クオリア・エラーⅣ
「嘘だろ、まさか本当に……」
「お、おい勘弁しろよ! 臨死体験なんてしたかねぇよ!」
一人離れた所から仮想体がログアウトすると、集団を成していた一部分がごっそりと消えていく。残りの一部はクジラを知覚できていないのかきょろきょろと周りを探す仕草をした後に、遠くの仮想体を発火させられたことに連動して消失した。
迷いのないターゲッティングに、一つ確信を得る。
ホエルを知覚できる要因が記憶によるなら、マクロで動く分身を彼女とセミクジラは視認していない。
ともすればそれは、パイロット本人を的確に爆殺できるという事実に、悪寒が走った。
「やめて! ホエル!」
私はホエルの前に立ち塞がるように腕を広げる。
フーッ、と獣のように息を荒げるホエルは、ポロポロと涙を流しながらこちらを睨み付けた。
「どうして?」潤んだ瞳のまま、ホエルは私に訊いてくる。
「だって、あれはナギサみたいに声をかけてくれない、お話も聞いてくれない、全然こっちを見てくれない。それなのにワタシの邪魔して……」
「約束を思い出して! あなたに、壊した物や人の責任が取れるの?」
「そんなの向こうに言ってよ! ナギサだって、あの人たちは間違ってるって言ったのに!」
「たしかにあの人たちは間違ってる! でも、それは壊してもいい理由にならないの。わかる?」
「わっかんない! わかんないわかんないわかんないよっ!」
ブンブンと腕を振り回して、ホエルは地団駄を踏んだ。
「ワタシは、ナギサとお話ししたいだけなの! ワタシにはナギサしかいないの! それなのに、他のことなんてわかんないよ!」
「そんなわけない! ホエルは、ありがとうってちゃんと言えたじゃない?」
「『ありがとう』なんて知らない!」
腕を振り下ろして、ホエルは吠える。
頭の奥が、前触れなく殴られた衝撃と、急速に冷えていくような心地がした。
「昨日、一人でずっと考えてた。けど、全然わかんなかった。言っても、言われても、全然満たされない。カイジュウになって、みんなを怖がらせることしか、しっくりこなかった」
「ホエル……?」
「ありがとうって言ったら、カイジュウになれるの? 全然わかんない。ワタシには、ぼかんってして、壊すことしかできないの」
言葉が詰まって、二の句を繋げない。
感謝の感情も理解できない。破壊でしか自己を表現できない。
どうして、私はこんな彼女に共感できていたんだろう。
当惑でパニックにある頭を、なんとか抑えようと呼吸が早まる。
ホエルは、自分のことがわかっていない。だから、自分の正体を教えてくれた、私の言葉を信用して、依存している。
私も同じだった。
あの大いなる破壊がなければ、自分が怪物だと周りに排斥されるのではないかという危惧から、逃れられなかったから。
――殺したら、殺したことの責任を取らなきゃいけないの。殺すだけじゃない、あなたが壊した物の責任は、あなたが取らなきゃいけない。
それでも、私はホエルにかける言葉が見つからない。物を壊すこと、人を殺してしまうことを、『責任』という言葉でしか諭すことができない。
私には、死と破壊を存在意義とするホエルを、止めることはできない。
そうして言い淀んでいるとホエルは、堰を切ったようにあははっ、と笑みをこぼした。
「わかった。わかったよ、ナギサ。人も殺さない、物も壊さない。でも、カイジュウになるには人も物も壊して怖がらせなきゃいけない」
だったら、と顔を上げる。
「ワタシがきらいなもの、ナギサがきらいなもの、みんな壊しちゃえばいいんだよね」
泣き腫らした顔が、今までに見たことのある天啓を得たような花開く表情を見せている。
私は、首を振って否定することしかできなかった。
「それは違う、違うよホエル」
「違わないよ、ナギサは正しいもん。だから、ナギサがきらいなものは、正しくないものなんだから、壊してもいいんだよね?」
「私はっ」震える声で、反論する。
「私は、正しくなんてない。簡単に間違えることだってある。だから私の言うことを、簡単に信じないで」
「そんなこと言わないで! ナギサは間違ってない! ナギサはっ、ワタシを見つけてくれたんだから!」
じゃなかったら。と、叫びに応じたセミクジラが光り輝く。
遠くで、誰かの悲鳴が聞こえる。
「ナギサが間違ってたら……」縋るように、ホエルは自身を抱き締めた。
「ナギサにしか見えてないワタシは、間違ってるの……?」
濡れた瞳で訴えるホエルの嘆きは、仮想体の叫びに掻き消されるほど、弱々しく小さなものだった。
『なんっ――で……?』
突如、怒りを押し殺した声が通信に響く。
『万代っ! 一般人が紛れてる! 強制誘導を!』
日下部さんを呼ぶ東宮さんの声に弾かれて、サイコトラッキングがマーキングした方角に振り向く。
そこにはジョギングコースの外れにいた仮想体から、煙が上がっていた。仮想体は燃えていく自身の体に絶望しながら、光と煙の増す両腕を見てただただ呆然としている。
公安警察は慰霊公園周辺を警戒しているはずで、仮想体たちのように不正な手段でないとここへの侵入は絶対にできないはず。
それなのに、恐怖に怯えるスーツ怪人のすぐそば。
公園内に植樹された小さな林から、女の子が一人飛び出してきた。
顔の識別マーカーは、見当たらない。仮想体ではない、実体の女の子。
全身から、血の気が引いた。
「――東宮さんっ!」
もはや、ホエルに勘付かれることも気にせず、一番近くにいるはずの東宮さんへ呼びかける。
東宮さんは他の仮想体を捕らえた関係で慰霊碑近くまで下がっている。そんな彼女もまた、切れ目を見開いて目の前の状況に目を見開いて驚愕しているだけだった。
仮想体である東宮さんは、女の子に干渉できない。日下部さんのマリオネッターが間に合う保証はない。燃える仮想体は、今か今かと爆発の機会を伺っている。
私は俯くホエルと女の子を交互に見て。
「ホエル……やめて。今すぐ、クジラを、止めて」
声を掛けるも、ホエルは答えない。
考え時間も惜しくなって、私の足は、少女に向いた。
『渚ちゃん!』
『何やってんの! 戻りなさい、浜浦っ!』
脳裏に日下部さんと東宮さんの声が響く。
ホエルに踵を返して少女に向かって走る。
熱される自身に理解が追い付かずに顔なしの仮想体は叫ぶ。その恐怖に感応した女の子は、すぐそばでへたり込んでいた。
熱気が顔さらう。空気を求めた肺が茹だるような錯覚に陥りながら、私は女の子へ転がり込んだ。
「こっち! 早く!」
急かしながら、女の子の手を取る。
しかし、それが合図になったかのように、仮想体が一際大きく光る。
間に合わない。
私は女の子と仮想体の間に入って、その小さな体を抱きしめる。
ジリジリとした熱が白衣越しに私の肌を焼いて、その後来る爆発に備えて目を閉じる。
その時だった。
「――《白雪》ッ!」
遠くから、呪文めいた東宮さんの怒号が聞こえる。
熱波の隙間を縫って、肩が冷気に震える。昨日覚えた、『暖かくない』感覚。ふと気付けば、背中を焼く熱も感じなくなって、目を開けて振り返る。
そこには、さっきまで光と煙にまみれたスーツ怪人が、それを維持して固まっていた。
透明な結晶の中で時間を止めた姿は、まさに『凍結』といっていい。
「ぼさっとしない! さっさと離れて!」
罵倒と滲ませて東宮さんは私に言うと、ほぼ反射行動の要領で跳ね上がる。
氷の中の中の煙と光は、時を止めずに蠢き、その密度をゆっくりと上げていくのを見て、私は少女を手を引いて東宮さんの元へと走る。
走ってしばらく、後方から三度目の爆音が響く。
爆風に背中を押されながら、東宮さんの隣に辿り着くと、東宮さんは怒りと呆れを込めて溜息をついた。
「あ、ありがとう、ございます……」
「二度とやらないで」切れ目が、こちらを鋭く射貫いた。
「次からは見捨てるわよ」
お礼も即時切り捨てられ、思わず乾いた笑いがこみ上げてくる。
息を切らして、片膝に手をつきながら見上げた東宮さんのそばには、薄手の着物を羽織った少女の姿が、密やかに笑みをこぼして漂っていた。
ElWaISのイメージは、オプションと学習によって変更できるということを、思い出す。
《白雪》は、東宮さんが電子戦を行う上で必要な機能を備えた、東宮さんだけが持つElWaISなんだろう。
「そうだ、ホエル……?」
女の子から手を離して、噴水を振り返るとそこには誰もいない。公園各地に出現していた仮想体も、自前でログアウトしたか、ホエルに爆殺されたのか誰一人いなくなっていた。
『皆、無事?』
シャオちゃんから通信が入る。その声は沈んでいるようだった。
『マルウェアから、ホエルの生体プロトコルを解析できた』
『それじゃあ、パイロットは拘束したのね』
『いいや』
シャオちゃんの否定に、私と東宮さんは顔を見合わせた。
『まさか、しくじったんじゃないでしょうね?』
『そっちの方がまだマシだったかもね』疲労を表す重い溜息を吐くと。
『プロトコルにはパイロットの情報はなかった。中のコンソールプログラムが自律稼働していて、それがホエルを動かしていた』
エンジニアの意見として、真面目に聞いて欲しい。
真剣な口調で、シャオちゃんは言った。
言った本人も、信じられないような声音で。
『鯨寺ホエルには、パイロットが存在しない。彼女は、正真正銘の、自律可動型スタンドアローンプログラムだよ』
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