影を迫るⅡ
「疑う要素は、いくらでもあったんです。彼女の作ったシミュレーションモデルも、フルトラッキングも、野良の技術者が扱っていいものじゃないって、シャオちゃんだって言ってたじゃないですか」
「言ったけど、これとそれとは話は別でしょ。まだウミミが鯨寺ホエルの爆破事件や鯨寺議員の失踪の犯人って決まったわけじゃないのに」
そうですけど、と私は食い下がる。
「煙慈は、彼女がホエルの制作者で、失踪事件の実行犯だと推測して捜査を進めてますよ」
私の言葉をサイコトラッキングが拾って、海未さんのプロフィールを表示させる。
入鹿海未。二十一歳。大学在籍中にGCの開催していたファントミームシミュレータによるプログラミングコンテストで優秀賞を獲得すると、卒業後すぐにカイキョウシティへ移住。GCの就職試験に落ちたのものの、過去の経歴を評価されて役所のエンジニア部に入職。ソフトウェア化した業務システムのメンテナンスを主な仕事とする中でカイキョウシティ記念アクアリウム設立プロジェクトに参加し、以後は同館のサポートスタッフとして在職。
特筆のない一般的なエンジニアの職歴だが、セミクジラのシミュレーションモデルとヒト型仮想体のフルトラッキングシステムに関しては、シャオちゃんがポカンと口を開けるほどのものだったという。
煙慈の言っていたとおり、ファントミームから読み取った感情を正確を出力するモデルは現状ない。サイコトラッキングも透析の対象を脳波に限定して始めて機能している。しかしアクアリウムに取り残されたシステムには、きわめて高度な感情解析・出力を可能にしたシャオちゃんでも解析できないブラックボックスがあった。
私のElWaISにも組み込まれたこれが、マルウェアから解析されたホエルにも搭載されていることを知ったのは、三日前。
さらに、パージされたツール販売者の顧客名簿の断片を蜂谷さんたちが見つけ出し、そこから彼女の住所が浮かび上がったのが、一昨日。
そしてそんな彼女が、被災者である鯨寺帆選のヒト型仮想体を使用しているという違法性を加味して、煙慈は入鹿海未を議員失踪事件・鯨寺邸及び慰霊公園爆破事件の重要参考人と判断した。
そのおかげといっていいのか、ホエルの罪状は彼女へ向くようになり、音沙汰のないホエルは警戒こそすれど注目されなくなった。
他者に視認できず、視認されないプログラムへの対処として、それを無視して制作者を追う方向性で纏まるのは、ある意味必然だったのかもしれない。
何故ならここでは、感じなければ存在しないのも同じだから。
夫人のカウンセリングも終わった私の現状はというと、海未さんの捜査協力という名目で、シャオちゃんの実験に付き合いながらホエルの捜索をする毎日なのだが、これも芳しいとは言えない。
難航の原因は、ブラックボックス内に収められているであろうホエル知覚化の要因が解析できていないせいだった。
「たしかにホエルの製作にウミミが関わっていそうなのは認めるけどさぁ……、なんていうか、やってることの意味がわかんないんだよね」
ブラックボックスを見事探し当てたシャオちゃんは、煙慈の判断に未だ納得がいってないように渋面を作った。
「意味がわからないって?」
「だって、ホエルは完全自律型のスタンドアローンプログラムで、かつアクセスだって制限してるんだよ?」
ソファから離れて腕を振ると、シャオちゃんの周りにウィンドウが展開される。ホエルの解析データの一覧から一つを摘まんで投げると、鋭角なフォーク軌道を描いて私の前にフェードインしてきた。
「それでいて、解析したホエルの仮想体に、ウミミが途中手を加えた痕跡はない。顧客リストの件から入念にパージしてるって考えもあるけど、学習型AIでわざわざやることでもない。ってなると、このプログラムの制作者は、ホエルを作ってから何一つ干渉してないってことになる」
解析データを確認しても、海未さんに関わるものはない。
頷いて続きを促すと、シャオちゃんはソファの肘置きに頬杖を突いた。
「仮にウミミがホエルを作ったとしてさぁ、リード付けないまま狂犬を走らせるみたいな真似すると思う? 爆破のプログラムだって、いつ自分に飛んでくるかわかんないのに」
「ど、どうなんですかね……?」
例え話にピンと来ず言い淀んでいると、なんかさぁ、とシャオちゃんは腑に落ちないといった心模様をそのままに呟いた。
「最初からホエルを孤立させるためだけに作ったみたいで……じゃあなんでそんなもの作ったんだってならない?」
たしかに。私はシャオちゃんの言葉に、顎を引いて思案する。
ホエルは最初から、目的意識がはっきりしている。ただ自分で言語化する能力に乏しく、私の『怪獣』というワードによって、その方向性を定めた。
もしも、海未さんがホエルを作ったとして、こんな不完全なプログラムをどうして作ったのだろうか。
あるいは、私が不完全だと思っていた、あの子供のような情動こそ、彼女の目指したものなんだろうか。
――うんと、ぼかん、ってする。
――ぼかんってして、みんなが震えて、もういやだって叫んで、逃げて……。
「恐怖」
無意識にこぼれた言葉に、うん? とシャオちゃんが声を上げて顔をのぞき込む。
「ホエルは、人に恐怖を与えることを、アイデンティティとしていた」
だとするなら。無意識のまま置いていた手を離して、シャオちゃんに向き直った。
「ホエルは海未さんのテロリズムに則って作られた、というのが自然です、よね」
言いながら、疑念の晴れない胸中が吐露すると、それにシャオちゃんが天井を仰いで同意を示した。
テロ目的でホエルが作られたんだとしたら、シャオちゃんの言う通り危険なプログラムの野放しにするリスクとは到底釣り合わない。堂々巡りで出口のない閉塞感が、私たちを閉じ込めていた。
私は、画像フォルダからホエルのモンタージュ写真を並べる。
夫人には鯨寺帆選。SNSユーザーからは黒いマネキン。
どうして、私にはこんな少女とクジラに見えているんだろう。
「うん……?」
ここで私は、何かに引っかかる。
そう、私が見えているのは、ホエルとクジラだ。ホエルが見えていたと言っていた人たちからは、二つ以上の形態を取っていない。
私はこれまでのホエルの挙動を思い出す。クジラはホエルの挙動に反応していたし、ホエル自身はクジラを使役していたようにも見えたけれど、実際のところ両者は一心同体ではないというか……その大部分はお互いの影響を受けていないようにも見える。
「もしかしたら、違うのかも」
「何がぁ?」お手上げと言わんばかりに声を上げたシャオちゃんに、私は言う。
「ホエルとクジラは、実は相互にリンクしているだけで、同じプログラムではないんじゃないでしょうか?」
それを聞いた途端、弱気な態度をしていたシャオちゃんの表情が、スッと真顔に戻った。ちょっと待って、と言うとシャオちゃんの仮想体は宙を浮き始めた。
無重力状態でサマージャケットの裾がのんびり揺れるのを観察してしばらく、思案を終えたシャオちゃんが口を開いた。
「APIで繋がった、別個のソフトウェアってことか」
「A……PI?」
「
早口で解説しながら、シャオちゃんは続けた。
「本来なら、クジラとホエルはユーザー側……つまり私たちが普段使う可視光線とかオーヴァーレイネット上で常に起動している検索機能に対してAPIが先に反応するのが普通で、リクエストに応じて必要なプログラムをこちらに提供する。けれどナギのプロトコルが行うアクセスだけは、APIが機能しないまま二つのプログラムを表示せざるおえなかったんじゃないかな」
そうか。と私は得心した。
「じゃあホエルは……いや、夫人やSNSユーザーの見ていたホエルは、APIによって誘導されたクジラ側のプログラムなんだ」
そう考えれば、ホエルが私に固執して依存する意味が。
――ナギサが間違ってたら……。
――ナギサにしか見えてないワタシは、間違ってるの……?
あの発言の意味が、ようやく繋がる。
ユーザーも夫人も、真にホエルのことを見えていなかった。
私だけが、怪獣になりたい小さな少女を、見つけられていたんだ。
「そしてAPIには、周囲の人間の記憶野を参照してプログラムを可視化するシステムが組み込まれている。これはホエル自身のプログラムじゃないから、ホエルでも制御できなかった」
「それを、私は無視した?」
シャオちゃんは頬を持ち上げて頷く。
「そのAPIの正体さえ判明すれば、少なくともクジラ側のプログラムを視認できるようになる……はず、なん、だけ、どぉ」
だが次の瞬間、うなだれて肩を落とした。
その様子の変遷に困惑していると、シャオちゃんは急に立ち上がって頭を掻き乱して、うがぁー、とやけっぱちに叫んだ。
「それがわかったら苦労しないよ! なんなのあのブラックボックス! 宇宙人が書いたんじゃないかってくらい意味不明なんだけど!」
ま、まぁまぁ落ち着いてと、両手で宥める。
私には知覚できない、記憶を参照するAPI。
とどのつまり、それは人の死にまつわる何かであるのは間違いない。
ただ私がそれを無視するためには、私が最初から、そのAPIが死人を表わしているということが、わからなければならない。
そもそも、死人を表すAPIとはなんだろう?
「ねぇーナギぃ、本当に心当たりないの? 本当に何も思い出せない?」
「それは」
シャオちゃんに問いかけられて、しかし何も答えられない。
たしかに、記憶の中には……私の海馬の中には、事件の手がかりになるかもしれない情報が入っているのかもしれないのに、自分はそれを思い出すことができない。
そんなもどかしさに歯噛みしながら。
「すみません」
そう、呟くことしかできなかった。
「あ、いや。そんな謝んなくても……」思いもよらないといった様子で、シャオちゃんが言った。
「こっちこそ、ごめん。ナギじゃどうすることもできないのは、リーダーから聞かされてたのに」
「あ、いえ……。気にしないでください。こんなの、普段は大した障害じゃないですから」
「大したことないって……」
やや呆れの混じった声で、シャオちゃんは尋ねる。
私は、これから言われることを予見して、首筋に悪寒が走った。
「だって、それで両親の顔を思い出せないんでしょ? それって――」
「やめてください」
反射的に、口走る。驚くほど無感情的に、冷淡に。
ハッとなって目を見開いたシャオちゃんの顔を見るも、しかし何も言えないまま、目を伏せる。
それからしばらく気まずい沈黙が続いた後。
「うん……やっぱり、もう一回ブラックボックス調べてみるよ。さっきの前提があれば、新発見あるかもしれないし」
そう言って、そそくさとログアウトするシャオちゃんを視界の端で見送る。
誰もいなくなったオフィスの一室で、うなだれながら頭を抱えた。
「気、遣わせちゃった」呟いた言葉は重苦しかった。
「何やってんの、私……」
これだから、バレたくなかったんでしょう?
誰かが私に話しかけてくる。
いや、違う。これはただの自問自答だ。自分を客観で見るための思考だった。
たしかに、私がこの障害を口にしなかったのは、あまり気遣われて欲しくないというのが、本音の一部。
言っても仕方ないことだ。治すこともできないで、日常生活に支障のないものなんて、人付き合いの中でただのノイズにしかならない。言わない方がマシだし、言ったところですぐに気にならなくなる。
こんなことで、哀れんで欲しくない。
こんな、大したことのない些末事で。
「お腹、空いたな……」
ふと、時間が気になって時計を呼び出す。
時刻はお昼時を少し過ぎており、そういえばとお昼を食べていないことを思い出すと、気晴らしも兼ねて外へ出た。
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