影を迫るⅣ

 ナチュラル系の内装へ案内されながら東宮さんに焦点を合わせる。東宮さんはいつぞやの慰霊公園で見たような簡素なブラウスとパンツスタイルに合わせてスタンドカラーコートを羽織ったスタイリッシュな格好で、ガラス張りの窓の奥を眺めていた。

 向かい合わせの席に座る間、せせらぎ混じりのジャズミュージックがどこか遠くへ行ってしまったかのようで、店内を漂うコーヒーの香りを楽しむ余裕すらなかった。

 店内には、東宮さんと私のほかに数名ほどの客。蜂谷さんは外で待っているように東宮さんに命令されて、肩を落として今も暇を持て余しているようだった。

 届けられたコーヒーに片手で礼を返すのを眺めながら、私の目はテーブルの端に隠すように置かれた小さなケーキボックスに留まった。

「甘いもの、好きなんですか?」

「嫌いよ」質問を予期していたような早さで、東宮さんは答える。

「私が食べるものじゃない。弟の分よ」

 東宮さんは視線を落とす。

 コーヒーカップの奥底を覗くように、その瞳は遠かった。

「その、弟さんは……?」

「死んでるわ。さっき聞いたでしょう」一旦言葉を切って、憮然といた表情のまま。

「それとも、死人の顔を思い出せないとそういうデリカシーもなくなるのかしら」

 冷淡な眼差しと言葉が、胸を抉る。

「そうかも、しれないですね」笑おうとして、ぎこちなく頬が歪んだ。

「昔から、ずっとそうなんです。友達や、親戚のお葬式とか、両親の周忌なんかも、なんだか憂鬱で」

 みんなが遺影の前でしんみりしている。親戚たちや知り合いが私に、この人がどういう人で私がよくお世話になっていたと懐かしみながら語って聞かせる。

 だが、私には思い出に語られているその人と、棺に収められた遺体を、どんなに見比べても同じ人には見えなかった。

 雰囲気が違うとか、そんなレベルじゃない。体つきや顔の構造からまるで違う生き物のようで、それが記憶の中の別人と結びつけられて私との思い出として語られていくのが、外から記憶を改造されているようで、脳がグラグラと揺れていくのがありありと感じ取れた。

 葬式という言葉を聞くたび、おなかに鉛が詰め込まれるような気分だった。

 自然と私の中で『死』というものが疎ましく、拘うのが鬱陶しいものへと変貌し、そのズレがバレてしまわないよう、心を砕くことが多くなった。

 きっとこのまま『悼む』という言葉を建前でしか使うことしかできないんだろうという気取った悟り方をした幼少から、段々とそういうものを忌避するようになっていった。

 考えてもみれば。

 そんな私が、破壊をまき散らすようなホエルを説得できるはずがなかったんだ。

「だから、ですかね。ホエルの説得もできないで、三回も逮捕のチャンスを逃してしまって、みなさんには迷惑ばかりかけてしまって……」

「そう……」

 東宮さんからの返事は存外素っ気なく、それっきり私と東宮さんの間に、沈黙がゆっくりと歩いた。

 それに耐えきれず、先に口火を切ったのは私だった。

「あの……それで、お話ってなんですか?」

 私の問いかけが答えられないまま、コーヒーの湯気だけが流れる。

 やがてそれが私と彼女を隔てなくなった頃に、東宮さんは鼻から深く息を吐いた。

「この前のこと」

「この、前?」

「少し、言い過ぎたわ」

 不器用に、たどたしく、言葉を重ねる東宮さんの指が、そのもどかしさにイラつくようにテーブルを叩いていた。

「あんたを信用したわけじゃないけれど……実力不足で、身内贔屓というだけでこのチームにいるっていう評価は、撤回するわ」

「あー……」

 ここまで聞いて、ようやっと東宮さんの意図を理解すると、少し気恥ずかしさが湧き上がってきた。

「き、気にしないでください。蜂谷さんにも言いましたけど、東宮さんが結果的に正しかったのは事実ですから」

 ビートを刻む指が、ピタッと止まる。

 東宮さんは瞼を落として、背もたれに体を預けた。

「あの時」

「え?」

「あんたの判断が少しでも遅れていたら、子供は爆発に巻き込まれていた」切れ長の目が、私をまっすぐ見据えた。

「身の程を弁えない奴は嫌いよ。でもね、自分がしたことを誇れない奴も同じくらい吐き気がする」

「で、でも……」

「できたことを棚に上げて、後ろ向きなことばかり言うのにはもう飽き飽きしてるのよ」本当にうんざりしたように、東宮さんは腕を組んだ。

「だからもうやめて、苛々するから」

 吐き捨てるように言ったその言葉に既視感を覚えると、自然と笑みがこぼれた。

「何よ?」

「その台詞、シャオちゃんも似たようなこと言ってたなって」

 憮然とした顔が、面白いくらいに引きつった。

 そういえば、とシャオちゃんから連想したホエルの特性について、私は東宮さんに話す。

「なるほど、APIね」気を取り直すように、東宮さんは一息ついた。

「で、それをあんたが無視した原因がわからない、と」

「はい。それさえわかれば、クジラ側のプログラムとしてホエルを認識できるかもしれないんです」

「本当にそうかしら」

 冷静に、東宮さんは言った。

「どういうことですか?」

「APIがブラックボックス内にあって解析もままならないとなると、私たちは見る人間によって姿の変わるプログラムをどう特定すればいいのかしら?」

 問いかけた東宮さんの意見に首を傾げると、呆れたようにため息を漏らした。

「人を総動員させても、各々が別々の対象を追ってたら意味ないでしょう」

「なる、ほど……?」

「ブラックボックス自体の反応を追えれば話は別だけれども、顧問メカニックができないならお手上げよ。GCの関与も否定出来ない以上、頭なんて下げられないし」

 そもそも、どうしてホエル……正確にはクジラ側のプログラムは人によって仮想体を変化させるんだろうか。

 まず記憶野を参照しプログラムそのものを視認できるかを審査する。そこを通っても今度は同一性のない仮想体モデルで攪乱する。

 仮に海未さんがプログラムの隔離を目的とするなら、この仕様の意図とも矛盾はないし合理的と言える。

 結局行き着く先は、死人の関わるAPIが記憶の何を参照しているか、ということだった。

「そういえば」私は思い出す。

「前に私と夫人の共通項の話をしたとき……」

「ああ」東宮さんは、面倒くさそうに頬杖をついた。

「だから言ったでしょう。絶対にありえないって」

 そう。もしホエル知覚化のトリガーが『親族の死』にまつわるなら、東宮さんが視認できないことに説明がつかない。

 一方事実として、鯨寺夫人が見えた幻影に彼女の娘が使われたことは、死人に関わるAPIとの関連性を強く残しているようにも思えた。

 死じゃないとしたら、どうだろう?

 他人事のような問いかけが、脳裏をよぎる。

 例えば、死に付随するものだとしたら、どうだろうか。

「あの、間違っていたら、それでいいんですけれど……」

「何?」

 カップを手に取ろうとした東宮さんに、おずおずと視線を結んだ。

「東宮さんにホエルが見えないのは、弟さんの死を後悔していないからじゃ、ないでしょうか」

 カップにかけた東宮さんの指が、止まった。

 しばらく膠着すると、手を引いてまっすぐこちらを睨み付けた。

「どうしてそう思ったか、聞いてもいいかしら。勘以外で」

 その冷ややかな双眸に、思わず身が震える。

「知覚化の条件はともかくとして、夫人はホエルが実の娘の姿に見えていました」震える腕をもう片方の腕で掴んで、私は語った。

「私が鯨寺さんの家で夫人を見つけたとき、夫人は泣いていたんです。そばにいられなくて、ごめんって」

「そうね。私も記録で見た」

「後悔というのは、自責とやり直しの欲求が、強く特徴に出る感情です。言い換えればこれは、失敗の経験からなる恐怖とも捉えられます」

 顔色を伺うと、東宮さんは落ち着いた様子で頷いて続きを促した。

「東宮さん、いつも怒りっぽいですけど、どこか冷静というか、いつも理性的な怒り方をするじゃないですか」私はテーブルに手を置いて、前屈みに東宮さんへ近づく。

「一番顕著なのは、私に《白雪》を当てたことで……最初は無鉄砲なことを言う私を、弟さんに置き換えたんじゃないかとも考えていたんです。でも、あの時の東宮さんは堂々と胸を張っていて、私に一歩踏み出そうとして、蜂谷さんに止められていましたよね? それで……えっと、ノンバーバル行動的に迷いや思考の感情が一切見えなかったんです」

 両手の人差し指の先端を重ねて、東宮さんの前へ差し出す。

 過去の記憶を現在に重ね合わせるとき、大抵は思考のために視線を逸らしたり、腕を組むと言った防御行動をするものだが、東宮さんにはそれがなかった。

「だから考えを変えました。あれは単純に、未熟な私を折檻しようとしたんだって」

「一般的には、その可能性を先に考えると思うのだけれど」

「そうですよね。でも私には、東宮さんの怒りの琴線に触れたようにも見えたんです。それが過去の経験で、弟さんのことだったとしたら……東宮さんは後悔よりも先に、怒りの感情を優先させているようにも思えたんです」

 置換的忘却って、ご存知ですか? と訊くと東宮さんはいえ、と短く否定した。

「脳科学的に、脳に保存された情報は消えません。だから人間は無意識のうちに、忘れたい記憶の鍵を別のものにすり替えることで忘れようとするんです」

「別のものって?」

「ケーキ」私はケーキボックスを指さして。

「蜂谷さん、今日は東宮さんのいつもの付き添いだと言っていました。おそらくですけど、周期的にここへ来て、弟さんのためにケーキを買っているんですよね。でもそれは後悔とかじゃなくて記憶の置換的忘却……つまり東宮さんはそうすることで弟さんの死を前向きに見ているんじゃないかと……」

 どう、です、か。と尋ねることが消沈していく。

 あの馬鹿、と東宮さんは小さく呟くと、入り口すぐのタイル張りに寄りかかっている蜂谷さんを鋭い視線を向けている。それに気付いた蜂谷さんは、慌てた様子で周囲を見渡していた。

 それが済むと、鼻から息を吐いて腕をテーブルの上に置いた。

「あんた、心理療法士カウンセラーよりも心理分析官アナリストのほうが向いてるわね」

「そ、そうですかね。えへへ……」

「褒めてないわ。人の心をズケズケと……」

 そう言いながら、東宮さんはケーキボックスを手元へ手繰り寄せ、蓋を開ける。

 少しだけ、眉が上がったように見えた。

「ここでケーキを買ってるのは、ただの習慣。これを仏壇に供えて、毎週あったことを話して、自分の目的を再確認しているの」

「目的?」

「グレイテストバンの真相を掴むこと」東宮さんは自嘲気味に口端を歪めた。

「笑いたければ笑えばいいわ。今時そんな妄想みたいな与太話に依存して、それを生きるモチベーションにしてるなんて」

 それでも。と、東宮さんは握りしめた拳に目をやった。

「仮に……そう、もし、仮に。弟がファントミームの力でもなんでもいいから蘇ってきたとして……それでも私はグレイテストバンを恨み続けるし、あれを起こした原因……それを生み出したかもしれない奴を未来永劫許さない」

 俯いた東宮さんの瞳からは、煮えたぎるような怒りが滲んでいた。

 死を悼んで、それを糧に生きること。それは私には到底、感じることのできない情動で、しかしそんな感情に対して、理解できないと吐き捨てられるほど、私は無遠慮じゃない。

 置換的忘却の話は私もよく理解しているし、統計として東宮さんのような感情を持つことが――それを徹底する信念の強さは別として――マイノリティであるとは思わない。

 東宮さんは、親族を死を経験しながら、後悔という恐れを怒りに変えている。それが、夫人との明確な差のようにも思えてくる。

 その仮説が成り立つなら、『鯨寺ホエル』が表す影は、その人の恐怖を表しているんだと、言える。

 そうだとしたら、恐怖をアイデンティティとする彼女が、この社会に居場所を見つけることはできるんだろうか。

 その時。

 クゥ……と、情けない音が、私のおなかから小さく鳴った。

 あ、と声が漏れる。

 東宮さんが珍しく口を開き、呆れと驚き八対二のような顔をしていて、私は内側から燃え上がる羞恥に包まれた。

「その、まだごはん食べてなくて……」

 体を縮こませて言い訳がましく言うと、東宮さんは目を泳がせた後にメニューのウィンドウを開いて私に投げつけた。

「食べなさい、奢るから」

「い、いいんですか……?」

「いいからっ」ほんの少し怒声を紛れさせて。

「代わりに、《白雪》の件はこれでおしまい。いい?」

 威圧感の口調に、反射的にはいっ、と返事してウィンドウを眺める。とはいえ元々食べるほうではないので、無難にサンドイッチのセットを頼む。

「それだけ?」と厳しい目を向けられて、どうすればいいか悩み。

「それじゃあ……コーヒーも注文し直しましょうか? 冷めちゃいましたし……」

 そうカップを持ち上げてみせると、東宮さんは怪訝そうに眉を顰めた。

 そして何故か舌打ちをした後、また視線を落として集中し始めた。

「と、東宮さん? あの、どうかしましたか……?」

 わけもわからず困惑しっぱなしもまま辺りを右往左往している間に注文が届いた。

「サンドイッチセットになります。ごゆっくりどうぞ」

 快活なウェイトレスの接客に、頬に汗を伝わせながら、愛想笑いで流す。

 しかし、東宮さんは答えずにおもむろに席を立った。

「東宮さん……?」

 東宮さんは何気なしにトレイを抱えている手首をつかみ、そのまま勢いよく捻りあげた。

「東宮さんっ!?」

 何が起こったのか理解が追い付かないまま、ウェイトレスがテーブルへ叩きつけられうめき声を上げる。

 衝撃にコーヒーの水面は揺れ、私はその光景に驚愕する。

 東宮さんの行いではなく、見据えていたのはコーヒーカップ。

 テーブルに伏せられたウェイトレスの頭が、カップを貫通していた。

「ここはいつからハリボテを出すようになったのかしら」

「クソ……!」

「所属と名前……いや、ある程度察しはついている」無感情に見開かれたその目は、猛禽類を彷彿とさせた。

「あんたたちが持ってる情報を吐きなさい。今すぐ。さもないと、五秒ごとにあんたの感覚を一つずつ凍結圧縮する」

 脅迫めいた文言と共に、東宮さんの背後から着物を着た霊体じみた女性がクスクスと喉を鳴らした。

 東宮さんのElWaISアバター《白雪》の登場に合わせて、喫茶店内がピキピキと氷結を始める。電子空間内を《白雪》が真っ白に支配し始めているというマーキングを見て、理解がようやく追い付いた私は自身のElWaISを起動した。

《複数の仮想体を確認。内一体の相互認証を確認しました》

 脳内でナビゲートが聞こえると、私はもう一度コーヒーカップとサンドイッチを観察する。

 あれほどの騒ぎの中、テーブルに置かれたそれらは微動だにもせず、まばらにいた客人たちもいつの間にか姿を消していた。窓の外を見ると、蜂谷さんがにやけ顔で口元に指を当てている。さっき東宮さんが俯いていたのは、蜂谷さんと連携するためだったらしい。

「その人……」

「GCの監査部ね」

 憎々しげに言葉を吐いて、東宮さんは押さえ込んだ女性の首元に力を込めた。

「早くしなさい。こう見えて、今の私は機嫌が悪いの。都合良く借りを返す機会をふいにされてね」

 押さえた首筋に、霜が降りる。女性は歯を鳴らしてガクガクと震え出すと、たまらずわかった! わかったから! と絶叫して、こちらにデータを開示させた。

 ウィルススキャンを入念に行ってから開いたファイルには、仮想体カメラの映像データが入っていた。

 四方を白い壁に囲まれた簡素な空間の中を、一人の少女が歩いている。セキュリティソフトが起動し、要塞と孥兵のイメージが表出するも、少女はそれを蹴散らして奥にあるデータを奪い取っていった。

 部屋を出ていく瞬間、その顔が写され、私は驚愕する。

「議員失踪の一週間前に確認された映像だ。我々の研究データを奪って外に流出させた人間を追って、お前たちに辿り着いた」

 苦しげに答える女性を、しかし話半分で私はカメラに釘付けとなる。

「データの正体は?」

「企業秘密よ! 教える義務はない!」

「企業風情が……っ」

「いいえ」

 怒鳴り声を上げた女性を制して、私は東宮さんに向き直った。

「多分、どちらかだと思います。一つはグレイテストバンの縮小版の再現モデル。もう一つは人間感情のリアルな入力・出力のモデル……ブラックボックス」

 女性に向かって、どっちですか、と問う。

 歯噛みして躊躇う女性は、しかし《白雪》の冷気に耐えられず、震えながら答えた。

「前者。その女は、開発中の情報処理プログラムを、盗んでいった」

 仮想体カメラには、鯨寺帆選の皮を被った海未さんの姿がしっかりと写されていた。

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