第22話「遅刻」

「……そろそろ学校だから、もう一人で歩けるでしょ?」


 僕はミリンと手を繋いだまま、顔を見ずに話しかける。学校のすぐそこまで着く間、僕の手のひらは常に手汗でびちょびちょだった。そのことを意識するとさらに手汗が出てしまい、僕の意志だけではどうすることもできなかった。


「え、手を繋いだまま教室まで行こうよ?」


 ミリンは小悪魔みたいにいじわるな言い方で、僕にそう言った。僕はそれを無視して手を離そうとすると、離れていく指先を追いかけてなぞるように手を絡めてくる。


「……このまま教室に行ったら、みんなに見られるよ?メイ先生にだって余計怒られるよ。あの人、怒らせたらめちゃくちゃヤバいの知ってるでしょ?」


 僕は心を落ち着かせ、映画俳優のように真剣なトーンでミリンに伝える。遅刻した奴らが手を繋いで教室に入るなんて、いくらなんでもヤバすぎるだろう。メイ先生からはふざけているのかと激怒され、クラスメイトからは陰で変な噂を立てられて、クラスで二人が孤立してしまう。そして、ツグミさんからも嫌われてしまうかもしれない。


「えへへ、冗談やん。学校まで連れてきてくれてありがとうね」


 ミリンはそう言うと、絡まっていた指先を優しくほどいた。十数分間温められていた僕の左手のぬくもりが、少しずつ温度を失っていく。僕は、やっと手を離せたと安堵する一方で、一人ぼっちになってしまった左手がすこし寂しくも感じた。僕達はそのまま学校の門をくぐり、校庭を歩き、校舎へと入っていく。


「……なんか、今日のミリンはいつもと違う人みたいだね」


 靴箱で靴とシューズを履き替える際に、ふと僕はミリンにそう言った。いつものミリンは、なんというか、もっと大人しくて、そしてちょっと不器用な感じの女の子だった。よく分からないタイミングで挙動不審になったり、へんてこな長文のメッセージを送ってきたり、そんな奴だ。


「あははは、私もずっと変わらんままやとアカンなと思って。あと、今日ミクジが声を掛けてくれたから、嬉しくて変な感じになってしまっとるのもあるかも」


ミリンは顔を近づけて僕にそう言う。僕は逃げるようにしゃがんで靴を丁寧に履き替えた。


「……そっか。まあ、ちょっとでも元気になったなら良かったよ」


 僕は少し考えて、出来るだけ無難な返事をする。ミリンの気持ちについては、あんまり深く聞いてはいけないような気がするし、話をすればするほど僕の気持ちまで露呈してしまいそうで怖い。僕は会話を止めて、教室へ向かって歩き出した。


「……ミクジも、なんか前とは変わってしまったような感じがするよ」


 先ほど僕がミリンに言った言葉が、ブーメランのように返ってくる。僕がミリンをいつもと違うように感じたように、ミリンも僕に違和感を持っているようだった。僕にはいくつかの心当たりがあったが、自分は昔も今も同じ自分自身で、変わったところはないつもりだった。


「え、そうかな……?」


 僕は何かをごまかすように、首をかしげて言った。


「うん、なんか、私からはすごく遠い距離に行ってしまったような感じがするの」


 遠い距離に行ってしまった、僕はそう繰り返してから会話の返事を続ける。


「でも、相変わらず僕は魔法も下手くそなままだし、住んでるのもずっと寮だし、いままでと何も変わってないと思うけれど……」


 ミリンと遠い距離に行ってしまった、なんて考えたこともなかった僕はそう正直に言った。


「私なんかのことは、あんまり視界に入ってないんだな、みたいに感じることがよくあるの。でも、だからこそ私も頑張って、ミクジに追いつこうと思っとるんよ」


 ミリンはそう言ったかと思うと、はやく教室までいこ、と言って僕の制服の袖のところを軽く引っ張った。引っ張られた僕はミリンの隣になるまで歩いていくと、ミリンは一人歩くスピードを上げて、僕より何歩も前に出る。


「今日は私が先に行っちゃうからね!早く追いついてきて!」


 ミリンは魔法学校の制服のスカートをひらひらと回しながら、振り向いてそう言った。その瞬間僕はどこを見ていいか分からず、ぼんやりとそのシルエットを眺めていた。気づくと、ミリンは駆け足で僕のいる場所からさらに遠くまで進んでいた。


「……あんまり学校で走ったりすると怒られるよ!」 僕はそう言いながら、歩くスピードを上げてミリンを追いかけた。だが、当然歩くスピードを上げただけだと駆け足のミリンには追いつけない。昨日から全然寝ていないのに、朝から走りたくない……、なんて思いながらも、仕方なく僕も駆け足でミリンに追いつこうとする。


――ミリンを追いかけようとしていると、僕はなんだか昔二人で鬼ごっこをしていた時のようだなとふと思い出した。あの頃は二人とも子供で、純粋で、ただただ仲が良かった。お互いのことを異性とは意識しておらず、平気でボディタッチをしたり手を繋いだりしていたが、今では考えられないことだ。(ついさっき手を繋いだばかりだったが、あれは夢のような感じがして、まだ現実味がない。)


「どうやったら、止まってくれるの⁈」


 ようやくミリンに駆け足で追いついたものの、ミリンは全く足を止めてくれる気配がない。二人の足音が授業中の静かな学校に響き渡る。ミリンはわざと自分たちの教室にすぐには着いてしまわないように、遠回りして廊下や階段を走り回っているようだった。遊んでいる場合じゃないだろうに。


「ルールは鬼ごっこと同じだよ!私にタッチしてみな?」


……そんなの恥ずかしいだろ、と思ったが、僕達はついさっきまで二人で手を繋いだ関係だったことを思い出す。今の僕達なら、体を少しタッチするくらいは何の問題でもない気がする。僕は子供の頃のように、ミリンの体に触れようと手を伸ばそうとした。だが、手がもうすぐ体に触れようとすると、なんだか変に意識をしてしまい、いけないことをしているような気持になる。


(……どうにでもなれ‼)


 僕は夢中でミリンに手を伸ばし、そしてついにその体に触れた。すると、ミリンは体に触れた瞬間に突然充電が切れたロボットように立ち止まった。予想していなかったその動きに、僕は手のひらだけでなく、腕や脚、顔や腹といった全身がミリンの体にぶつかってしまう。僕は瞬時にミリンの触ってはいけないであろう部位に触れるのを避けながら、勢いを抑えることができずに廊下に顔面から倒れてしまった。しかしながら、僕が変に体を避けたからか、華奢に見えて意外と体幹がしっかりしているのか、ミリンは僕とぶつかったにも関わらずしれっと立ったままだった。


「いきなり止まるのは良くな……」


 僕は冷たい廊下で頬を冷やされながらそう言おうとすると、僕の声よりも大きな声でどこかから怒号が飛んできた。僕は何が起こったのか分からず、心臓が飛び出て廊下の裏側までめり込みそうになる。


「こら!アンタ達!!なにしてるの!!!」


 その女性の声は、僕が良く聞いたことのある声だった。僕は一瞬で状況のヤバさを理解する。僕は廊下に倒れたまま、声が聞こえてきた方に顔を向けると、メイ先生が眼鏡を光らせて立っていた。


「廊下で走るのは、禁止よ禁止!!!」

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