第四章

亡霊かく語りきⅠ


     ◆


 いつから私を監視していたのか。という質問に、海未さんは最初からですよ、と答えた。

『アクアリウムに来るお客さんは少ないですから。GCの職員と相乗りしてきた人間を疑わないわけにはいかないですし……』ここで、ハッと声を上げる海未さん。

『あ、あのっ、来たお客さん全員にしているわけではありませんからねっ。そこは疑わないでくださいよっ?』

 なんともズレた価値観に、ううん、とあいまいな返事を返す。

『でもビックリしましたよ。目をつけさせてすぐにホエルが来るんですから、職員みんな大慌てで。穏便に済ませてくれたのには本当に感謝してるんです』

「あなたたちでも、ホエルを制御できないと?」

『そうですねぇ。繋がりがないわけじゃ、ないんですけどね……』

 そのあいまいな返しには、フラストレーションが募った。

『あずさには万が一渚さんに危害が加わるリスクを抑えるためについていたんですけれど、逆に助けられちゃいましたね』

 あずさちゃんはオートモービルに揺られている間、後部座席の隣で、私と海未さんの話をお構いなしに投げ出した足をプラプラと揺らして遊んでいた。まん丸な顔は適度に日焼けしていて、マーカーに指定されている蛍光色は一切使われていないのを思い出して、私は海未さんに尋ねた。

「この子、もしかして違法の仮想体……?」

『あぁー、それは……』海未さんは言葉を濁す。

『便宜上、そういうものだと思っていただければ。詳しいことは来てからお話ししますから』

 この期に及んで隠し事をされることに、おなかの底に暗いものが溜まっていく。言葉こそ丁寧で語気の弱い喋り方をする海未さんだが、その性格は口調に反して達観しているような、一種の図々しさが垣間見える。

 十月末の早晩。時刻は午後五時を回り、辺りは薄暗い。ファントミームの視覚補正によって調整されているので、実際の日没と景色の明度がリンクしているかはわからないが、それによってアクアリウムの外観は、昼間に来たときよりも秘境的な空気に包まれていた。

 こっち。とあずさちゃんの無邪気な手招きに扇動されて、私はアクアリウムの入り口をくぐる。

 エントランスは、以前来た時とは別の静けさを私を迎え入れた。前は海から空を仰ぐ神秘的な空間演出だった静まりだったのが、今は証明を視覚効果をオフにしただけの重々しい静謐だけが広がっていた。

「お待ちしてました、渚さん」

 エントランスには、にっこりと出迎える海未さんの他に、五~六人の人物が待ち構えていた。先導していたあずさちゃんは、小さく跳ねるような足取りで海未さんの隣へ行く。

 反対側には、壮年の男性が緊張の面持ちで立っていた。

「君が、幻影特捜課の人間か?」

 私はその人を注意深く観察する。

 一週間の失踪を経て、疲れた表情ではあるものの特にやつれた様子はない。スーツは失踪当時のままで多少のよれが見られ胸元のシャツには皺ができている。靴には砂埃が付着している程度。泥を踏んだ様子もない。

「ずっと、ここにいたんですか? 奥さんを置いて」

「ああ」男性はうつむき、そばにいる海未さんの背に手を添えた。

「帆選……いや、海未君から話は聞いている。妻のケアをしていただき、本当に感謝する」

 そう言って男性は……鯨寺蓮太郎議員は、頭を下げる。

 私は、喉から熱がせり上がってくるのを堪えた。

「感謝するくらいなら、戻ればよかったんですよ。まさかそこの人が、本当に帆選だと思っているんですか?」

 できる限り皮肉を込めた非難に、議員は押し黙りすまないと短く謝罪した。

 すぐに引き下がるその潔さが、私の怒りをさらに募らせる。

 どんな事情かは計り知れないが、そんな簡単に謝るなら……本当に、夫人に心配をかけていることを申し訳なく思っているなら、それそこさっさと戻ればいい。その都合のいい無責任さが私の失敗と重なるようで、そんな胸のうちの罵倒に答えるタイミングで、議員は顔を上げた。

「だが事はそう単純ではないんだ。彼女たちの話を聞いて欲しい」

 そう言って半身引くと、議員は腕全体で、後ろに控える無言の観衆たちを指した。

 私を中心に半円で囲むように佇む人たちを見渡すとその人たちの中に、子供やおじいちゃんを見つけて、首が傾く。

 明らかにスタッフではない。服装もバラバラで海未さんのようにサポートスタッフの制服を着ているわけでもなく、どうして彼らがこんなところに集められているんだろう。

「それじゃあ、私からお話しする前に……」一歩前に出て、海未さんは咳払いした。

「お話を信憑性を上げたいので、こちらを使って私たちを見ていただければと思います」

 言いながら腕を振ってオーグギアを起動する。すると私のすぐそばにElWaISが起動し、クラゲが宙を漂い始めた。

 喉を絞められた苦しさを思い出して体が強ばると、それを察した海未さんはあははと苦笑した。

「最低限の機能だけ、私のプロトコルを通して接続パスしました。組み込んだブラックボックスには触ってないので、安心してください」

 海未さんに疑いを向けつつも、私はこめかみを叩く。

 クラゲは身を震わせると、高速で私の周りを旋回しだした。

《周囲に熱源多数》平坦な機械音声に安堵を覚えながら。

《GCのセキュアリストに未登録の仮想体を複数確認》

 あずさちゃんを見て薄々勘付いていた事実を、ElWaISが補足する。議員は? と問いかけると《生体反応あり》と短く返され、すり替えはないと判断して海未さんに頷く。

「ここにいる人たちは、全員違法の仮想体なんですね」

「まぁまぁ、結論を急がないでください」

 順を追って話しましょう。と海未さんは指を立てた。

「私たちは、この街がオーヴァーレイネットと呼ばれる都市一体型体感通信システムが生まれる前に、既に存在していました。あなたたちの定義で言うところの仮想体ではないんですが、原理は一緒です。ファントミームによって透析された生体情報を再現し、同型のセンサーを作る。これが仮想体の本質ですから」

「オーヴァーレイネットが、生まれる、前……?」

 饒舌に語られながら、産毛立った重たい不安が全身を舐める。

 カイキョウシティを覆うオーヴァーレイネットワークが正式にリリースされたのは、三年前。それまでも試作でネットワークそのものは存在していて、ならば彼女はその当時生まれた試作型の仮想体だろうか。

 手ごたえがない。振るった腕が空を切る感触すらある。

 ずっと考えていた疑念にかすりもしない考察が、合っているとは到底思えない。

 どうして彼女……海未さんは、おそらく面識もない鯨寺帆選の体を、仮想体で再現するという悪趣味な真似をしてるのか。

 そしてそれを、実の父である鯨寺蓮太郎議員が、受け入れているのか。

「はい。一五年前から、ずっといました。あなたたちに発見されるのは、もう少し後の話なんですが……」

 頬を掻いて、照れた笑みを浮かべる。

 自分の中で、妄想じみた推測が、パズルのように当てはまっていく。

 いや、まさか、そんなことが。ありえない。頭ではこの推測を覆そうと否定語のオンパレードが渦巻く。そう、それでも一つの疑問が、全ての否定をはね除けパズルのピースを埋めていく。

 死んだ人間の皮を被ることにも、意味があるとするなら。

 私はもう一度周りの人たちを見渡す。老若男女、様々な人たちの顔を目に焼き付けるように見つめる。私の意図を理解したElWaISが、照合ソフトを起動して一人一人に照準を合わせた。

 参照先は、ネットで見つけた被災者リスト。

《名称・鯨寺帆選。照合率九三パーセント》

《名称・平沢梓。照合率九〇パーセント》

《名称・熊野井幸太。照合率九四パーセント》

《九〇パーセント》

《八九パーセント》

《九七パーセント》

 全ての照合が、高い確率で一致を証明するウィンドウの羅列に、一歩後ずさる。

 鯨寺帆選だけじゃない。ここにいる全員が、死者の皮を被っている。

 否。

「ここにいる人たちは、みんなグレイテストバンの被災者……その人格と記憶を透析し、再現された天然の……いえ、プリミティブな仮想体なんです」

 海未さんは目一杯腕を広げて、後ろに連なる人影たちを紹介した。

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