表裏背反Ⅲ


     ◆


 特殊状況下において的確な心理療法を行える人材を探している。

 大学の理事長室に呼ばれた私は、そう言ってインターン制度に関する調整をする理事長と煙慈の二人を傍観者気取りで眺めていた。やがて草案がまとまると、君にとっても悪い話では思うがどうだろう? という理事長の通過儀礼めいた意思確認に対してだけ、まぁそういうことなら、と短く了承したのを、今でも覚えている。

 選択肢なんて最初からなかった。大学としても、最先端技術の蔓延る鎖国的な未来都市の情報を、なんとか知って糧にしてもらいたいという親心もあっただろうし、政府の人間が引き抜きに来るという半ば脅しのような状況に屈したという側面もある。

 問題は煙慈だ。

 心理療法士……つまりカウンセラーが欲しいなら何故心療内科に行かないのかとか、何故それを修学中の学生から選ぶのかとかとか、何故よりにもよってそれが私なのかとかとかとか……言いたいことは山ほどあるがなにより、自分が政府の特殊チームにインターン生として加入し、レポートを提出する代わりに向こう二年の必修単位を免除させるほどの人材なのかが一番の疑問だった。

 これらすべてが、従妹の私をこの街に連れていくための方便でしかないことはよくわかっている。離婚してすぐさま亡くなった叔父さんの代わって、刑事という多忙な身でありながら身近な親族として世話をしなければならないという煙慈の陰ながらの苦慮も、まぁ、理解できる。

 だとしてもだ。人の生活を多大な手間をかけて狂わせておいて、暇を持て余させているのはいかがなものか。ただでさえ人員が少なくてメンバー内での不和も目立つこの状況の中で、何か自分にできることを模索することがそんなに悪いことなんだろうか。

 いいえ。私は悪くない。そもそも私はもう二十歳で、独り立ちしなければみっともない年ごろであることも考えられないから、いつまでたっても嫁の貰い手がないじゃないんですか? うん?

「余計なことはするなって、言ったはずだよな?」

 フロアの一室にある執務室、煙慈のオフィス。椅子に座り、精悍な顔立ちに三白眼を載せて睨む小柴煙慈相手に、胸中の言い分を必死に抑えて、私は訊いた。

「余計なこと、とは?」

「とぼけるな。万代からお前の行動記録について報告が入ってんだ。昼間に勝手に鯨寺邸へ行ったことも、そこでカウンセリングとのたまって事情聴取をしていたこともだ」

 なるほど。ばれた経緯は日下部さんかと、通信室を方向へ恨めしい視線を向ける。とはいえ彼女は彼女の仕事をしただけなので、すぐさま視線を戻して反論に移る。

「私は、カウンセラーとして被害者の精神的ケアに努めたまでです。小柴煙慈幻影特捜課課長殿」

「ガキみたいな鬱陶しい返しはやめろ。お前の仕事は捜査官のケアであって被害者のケアじゃないし、事情聴取はもうこっちでやってる。そこも含めて『余計なこと』だって言ってんだ」

 驚いた。

 いや、議員の失踪に関して近親から話を聞くこと自体何もおかしいことはない。私もやったくらいだから、プロの捜査官がより迅速に行っていても不思議じゃないし、夫人の反応から見ても、別の人間が私と似たような質問をしていたことはわかっている。

 驚いたのは、その時の夫人の印象が、議論の場で全く出なかったことだ。

「聴取したなら、鯨寺夫人の違和感にはもう気付いていますよね?」

 私の質問に合わせて、サイコトラッキングが先の会話記録を映像付きで呼び出す。

 六十代ほどの線の細い女性が、ソファに座って真っ直ぐにこちらに向かって質問を返している。ティーカップを持つ手は落ち着きを払っており、肩にも緊張が見られず、伸びた脚が斜めに流されている。

「事件発生からまだ半日も経っていない状況で、ここまで混乱が見られないのは異常です。あらかじめ予想していたか」

「議員が無事であることを知っているか?」

「それだけじゃありません」

 煙慈は眉を顰めた。その白々しい態度にやきもちしながら、続ける。

「私が議員について質問した時、腕を組んで視線を下ろしてるんです。これは話しながら思考するときのポピュラーな動作ですけれど、それとは裏腹に肩を下ろしてリラックスしている様子は変わらない。その上で、私が子供の話題を出すと、さらに傾向を強めているんです」

「簡潔に言え。何が言いたい」

「彼女は直近の議員の誘拐疑惑よりも、数年前に亡くなったお子さんのほうに思慮を巡らせているんです。あるいは今回の件でお子さんのことを思い出している。それにも関わらず、夫人はどこか安心しているんです。まるで議員が、私用でどこかに出かけているのがわかってるかのように」

 それにもかかわらず、事件に関してはわずかに困惑した態度を示している。既に身内を亡くしているはずの夫人が今回の件で子供の死亡を連想させるのは当然の成り行きだとしても、この冷静さだけは違和感があるはずだ。

 素人から見て明らかなことに、目の前のプロたちが気付かないなんてありえない。

「私に……いや、私とシャオちゃんに、隠していることがありますね」

 三白眼は動かない。頬杖を突いた様が呆れているようにも見えて、ムッとなって捲し立てる。

「今回の議員の失踪は、議員自身の自発的な失踪である可能性が高い。それなら、実行犯は頼まれてやっただけで個人的な動機なんてない。だから実行犯の調査と並行して市議会とGCの動きをマークするように結論を出した、違いますか?」

 先ほどの会議を思い出す。議員が無事だという前提なら、捜査の方針としてプログラムの入手経路から実行犯を絞り出す流れは普通だとして、報告された内容が『この事件に零城GCが関わっているのか』という意味合いが強かったことにも納得ができる。

「全部わかっていて、私とシャオちゃんに隠していたんですね?」

 机に身を乗り出して問い詰めると、煙慈はわざとらしくため息をついて、見下ろす私と視線を結ばせた。

「万代が夫人の通信を傍受した」指を踊らせると、音声ファイルの収録されたフォルダが表示される。

 日付は今日の朝方。議員が失踪した直後だった。

「会話の内容からして相手が鯨寺議員で、以前から話していた計画を実行すること、自身の無事であることを警察には他言無用にすることを伝えた内容だったが、最後に妙なことを言っていた」

「なんですか」

「『今は帆選と一緒にいる。心配するな』と」

 帆選。

 戸籍で死亡扱いになっていた、議員の子供。

「実行犯が、死んだお子さんだっていうんですか?」

「議員が帆選と呼ぶ『誰か』だ、幽霊なんてオカルト思考は捨てろ。議員の無事の是非は、そいつの素性で決まる」

 あからさまな嫌悪感を示して、煙慈は言った。

 いくらこの街が仮想と現実があいまいだろうが、死んだ人間は蘇らない。

「とにかく、お前はおとなしく夫人のカウンセリングだけしてろ。いいか、カウンセリングだけだ。事件の調査はお前の仕事じゃないし、下手に動けば足手まといになることを自覚しろ。好き勝手に首を突っ込むな、わかったな?」

 乱暴な物言いに、さすがの私もカチンとくる。

 無理やりここへ来るよう仕向けたのは、煙慈じゃないか。

「私だってっ」沸き上がる憤懣を、抑えるべきか悩んで……結局は、ポツリと愚痴を零すだけになった。

「……好きで、ここにいるわけじゃない」

 表情を変えない三白眼を相手に、視線を結ばせる。

 目力の押し合いに、先に根負けしたのは煙慈で、さっきのセリフは聞こえなかったという素振りのまま、すぐそばのタバコに手を伸ばした。

 火を点け、吐き出された煙が鼻先に触れるのを感じて、私は煙慈を一度睨みつけてから踵を返す。目の前でタバコを吹かし始めるのはこれ以上の対話を拒否する合図だった。

 ドアに指をかける直前で、おい、と声をかけられた。

「カウンセリングに行くときは仮想体にしろ。実行犯の狙いが議員だけとは限らないからな」

「……夫人を、囮に使うつもりですか」

「念のためだ」

 振り返って、煙越しの煙慈を見やる。タバコを持った手の甲と肘で、逸らした顔を支えるその仕草が、それがただの気休めだということを教えた。

「犯人を追い詰めるのか、GCを追い詰めるのか。このチームって、どっちが目的なんですか?」

「両方だ。矛盾しないうちは、本音と建前は裏表の関係じゃない。この街みたいにな」

「じゃあ、矛盾したら?」

「聞かなきゃわからないなら」背もたれを軋ませる音を鳴らして。

「なおさらおとなしくしてろ、浜浦研修生」

 即答したその言葉を背に、執務室を出た。

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