クオリア・エラーⅢ
爆音を聞いて弾かれるように振り返ると、離れた場所で東宮さんが仮想体を取り押さえて芝生の上で転がっているのが見えた。
倒れたその姿に、既視感がぶり返す。
仮想体は、全身の伸縮性の素材でできた真っ赤なスーツに身を包んだ、一見して男女の区別がつかない体型をしていた。見覚えを探っていくと、一昨日の会議でシャオちゃんが身に纏っていたカスタム仮想体の姿と一致するも、いやいやと首を振る。
「と――」
危うく名前を呼びかけて、喉の奥に引っ込める。東宮さんも仮想体の背中にマウンティングしながら、上目遣いでこちらを厳しく咎めていた。
今はホエルを捕獲するのが最優先で、そのためには自分が警察組織と関連があることを、万が一にも悟られてはいけない。
《攻性プログラムを感知》
ホエルに振り返ろうとした矢先、二度目のElWaISの警告から、火花が散る。
いい加減に苛立ちながら、噴水を背にしてもう一度公園を見渡す。
さっきまで広さに似つかわない閑散とした公園には、中性的な全身にぴっちりとしたスーツで包んだ怪人で溢れかえっていた。
目も鼻も口もない顔が一つ、こちらを向く。
「我ら、親企業派義勇軍!」
大仰な名乗りは、ボイスチェンジャーによってひび割れた音質と不快感を伴って雄大に宣言された。
「貴様たち公僕は、このカイキョウシティには不要だということを教えてやる!」
スーツ姿の仮想体の一部は勇ましく叫んで、腕を突き出す。
複数が口を揃えて反響する同質の音声は、顕在化したエコーチェンバーのようで不気味だった。
「ElWaIS!」
《対象、渚様とホエルを優先して防御》
アラートが脳内で響き渡り、サイコトラッキングと呼びかけによって出現したクラゲの口腕が火花を上げる。仮想体は腕を振り続け、私に向けて攻性プログラムを投げつけているように見えた。
クラゲを盾にしながら、私はスーツの怪人への攻撃をElWaISに命じる。
傘から伸びる触手が鋭く伸びると、怪人の首元へ鋭く突き刺さる。
「ぐえっ」と情けない声を上げて、まさに毒に痺れた様相で、怪人は倒れ込む。
あまりにもあっけない攻防に、周囲の仮想体は全く動じずこちらを見据えていた。
《このまま敵性仮想体を経由して通信を復旧させます》
「お願い」
その隙にクラゲが怪人に取り付くためふよふよと移動するのを見送り、ようやっとホエルをみやる。
ホエルは驚愕で目を見開いて、こちらと視線を結ばせると、ブンブンと首を振った。
「違う。違うの、ワタシじゃない。ワタシ、何もしてないもん」
「わかってる。ホエルはここを動かないで」チラッと、ホエルのそばで漂うセミクジラを見て。
「約束したこと、覚えてる?」
「壊さない?」
「そう。すぐ終わるから、待ってて」
「あっ……」
何かを言いかけたホエルに向き直るのと、再び火花が背後で散るのが同時。
平静を取り戻した仮想体が、クラゲに向かって攻性プログラムを放っているようだった。
しかしクラゲは口腕を器用に操って、炎や風で表現されるファンタジックなエフェクトのそれを防いで、的確に触手を一体一体に突き刺していくと仮想体たちは霧散して消えていく。
セキュリティソフトの迎撃プログラムに比べて、物量で勝る彼らの攻撃に苛烈さを感じない。空間内のリソースを掌握できていないせいだろう。ハッキングは、アクセスさえできればハッカー側が原則有利だとシャオちゃんが言っていたが、事前に外部からのアクセスに備えていた私たちのほうにアドバンテージがあるのは間違いない。
《通信接続、開始》
ElWaISの報告と共に、砂嵐を流し続けていた通信が合間を縫って音声を起こす。
聞こえてきたのは、公園の端のほうで複数のスーツ怪人と襲われているらしい蜂谷さんのやりとりだった。
『やっぱ政府の特殊部隊に勝てるわけねぇよ!』
『勝つ必要なんかねぇ! あいつらが民間人に暴力を振ってるって記録を、ネットに拡散してやればいいんだよ!』
『公務執行妨害は立派な犯罪だってわかんねぇかなぁ! しょっ引かれても文句言えねぇぞ!』
『貴様らのやっていることは暴力政治だ! カイキョウシティ発足当時、秩序は企業が守っていたはずだ! それを横から取り上げて後から我が物顔する権利が政府にあるのかぁ!』
『いつからここは企業の自治区なったんだっての! お国が気に入らねぇなら政治家にでもなったらどうよ!』
徐々に、馬鹿らしい思想が痛覚になって襲ってくる。理解しようとする反動故の痛みで、広義的にはこれも知恵熱なのかもしれない。罵り合いに上辺だけでも付き合っている蜂谷さんには尊敬すら覚える。
頭痛を振り払って、ホエルに歩み寄ると、ホエルは沈んだ表情で考え事をしているようだった。
「こっち、ホエル」
クラゲに注意が引いている間に手招きで誘導すると、コクコクと小さく首を動かして、しかし心ここにあらずという感じでついてくる。
仮想体たちは依然、クラゲと私をターゲットにして攻性プログラムを吐き出し、そのたびに触手で一人づつ対処するも、一向に数が衰える気配はなかった。
《仮想体の総数が減少していません。自身の仮想体をコピーしてマクロで動かしているようです》
「分身ってこと?」質問にElWaISは肯定する。
《本体データはごく少数と推測できますが、特定に少々時間がかかります》
何をしに来たんだこの人たちは。
ほぼ侮蔑と変わらない疑問が、内心を支配する。
ホエルとの会話の流れ、怪人たちの話から、彼らがホエルの言っていた『顔のない人たち』なんだろう。
SNSの利用者。彼らには私や鯨寺さんと同じように、ホエルを知覚する要因を持っていて、しかし私や鯨寺さんと違い生体情報を隠匿している彼らを、ホエルは中途半端に知覚することしかできなかった。だからこそ、顔のない人たち。今暴れているのは、この街を支えているのが政府ではなく企業であることを、覆面を被りながら声高に反響させるだけの過激な親企業派。
彼らと同じものを共有しているという事実に、腹の奥に不愉快なものが溜まっていくのを感じる。
彼らにとってホエルの言葉は、憎き公僕の秘密捜査を邪魔するだけの火付け役にしかなっていない。個人情報を隠して、安全圏から攻撃するだけの遊びのために、ホエルの心が踏みにじられていることに、どうしようもない怒りを覚えていた。
ホエルがどういう存在であれ、彼らは自分の都合のいい情報だけを自身にオーヴァーレイして正当化する、紛れもないモンスターだ。
「大丈夫、ホエル? 怪我……は、ないか。よかった」
ホエルを気にかけようと、仮想体には無用な心配をする。意味はないかもしれないが、混乱しているホエルを落ち着かせるために、なんでもいいから声をかける。
ホエルは仮想体たちが争う芝生と噴水を挟んだ反対側で、縁を背にぬいぐるみをキツく抱きしめたままこちらに顔を向けた。
「ナギサ」
「うん、私はここにいるよ。心配しないで」
「ナギサ、ねぇ、ナギサ?」
「な、何? どこか痛い?」
視線をコンクリートの地面へ釘付けにしたまま、ホエルは拗ねた子供のように瞳を潤ませてスカートの裾を握りしめている。
罪悪感と、恥が重なった、感情のミックス。
それを下地に、私と同様の怒りが、彼女の全身から迸っていた。
「あの人たち、邪魔」短く、ホエルは断言する。
「ワタシとナギサのお話、邪魔してくる」
肩を震わせながら立ち上がると、頭上を旋回していたセミクジラが大きく身震い、噴水を跳び越えた。
「邪魔しないで!」
悲鳴にもよく似た叫びと共に、スーツ怪人たちに向かって、クジラが発光する。
瞬間、仮想体の群から一人、絶叫が上がった。
「あ、うわああああああぁあ!」
仮想体は、体中から煙のようなものを噴出しながらのたうち回る。
「あ、熱い! 熱いい! 誰か!」
助けを求めようよ喘ぐのも空しく、煙の勢いは衰えない。
「だれか――」
仮想体の悲痛な声が、くぐもった爆発音に遮られる。
熱波が髪を凪いで、頬を撫でる。
想像以上にポップで、間抜けな音と共に、仮想体の姿が蜃気楼のように消失した。
周囲の仮想体は、沈黙のまま爆心地の蜃気楼を眺める。
数秒の間を経て、スーツ怪人たちは棒立ちのままパニックを起こした。
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