第11話 来訪者 3
ルイは、イヴェールことアレンとセシアのやりとりを応接間のドア付近から、落ち着かない気持ちで見つめていた。アレンの強引な展開に、セシアがうめく。
一週間前、アレンから指示を受けて王都に着いてすぐ、偶然にも追いかけていたフェルトンを見つけたのはよかったが、フェルトンが身を寄せているのがドワーズ家のタウンハウスだということには驚いた。
嘘だろうと思ってしばらく張り込みをすることにした数日後の夕方、一台の馬車がタウンハウスに横付けされる。中から現れたのはドワーズ侯爵。忘れもしない、自分たちを屋敷から叩き出した人間だ。
長らく落ち着いていた、ドワーズ侯爵への恨みの気持ちが蘇る。
ドワーズ侯爵に続いて馬車から現れたのは、美しい一人の令嬢。
セシアだ。
十二年ぶりに見るが、すぐにわかった。
柔らかな栗色の髪の毛、ミルク色の頬。愛らしい丸い顔はすっかり大人っぽくなり、頼りなく華奢だった体は女性らしい曲線を描いている。遠い日の面影は残しつつも成熟した女性になっているセシアに、ルイは目を奪われた。ドワーズ侯爵への恨みの気持ちも吹っ飛んでしまうほどに、それは衝撃的な光景だった。
あれがセシア?
あのおてんばセシア?
ドワーズ侯爵にエスコートされながら優雅な仕草で馬車を降り、セシアは侯爵と連れ立ってタウンハウスの中に消えていく。
訪問にしては変な時間だ。滞在予定にしては、荷物が少ない気がする。馬車から降りてきたのは二人だけで、使用人もついて来なければ多くのトランクを下ろす様子もない。このタウンハウスにはドワーズ侯爵の次男が暮らしているが、社交シーズンでもドワーズ侯爵本人はホテル住まいでタウンハウスには近寄らないことをルイは知っている。
大方、急用で訪れたのだろう。なら、しばらく見張っていれば再び二人は出てくるか、と思いながら見張ることしばらく……一時間もしないうちに、タウンハウスの中から人が飛び出してきた。
何か起きたらしい。
やがて飛び出した人間が、大きな鞄を持った壮年の男性を連れて戻ってくる。医師だろう。
ルイはぎくりとなった。
もしかして……まさか……そんな……。
フェルトンの試験薬が使われたのか?
あの薬は、未完成だ。人を言いなりにできるかどうかは使われる本人の体質次第のところがあり、効果を求めて量を投与すれば確実に死に至る。
医者が呼ばれるのもわかる。使われたとしたら、誰に使われた?
可能性が高いのはドワーズ侯爵。ジョスランの放蕩ぶりと父親であるドワーズ侯爵との確執は社交界では有名な話だ。でもドワーズ侯爵を殺してしまったら、真っ先に疑われるのはジョスラン本人。
では、セシアか……?
ドアを蹴破って中に入りたい気持ちを抑えながら見守っているうちに、出入りする人の様子や会話から「ドワーズ侯爵が亡くなったらしい」ことを知る。
復讐してやりたいと思っていた人物があっさり亡くなったことよりも、ルイの頭はセシアのことでいっぱいだった。
――彼女は無事なのか?
自分でも驚いた。ドワーズ侯爵がルイの目の前で死んだ。あいつのせいでひどい目に遭ったのだ、いつか見返してやりたいと思っていたのだから、ドワーズ侯爵の死を目の当たりにしたら喜びの感情でもわいてくるのかと思ったのだが、そんな気持ちはまったく起こらない。
ただただ、セシアのことだけが気になる。
やがて搬送用の棺が持ち込まれる。しばらくしてセシアがタウンハウスの外に姿を現し、用意されていた馬車に乗って去っていった。
すでにあたりが暗いせいで、セシアがどんな顔色でどんな表情をしていたのかはわからない。
タウンハウスはしばらく騒がしかったが、日付が変わる頃には静かになった。タウンハウスからドワーズ侯爵本人は出てきていない。
翌日、駅で確かめてみれば搬送用の棺を抱えた乗客がアルスターに向かった、ということがわかった。
セシアとジョスラン夫妻だろう。
そのままルイはアルスターへ向かい、アレンに連絡を入れつつ駅についている安宿を借りてドワーズ家を見張ることにしたのだ。
いきなりの連絡にもかかわらず、アレン本人がアルスターに現れたことにも驚いたが、護衛の一人もいないことにも驚いた。仮にも第二王子、一人でホイホイほっつき歩いていいのかと思ったが「オレの名前はイヴェール少佐だ」とご丁寧に身分証をつきつけてきたので、ルイは言葉を失くした。
「問題ない。もともとお飾りの司令官なんだし」
しれっと問題発言をしながら、アレンと二人でドワーズ侯爵の葬儀に紛れ込んで遺書の内容まで聞いたのが昨日のことである。
そしてアレンとルイ二人で出した結論は「ドワーズ侯爵にはフェルトンの試験薬が使われている可能性が極めて高い」だった。
遺言の内容と葬儀の際のジョスランとセシアの反応から、セシアは未婚で相手もいないことがわかる。ということはジョスランに再びフェルトンの試験薬を使わせるには、セシアが結婚するのが一番だ。土壇場で遺産を横取りされたら、ジョスランは必ず逆上する。
「というわけで、おまえはセシア嬢の名義上の夫になれ」
「クソ無茶言いますね」
楽しげに言うアレンを、ルイは睨んだ。
「おまえが嘘をついているのでなければ、アルスター出身だったな。多少でも土地勘があるなら潜入にも有利だ」
「そういう理由なら、俺でなくもいいはず。ほかの人間に」
「そう、誰でもいい。だからおまえでもいい。なんで嫌がる? 何か理由でもあるのか?」
アレンがニヤニヤと笑いながら見つめる。
アルスターの出身とはいったが、ドワーズ侯爵の屋敷にいたなんて言っていない。アレンは、自分とセシアの関係なんて知らないはずなのに……。
「理由は……俺は貴族としての立ち居振る舞いができないからです。侯爵令嬢の相手にふさわしいとは思えない。そもそも、侯爵令嬢との偽装結婚自体、俺は反対です。侯爵家のご令嬢を巻き込むなんて、狂気の沙汰ですよ。社交界での評判が何より重要視される立場の方です。名誉を傷つけるわけには」
「いざとなれば、オレが庇うさ。王子に協力した。彼女の名誉が傷つくか? 夫であれば疑われることなく彼女のそばにべったり張り付いて護衛ができるし、目の前で財産をかっさらわれてジョスランも最高にイラつく。この作戦が最も効率的なんだよ」
いやほかにいくらでも作戦はあるだろう。
とは思ったが、当のアレンがもうこれでいくと決めているのだ、作戦内容は覆らないだろう。
権力者はタチが悪い。アレンは絶対に面白がっているだけだ。
強固に反対してセシアと自分との関係を突き止められるのはいやだったので、アレンの無茶振りも理解したふりをして受諾した。けれど、セシアとの付き合いは長い。離れている十二年の間に多少は外見が変わっているとはいえ、自分の正体が見抜かれる可能性は高い。
――正体が見抜かれるのはだめだ。
自分のやってきたことをセシアには知られたくない。セシアは日なたにいてほしい。自分のような汚れた人間に気付いてほしくない。自分がクロードだと知られたくない。
アレンがセシアの隣に座り込んで畳みかけている。あいつの目は正面から見ると怖いからな……と、怯えた顔をするセシアに同情しつつ、ルイは拳を握り締めた。
――気持ちを封じろ。絶対に気取られるな。
ジョスランとフェルトンをセシアの人生から排除しなくてはならない。
彼女の未来を守るのだ。なんとしても。……再びアルスターを訪れることになったのは、あの日できなかったことを、やり遂げるためなのかなと思う。
瞳を見開きながら濁流に落ちて行ったセシアを思い出す。
自分が手を離してしまったばっかりに。
いや違う。
――俺がセシアをちょっとびっくりさせようとしたばっかりに……。
大切な大切なセシアを傷つけてしまった。
もうあんな思いはしたくない。
「うまくいったな」
ドワーズ家をあとにし、乗り込んだ馬車の中で、帽子を取りながらアレンが笑う。
「……強引すぎますよ」
「あの娘にとって悪い話ではない。強欲な叔父に財産も人生も奪われるところだったんだぞ」
「……偽装結婚なんて」
「変な気を起こさないように頼むぞ」
アレンが茶化してくる。ああやっぱり面白がってるな、こいつ。ムッとしながらアレンを見返すと、くつくつと美貌の王子様は笑いだした。
「騙されていないという証拠の書面がいるんだったか。グレンバーまで戻って作ると面倒だから、宿に着いたらすぐに書こう。おまえ、夕方にでも持っていけ」
「そんなにすぐに持っていったら、逆にあやしまれますよ」
「それもそうか」
アレンの赤い瞳がきょろりと動く。
「じゃあ、明後日くらいにするか。……ところで黒、いや……ルイ、おまえはアルスターの出身だろ? まだ少し時間がある。少しアルスターを案内してくれ」
「……田舎ですよ。見るところなんてありません」
「故郷を悪く言うなよ。王宮とグレンバーしか知らないオレには羨ましいんだ。きれいなところじゃないか」
わがままをたしなめたルイを無視して、アレンは馬車の外の風景に目をやりながら答えた。
開けている窓から吹き込む風に、黒い髪の毛が揺れる。
いつもの人を食った気配はなりをひそめ、年相応の青年に見えた。
アレンはアレンで、たくさんのものを抱えている。セシアのことだって、困らせたくて偽装結婚を持ちかけたわけではないのだ……まあ偽装結婚なんて持ちかけなくても、なんとかなったとは思うのだが、「ジョスランを焚きつけて薬を使わせる」と「セシアを守る」を両立させつつ短期決戦でフェルトンを捕まえるには「セシアが結婚する」というシナリオが一番だったのは確かだ。
その日の午後はアレンのわがままに付き合ってやったので、アレンは上機嫌で一筆したためた。ご丁寧に持参してきた印璽を使って封をする。
そして「オレにも休暇がほしい!」と叫びながら翌朝の列車に乗ってグレンバーに帰っていった。
たぶん無断で抜け出しているうえに、王家の印璽まで持ち出しているのだ、東方軍司令部に戻ったら青や司令官付き補佐官にこってり絞られるだろう。
そのとばっちりがこっちに来なければいいな、とは思う。
――さて、と……。
ルイはアレンから手渡された封筒を眺めながら、溜息をついた。
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