知恵熱とゲシュタルト崩壊Ⅲ

 答える前にElWaISが、マップアプリを開いて目的地を設定し始める。

 観光区内の端にある施設で、水族館と銘打ってはいるが水辺に面しているということはなさそうで、それどころか地形的に高台に位置しているその施設に、だんだんと首が傾き始める。

「こういうのって、バーチャル映像を建物に投影したなんちゃって博物館みたいなものじゃない? うまく言えないけど、ミュージアムというよりはシアター、みたいな作りの」

《作成された映像の資料的価値の是非や所在地の意図に関しましては、こちらでは判断できません》と、ElWaISは断りを入れて続ける。

《しかしこちらのマップアプリにおけるユーザーアンケートでは、アクアリウム内で展示されたシミュレーションモデルの生態的再現性について、高い評価を受けています》

「それ、比率はどれくらいなの?」

《アンケート総数、三名のうちの三名が、施設を高く評価しております》

「……そこ、一日にどれくらい人が来てるの?」

《約三〇名ほどです。人気の観光施設と比べて、三〇〇分の一程度の平均来場者数となります》

 クラゲがユーザーアンケートから抜粋した統計を、傘の頂点を使って器用に運んできたのを手に取りながら、ジョギングコースに沿って引かれた緑色の矢印に従って歩き出す。

 カイキョウシティ記念アクアリウム。

 無人運営型アミューズメントとして、災害以前の娯楽施設を部分的に再現。オーヴァーレイネットを駆使した当館独自のコンテンツを展開中。という売り文句に、いまいちピンと来ないでいた。

《他にご不明な点はございますか?》

「別に、質問があるとかじゃなくて……、あまりにも馴染みがなくて、さっぱりイメージが湧かないというか」

 考えてもみれば、カイキョウシティの観光客向け娯楽施設を体験したことがない上に、水族館そのものに馴染みのないとくれば、想像の余地はないのも無理はない。

 見えたものがすべてではないと煙慈は言っていたが、百聞は一見にしかず、という慣用句はまだ健在だろう。

 入口から右手のオートモービル乗り場へ立ち寄り、待機していたモービルのドアに手のひらをかざす。モービル側にアクセスを求められ承認すると、開錠音と共に『ご利用ありがとうございます』というポップなフォントが、零城GCのシステマチックなロゴと一緒に展開された。

 カイキョウシティでは道路を走行する自動車の所有と私的な使用を厳しく規制している。視覚にオーヴァレイして広告や情報がポップするこの街では、自動車事故が他所に比べて非常に多いだろうという懸念のもとに施策されたものだ。

 その代わり、カイキョウシティ全体を網羅する交通システムと自動操縦のオートモービルによって、安全で快適な移動手段が保証されている。表面化したハードウェアの少ないこの街では珍しい未来都市的なモジュールとして、ミーハーな観光客と街との橋渡し役も兼ねている。

 どちらに行きますか、という陽気なアナウンスに向かって目的地を伝えると、すぐさまルート検索を始めるのを確認して、その間にアクアリウムの情報を復習しようとこめかみを叩こうとした矢先、交通システム側からのリクエストが届く。

 相乗りを要求だった。

 私はリクエスト先の個人情報と、ドア越しで待つ人影を一通り確認して、少し悩んでそれを承諾すると、長身の女性がスムーズに入ってきた。

「失礼します、浜浦渚さん」

 見覚えのないスーツ姿の女性は、端的な挨拶と同時に両手をこちらに差し出してくる。礼儀正しさと忙しなさが同居した挙動に何事かと注視していると、平行に構えられた親指と人差し指の間から、長方形の薄い紙が現れる。

 紙に書かれた文章の端から端まで読んで、彼女の差し出したこれが仮想体の名刺であることにようやく気付いた。

「保安監査部のリー大橋ダーチャオと申します。少しお時間よろしいでしょうか?」

 女性が隙のない笑みを浮かべるのと、オートモービルが動き始めて車両の行き合う道路の隙間に淀みなく侵入していくのが同時。

 アクアリウムに到着するまで、少し時間がかかりそうだった。

 私はその笑みを作る口の形、眉の流れ、額のしわを観察して、名刺を受け取る。

「『李』という苗字、日本で言うところの『佐藤』とか『田中』みたいなポピュラーさがあっていいですね」

「それ、褒めてます?」大橋さんはクスクスと笑みをこぼした。

「お考えの通り、そちらに出向している小湖の姉です。いつも妹がお世話になっています」

 回りくどい言い回しの意図を見抜かれ、落ち着くためにシートへ背中を預ける。

 カイキョウシティ発足とそれに伴うオーヴァーレイネットワークの稼働から幻影特捜課の活動開始までの半年間。

 政治的な承認や反対意見の処理もあって、かつてこの街の公的かつ適切な治安維持機能には、空白があった。

 その間隙を埋めるかのように、オーヴァーレイネットは人間の悪だくみによって予期しない挙動と事件を生み出して、街を混乱させていた。企業の影響が強いとはいえここが日本である以上、これの対処を任せられるのは日本警察なわけで、しかし仕組みのわからない犯罪や事件に対処するのは困難を極めたのは前述のとおりだが、そんな泣き言で犯罪がなくなるなら警察はいらないし、被害を被る市民にはなんの慰めにもならない。

 警察組織の無力化にもたらしたのは、地域の無秩序化とそれを取り締まる民間の自衛組織――特殊犯罪に対しアプローチ可能な企業の、企業による自警団――の自生だった。

 保安監査部というのは、自社製品の監査を行い、脆弱性を指摘し、修正を強制し、半年間警察組織の成り代わりを務めていた部署である。今は警備システム全般の管理を担当しているらしいこの部署が、零城GCにおける情報部のような働きを見せているというのは、課内でも有力な噂だった。

「保安監査部の方が、私に何かご用ですか?」

「あなたが昨日破壊した我が社のセキュリティソフトと、その後に起きた爆発事故について」

 無意識のまま、左腕をさすってしまう。

 ああいった過激なセキュリティソフトが合法化されているのは、行政が半ば企業城下町化しているのもあるが、先の背景による影響も強い。

 大橋さんは目に笑いを浮かべながら、ルージュを纏わせた口元を引き締める。私とあまり変わらなそうな年齢だというのに、私と頭一つ差のある背丈が威圧感と蠱惑さを放っていた。

「ソフトの性能向上のために、現場に居合わせた浜浦捜査官のお話を聞きたいと思いまして」

「見習いです、研修生です」

 そして、と真っ直ぐ視線を据える大橋さんを見つめ返して、はっきりと言う。

「研修生とはいえ守秘義務があるので、捜査状況に関わることはお話しできません。どうしてもというなら、小柴課長に直接交渉するのがよろしいかと」

 そうですか。と、大橋さんはほほ笑みを崩さないまま顔を正面に向けて、タイトスカートから伸びるタイツに包まれた足を組む。

「守秘義務、ですか」せせら笑うような鼻の鳴らし方は、確かにシャオちゃんを思わせる。

「人の秘密を漁るのが好きなハイエナの集団らしい、身勝手な響きです」

 ハイエナの集団。

 なるほど。ええ、そうですね。

 幻捜課げんそうかはファントミーム犯罪を追う傍ら、あなた方の揚げ足を取るような捜査をしていますとも。

 事件が起こるたびに関連企業をリストアップして、金の流れに不正がないか精査して、なければ今度は被害者周辺の人間関係から企業の関連人物のリストを作成していますとも。

「私も、チームの方針にはいささか疑問を覚える身ですが」余裕ぶった横顔を睨みつけて、私は言った。

「その人間の所属する組織を公然と侮辱する行為は、非常識かつ無礼ですよ」

 シャオちゃんには申し訳ないが、私は初対面の彼女のことをあまり好きになれないだろうという確信があった。

「あら、ごめんなさい。アナタの組織に対する不信感は、シャオから聞いていたものですから」

「嘘ですね」

 鋭い口調で指摘すると、見下した目元が見開かれて、膝に置かれた指がそっと腿をなぞる。

 図星の典型的な反応だったことに、内心一息ついて。

「無礼に無礼で返すのはみっともないですが」返す言葉がない間に、前置きを加えて畳みかける。

「大橋さん、シャオちゃんと仲悪いですよね? もう何年も会話していないくらいには」

「……何故、そうだと?」

「人と話すときに、背筋を張って見下す癖がありますよね。長身ならではの癖なのか、企業で身に着いた処世術なのかはわかりませんが、束縛を嫌うシャオちゃんにとって、無意識のうちに居丈高なイメージとストレスを与えていると思いまして。例えば、意見の食い違いがあると、最終的に感情論になって喧嘩別れになるというケースが多いとか。いや、むしろあなたのその態度が、シャオちゃんの奔放な精神を育てたのかもしれませんね」

 大橋さんはこちらを振り向いて固まる。

 しばらくして彼女の中で合点がいったようで、身を屈めて片手で顔を覆うと、観念したようにため息をついた。

「なるほど。研修生とは言え、政府直属の特殊チームにいるのにはそれなりの理由があるわけですね」

「こんなの初歩ですよ、捜査官のみなさんは誰だってできます」

「ですがそうして人心を考察できる器量があるなら、今回の爆発事故について、GCも本気であることはわかっていただきたいものですね」

 指の隙間から、こちらを見上げる大橋さん。

 オートモービルから、目的地付近に接近したことを伝えるアナウンスが、頭に響いた。

「カイキョウシティは現状、体感型未来都市として環境事業に力を入れている身です。その中で一五年前の災害を想起させるようなことを、容認してはならない。これは零城GCと政府とで、意見の相違はないと思われます」

「それは……まぁ、おそらく」

「人々を恐怖に陥れるような災厄は、忘れ去られるべきです。この点に関しても、我々とあなたたちとで理解の一致を得られると思いますが?」

「それならなおさら、私に言うべきじゃありませんよ。小柴課長を通してもらわないと」

 遠回しに彼女の言葉を同意した自分に、何故だか違和感を覚えた。

 いいや、チームとしてこの意見は間違いじゃない。GCとの合同捜査の許可なんて、モービルの一室で判断することじゃない。人を傷つける災厄を野放しにすることを、政府も許容しないのという見解も、煙慈から聞いた通りだ。

 私が違和感を覚えているのは、あの爆発が人を恐怖に陥れるため、という決めつけに対してだ。

 脳裏に、ホエルの無垢な笑顔がよぎる。

 あの笑顔と、あの子に、そんなどす黒いヘドロめいた悪意が符合しないのは、彼女の仮想体の容姿や雰囲気に、呑まれているからなんだろうか。

 慣性に体を押され、背中がシートに押し付けられる。窓から黒塗りの建物が見えると『目的地に到着しました、またのご利用お待ちしております』というアナウンスが流れた。

「今回は退散しましょう」背筋を伸ばした大橋さんが、再びこちらを見下す。

「ですが幻捜課の評価を撤回するつもりはありません。この事件の解決には、我々の力が不可欠であるということを、お忘れなきよう」

「……今回の件、何か心当たりでもあるんですか?」

 ドアを開いて出て行こうとする大橋さんを、身を起こして呼び止める。

 大橋さんは人差し指を唇に当てて。

「我々にも守秘義務があります。企業秘密、というものがね」

 流し目でそう言い残すと、入ってきたときと同じように、スムーズな動作で建物の反対側へ歩いて行った。

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