お考えが変わってきたようなのです。心臓が弱っている指摘を数年前から受けていたこともあり、この春に遺書を作成することになりました」
「……つまり」
「つまり、ドワーズ侯爵モーリス様は、次期侯爵に、セシア様を指名したということです。ただしセシア様が単独でこの家を継ぐのは荷が重い。そこで結婚を条件にしたというわけです。お子様ができれば、ジョスラン様ではなくセシア様のお子様がこの家の跡を継いでいきます。……こう言ってはジョスラン様に失礼にあたりますが、もともとはセシア様のお父様、ジョエル様が次期侯爵様でした。旦那様は、ジョエル様の子孫にこの家を継いでほしいのですよ」
両親の部屋はそのまま残してあるし、祖父が時々、その部屋で考え事をしていたのは知っている。ジョスランの素行が改められないことに不満を持っていたことにも。
セシアを後継者にするにあたり、結婚が条件についている理由も予想通りだった。
セシアは「うーん」とうなりながら目を閉じた。
祖父の気持ちはわかった。だからといって自分が叔父を押しのけてこの家を継いでもいいものなのか?
叔父は「そのつもり」でいたようだ。もしかしたら父が亡くなって以降ずっと「そのつもり」でいたのかもしれない。
「こう言ってはなんですが、ジョスラン様が当主になりますと、ドワーズ家がどうなるかはわかりません。セシア様もですよ。きっと、セシア様が望まない縁談を持ち込まれる可能性が高いです」
「……わかっているわ……」
「我々も解雇される可能性がありますね。この屋敷の人間は一様にジョスラン様に煙たがられていますので。そうなると、働き口を失う者も出てくるでしょう」
「ええ、そうでしょうね」
「お父様やお母様に縁の品も失われてしまいます。セシア様が気に入っていらしたアルスターの森も」
「わかったわ、もうわかったわよ、トーマ。あなたは私にこの家を継いでほしいのね」
畳みかけてくるトーマに、セシアはくわっと目を見開いて答えた。
皺の入ったトーマの目が、セシアを見つめている。
「……私はこの屋敷も、お仕えするドワーズ家の人々も、愛しています。でもジョスラン様はどうでしょうか? 卒業するなりこの家を飛び出して行ったっきり、戻って来られたのは数える程度、それもお金の無心の時に限って、です。……乱暴なやり方でこの家が失われていくのは見たくないのです」
「叔父様が……この家に乱暴を働くとは限らないけれど……」
セシアはちらりと開いたままの帳簿に目をやった。
とんでもない額だ。この額を捻出するために、祖父は何を手放したのだろう。そしてこれが祖父にとっては限界だった。でもジョスランなら? この家を愛してくれているのなら領地にも、セシアにも、無体なことはしないと思うけれど……そう言い切れる自信はない。現にマデリーを売ろうとした。
ジョスランは血のつながった叔父には違いないが、セシアに思い入れがあるわけではないとは感じている。そのジョスランが当主になれば、セシアはジョスランの命じるまま結婚しなければならないはずだ。右下腹部の傷を思い浮かべる。その事態だけは絶対に避けたい。けれどこの家を継ぐためにも結婚が必要……。
結婚、結婚、結婚。どっちを向いてもセシアの前には結婚が転がっている。
結婚したくないから結婚しなくていい将来を探していたのに、これだ。
セシアはこめかみをもんだ。
「……結婚相手に心当たりがないわ。ひと月以内でしょ? どうすればいいのかしら。レイモンドに相談してみましょうか」
工場誘致に協力してくれている友人の名前を出してみたものの、レイモンドの境遇を知るセシアには、それが非現実的なことだということがわかっていた。
「あの内容の遺言書を作成されましたからね。旦那様は、今年はセシア様にいくつかお見合いをさせる心づもりでいらっしゃったんですよ。その方たちに連絡を取ってみましょうか。旦那様とは旧知の方々の縁者ですから、家柄も人柄もしっかりされているかと。リストはこちらに」
トーマがセシアの前に一枚の紙を差し出す。
祖父の筆跡だ。あらかじめ手紙を送ってセシアとの見合いを打診していたのだろう。
一通りのリストに目を通し、セシアはその紙をテーブルに戻した。
「……私は知らない方々だわ。向こうも同様なんじゃないかしら。その方たちとひと月以内に結婚するの?」
セシアの言葉に、トーマも答えに詰まる。重苦しい沈黙が二人を包む。
結局、相続に関しての話し合いは何も進展を見せないままトーマが使用人に呼び出され、終了となった。午後からは祖父の訃報を新聞に載せる手続きと、お悔みの連絡を入れる人たちへのリストを作る段取りをして、セシアが自室で物思いに沈んでいた昼過ぎ。
セシアのもとに前触れもなく来訪者が現れた。
「国軍の方なんですよ。お嬢様に用があると」
呼びに来たトーマの怪訝そうな顔に、セシアも眉を寄せた。
「私に用があるの?」
「ええ。お嬢様とだけ話がしたいそうなのですが……同席しましょうか」
「……いいえ、いいわ。でも何かあったら呼ぶから、近くに待機していてくれるかしら」
トーマにそう指示を出し、セシアは応接間のドアを開けた。
祖父は軍隊に勤めていたことがあるから、祖父を訪ねて国軍の関係者が来る可能性はゼロではない。だが、来訪者は祖父ではなく自分に用があるという。
軍に睨まれるようなことをした覚えはないのだが。
不安を抱えながら応接間のドアを開けたセシアを出迎えてくれたのは、トーマが言う通り軍服姿の二人。一人は帽子を脱いでソファに座っているが、もう一人は帽子をかぶったままドアの近くに立っている。そのせいで、こちらの客人の顔はほとんど見えない。
よっぽどトーマに同席してもらおうかと思いながら、セシアは客人に目をやった。
「お忙しいところをどうも。初めまして、国軍少佐のノーマン・イヴェールです。あなたがセシア嬢?」
ソファに座っていた青年が立ち上がり名乗る。
「初めまして。……ええ、私がセシア・ヴァル・ドワーズですが」
「突然の不幸、心中お察しする。まずは閣下に哀悼の意を」
イヴェールはそう言うと手にしていた帽子を胸元に掲げ、目を閉じた。
セシアは目の前に立つイヴェールと名乗った青年をまじまじと見つめた。カラスの濡れ羽のようにつややかな黒髪に、透けるように白い肌。中性的な顔立ちは整い過ぎて作り物めいており、まるで人形のようだ。声や体格から間違いなく男性なのだが「美人」という言葉がぴったりくる。
ややあってイヴェールが目を開く。切れ長の瞳は血のような鮮やかな赤色。
おとぎ話に出てくる魔王のようだわ……と、セシアは思わずイヴェールの瞳を凝視してしまった。瞳孔が縦長ではないかと思ったのだが、少し距離があるのでそこまでは確認できなかった。頭に、角のようなものは生えていないようだが。
「祖父のためにわざわざありがとうございます。それで……どのようなご用件でしょうか?」
「少し確認したいことがあるんだが、いいだろうか。あなたは、ドワーズ侯爵が倒れた時に、どこにいた?」
気安い口調だが、イヴェールには有無を言わさない威圧感がある。
「どこって……。祖父と一緒にいました。なぜ、そんなことを聞くのです?」
「今はわたしの質問に答えてくれるかな?」
イヴェールがすぅっと目を細める。その仕草に、ゾクゾクと冷たいものがセシアの背中を伝った。
こわい。
何、これ。
「あなたのおじい様が倒れた時、何か様子がおかしくなかったかい?」
「……どうしてそれをご存じなのですか……」
イヴェールの問いかけに、セシアはゾッとなった。
なぜ?
あの場所には、祖父、セシア、ジョスランの三人しかいなかったはずなのに、どうして祖父の最期の様子を知っているのだろう?
「様子がおかしくなる前に、何かを口にしなかった?」
「……出されたお茶なら……。でも、そのあと、お茶を出した人がそれを飲んでみせたので、毒物は入っていないと……」
「お茶に混ぜたのか。ならけっこう、熱いな……もって、十分といったところか……?」
イヴェールがドア付近に立つもう一人の軍人を振り返る。セシアも釣られるように目をやると、イヴェールの問いかけに青年が頷くのが見えた。
「待って……待ってください。何か、ご存じなのですか? 祖父はやはり」
セシアは思わずイヴェールに対して身を乗り出した。
「ドワーズ侯爵の最期に関しては、セシア嬢も違和感があったんだね? なら、単刀直入に言おう。あなたのおじい様、ドワーズ侯爵には軍で秘密裏に開発中だった試験薬が使われた可能性がある。……というより、かなりの確率で使われていると見ている」
イヴェールの言葉に、セシアは凍り付いた。
――今、なんて……?
「それって……試験薬のせいで祖父は命を落とした、と……?」
セシアが喘ぐように呟くと、イヴェールが頷く。
かちりと頭の中でピースが当てはまる音がした。
「この試験薬は問題点が多くてね。開発を中断し、すべて破棄することが決定していた代物だ。軍の研究所から盗み出されたんだよ……今、我々はそれを追っている。この試験薬を盗み出した男の名はジャン・フェルトン。東方軍司令部所属の研究員で、試験薬を開発した本人だ。そしてこのフェルトンを匿っている人物として、あなたの叔父上、ジョスラン・イル・ドワーズ氏があがっている」
「え!?」
知っている人物の名前が出てきて、セシアは声を上げた。
「二人がどのようにして知り合ったのかはわからないし、そこは重要ではない。我々はとにかく早急にフェルトンを捕まえ、試験薬を誰かに使われたり本格的に開発されたりすることがないようにしたい。そこで、セシア嬢、あなたにお願いがある」
「お願いですか……?」
「そう。我々に協力してほしい」
イヴェールの言葉に、セシアは目をぱちくりさせた。
「それは……構いませんが」
「そのために、あなたに結婚を申し込む」
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