影を迫るⅢ


     ◆


 幻捜課のオフィスは商業区の一角にある商社ビルの五階フロアを貸し切って利用されている。残りの階層は全てオフィスのセキュリティリソースとして使われている贅沢仕様であるが、ファントミームの特性的にこれほど強固なものはない。出入りした人間の位置情報を改竄して特定を防止するそこは、第三者から居場所を教えられない限りは不可視の基地となっている。

 しかし徹底した改竄システムの弊害として、オフィスを出て数分間は自分の姿を他者から視覚的に隠蔽するようになっていて、そのため人に溢れる休日の昼下がりには、よく通行人に肩をぶつけられることがある。本来ならアラームによる警告が鳴るものだがそれも許されておらず、見えない壁にぶつかって困惑する相手のことを考えると、申し訳なさと理不尽さにがこみ上げてくるため、オフィスを出るときは注意深く周りを確認していた。

 だからこそ、隠蔽が解けるまで歩道の端で花火大会開催予告のポスターをボーッと眺めていた時。

 突如肩を叩かれ、声をかけられたときには飛び跳ねるほど驚いた。

「んひっ!」

「きみ、大丈夫? なんだか元気なさそうだけど、気分でも悪い? 疲れてるんだったら、どう? ちょっとそこで一息つかない?」

 妙に甘ったるい声だった。

 慣れていないシチュエーションと、透明人間になっていた私に声をかけてきた人物への疑念が重なって、私は手をバタバタと振りながら顔を隠すように俯いた。

「え、いやあ、あの、……あれ、なんで……?」

「OL? いや、学生さんかな? 大変だよねぇ、世間は休みだって日に就活するの」男性がタジタジなった私をお気楽そうに勘違いしている。

「こういうときだからこそ、ガス抜きはしっかり、し、な、きゃ……?」

 顔を逸らし続ける私をのぞき込もうと追いかけた声が、段々とすぼまっていく。

 そうしている間にも段々と上がっていく声の解像度に心当たりを見つけて、私は怒気を込めて振り返った。

「な、なにやってるんですかっ、蜂谷さん!」

 声の主は、私の不機嫌な顔に気付くと、思いもよらなかった言わんばかりに両手を挙げた。

 そこにはカットソーにジーパンというラフな私服姿の蜂谷さんが、気まずそうに口の端を持ち上げていた。

「なんだチャンナギかぁ。いつもの白衣着てないからOLか就活生かと思っちった」

「OLか就活生ならナンパしていい理由にはなりませんよ!」

「いやいや違うんスよぉ。仕事や就職活動に疲れた女性を優しくケアするのが、男の甲斐性ってもんじゃないっスかぁ? わかんない?」

 飄々と肩を竦めて人懐っこい童顔で笑いながら、蜂谷さんは私の問い詰めをのらりくらりとかわす。

 シャオちゃんとはまた違う緩さに、肩肘を張っていた自分がなんだか馬鹿らしくなってきて、零れた笑みを隠す意図で大きく溜息を吐いた。

「ここで何してるんですか? まさか本当にナンパ目的で商業区に?」

「いんや、姐さんのいつもの付き添い……っと」

 付き添い? とオウム返しする前に、蜂谷さんはとぼけるように視線を逸らした。

 私はガラス張りの窓を伝って、その入り口に置いてあった看板に目を向ける。

 そこはカフェの入り口で、鯨寺議員が失踪した現場だった。

「捜査、ですか?」

 尋ねる声をひそめると、蜂谷さんはああ違う違う、と慌てて訂正した。

「完全な私用。久しぶりに休みなモンでね」

「休み?」一旦首を傾げるも、すぐに得心する。

「そういえば、失踪事件の捜査は公安が引き継いだんでしたっけ?」

「正確には人手が必要になったから情報提供と捜査権の分譲したってところっスねぇ。公安の刑事デカたちマジでキレる一歩手前だったけど、この前のやらかしを引き合いに出したら渋々承諾しくれてさぁ……ま、おかげで久しぶりに羽を伸ばせるってわけ。」

 大きく伸びをする蜂谷さん。

 煙慈が海未さんを捜査の焦点に当てたことで、二つの事件は人物捜索を主としている。とはいえ、この街で潜伏するのは比較的簡単で、ハッカーともなれば住基ネットに登録した自分の生体プロトコルや仮想体カメラを誤魔化して姿を消すことは造作もない。そうなると捜索は各地域に網を張り、ハッキング『された』痕跡がないか、セキュリティソフトによるカウンターは成功したか、などと辛抱強く監視するのが最善となり、結果的に昔ながらの人海戦術へと回帰する必要があった。

 しかし少数精鋭の幻捜課では必然的に目が足りず、公安警察にバトンを渡すに至ったわけである。元はといえばGC介入の懸念を察知した幻捜課が横取りした自分たちのヤマを、散々調べ上げられた上で適材適所だと突き返された公安の心情は推して量るべきであるが、未知の技術で災害を振りまくテロリスト疑惑の人間相手に身内争いをしている余裕がないと判断したんだろう。

「チャンナギは、相変わらずホエルの捜索っスか?」

「ええ、まぁ」蜂谷さんの質問に、あいまいに答えをぼかす。

「東宮さんにも啖呵を切った手前、投げ捨てるわけにもいきませんから」

 言いながら、それがあからさまな建前であることに、不可解な困惑を覚えた。

 自覚した偽りない感情ではあるものの、自らの心情の真芯を捉えた意見じゃないといった感じ。

 しかしその言葉に、蜂谷さんはあまり似合わない神妙な顔で返されると、私は訝しんだ。

「チャンナギ、その……姐さんのことなんスけど」

「はい……?」

「この前のこと、あんま怒らないで欲しいんスよね。あぁモチ、勝手言ってんのは重々承知なんだけど、姐さんにも事情があってさ」

 片手を後頭部に回しながら、蜂谷さんは自分のことのように、申し訳なく視線を逸らす。

 私は一週間前の出来事を思い出して、リクルートスーツの袖を撫でる。

「気にしていませんよ。東宮さんの言っていたことは正しかったわけですし」

 蜂谷さんは顎を引きつま先で何度か石畳を叩いた後、チラッとカフェの入り口を確認してから、まるで独り言のように遠くを眺めながら。

「姐さん、弟がいたんスよ。チャンナギと同じ年の差くらいの」

 そう、私に話してきた。

「その人……」尋ねる前に、蜂谷さんは続けた。

「十五年前……グレイテストバンの起こった日。都市の外縁部じゃあ建物の倒壊が相次いでて、姉弟まとめてそれに巻き込まれたんス」

 十五年前に六畳間の隅で見た、あの惨劇を思い出す。

 極彩色の霧の中に飲み込まれ、倒壊するビル。あの地獄の中に、東宮さんがいた。

「んで、姐さんだけが助かった」

 東宮さんに触れた心の琴線に、ようやく確証に至る。

 親族をグレイテストバンで亡くしているなら、それを起こすホエルへの危機感も、それをみすみす逃した私に怒るのも当然の感情だった。

「あの災害、陰謀論レベルで色々嘯かれてるじゃないっスか。やれ企業のマッチポンプだの、政府の極秘実験中に起きた事故だの、ひっでぇのだと宇宙人の侵略行為だとか」

 自分で言っていておかしいのか、途中で蜂谷さんは鼻を鳴らして失笑する。

「でも、気持ちはわかるんスよねぇ。あんな理不尽な目にあって、原因不明の災害だって言われても、ハイそうですかなんて納得できるやつなんてそうそういないっしょ? 実は後ろ暗い事情があって、それに文句の一つも言ってやりたいって考えるのが、普通だと思うんスよね」

「ええ。そういう話は、調べるとよく出てきますから」

「へぇ……意外。チャンナギもそういうの興味あるんスねぇ」

 私は相槌の打ちながら、片肘を抱いて考える。

 海未さんは、災害によって失われたアクアリウムを、一般受けしないと寂しそうに笑っていた。

 嫌な記憶のこびりつく、辛気臭い場所だと。

 それが亡くなった鯨寺帆選のロールプレイである可能性は否定出来ない。だがそう言って目を伏せた彼女からは、そんな現状に理解を示しつつ納得しきっていないような心情が読み取れた。

 そんな海未さんが、グレイテストバンを縮小再現する技術を……アクアリウムを滅ぼした災害を生み出すのを許容するとは思えない。

 シャオちゃん曰く、ホエルは最初から孤立するために作られたような節がある。ならあの技術は、海未さんにとってあってはならないもので、それを隔離するために、ホエルは作られたんじゃないんだろうか。

 だとするなら、どうしてホエルは、あんな感情豊かに振る舞うんだろう?

 隠蔽され、誰からも認識されないというのは、さっきまでの私と同じだ。そんな私が、思いもよらず蜂谷さんに話しかけられたとき、私は困惑と驚愕と……ほんのわずかな安心で、いっぱいになった。それならホエルはどうだったんだろう。APIを無視して、私に見つけられたとき、彼女というAIはどうのような思考を構築したんだろう。

 独りぼっちになるのがわかっているAIに、人間らしい情動を学習させるその行いには、悪辣さを感じずにはいられない。

 どうにも歯車が噛み合わないムズムズした感情を抱いていると。

「チャンナギ?」

 気付けばまた蜂谷さんがこちらの顔を覗き込んできて、また私の体が後ろに跳ねた。

「すみません。ちょっと考え事してて……」

「本当に大丈夫っスかぁ? 疲れてんならマジで休んだほうがいいっスよ?」

「そういうわけにはいきませんっ。こうしている間にもホエルが爆破を行わないとは言えないんですから」

 熱量を込めて言い返すと、蜂谷さんは釈然としない表情を向けた。

「前から思ってたけど……」と言い淀んだ後で。

「チャンナギ、あんまり自分を大事にしない感じっスね」

「それは……滅私奉公といいますか、治安維持のために、個人の事情を優先させるわけにはいかないというか……」

『それ、休暇中の私たちに言うことかしら?』

 突如、脳裏に鋭い指摘が突き刺さる。

 蜂谷さんもまた、気まずそうに頬を持ち上げていた。

「聞いてたんスね、姐さん……」

 東宮さんはその呟きを無視して、浜浦研修生、と私を呼んだ。

「は、はい……」

『話があるわ。こっちに来なさい』

 視界にポインタが置かれる。

 その方向へ首を動かすと、カフェのテーブル席から東宮さんがこちらに冷ややかな目線を送っていた。

 私はサムズアップする蜂谷さんを尻目に、腹をくくってカフェへの扉をくぐった。

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