幻影電子戦Ⅰ


     ◆


 転送ポータルから、居住区の入口へと降り立つ。

 ゴツゴツとした固さを足裏に返す石畳。平日昼間の閑散とした雰囲気を肌で感じて、私は目を開ける。空気の抵抗を感じながら白衣の袖の裏表を確認して、スニーカーの爪先で石畳を叩くと、ありもしない衝撃が伝わってきた。

 復興の再開発によって、カイキョウシティは碁盤目状の整然とした区画整理が行われている。そのため観光客向けの観光区に始まり行政区、工業区と居住区もろもろの境目には仮想体の転送ポータルが設置されていてはっきりとした区分がある。オーヴァーレイネットの視覚補正によって各エリアから区画外の風景は誤魔化されるようにできているおかげで、今目の前にはダンゴムシの迷路のような塀と二階建ての建物の群が、地平線の先で空と結ばれている素朴な風景があった。

 これがなんとなく嘘っぽいと思うのは、カラクリを知ってしまったせいだろうか、あるいは昨日の煙慈との喧嘩のせいだろうか。

 三ヶ月前にカイキョウシティへ着いた時のことを思い出す。

 駅を出てすぐのカイキョウシティは、サイケなスチームパンクを思わせるような極彩色の霧に包まれていた。視界の悪さに目を細めていると眼前にログインを促す画面が飛び出し、事前に知らされていたとはいえぎょっとなりながらも手続きをすると、気を落ち着かせるためと迎えに来る予定の煙慈を待つため喫茶店に入った。

 コーヒーを頼んで待つ間、自分の生体情報からプロトコルが構築され、持って来たアナログ媒体の個人情報はカバンに入ったまま住民記録と公安のデータベースに照らし合わされ、後は関連した電子書類を期日中に提出するだけとなった。

 驚くのも束の間に窓の外を見れば、そこは今と変わらない景色が広がっていた。視界を遮っていた霧は街の彩るネオンの代わりになっていて、横断歩道前に立ちふさがるイエローの警告線や、建物の情報と経営店の広告が浮かび上がるインターフェースの洪水に、私はめまいが起こりそうになった。

 駅を出て、コーヒーが届く前に、私はこの街の住民になっていた。

 そんなあっけなさと非現実感が、この三ヶ月で当たり前になっている日常に、『慣れ』という感覚の麻痺に、恐れがないと言えば、嘘になる。

 けれども、現実問題、状況にただただ当惑して、怒るだけの日々が、有意義かと言われれば違うだろう。

 ここがどこかおかしいなんて当たり前だ。だってここは、未だに原因も判明しない大災害から、それがもたらした希望を頼りに、ここまで復興したんだから。

 こめかみを叩いて現在地と夫人宅のナビを念じる。マップアプリが起動して最適なルートを示す緑の矢印が道路上に伸びていくのに従って歩いて行く。識別マーカーに触れて、仮想体の肉体で『歩く』という感覚に違和感のない違和感について考えながら、私は昨日交換した鯨寺夫人の連絡先にコールする。

 仮想体は公共施設や個人の敷地には、防犯の関係上責任者や地主の許可がないと入ることができない。実体で訪問した昨日と違って、今日はあらかじめセキュリティソフトのゲストコードを発行しなければならない。

 しかし、鯨寺夫人がこちらの呼び出しに応じることがないまま、夫人宅の門前まで着いてしまった。

「あれ?」

 おかしい、と門に触れる。正確には、門にオーヴァーレイしているセキュリティソフトに。

 指先がピリピリと痺れた痛みと抵抗を発して、警告と拒絶を表している。見上げてみると、プライバシー保護のために、家の外観全体をドーム状のモザイクが覆ってい中の様子が確認できないのも、この街の警備体制として見慣れたものだ。

 私は少し迷って、夫人のコールを維持したままシャオちゃんを呼び出した。

『どしたの?』

「鯨寺夫人の家のドアが開かないんです。夫人にコールしているんですが出なくて」

『予定間違えたんじゃない?』

「いえ、昨日この時間にまた来ると言ったはずなんですけど。こういう時、どうしたらいいんでしょう?」

『どうしたらって言われても』通話越しのシャオちゃんは唸りながら逡巡を見せる。

 昨日煙慈が言っていたことを思い出す。

 実行犯の正体が掴めない以上、夫人にも危害が加わる可能性を示唆していたことを、思い出す。

 一か八かで、門に向かって助走をつけて体当たりを試みる。データである仮想体に慣性という概念があるかはわからないが結果的には思い通りとなって、肩部に痛みを覚えながら倒れ込むように門を通り抜けることに成功する。

 次の瞬間、耳をつんざく警告音が取り巻く空間に響いた。

『ちょ、何やってんのナギ!』

 罵倒を聞き流して、起き上がる。

「実行犯がいるかもしれないんです! もしそうなら夫人が危ない!」

『それやるんならクサカベ捜査官に言えって言われてたじゃん!』

「それじゃ間に合わないかもしれないじゃないですか!」

 ああもう! と悪態をつくシャオちゃんを最後に、バリバリと耳障りな音を立てて通信が切れる。

 モザイクドームを抜けた先には、慎ましい花壇のある小ぢんまりした前庭があった。それらは侵入者を感知して赤く染まっており、そして玄関先のドアには、ドローンに似た円形の飛行物体が、単眼のようなカメラをこちらに向けていた。

 よく見ると細部はグリッド形状を積み木のように組み合わせた意匠で、それらを幾何学的に動かして生物の真似た蠕動を繰り返す様に、思わず鳥肌が立ちそうになる。

 あれは何? とふいに浮かんだ質問は、ドローンのカメラからフラッシュが焚かれることで拒否される。

 反射的な危機感に応えたサイコトラッキングが、私の仮想体を無意識に横へ転がす。花壇に体を突っ込んで、すぐさま自分のいた場所を確認すると、焼けた煙の跡があった。

 あのドローンは仮想体だろうか、その思考にサイコトラッキングが答えを示す。

 電子戦用情報システムによって可視化された、セキュリティソフト内の攻性プログラム。

 そして、電子戦モードに移行するかどうかというシステムからの許可申請が飛び込んできた。

 電子戦?

 疑問に思う間にの応戦許可を求めるポップアップとドローンのカメラが眼前に迫る。

 Electrical Warfare'sエレクトリカル・ウォーフェアーズ Information System・インフォメーション・システム.

 ElWaISエルワイズ.

 起動を許可しますか?

「な、なんとかしてっ」

 苦し紛れで、あいまいな返事を、サイコトラッキングは了解と判断した。

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