亡霊かく語りきⅡ
「ありえない」私の否定は弱々しかった。
「だって、グレイテストバンによって消失した被災者は、ゲシュタルト崩壊してその痕跡も残さないはずなのに……」
「ええ、その通り。ですがゲシュタルトというのは、事物の集合が持つまとまりそのものを指して、事物そのものじゃないんですよ」
一つ、たとえ話をするなら。と、海未さんは黒髪の一房を指に絡めて持ち上げる。
「私の頭から抜けた髪が床に落っこちれば一本の髪の毛でしかありませんが、一方でそれは遺伝子的に私の髪の毛でもあるという情報を持ち続けています。それなら、抜け落ちた髪の毛を集めて私のカツラを作っても、それはゲシュタルト的には私の頭になるわけです」
まぁ、カツラを私の頭だと信じる人間はそうそういませんが。と、あははと笑う海未さん。
私はテセウスの船を思い浮かべる。何がその船をテセウスたらしめているか、それは見る人間の解釈に委ねられる。
グレイテストバンによって崩壊した被災者の自我を再構成した彼女らは、果たして被災者そのものといっていいのか。それも結局、認識する人間の解釈に基づくんだろうと、私は鯨寺議員を見やってひとまず納得した。
「私たちは、GCからスペクターと呼ばれています」
「スペクター……?」
「私たちは十年前……グレイテストバンから五年経って、GCのファントミーム研究チームによって発覚されて、その時初めて接触しました」
「そんなこと」
公表されていない。と言いかけた口をつぐむ。
つまるところ、幻捜課の得るべきスキャンダルの一つなんだ。
「彼らは私たちの存在を世間に公表されることを恐れました。私たちにはよくわかりませんが、被災者が生きているように見せかける私たちの存在は、あまり望まれていないそうなんですよね」
私には、それがなんとなく理解できる。
怖いものは怖い。痛いものは痛い。辛いものは辛い。どんなに取り繕っても痛みを消せない以上、それを覆い隠し、鍵を取り替えることで人は忘れるものだ。それを思い出すスペクターの存在を疎ましく思ってもおかしくない。
「でもって、彼らも欲張りでして……、私たちの存在を隠匿するくせして、彼らはカイキョウシティ計画のために私たちのノウハウを求めていたんです」
だから、取引をすることにしました。
海未さんの唇が、まっすぐ引かれた。
「私たちはある程度共通した目的の下、個別の意志を持って生存しています。私たちの定義する『個別の意志』というのは、目的意識というガイドラインに沿った欲求の総体であり欲求の相互関係そのものであり、私たちが作り出すファントミームのネット全体が個別の意志を作り出していて……」眉間にしわを作った私を見て、海未さんは一旦言葉を詰まらせる。
「ああっと、つまりですね……私たちは脳内に天使と悪魔みたいな、擬似的な客観性のモデルを組み立てるフラクタルな構造を意志と呼び、意識は客観性を持った二者間で発生すると考えています」
「つまり……?」
「私たちは、相互に認識し合うことで生存し、それによって個別の意志を確立するのが、我々の生存理由になります」
認識し合うことが、意志の証明になる。我思う故に我あり、という言葉には自身を俯瞰する視点がある。自分を顧みること自体が、彼らにとっての意志なのだと、海未さんは言っている。デカルトのようで、しかし観測が結果を決定するという量子力学的な観点は、透析した人格を持つ彼女ららしいともいえる。
「そのために、人間の社会で暮らしているんですか?」
「はい。GCは人間社会にスペクターのコミュニティを組み込み人と変わらない生活を提供する代わりに、私たちに技術提供を依頼しました。仮想体の技術やオーヴァーレイネットの基盤……カイキョウシティが十五年でここまで復興を遂げられたのは、ひとえに私たちの助力があってこそです」
胸を張って鼻を鳴らした海未さんに、腑に落ちない心境で私は訊いた。
「GCの庇護を受けているあなたたちが、どうしてあんなことを?」
「ゲシュタルト・シュレッダーは私たちの提供した技術とは外のものです。私たちを消去するためGCが独自で研究していたものなんです」
さっきのテセウスの話になぞらえるなら、もし仮にスペクターがゲシュタルト崩壊で消去されても、情報自体は再構成できる。しかし両者との繋がりはない。彼女たちは不死であっても不変の存在ではないし、自己実現を生存理由とするなら、今ある自己に固執する理由にも納得だ。
「これを私たちは明確な裏切り行為として、一部のスペクターは対処することにしました」
「一部?」
「ここにいる人たちです」海未さんは肩を竦める。
「嘆かわしいことに、一万人以上いるスペクターの大半は、GCに飼い慣らされている現状に満足して行動しないんですよ」
「議員はスペクターじゃありません。どうして巻き込んだんです?」
「今の時代、スペクターの存在を証明するのって結構難しいんです。ぱっと見、私たちを違法の仮想体だって断じられたらおしまいですから。違法の仮想体と私たちの区別は、私たちがパイロットのいないスタンドアローンであることを信じてもらうことしかないんですよ。渚さんが頼みの綱だって言ったのも、それが原因ですよ?」
首元をさする。仮想体が現実に深入り、侵される感覚。
たしかにあんな超常的な出来事がなければ、こうもすんなり彼女らの正体に納得できたかはわからない。
「議員は、信じたんですね?」
「偶然だった」今まで場に任せていた議員が、私の問いに口を開く。
「いや、今思えば……帆選の姿をした君が、私の前に現れることは、彼女らの想定通りなのかもしれない」
「議員には、私たちと社会の仲介人になっていただくために協力を結んでいます」
議員。と口走った海未さんの言葉に、議員は瞼を下ろす。それを気に留めず、海未さんは続ける。
「ですがGCもそれに対応して、裏で議員の処分が計画されていました。リストの流出もそれの一環ですね。それで、泣く泣く誘拐を装って議員を保護していたわけです」
「それがジリ貧になって、今度は海未さんと接点を持った私を頼ってきた?」
そういうことです。と海未さんはニコリと笑うのを見て、私は顎を引いて考える。
聞いた話を信用するなら、この街にはグレイテストバン以降ずっとGCが秘匿し続けていたデータ生命体のような存在がいて、彼女らは被災者の姿を象り、GCから情報の改竄を受けながら暮らしている。彼らにとって他人に認知されることは自己の確立に繋がるためGCと協力関係を築きこの街を作っていたが、GCが自分たちを消去しかねない技術の開発を独自に行っていたために一部が離反して、離反者である海未さんたちはGCの管理下から脱するためにスペクターを社会的に喧伝しようと議員を巻き込んだ。理不尽を被った議員もまた、亡き娘の幻影を見続け良い気分なんだろう。誰も傷つかない素晴らしい状況だと、ニヒルに笑いたくなる。
ただ、そんな状況で無視されている存在の前では、私は笑うに笑えない。
「ホエルは、いったい何なの?」
今までの話の中に、ホエルの名前は一度として登場していない。
対して海未さんはその話ですか、と片腕を抱えて、足先を明後日の方向へと向けながら話し始めた。
「本当に、ただの事故だったんですよ」再び、髪の一房をつまんで弄ぶ海未さん。
「GCの私たちへの要求には、技術提供以外にも記憶のパージがあったんです」
「記憶の、パージ?」
海未さんは頷く。
「正確には消去ですが……ファントミームが透析した情報を消すことは至難の業です。ですからグレイテストバンに関連する記憶を、渚さんの言うブラックボックスによってピックアップし、圧縮・暗号化して分割したものを、私たちは一〇年前に放流したんです」
「グレイテストバンの記憶って……具体的には?」
「恐怖」
思いがけない短い言葉に、耳を疑うもすぐに納得する。
これまでの話のニュアンスから、ホエルの話をしてるのは間違いない。それならその言葉が切っても切り離せないものだ。
認定死亡者一万人超。都市機能の壊滅。未だオカルトの臭いを漂わせる、不透明で破滅的な地獄の災害。その恐怖を記憶ごとパージするというのは、確実で、しかしいささか暴力的にも感じられた。
「グレイテストバンに関わる恐怖の記憶……それを手放して、私たちはここでの生活を保障されたんです」
「随分、あっさりと手放したように思えますけれど……?」
「いいんじゃないんですか? 簡単に手放したということは、そんな重要な記憶でも無かったんだと思いますよ、きっと」
まるで他人事のように海未さんは首を傾げてとぼける。
いいや、とぼける、という言い回しには語弊がある。海未さんたちも、その後ろで黙っている十数人にとっても、それはただの記録に過ぎないんだろう。
「問題は、それが今でもこのカイキョウシティをさまよっていたことと……」胸の内を吐き出すような嘆息を吐いて、海未さんは続ける。
「その記憶に、GCの流出させた被災者リストを核となり、私がマスコミへリークするために流出させたゲシュタルト・シュレッダーのシステムデータが、連結したことです」
原因はわかりません。この街の電子媒体は、ブロックチェーンによって品質を担保する関係上あらゆるデータがネットへの通信機能で紐つけられていますから、偶然リストの情報が符合したせいだとしか……。
理解できない原理の話が、頭の表面を滑って通り過ぎていく。
違う。私にとって重要なのはそこじゃない。私が驚愕して、言葉を繋げられないのはそこじゃない。
――じゃあナギサ、ワタシは誰?
彼女には、最初から名前なんて無かった。
――うんと、ぼかん、ってする。
――ぼかんってして、みんなが震えて、もういやだって叫んで、逃げて……。
彼女を育む情緒に、仁愛なんて無かった。
私の口走った怪獣、というモチーフは、我ながらこれ以上無いほどに一致していた。
「ならホエルは……あなたたちの、あの地獄がもたらした恐怖の記憶から、作られたっていうんですか……?」
レイヤーを重ね、輪郭を失ったモザイクアート。
災害への畏怖をつぎはぎにした、記憶のキメラ。
それが彼女の正体だった。
「まぁ、初めて知ったときは私も驚きましたよ。相互認知のためのプロトコルに記憶を分譲すれば、私たちは個体として独立した分裂が可能なのだという発見でもありますからね」
肩を竦めて、他人事めいた小さな息を吐く海未さんに、いい加減に苛立ちがこみ上げた。
「なんなんですか、その態度……」詰め寄ってその肩に触れようと手を伸ばす。
「ホエルは、あなたたちから生まれた……子供のような、ものじゃないんですか。それが――!」
「子供? あははっ、いいですね、その表現」
私の言葉が、白々しい笑い声と一緒に賞賛されると、海未さんは伸ばした手首を掴んで、ギュッと力を込めた。
皮膚と肉と骨を圧迫する錯覚が、鮮明に脳へとオーヴァーレイされる。
「残念ですけど、それは的外れですよ。渚さん」
そこから吐き捨てられた低いトーンに、頭の奥がシンと冷える。
「あれが子供だなんて冗談じゃありません。あれは偶然発生した、台風みたいなものです。スペクターとも違うし、私だって迷惑してるんですよ」
「迷惑って……」
「そうですよね? スペクターによく似たスタンドアローンプログラムが、災害の再現したようなプログラムと一緒に癇癪起こして暴れてるんですよ? 社会に認知されようとしている私たちに、ここまではた迷惑な存在がいますか?」
「それはあなたたちが、あの子を放置しているからでしょう! 少しでも理解者がいれば、ホエルだってあんなことはしなかったはずです!」
人を疑わない、無邪気な笑顔を脳裏に掠めながら、私は怒声をぶつける。
人間に、真の意味で見られることのないホエルが、それと似た性質の存在にすら見限られるとするなら……いったいこの街のどこに、彼女の居場所があるというんだ。
しかしそんな怒りの言葉も空しく、海未さんは、疎ましげな表情で受け止めた。
「こういうこと、あまり言いたくはないんですけれど……」と申し訳程度の断りから。
「それをあなたが言うんですか? あれが怪獣になろうと言いだして、感情のままに爆発を起こしたのは、あなたのせいですよね?」
それはっ……とだけ言って、言葉に詰まる。
そうだ。最初から私がしっかりしていれば、ホエルもSNSユーザー仮想体を爆殺することなんてなかった。鯨寺邸だって消失することもなく、人々は災害の恐怖を思い出すことだってなかったはず。そんな悔恨で奥歯を噛んでいる俯いていると、ため息と共に弱気な提案が聞こえてきた。
「ホエルの居場所についてはElWaISにデータを添付しておきます。私たちの本題はあくまで議員の引き渡しですから。彼を渚さんに預けたら、幻捜課に場所を知らせて、私たちは去ります。その後でホエルを処理するなり慰めるなりすればいい。それで、いいですか?」
「そんな無責任な――」
「私たちだって、責任は感じています。だから、できる限り渚さんのお手伝いはしたつもりです」
これ以上は勘弁してくれと。そう言わんばかりに、海未さんは顔を逸らす。明らかな拒絶の意志だった。
「けれど、私たちにはどうしようもないんです。それを助けるだなんて、無茶苦茶な話としか思えませんよ」
「――ならその提案に、一つ噛ませていただけないかしら?」
突如差し込まれた声に、その場にいた全員が一方向を振り向く。
私も遅れて、入り口へ視線を向けると、そこにはスーツ姿の長身の女性がいた。
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