第4話 トレヴァー少尉の事情 1

 王国東部、グレンバー。


 バルティカ東方軍司令部の薄暗い廊下を抜け、司令官室の前で立ち止まる。軍服姿の黒髪の青年のことを気に留める者はいない。

 司令部を約一年ぶりに訪れたのは、体調の報告と今後の相談のためだった。

 一呼吸おいてノックをすれば、すぐに「入れ」という声。


「失礼します」


 ドアを開けて中に入ると、奥の机に腰を掛け、新聞を眺めている司令官の姿が目に飛び込んできた。


「おもしろい記事が出ているぞ。見てみろよ」


 司令官が新聞から目を上げ、机の上にポイと投げる。黒髪に赤い瞳、見る者をゾッとさせるような美貌の持ち主である司令官に促され、彼は机に近づいて新聞に目を落とした。

「王妃の首飾りは今どこに?」という見出しとともに、大ぶりの首飾りのイラストが大きく掲載されている。


「注文書の完成画だな。唯一手元に残っている『証拠』だ。極秘裏に探し続けて二十七年、父上も病に倒れていよいよ猶予がなくなってきたみたいだな。大々的に公開捜査ができるなら、初めからそうすればいいのに」


 そんな彼の内心に気付くはずもなく、司令官が呆れたように言う。


「その口ぶりからすると、新聞に情報公開することを陛下から知らされていなかったのですか? アレン殿下」

「鋭いねえ、おまえは。知らされていなかったんだなあ、これが」


 アレンと呼ばれた青年は肩をすくめた。

 東方軍司令部の司令官は、この国の第二王子であるアレン・デイ・クレーメル。現在二十九歳のアレンが司令官として着任したのは、士官学校を卒業してすぐのこと。五つある司令部の司令官は王族の名誉職として与えられることは珍しくなく、アレンもそのパターンで司令官となったのだが、五年前に勃発したロレンシア帝国のリーズ半島への侵攻から始まる戦争はアレンの指揮で戦い、半島奪還に成功している。

 つまり現在のアレンはお飾りではなく、本物の若き司令官なのである。


 リーズ半島そのものはバルティカ王国から見ると東部にある小さな半島だ。そのせいなのかなんなのか、ロレンシア帝国の侵攻を食い止める指示は東方軍にだけ下されており、国を挙げての支援を得られなかったアレンは最前線に駆り出されることになる。当然、何度も危険な目にさらされた。

 アレンを逃がすために黒が囮になり、負傷したのが約一年前。

 生きているのが不思議なほどの大けがだった。治療と機能回復のために、実に一年もの時間を費やしたのだが……。


「ところで、けがの具合はどうだ? 黒がいないとやっぱり、不便なんだよな」

「……そのことですが、自分の右腕はもう使えないようです」


 そう言いながら黒と呼ばれた青年は、腰から下げていたサーベルをはずすとアレンの机の上に置いた。


「なんのつもりだ?」


 アレンが怪訝そうに黒を見る。


「殿下から賜っていたものです。お返しします」

「……前にも話したと思うが、おまえがこれを返す時は、おまえが死んだ時になるんだが?」

「自分の右腕はもう元には戻りません。銃も剣も使えない。この一年、回復に努めてきましたが、残念ながらこれ以上は無理のようです。武器が使えない人間に工作員が務まるわけがない。……もともと、俺は死んだことになっていますから、母のことは宜しく頼みます」


 アレンの鋭い視線に、黒は頷く。

 日常生活は問題ないと言えるくらいには回復したが、以前ほど体は動かないし、何より利き腕である右腕にほとんど力が入らない。


「冗談だよ。真に受けるな。母君のことも心配しなくていい。おまえの功労を考えれば当然だろう」


 ふっと肩の力を抜いて、アレンが机の上のサーベルを黒に向かって押す。


「持っていろ。返す必要はない。……おまえがオレのもとに来てから、何年になるかな」

「丸九年になります」

「オレの工作員の中では長生きだよな」

「青の次に長いですね。俺の指導教官が青なので、時間だけでいえば同じですが」

「ああ……そうか」


 黒の返事に、アレンが頷く。


「最初は野生の獣みたいだったのに、ずいぶんおとなしくなったよなあ。……それはそれとして、フェルトンが逃げた。研究所につけていた見張りが軒並みやられて病院送りになった」

「フェルトンがやったのですか?」

「そう、フェルトンがやったんだよ」


 黒の問いかけに、アレンが忌々し気に答えた。




 ジャン・フェルトンは、東方軍に附属する軍事研究所にいる研究員の一人だ。リーズ半島で見つかった特殊な菌を利用した、新しいタイプの自白剤を開発中だったのだが、アレンが研究中止を言い渡したことに相当な不満を抱いている、とは聞いていた。

 ただ、アレンも理由なく中止の指示を出したわけではない。


 リーズ半島は古くから隣国ロレンシアと所有権をめぐって争ってきた場所だ。交通の要衝であり古代の頃から人々が交差してきた場所である。五年前、停戦協定を破って攻め入ってきたロレンシア帝国からリーズ半島を奪い返す作戦中、今やすっかりうっそうとした森に覆われてしまった未知の遺跡が見つかった。そしてこの遺跡付近で部隊の人間の様子がおかしくなる報告が次々と上がってきたのだ。いわく、「このあたりに近づくと、最初に聞いた人間の言葉に従ってしまう」。

 遺跡の内部に入った人間にその傾向が強く現れるが、誰にでも起こるものではない。それに、症状を起こしても数分もすれば元に戻る。


 この原因解明を任されたのがフェルトンだった。調査の結果、原因は遺跡内部の空気、厳密に言えばそこにびっしりと生えていたカビと関係があるのではないかということで、フェルトンは捕虜となったロレンシア兵士を使って様々な実験を行った。


 わかったのは、このカビが作り出す毒素を摂取すると「最初に聴いた人間の指示に従う」が「摂取した人間はほぼ間違いなく死亡する」「効果の出方は人による」など問題だらけだった。しかも、熱にも空気にも弱い。トドメに、このカビは遺跡周辺にしか存在せず、このあたりで取れる水でないと毒素を生成しない。


 いろいろと問題が多い菌だが、人を操れる可能性は魅力的だ。フェルトンはこれを生物兵器として研究開発していくことをアレンに申請した。

 しかしアレンの判断は、フェルトンの予想を裏切るものだった。

 アレンはフェルトンの試験薬の申請を却下し、開発の中止を決定したのである。

 理由は、


・特定の人物の指示ではなく「摂取後、最初に聞いた指示に従う」ということは、誰にでも悪用が可能である。

・自白剤も致死性の毒物もすでに開発済みであるため、新規に開発する必要はない。

・リーズ半島の情勢は不安定なので、遺跡がロレンシア帝国に奪われる可能性も否定できない。


 この薬が、自白剤では不可能な「標的に対し行動を指示できる」というのは大きな特徴である。しかし、「誰にでも悪用が可能」という部分にアレンはひっかかったようだった。自分自身が王位をめぐって第一王子ジェラールと対立していること、その派閥に命を狙われていることをアレン自身痛感しているからこその決定だろう。ロレンシア帝国に菌の存在を知られるのもよろしくない。


 アレンの決定から数日内にリーズ半島内の遺跡を含む広範囲は爆破され、菌も水も新たに採取できなくなった。フェルトンにも、保有する研究材料をすべて破棄する指示が下ったのだが、フェルトンは残った菌と完成していた何本かのサンプルを持って消えてしまった。


 もともとフェルトンは中央の研究施設に入りたかったのだが、それが叶わずに東方軍に来たという経緯がある。東方軍の研究施設においても待遇の不満や中央への憧れを口にして周囲から煙たがられていたという。

 野心家のフェルトンならやりかねないだろうとアレンは監視を付けていたが、監視は返り討ちにされたらしい。


「逃げ足の鮮やかさから、フェルトンが以前から逃走を検討していたことは明らかだ。面倒なことになったな」


 アレンが背もたれに体を預け、大きく吐息する。


「ですが、持ち出せたのはわずかなんですよね。それで自分の身の安全を図れるんでしょうか。それに遺跡は爆破済みで、新たに培養に必要な水の採取はできないはずですが」

「水は取れなくても、菌は手元にある。菌自体はいくらでも培養できる……毒素を生成する成分なり条件なりが突き止められれば、再び試験薬開発に乗り出せる。それができると踏んだから、オレのもとから逃げたんだろう。とりあえず今すぐ使える状態のものは数人分もっているはずなんだ。その数人分を面倒なやつに使われたらどうする。そいつにサインさせて、研究施設を作られたら?」

「……」

「右腕が使えなくても、ネズミ一匹追うくらいはできるだろう?」

「……どうでしょうね。腕は使えなくなりましたし、この一年、雑用しかしていませんし」


 さも当然のように言うアレンに、正直に答える。


「追って来い。これが最後の任務だ」


 だがアレンはたたみかけるように命じてきた。


「最後……?」

「オレはおまえを高く買っている、できればもう少し手元に置いておきたかったが、このまま使い続けると命を落としてしまいそうだからな。通常業務に切り替えることにした。この任務を最後に、事務官として健全な生活を送りたまえ。報酬としては悪くないと思うが?」

「……お優しいですね、死ぬまで日陰を這いずり回ることになるかと思っていたのに」


 黒の言葉に、アレンがニイと笑った。


「そのつもりだったんだが、気が変わった」

「で、今回の案件が成功しない場合、その報酬は反故に?」

「オレはおまえに期待をしている。ほかの連中では不安だから、腕が使えなくてもおまえに頼んでいるんだよ」

「……追うだけならできるかもしれませんが……、見つけたらどうしますか」


 アレンの挑むような視線に、黒はそう返した。


「試験薬の拡散を防ぎたいんだよな、オレとしては。見つけても殺す必要はない……少し泳がせたいかな。なあ黒、フェルトンは誰につながりたいんだと思う?」


 アレンがおもしろがるような視線を寄越す。


「……フェルトンはアレン殿下を快く思っていませんから、ジェラール殿下でしょうか」

「だよなあ」


 にんまりと笑うアレンに、黒は眉を寄せた。

 ジェラールはこの国の第一王子であり、アレンにとっては異母兄に当たる。順番から言えばこのジェラールが王太子になっていてもよさそうなものだが、今の国王は後継ぎを指名していない。


 そのせいで身分の低い寵姫から生まれた第一王子と、身分が高い正妃から生まれた第二王子との間で、王宮内は派閥が作られている。当然、二人の王子の仲も悪い。


 そして次の国王を二人の王子のどちらにするか、だが、国王は『二十七年前に失われた「王妃の首飾り」を見つけた方を次期国王として指名する』という条件を出している。

 なんともばかばかしい条件だ。二十七年もの間行方不明になっているアクセサリーが、今さら見つかるはずもない。国王だって、盗まれたとわかってからずっとあらゆる手を尽くして探し続けているのだ。


 だから王子は二人とも、首飾り探しに関してはあまり本気で探していない。二人とも、どちらがより次の国王にふさわしいのかは、実績で証明しようとしていた。

 ジェラールは政治で。アレンは軍事で。……もっともアレンが好んで軍隊にいるわけではなく、東方軍の司令官という役職は兄ジェラールとその一派による嫌がらせの何物でもないのだが、アレンは「実績が必要だから」と真面目に司令官の仕事をしているのである。


 二人の王子が本腰を入れて探さないので、国王はついに国民に広く情報を求めるために新聞に王妃の首飾りを掲載したのが本日の新聞だった。

 その首飾りに心当たりがあることは、誰にも言っていない。

 いや……違う。

 この世に二人だけ、知っている人物がいる。


 もともとはその首飾りを所有していた母と、その首飾りを処分するように送り付けた元雇用主の令嬢だ。こんないわくつきのものだと知っていたら、少なくとも自分の手元に置いておいたのに。

 変な感傷に浸ってしまった当時の自分を殴りたい。

 彼女が国王に名乗り出ないことを祈るばかりだ。


「……フェルトンとジェラール殿下を結託させるんですか?」

「またとない機会だろう?」


 アレンはニコニコしている。おかしい、今日は体調の報告と工作員を辞める旨を伝えに来たはずだったのに、なんだか否応なしにいろいろと巻き込まれそうな気配がある。

 麗しい見た目とは裏腹に、アレンの性格はえげつない。


「まあ、そんなわけでフェルトンを追うために、おまえに名前をやるよ」


 そのアレンが机の引き出しを開いて何かを取り出し、机の上に置いた。

 目をやるとそれは一通の軍人手帳だった。

 自由に動く左手を伸ばし、中を開くと、自分の写真。


「ルイ・トレヴァー少尉?」

「リーズ戦争で行方不明になっている男だ。部隊は橋の爆破で半島に取り残され、消息を絶っている。北部のトレヴァー子爵の婚外子……まあ、愛人の子だよ。残っている記録を見る限りは、真面目な男だったようだ」


 アレンから指令が出るたびに実在する「誰か」になりすますことには慣れている。

 今回は「ルイ・トレヴァー」になるらしい。

 爆破された橋の向こうに取り残された人物と知り、黒は目を伏せた。

 唯一の退路だった峡谷の橋を爆破し、大勢のバルティカ人兵士を置き去りにしてきたのはほかならぬ自分だ。……アレンを逃がすために。


「必要なものは用意してある。詳しいことはスコットに聞いてくれ。以上だ」


 話はそれで終わったらしい。アレンが自分から視線を外したので、黒……改めルイは、サーベルを手に取ると敬礼をし、司令官室をあとにした。

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