クオリア・エラーⅠ

     ◆


 オフィスに戻ってすぐ、私はエンジニアルームに押し込まれて、あらゆるスキャンを受けた。

 ウィルス・マルウェア・ワーム諸々を取り調べる生体プロトコルのソフトウェアスキャンに始まり、CT・レントゲンなど、仮想体によって再現された簡易的な医療ソフトによるハードウェアスキャン身体検査まで。体の隅々どころかオーヴァーレイネット上に保有していたプライベートファイルまで調べ上げられた私は、そのまま会議室に連行されて。

「信じられない」

 という、東宮さんの端的な罵声を受けた。

 そんな私はというと、現在日下部さんに座った椅子ごと後ろから抱きしめられたまま、愛想笑いを返すことしかできなかった。

「鯨寺邸爆破の犯人と接触して? カウンセリングの約束をこぎつけて? 逮捕せずにそのまま見逃す?」

 リズム良く口ずさまれる疑問の連発を、しかし本人も信じたくないと言わんばかりに腕を振り払って、最終的にもう一度叱責が飛んでくる。

「本当にあり得ない」

「仕方ないじゃない、塔子。渚ちゃんだって、アクアリウムに被害を出さないように一生懸命だったんだから」

「そうっスよ姐さん。むしろ再会の約束までしたんだから上出来じゃないっスか」

「あんたたちは黙ってて」

 後頭部から日下部さん、東宮さんの隣から蜂谷さんが弁護するも、ぴしゃりと言い伏せられてしまう。

「私たち幻捜課は、識別マーカーのない違法改造のヒト型仮想体をパイロットごと拘束する権限も、そのためのツールもあるのよ? どうしてやらなかったの?」

 東宮さんの質問攻めに、言葉を返せずに黙り込む。

 彼女が言っている犯人逮捕のやり方は、事前に講習で習っていた。自分が使うことになるとは思ってみなかったというのが本音だが、ホエルに対して行わなかった理由は別にある。

 ホエルの無邪気な可憐さに毒されたわけでは、決してない。

 けれどどうしても、私はあの子の挙動に心を揺り動かされて、捕縛を躊躇わせる何かがあるように思えて、しかしそれが自分でもわからないからこそ、私は東宮さんの問い詰めに何も答えることができなかった。

「私の実力では、アクアリウムやスタッフに被害を出さず状況を収束させるには、これしかないと思いまして」

 苦し紛れに、建前を話して。

「それに話してみて、ホエルに爆破プログラムを与えた第三者の可能性も出てきたので……ホエルが、誰かに利用されているなら、即時逮捕は真犯人の逃走を許すかもしれない……と」

「へぇ……」

「すみません、今考えました。あの時はとてもそんなことは……」

 咄嗟に思い付いた言い訳を、東宮さんは仮想体のエモートでわかりやすく大きなため息をついた。

「私と《白雪》がいたら、有無を言わさず捕まえられたのに」

 小さく、悔しさを滲ませて呟く。

 シラユキ? と、疑問を上げた私に東宮さんが無言で応えるに、一人離れたところで座っていた煙慈が口を挟んだ。

「過ぎたことを言っても始まらない、今は明日のホエルについての対処を考えるのが先決だ」

 ぶっきらぼうな煙慈の言葉には、どこか気遣う素振りが見られて、私は慰霊公園での様子を思い出す。

 あの時も、自分をフォローする姿勢を見せている煙慈を珍しいと思ったが今回も顕著に表れていて、そんな慣れない感覚に首筋がむず痒くなってくる。

 単純に心配してくれていることには嬉しいしありがたい。けれど急変した態度の正体がわからないのは、ちょっと不気味だ。

 しかしそんな感覚も、長年の付き合いだからこそ感じ取れる神経質なズレのようで、東宮さんは煙慈へと食い下がる。

「身内だからといって、あまり贔屓目にされては困りますよ、課長」

「俺がこの馬鹿を贔屓するんなら、勝手に事情聴取しに行った時点で謹慎処分だ」

 煙慈は認識マーカーの引かれた顔を向けると、東宮さんの切れ目と三白眼が結び合う。

 この会議室の場で、実体は私と駆けつけた日下部さんだけだった。

「たしかにお前がその場にいたら終わっていた話だ。だがそうはならなかった。時間がないなかわざわざ呼ばれたなら、建設的な話をしろってだけのことだ」

 それなら、と東宮さんは一つ提案した。

「私は、浜浦研修生に実体もしくはヒト型仮想体による二四時間の警護・監視をつけるべきだと考えます」

「言うのは簡単だが、誰を当てる気だ。警察は頼れねぇぞ」

「もちろん私がやります」

「うえぇ! ちょっと姐さん!」横から、蜂谷さんの素っ頓狂な声が上がった。

「失踪事件の捜査はどうするんスか! 俺と万代ちゃん二人じゃ、パージされたリストの収集なんて回らないっスよ?」

「回収は一人居れば事足りる。そもそも議員の狂言誘拐に人を割いている場合じゃないでしょう?」

 たじろぐ蜂谷さん。

 慣れない単語に眉を寄せていると、パージっていうのは、と頭上から日下部さんが解説してくれた。

「オーバーレイネットから情報を削除する手法のこと。オーヴァーレイネット上では『ファイルを消去した』という情報から芋づる式に透析されるせいで保存された情報を完全に消去することはできないの。だから入念にファイルを消したい場合、消去するファイルを分割・暗号化して放流することでファントミームが他情報と融合するのを待つの」

「そーなんスよ! あの製作者、セキュリティ抜けられてんの気付いてなかったらしくてさぁ、おかげでこっちは実行犯の名前が載ったリストの断片が意味消失する前に、街中探さなきゃいけないんスよ? 俺と万代ちゃんだけじゃ無理ですって!」

「街中って言ったって、実際足で稼ぐわけじゃないでしょう。目当ての情報っぽいデータ片を見つけたら仮想体で転送して確認するだけなんだから」

「自分がやらないからって簡単に言わないでくださいよ! 緊急性も低いせいで区画ごとのポイントから飛ばなきゃいけないのもわかってるでしょう?」

 言い争う東宮さんと蜂谷さんを眺めながら、私は日下部さんに尋ねる。

「件の実行犯の仕業、でしょうか?」

「まだGCの関与が捨てきれないけれど、十中八九そうだと思って間違いなさそうねぇ」

「なるほど。それと、日下部さん」

「なぁに?」

「そろそろ、あの、放してくれませんか? この通り、私は大丈夫ですから」

 一日経たず自分を爆殺した犯人と邂逅したことを大仰に反応していた日下部さんは、ポンポンと私の頭を撫でると惜しむようにゆっくりと抱擁を解く。それが子ども扱いされているようで、悔しいような、くすぐったいような心地のまま、東宮さんの横顔に言葉を向けた。

「えっと、東宮さん。私のことを気にかけているのはありがたいんですけれども、さすがにオーバーワークはカウンセラーの立場からも了承しかねます」

「誰のせいでこんなことしなきゃいけないと思ってるのよ」

 きつい言葉の雨が急旋回して降りかかって来て、私も蜂谷さん同様にたじろぐ。

「相手はグレイテストバンを人為的に引き起こしかねない、本質的なテロリストなのよ? それを捕まえる千載一遇のチャンス、あんたはふいにしたのよ」

 いいや、と首を振って、吐き捨てるように続ける。

「報告を聞いた限りじゃ、あんたの失言で爆発事故が起こったようなものよ。実力不足のあんたが、この責任をどう取るつもり?」

 それは。と、反論しようにも言葉が詰まる。

 東宮さんのイラつきも、指摘も正しい。

 どれだけホエルが子供らしい一面を見せていたとしても、被害はもう出てしまっている。家屋の焼失、一部延焼。それも、十五年前に日本を混乱の坩堝に落とした災厄と同じ方法で。

 彼女の無邪気さが起こしたことでも、これは罰せられなければいけない。

「すみません」

 結局、謝ることしかできない自分に、どうにもならない無力感に、奥歯を噛む。

「ですが、それで東宮さんが無理をするというのは、道理が合いません。私の責任なら、私が負うべきです」

「何をするつもり?」

「私が、ホエルを捕まえます」

「あんたが?」

 この時。

 私の言葉で、目の前の東宮さんは冷淡な雰囲気を強く発した。ように、思えた。

 気温・体温に変化は、当然ない。ただ、東宮さんから発せられた言霊が、私と東宮さんとの間を凍らせた気がしたのは確かだ。

「私が説得して、ホエルを連れて行きます。誰の被害も出さずにやり遂げて見せます。だから――」

「それを、いったい誰が信用するっていうの」

 感情の乗らないロートーンが、私の言葉を遮る。

 底冷えするような眼光と共に、東宮さんの右指が、私を指す。

 一瞬の警告。

 途端、全身を悪寒が包み込み、産毛が逆立った。

「前から思ってたわ。GCの顧問とつるんで、お人好しの薄っぺらい愛想笑い浮かべて、課長の従兄だからって好き放題やって……。気に入らないのよ、カウンセラーだか何だか知らないけど、あんたに何ができるっていうのよ」

 強烈な寒気に、体が震える。体の異常ではなく、感覚の異常だとすぐ感知して、スキャニングをしようと念じるも、アプリケーションは一向に浮上しない。

 カチカチと、耳元で歯と歯の打ち鳴らす硬音が響く。体の節々が緊張し、椅子にすら座っていられず転げ落ち、暖を求めてカーペットへ倒れ伏せて顔を押し付けるも、全身を包む寒さが一向に回復する気配はない。

 冷たいんじゃない。暖かさを感じることができていないんだ。

「塔子っ!」

「塔子っ!」

「姐さんっ!」

 怒号が響くと、悪寒がフッと止まる。

 それが、煙慈を含めた捜査官のものだと気付くのには、時間を要した。

 日下部さんに肩を起こされ、視線だけを動かしてみると、蜂谷さんが切れ目で見下す塔子の肩に手を置いて、神妙に首を振っていた。

「気持ちはわかりますけど……やりすぎっスよ」

 ふっ、ふっ、と。呼吸が小刻みに乱れる。

 じんわりと熱が戻るのに伴い体中が忘れていた弛緩を取り戻していく私に、冷静で、淡々な口調で、東宮さんは言い放った。

「こんなのも防げないやつを、私は信用しない。あんたがホエルって子をどう考えてるかなんて重要じゃない。幻捜課の捜査官として、あの災害を引き起こしかねない火薬庫を逃がしたあんたを、私は認めない」

 音声解析によるエモートは、あからさまな怒りの表情を、私に見せていて。

 そこで初めて、私はこの冷徹な心の、激情に触れる琴線へ指をかけていたのだと思い知った。

「ホエルは、私にしか見えていません。ホエルもおそらく、私しか見えていません」

「だから? あんたには任せられないって言ってるの」

「私にしか、できないんです。信用とか、そういう話ではないんです」

 そばで日下部さんが心配するのを平手で返事をして立ち上がると、依然として氷めいた眼差しで睨み付ける東宮さんに再び向き直る。

 東宮さんの背後に、浮遊霊のような幻影が漂ったその時、ふいにのんびりした口調が通信に飛び込んできた。

『ナギの言うことは間違ってないかもしれないよ』

 割り込んできたのは、シャオちゃんだった。

「部外者が割り込んでこないで」

『リーダーに頼まれた仕事の報告をしに来たんですけど~? アンタに部外者扱いされる筋合いなんてないんですけど~?』

 あからさまにおちゃらけた口調で、語気を強めたシャオちゃんが東宮さんを煽る。

 舌打ちを隠さない東宮さんが煙慈を視線を寄越すと、煙慈はなんだ、と尋ねながらシャオちゃんのログインを許可する。

「ナギの生体プロトコルのスキャン結果。そのホエルって子、ナギの記憶野付近の情報を参照して可視化プロセスを組んでるっぽいんだよね」椅子へ滑り込んだシャオちゃんはそのまま煙慈へ報告を続ける。

「で、それ以外の人間に対しては自他ともにアクセス許可を出さないようにしてるんだとしたら、どうあがいてもナギ以外は干渉できないんじゃないかな」

「記憶野だと?」

 煙慈のオウム返しに、そ、と短く返す。

「ナギの推測通り、ホエルは対象の過去の経験に基づいて自分が干渉できる人間を選定してるし、選定外の人間は知覚すらしてないんだよ。そうなると、ナギの人生の追体験でもしない限り、他の人間がホエルに干渉することはできないんじゃないかってこと」

「全部調べる必要ないんじゃないっスか? 夫人も同じものを見てるってことは、チャンナギと夫人の記憶の共通項があるってことでしょ?」

 蜂谷さんの提案……というより、過去の経験という言葉に、煙慈はあからさまに渋面を作る。

 かくいう私の心情も、そこまで穏やかなものじゃない。

 私と鯨寺夫人の、記憶の共通点。

「浜浦、心当たりはあるか?」

「そう言われましても」言葉を濁しながら、しかし一つだけ、明確なものを思い出す。

「親族の、死……とか?」

 私が五歳の時、両親は自動車事故で亡くなった。

 それ以降、私は小柴家に引き取られているわけなのだが、これは接点のない鯨寺夫人との明確な接点じゃないんだろうか。

「それはあり得ない」

 しかし、それを否定したのは東宮さんだった。

 蜂谷さんや煙慈、日下部さんも、その言葉に視線を下ろし、椅子の上であぐらをかいたシャオちゃんと私だけが、困惑の表情を見せていた。

「……聞いても、いいですか?」

「答える気はない。けれど、絶対にあり得ない」

 これ以上の話はしないと言わんばかりに東宮さんは私から離れて、近くの壁に寄り掛かると、腕を組んで目を伏せる。

 思い沈黙が続く空間を、とりあえず、と煙慈が打開した。

「浜浦は今晩オフィスに残れ。ここなら何があっても対応できる。小湖は引き続き、ホエルの視覚化プロセスの解析に進めてくれ。昼には塔子の提案通り、実体とヒト型仮想体で警護するとして、失踪事件の捜査は一時中断し、幻捜課全員でホエル逮捕に専念する」

 煙慈は私たちを見渡す。

 日下部さんは一度私の背中に手を回して、なだめるようにさすった後、着席する。

 中央のスクリーンが起動し、画面いっぱいに、ホエルのモンタージュ写真が表示される。

 アクアリウムの記憶が加算されたことで解像度は上がったものの、未だにぼやけた印象の画像だった。

「ホエルの素性がどうあれ、これは降って湧いてきたチャンスだ。パイロット共々、何としても捕まえるぞ」

 こうして、怪獣になろうとする無垢な女の子を捕まえる作戦会議が、始まった。

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