表裏背反Ⅱ

 カイキョウシティ。

 大いなる破壊の後に生まれた、仮想と現実がオーヴァーレイする場所だと、ポエミーな専門家は語る。

 グレイテストバンにより消失した都市周辺から渦巻き状に発生した淡い虹色の霧は、私たちと同じ三次元に存在しながら、各時間軸に並行して存在するという四次元的な物質であり、あらゆる物体を透過して情報を読み取り、再現しようとする特性があるらしい。零城ゼネラルコングロマリット――通称GCによる初の調査隊派遣によってその事実が判明し、同じくGCによって『ファントミーム』と名付けられ拡散されたこの新物質は、世界にかつてない衝撃を与えた。

 どれくらいの衝撃だったかというと、各国が人道的側面をかなぐり捨てる勢いで、過大な復興支援を約束する対価に、被災地周辺にしか発生しない物質の解析データの共有シェアを迫るほど。

 日本は前代未聞の災害に巻き込まれた憐憫の対象から、一転して最先端技術の鉱脈と化した。

 しかし機先を制したGCは、ファントミームが当時注目されたメタバース構想に新たな観点を生み出すことを予見し、政府に自社を先頭とした都市復興計画を提案、政府側も災害の混乱を早期解決するために、政府主導であることを条件としてこれを受理することでGC以外の介入を許さなかった。

 GCの提出した復興計画の内容は、ファントミームの特性を利用しプログラムを読み込ませることで都市全体を覆う巨大ネットワークを構築し、グレイテストバンによってほとんど更地になった土地を、新時代の都市構想を体現した街として再設計しようというものだった。

 そうして開発されたシステムは、都市に存在する人間の所在如何に関わらずファントミームが生体情報を透析し、ユーザー情報としてネットワークプロトコルに組み込むことによって、デバイスレスのネット接続を可能にした。ファントミームによって生成される仮想体は、ファントミームの透析・高度処理能力によって実体と変わらない感覚器官・機能を再現することで様々な機能をソフトウェア上で完結させることに成功し、この現実というハードウェア上での両者との境界を限りなくゼロにした。

 専門家ポエムが、ネットは繋がるものではなくニューロンのように重なり合うものなんだとかよくわからないことを由来にして、システムは『オーヴァーレイネットワーク』と名付けられた。

 そうしてカイキョウシティはGC傘下の各企業が技術競合の末、災害発生から今日まで一五年という尋常でないスピードで、体感型未来都市として再誕を遂げた。

 めでたしめでたし。そう終われば、どれだけ楽な話だったろうか。

 改めて巻き戻された中央スクリーンを見つめる。

 仮想体カメラ映像から忽然と消えた男性の名前は、鯨寺くじでら蓮太郎。

 市議会議員兼被災者支援委員会会長。GCを始めとした元企業幹部で構成される市議会の中では珍しく、一般家庭から当選し、裏表のない腕利きの人格者として、主に被災者遺族らの支持を全面に受けていることで知られている。

 そんな彼が今朝方、この映像の通りに失踪した。

 残念ながら、この街でこんな奇怪な光景を目の当たりにするのは珍しくない。ここへ赴任してきた三ヶ月間の間にも、人が消えたり消えたはずの人間が現れたりして、それらが人というシステムに侵入して犯罪を起こすこのなんてしょっちゅうだった。

 セミナーに通った人間の行動記録を透析して口座から金を抜き取る窃盗事件。

 配達ドローンをナビシステムをクラックすることで延々と周回させる営業妨害。

 感覚野をマスキングすることで被害者に凶行を悟らせない暴行・傷害事件。

 殺した人間に成りすます猟奇的殺人も、過去にはあったらしい。

 仮想体は感覚野を錯覚させることで、主観的に物質を認識させる。指先に独特の書き心地を付与したり、通信機器無しで通信を送り合ったりできるのは、ファントミームによって透析・再現されたプログラムを、オーヴァーレイネットに組み込まれた各生体プロトコルにオーヴァーレイすることによって起こっているというのは、顧問エンジニアであるリー小湖シャオフーちゃんの言葉。

 刑事の勘だの、考えるな感じろなんて論理は、この街では過信だ。というのが、課長であり従兄でもある小柴こしば煙慈のありがたいお言葉。

 タヌキの化かし合いじみた感覚がこの街を中核たるネットワークシステムによって起こることで未来都市たらしめている一方、当然ながら悪意をもって化かし合いじみた犯罪が起こりえる。これまた当然、特異現象によって起こる犯罪を通常の警察が対処するのは難しい。なんていったってカイキョウシティが生まれ、オーヴァーレイネットワークが正式に稼働してまだ三年も経っていないのだから。

 だからこそ、カイキョウシティの特殊犯罪に対応した政府直属の特殊チームである幻影特捜課が発足された。

「万代、議会の動きは?」

「特に何もありませんねぇ。先の被災者リスト流出に関する審議も凍結されたみたいで、強行する動きもなさそうだわ。議員の失踪に関して、向こうも混乱があるみたいねぇ」

 最初の煙慈の問いにのんびりとした調子で日下部さんが答える。捜査官たちの通信システムを管理する総括オペレーターを兼任しながら、課長である煙慈の秘書的な業務もこなしているお母さんのような女性。というのが私の印象。

「姿を消すのに使ったツールは、GC管理外の違法プログラムでした。対象の生体情報をオフラインにして、各感覚野にマスキングして行動を誘導するものです。製作者は個人サイトから個別に販売しているようで、現在足取りを調査中です」

 日下部さんの隣では打って変わって、スーツ姿がスラっとした印象のクールな彼女……捜査官の東宮とうぐう塔子とうこさんが続けて報告に入る。スクリーンには報告にあった違法プログラムについての情報が羅列されていた。

「事件発生から九時間経過していますが未だに犯行声明はなく、拉致して殺害した可能性もあるかと」

「そう思って人間関係を調査しましたが、今のところなんにも引っかかんなかったっス。裏表なし、ヤクザ等後ろ暗いつながりもなく、GCとの関わり合いも当然。今時珍しい清廉っぷりでビビりましたよ」

 冷淡な東宮さんのさらにその隣で、スーツを着こなした童顔の青年……蜂谷はちや鉄兎くろとさんが手を挙げながら補足する。

「カメラはどうだった、小湖」

 煙慈がシャオちゃんを顎で促すと、シャオちゃんは頭の後ろに手を回してダメだったよ、と答えた。

「仮想体カメラにハッキングされた形跡はなかった。トウグウ捜査官の言う通り、侵入されたのは議員の生体プロトコルのほうで間違いないよ」

 意見を同意された東宮さんを見てみると、奥歯を噛んでいるようで唇を引き締めてシャオちゃんを睨んでいた。

「いちおう、サーモグラフィーも見てみたんだけど」

「それはこっちでも確認している」

 鬱陶しそうに、東宮さんが切れ目を煙慈に流す。煙慈は小さくため息を漏らして頷くと東宮さんは指を振って先ほどのカメラの映像が三次元映像のサーモグラフィーに切り替わえた。

 簡易的にモデリングされた議員の立体モデルが、赤い影になって現れる。

 さらにもう一体、議員の視線の先には、先ほどはいなかった別の影が、横切る通行人と重なって現れていた。

 カメラにも、通行人にも見えていない、赤い幻影。

 議員にしか見えていなかったであろうそれが、しかし一秒後には議員ごと消えてしまう。漂う温度変化の図形は、まるで天気予報の雲影のように緩慢な動きで流れていった。

「推定される全長は一三〇から一四五センチ。輪郭からして子供のようだけど、仮想体ならあまり意味はないわ」

「どうだろ。仮想体にしては輪郭がハッキリしすぎてる気がするけど」

「通行人がシルエットを貫通してるのよ? 実体じゃ絶対にありえないわ」

 ぴしゃりと言い放つ東宮さんにシャオちゃんは肩をすくめる。実体と相違ない仮想体といえども、元は物質を透過するファントミームなわけで、人体に直接接触することはできない。仮想体が接触判定を作らない限り、通行人は生ぬるい空気に触れたくらいとしか気づかないだろう。

 口論一歩手前の状況に割り込む形で、日下部さんはシャオちゃんに尋ねた。

「霧散した熱源の追跡はできそう?」

「一度反応が消えてるし、無理なんじゃない?」ぶっきらぼうに手のひらをブラつかせて、シャオちゃんは続ける。

「でもこれを仮想体の犯行だとするならさぁ、犯人は事前に議員を転送ポイントとしてマーキングしてたってことでしょ? 目ぼしいハッカーと接触した記録は一つもないの?」

「そんなこと調べてないとでも思ってるの? 素人にいちいち説明するような暇なんてないのよ」

 シャオちゃんがせせら笑うような言及に、東宮さんが語気を強める。

 二人の間に走る緊張の糸に不穏な気配を感じ取り、あのっ、とすかさず声を上げる。

「素人質問で恐縮なんですけど、どうしてデータである仮想体に、実体と同じような熱源があるんですか? 体温感知の目的でも、受信側に錯覚させればいいだけですよね?」

 その質問に、それはだな、と意図を察した煙慈が無愛想に答える。

「ファントミームが四次元的とはいっても、三次元上に確かに存在する物質なのは間違いない。物質である以上電子で構成されているし、書き込まれたプログラムによって活性化すればある程度の熱を持つ」

 もちろん、そんなことは大学のインターンとしてここに赴任してくる前に教えられた常識的なことだ。それでも話の腰を折ることには成功し、東宮さんは憮然とした表情で、シャオちゃんは挑発的な笑みを浮かべたままではあるものの、一旦場を収めることには成功する。

 一息ついた私に浜浦、と煙慈は声をかけてきた。

「そのまま夫人について報告」

 最初、あ、はいと反射的に答えたものの、そういえば夫人へのカウンセリングが独断であったことを思い出して、心臓が凍る心地を覚える。

「ば、ばれてました……?」

「今はそのことはいい。さっさと報告しろ」

「は、はいっ」

 突き放された声が私を刺し、勢いよく立ち上がってこめかみを叩かせる。連動しない椅子が膝裏へもぐりこんだ不快な感触に耐えながら念じると、サイコトラッキングによって自動的に接続された中央スクリーンに今日の昼間に記録した手書きのカルテが、夫人の顔写真と共に画像データとしてそのまま写された。

「えっと、被害者の奥さんである鯨寺氷雨さんですけれど、現状特に心身の異常は見られません、でした。そうですね、少し混乱しているようでしたが、こちらの応答にもはっきりと答えられていますし、思った以上に落ち着きが見られます」

 いっそ、薄情なくらい。

 用意していたカンペ外の感情を飲み込んで報告すると、そうかと煙慈が呟いて、改めて会議室にいる全員を見渡した。

 全員。そう、ここにいる全員――本職の捜査官四人と、顧問エンジニアにインターンのカウンセラー二人――によって、人口七〇万人を超えるカイキョウシティの特殊犯罪は対処されている。

「現状の手掛かりは、プログラムの入手経路くらいか」

「そうねぇ。GCとの関与を調べる前に、まず犯人像の絞り込みから始めないと」

「とはいえ、犯行声明もなく、怨恨の線も薄いとなると……愉快犯の仕業としか」

 この事件を難しくしているのは、何故犯人が議員を誘拐したかというのが全く不明瞭なところだろう。と、座りなおした私は、プロたちの会話を聞いてなんとかそれだけを理解する。身代金の要求や、政治的なメッセージが今のところ確認できず、議員を誘拐した手法よりも動機が分からないといった状況で、素人目では捜査の指針が定まっていないようにも思える。脇をチラ見すると、自分の仕事は終わったと言わんばかりにシャオちゃんは欠伸混じりに進まない議論を眺めていた。

 やがて、蜂谷さんがお手上げといった具合に一つ提案を出した。

「そもそも、最初から鯨寺蓮太郎議員は存在しなかった。なんて説は、どうっスか?」

 童顔を皮肉げに曲げ、飄々と軽い態度で、一見ふざけているようにも思える言動だったが、東宮さんと日下部さんは視線を下ろして提案を各自検討し始める。

 カイキョウシティは、零城GCが派遣した調査チームを基盤に成り立った影響で、元々GCの日本支部で幹部を務めていた人間が、企業内の人脈と金を使って市議会議員に成り上がることが珍しくない。この半ば企業城下町と化している状況をよろしく思わないのが日本政府で、彼らはGCが復興計画にかこつけた実質的な植民地化に加えて、民衆からの支持のために陰謀めいたプロパガンダを行っているんじゃないかと疑心暗鬼になっている。なにしろこの街は基盤となるオーヴァーレイネットワークに始まり各種行政業務を行うシステム等は全て、GCが一から構築しており、ならばそこになんらかの支配的システムが組み込まれていたとしても、技術的なアドバンテージで劣る自分たちには気付けないのではと恐れているんだとか。

 例えば、一般から当選し被災者支援に対する姿勢から既存の議員と対立関係にある鯨寺議員は、国内で勢力を伸ばす反企業団体たちの精神的な旗頭であったが、その正体は家族を含めて偽装された仮想体であり、全てはGCが反企業派に対処するため用意したハリボテであった……というのが、事件の顛末だったとする。

 言葉にすれば荒唐無稽な陰謀論の域を超えて、暇つぶしの妄想程度のこんな話が、それでも疑う余地を残すのは、零城GCという企業が海外に本社を置く巨大複合企業体であること。

 そんな企業の、あるかもわからない脛の傷を探るのも、この六人に課せられたもう一つの任務であることが、理由としては大きい。

「それはない。議員の戸籍が市外の役所で見つかっている」

 沈黙を挟んで、それを否定したのは煙慈だった。

 スクリーンにピンク色の下地で書かれた戸籍が表示される。そこには確かに筆頭者として鯨寺議員の名前と、カイキョウシティに移籍した記録が記載されていた。

「鯨寺蓮太郎とその妻も、議員を攫った犯人も、間違いなく存在する」

 断言する煙慈をよそに、偶然にも、下の項目に目が行った。

 鯨寺帆選ほえる。続柄・長女。死亡。

「塔子、鉄兎はプログラムの製作者を洗い出せ。万代は二人のバックアップ、GCの動向はこっちで見ておく」

「はぁい」

「了解」

「了解っス」

「浜浦は引き続き夫人のカウンセリングを続行、何かあれば万代を通してすぐ連絡しろ」

「わ、わかりました」

「リーダー、アタシはどうすればいいですかぁ」

「お前に命令する権利は俺にはない。また何かあれば依頼という形で申請する」

 最後に、と煙慈は立ち上がる。

「犯人の動機は不明だが、被害者が行政の人間である以上テロの可能性はまだ捨てきれない。GC介入に関してはこっちでも牽制するが、周囲には気を配っておけ。以上、解散」

 そう言って、煙慈はログアウトすると、異様な緊張感から解き放たれホッと一息をつく。シャオちゃんのほうを見てみると既にログアウトしていて、私もすぐに離れようとすると、肩から微かな温度の重力感が伝わってきた。

「うひっ!」

「おつかれっス、チャンナギ」

 見上げると、そこには仮想体を表すマーカーをつけた蜂谷さんが、笑顔で私をねぎらっていた。

「お疲れ様です、蜂谷さん。び、びっくりしました」

「鉄兎でいいって言ってんじゃん? 相変わらずお堅いなぁチャンナギは」蜂谷さんは人懐っこい笑みを浮かべて。

「いやなに、お礼言おうと思ってさ」

「お礼?」

「さっきの、ナイスフォローだったよ。姐さんのGC嫌いにはまったく困ったもんスねぇ」

 やれやれと蜂谷さんは大きく首を振る。シャオちゃんと東宮さんの仲裁をしたことだと、ようやく思い当たった。

 この人と彼が姐さんと呼ぶ東宮さんの二人は、このチームで兼用のない純粋な捜査官というのもあって、現場での活動頻度も高く二人で連携して動くことも多い。なので基本インドアの私と話をするときは、こうして仮想体同士ですることが多い。それに疎外感や、人見知りのような気後れを感じないのは、彼の気質以上にこうして仮想体同士でのコミュニケーションプログラムが、よくできているということだろう。

 仮想体同士なら会話はもちろん触れれば体温を感じ、身だしなみ程度の香水が鼻先を掠め、場合によって持ち上げることもできる。感情表現がオーバーに感じるのが玉に瑕という程度で、自身も含め、今ここに実在しているかのような錯覚が、未だに私を困惑させている。

「鉄兎、何してるの」

 蜂谷さんが振り返ると、そこには腕を組んで切れ目をさらに細めた東宮さんが待っていて、蜂谷さんは夫人のカウンセリングがんばれよ、と早口で言い残してログアウトしていく。

 その直後ポップアップしたメッセージに、私は嘆息する。

 煙慈からだった。

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