亡霊かく語りきⅢ
「監査部の李大橋……」
スペクターの観衆の誰かが、なんとなしに呟く。
白化粧に認識マーカーを引いた大橋さんは、背後に数人の黒服を引き連れ、私たちに歩み寄ってきた。
胸を張り微笑を浮かべた、余裕と傲慢さの窺えるその姿へ、海未さんは眉を下げたままほほ笑んだ。
「今日はもう、アクアリウムは閉館なんですけれど……?」
「そうでしたか。しかし街の保全のために協力願えないでしょうか? 入鹿海未さんと、仲間の皆様」
茶番じみたとぼけた会話の後。
「幻影特捜課から一部のネットを共有しまして、それを元に各地の通信障害の報告をマップに打ち込んだ結果……周囲に対してオフラインを維持する偽装端末がここに来るのを確認しました」
あぁなるほど……と納得する海未さん。事情を理解できないなりに、私は大橋さんに尋ねた。
「幻捜課はここに……?」
「いいえ。空振りだと手を煩わせてしまうかもしれませんから、私自ら確認にきました」
白々しい。と冷笑する大橋さんを内心で毒づく。
GCがスペクターの件に深く関わっている以上、監査部が彼女らに関わる事の顛末を理解してないはずがない。
視界の端の議員は、険しく表情を大橋さんへ向けている。彼女は幻捜課に勘付かれる前に、私たちを処理しに来たのだ。
「さっきの提案に一つ噛む、というのは?」
顎を下げて警戒する海未さんは、大橋さんに訊くとホエルの事です、と答えた。
「あなたたち『認知派』のスペクターたちにとって、『鯨寺ホエル』は自身のイメージダウンに繋がる危険人物……これに関して、私たちGC監査部とあなたたちとは利害が一致しているのでは?」
海未さんは漠然とした態度のまま、視線で続きを促す。
「幹部会ではゲシュタルト・シュレッダー盗難の件を不問にし開発を凍結する代わりに、スペクターの政治的進出の自重と、鯨寺蓮太郎議員の引き渡し……そしてホエル消去の協力を要請するよう方針が固まりました」
「私たちの台頭は許さないと?」
「時期尚早だという話です。ホエルの事件があった以上、結局あなた方の目的には時間を要する。それに、選択の余地はないかと思われますが?」
そう言って、大橋さんは腕をあげると、後ろに控えていた黒服の仮想体は、軍隊のような正確さで腕を突き出し構える。
グリットの光が集束し出すと、彼らの手中には銃身の肥大化した大型の拳銃が握られていた。
その場の全員に、緊張が走った。
「誤解なきよう、我々がカイキョウシティを運営する上での
「カイキョウシティは現在、体感型未来都市という革新的アミューズメントスキームを推進し、人々の災害の記憶の払拭し、イメージの刷新に務めています」
そう言いながら空いた手で腕を振り、ウィンドウを表示させる。
ウィンドウには、街の完成イメージ図や、各アミューズメントを遊ぶ家族の写真。その中で微笑む子供のアップ。プレゼンテーションのために用意された資料の数々。
「世間では我々の活動を実質的な植民地化だと批判する声もありますが、そのような意図は一切ありません。我々の目的はただ一つ。この街にこびりつく地獄のイメージを、人々を笑顔に変える希望の園へパラダイムシフトさせたいという善意しかありません」
まるで政治家にでもなったかのような、大仰な身振り手振りを加えながらこちらを広く、真っ直ぐ見やるその眼差しには、一切の曇りがない。彼女は、GCの掲げるその思想に最良とし、それに服従することを、何一つ疑ってはいない。
地獄から楽園へ。善意のパラダイムシフト。
その正義ぶった理念が、しかし一方で銃を向けるその暴虐とのギャップが混ざり合って目眩を起こしそうになる。
「そのためには、人々の恐怖の権化たるグレイテストバンを想起させる、あの娘を許すわけにはいかないのです。逆に言うならば、そこさえ守られていれば、スペクターの社会的認知を手助けすることもできるでしょう」
「どこまで信用できるんだか……」
熱の浮いたような大橋さんの熱弁に、気圧されているのか呆れているのかわからない声音で海未さんはひとりごちる。
そこで、隣で黙っていた鯨寺議員が口を挟んできた。
「一企業でしかない君たちに、都市の運営に口出しする権利はないはずだ」
「あら、口が滑りましたね」口先を指で止めて、クスクスと喉を鳴らす。
「ですがそれももはや建前でしかないことなど、政界に身を置くのなら理解できませんか? この街の支配者は、行政ではなく我々なんですよ、鯨寺議員」
「その支配体制の基盤を提供したのは、私たちのはずなんですけどね……」
控えめに、海未さんは反論する。
「もし仮に」しかし目を細めて、見渡す大橋さんの表情に曇りはない。
「要求を断るのであれば、致し方ありません」
そう言って、ゆっくりと、照準を合わせる。
銃口の先には、あずさちゃんの小さな頭部。
「あ――っ!」
声を上げる間もなく、無慈悲に引き金が引かれる。
バレルから伸びた赤光は、寸分の狂いなくあずさちゃんへと直進すると、その目前で弾けた。
衝撃と熱が全身を覆い、ほんの一瞬の浮遊感の後、肩を打ち付けられた衝撃に襲われ、そこで初めて私は衝撃に吹き飛ばされたことを知る。
痛みに耐えながら、起き上がってあずさちゃんを探す。少し離れた場所で、目を見開いて口を震わせているあずさちゃんの周囲に、極彩色の霧が漂っていた。
鐘楼を打ち鳴らしように、周囲のスペクターはどよめき始め、何人かはあずさちゃんのもとへ駆け寄るとそのまま彼女ごとログアウトする。
あら、と跳ねた声の先、海未さんは手をまっすぐ構えて、オーグギアを展開していた。
「本当、容赦ないですね……あなたたちは」
苦笑いを浮かべるのに失敗した頬が、怒りで引きつっている。
「ならこちらはどうでしょうか」
こともなげに、大橋さんの銃口が今度は天井を向く。
海未さんの表情が、目に見えて変化した。
引き金が引かれる。
音もなく、赤光が天に昇る。迷いのない光線は、暗がりの空間を真っ二つに裂いて天井へと到達する。
私はほとんど反射で議員へと駆けて、勢い任せにその体を押し倒す。
瞬間、爆発と、遅れて瓦礫の降りかかる轟音が、背中に響く。私の脳内には、一五年前のテレビの出来事が思い起こされていた。
頭を押さえて起き上がる議員の無事を確認して、海未さんに視線を向ける。
思いもよらない大橋さんの行動に、海未さんは降り積もった瓦礫の山と砂埃を前に、目を見開いて息を呑んでいる。ように、見えた。
「当然、爆発は建物にも影響するわ。場所を見誤ったようね」
大橋さんは降ってきた瓦礫に仮想体を貫通させながら、蛇が獲物を追い詰めるように、音もなくこちらへと歩み寄ってくる。
「大橋……!」
「我々も心苦しいのですよ? こんな場所でも、カイキョウシティの経済を支える一端なわけですから」
憎々しげに海未さんは歯噛みして、大橋さんの睨む。
正直な話。
幻捜課の追うGCのスキャンダルというものなんて最初から存在せず、ただ政府が外資系の巨大複合企業が手綱を握る街の復興に、警戒姿勢を示そうと幻捜課を立ち上げたものだという考えが、ほんの片隅にでも存在していた。
なんて甘えた考えだろう。今なら彼女らが、悪魔に魂を売り払ったと言われても信じてしまう。
衝撃で痺れる頭の内には、人の形をした暴力への怖気と怒りが沸々とこもっていった。
「やめろ、李監査部長」
そんな海未さんを見つめ、悲しげに目を伏せながら大橋さんの前に出たのは、鯨寺議員だった。
「目的は私だろう。このアクアリウムや、スペクターたちを破壊する理由はないはずだ」
埃を払いながら、屹然とした態度で立ちはだかる議員に、あらあらと嘲笑めいて尋ねる。
「やはり、この場所には思い入れがあるのですねぇ」
「ここは彼女たちの居場所……そして、理不尽に家族を奪い去られた被災者遺族の、弔慰によって建てられた場所だ。それを再び壊されることなど、あってはならない」
その様子を、ただボーッと眺めている。
鯨寺議員は、明確な意思を瞳に宿して大橋さんを真っ直ぐ見据えている。
私は何をやっているんだろうか。
漠然とした疑問が思考を鈍らせている間にも、大橋さんの握るゲシュタルト・シュレッダーの銃身が、怪しく光って議員に向けられる。
気付けば私は、大橋さんと議員の間に体を滑り込ませた。
何も考えていなかった、なんて馬鹿らしいことを、私になってどうする。そんな後悔が、周回遅れで心中を支配する。
銃口が近くにある。間違いなく、人を殺す無慈悲な光線を前に、足が震える。
待て、君は関係ない。引くんだ。とすぐ後ろの鯨寺議員の声が、果てしなく遠く聞こえる。
ああ、やっぱり私は中途半端な人間だ。捜査官としてじゃなく、ホエルを助ける一個人としてきたはずなのに、こんな格好つけた真似をしている。元はといえば、私はただの研修生で、煙慈に無理矢理連れてこられただけで、それから色んな偶然や奇跡が重なってだけの、ただの凡人。本来ならここにいる資格すら、あるかどうかすら怪しい。
「引きません。絶対に……!」
でも、それでも……。どこかの誰かが肯定する。
「私は、幻捜課の捜査官なんです! ここで引いたら、幻捜課の私が許さないんです!」
『よく言ったな、浜浦捜査官』
激励が、頭に響く。聞き馴染みのないその声に、一瞬幻聴を疑った。
乱暴で、粗雑な、思いやりも感じられない、不器用な声。
《渚様を転送ポイントに指定されています》
リクエストに答える前に、了承の意図を汲み取ったElWaISが、ポップアップを消す。
振り返ると、そこにはマーカーを引いた仏頂面でこちらを見つめる、煙慈の姿があった。
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