第200話 碁盤上の戦場と名将の条件

 長島一揆を壊滅させ勢いに乗った信長は丹羽長秀、柴田勝家、佐久間信盛らを伴い大坂にある石山本願寺への侵攻を再開した。

 俺は岐阜を守る信忠様と共に居残り。北伊勢と尾張を守る将として滝川一益殿も居残り。京の明智光秀殿と近江のサルも居残り。残った将は岐阜と各々の領地もしくは統括地域を行き来しながら信長の勝報を待っていた。


「暇ですね」

「そうですねぇ。そうだ、大助殿、一緒に町へ行きましょう。やりましょう、賭け事! 今日は勝てるような気がするんです!」

「そんな理屈で賭けてるからいつも負けてるんじゃないですか?」


 前世では大安吉日に年末ジャンボ宝くじを買っていた俺が言えたことではないが、今日は勝てるなんて曖昧な事で俺は賭け事なんてする気はない。そもそも連日連敗の一益殿を見ていれば賭け事なんてそもそもする気が起きない。


「そんな事はありません。昨日は信忠様と行きましたが、私は負けましたが信忠様は手持ちの金が倍になりました」

「それ、俺の知ってる言葉でビギナーズラックって言うんですよ」


 パチンコ店に始めて行った人が当たってハマるとか初心者っぽく入るとなぜか当たりやすいとか、そういう話をよく聞いていたがあれは店側が確率を操作しているとかいないとか。だがどっちにしろ最初に当たれば次も当たるかもと思ってしまうのが人の性。そこからギャンブルの沼にハマっていく。


「ちなみに何の賭けをしたんですか?」

「将棋の棋士同士の対局でどっちが勝つか、という賭け事です」

「露骨に運営側の意向が出せるゲームだな……」


 初心者をギャンブルの沼に引き込むとかはともかく賭けてる人が少ない方を勝たせるくらいの事はしててもおかしくない。それにその棋士の実力、もっと言えばよく四間飛車から始めるとか美濃囲いが得意とか、よく使う定石や癖なんかを知っておかないとどっちに賭ければいいか判断が出来ない。


「あとは賽子の出目で競う賭け事ですね」


 そういうのが一番嫌いだ。完全な運ゲー。そんなのに金を賭けるなんてアホらしい。


「まあ、そう言わず、大助殿も一度どうです?」

「うーん、俺は賭け事は……」

「師匠も一度くらい、試してみてもいいじゃないですか。経験として」


 信忠様もそう一益殿の援護射撃をする。うーん、立場上、信長様の長男にして岐阜城主代理の信忠様に言われると断りづらいな。

 そう悩んでいると偶然、視界の端にあるものが目に映った。


「では、これでどうでしょう?」


 俺が指さしたのは碁盤と碁石。とは言っても他人が打ってる碁に賭ける気なんてない。


「所謂、賭け碁というやつです」


 俺と滝川一益殿が対局し、勝ったら賭け金を取れる。完全な実力勝負、これならギリ許せる。信長様と休みの度に鍛えた実力を発揮する。


「その勝負、乗りましょう」


 そう言って嬉しそうに懐の袋から金貨を一枚取り出し、卓上に置いた。っていうか賭かよ、お高いぜ。仕方なく金貨を一枚取り出し、卓上に置いた。


「では握ります」

「おう」


 黒石を相手に見えないように一つ手に取り、一益殿と同時に盤上に出した。


「2,4,6,7……俺が黒ですね」

「先手が欲しかったですが、仕方ないですね。では、お願いします」

「よろしくお願いします」


 俺の初手は右上の小目、対する一益殿は左下の星。それから右下の小目、左上の星と続く。問題はここからだ。

 俺は一益殿の二手目の星に小ゲイマでかかる。それを一益殿が受け、早くも左下で激戦が始まった。


「展開が早い……! どうですか解説の光秀殿……?」

「そうですね、大助殿が6の三と左上の白石にカカったのに対し6の四と受けましたが、結果的には左上辺りが白地、上辺が黒地となって終わりそうですね。ここで問題となるのがどちらの手番でここの陣地の取り合いが終わるかですね。相手の手番で終われば、次の戦いを先手で始めることが出来ます。ですがこの陣地に隙を残すことはお互いできませんから……ああ、大助殿がそこのキリを警戒してカケツギの石を配置して終わりですね。結果的には一益殿が上手くやりこんだ形ですね」


 続いて一益殿が俺の左上の石にカかってくる。今度は俺が対応する番だ。


 どんどん状況が複雑になっていく。戦況は若干俺の黒地が多いか。中央はもうほぼ入り込む余地がない。おそらくまだ余裕のある左辺か下辺で勝負に出てくる。


「行くしかない、か」


 下辺の俺の黒石にノゾキで隙を窺ってくる。それを防ぐとその反対側の白地からキリで俺の黒地を削りにかかる。


「おぉ、これは痺れる一手ですね。決して隙とも呼べるほどの場所でもなかったのですが……」


 光秀殿の言う通り、痺れた。メチャクチャいい一手だ。ここで下辺の黒地を荒らされるのは面白くない。だが中央との接続を切られるのも面倒だ。なら……


「あっ、大助殿が……!」

「ええ。右下辺の白地を殺しに行きましたね。もともと小さな白地でしたが今攻められている下辺の白石も睨んでいるいい手です。これには手が必要ですね」


 そのまま打ち進めていく。そこから10手ほど進んだ時、気が付いた事があった。


「俺、武将が囲碁とか将棋を好む理由が分かった気がする」


 突然何を言い出したのかと信忠様と光秀殿が俺を見る。


「信忠様、戦の勝利が確定する時ってどんな状況だと思いますか?」

「なんですか、突然? そりゃあ相手が降伏か撤退した時じゃないですか」

「聞き方が悪かったな。勝利を確信する時、どんな状況だ?」

「え……さっきと何が違うんです?」

「全く違う。光秀殿は?」

「そうですね、決着までの道筋が見えた時、でしょうか」


 光秀の答えが俺の言いたいことに近い。


「相手がどんな手を打ってきても、それに対する対応策を完璧に思い描けるとき、俺はそう思う」

「どういうことですか?」

「盤面をよく見ていろ」


 一益殿が悩んで出した末の一手に即座に打ち返す。一益殿は一瞬驚いたが、少し考えた後、最善手を打ち返す。俺はまた即座に打ち返した。


「大助殿……まさか……?」

「ああ、俺は一益殿がどの手を打ってきても最善の手を返すことが出来る。もう読み切った」

「な!?」


 この状況、俺は勝利を確信している。「ここに来たらここ、こっちに打って来たらあっち」ともうすべて読み切った。戦場でも囲碁でも、これが理想の状況だ。こうなってはもう逆転は出来ない。


「ま、負けました」


 一益殿の投了で囲碁は終わった。俺の初めてのギャンブルは無事勝利したわけだ。

 終局後、俺は信忠様たちと話をした。対局中に気が付いた、戦と武将についてだ。


「武将なら皆この状況を目指して戦う。それを被害をできる限り出さずスマートに作り出すのが名将と呼ばれる類の武将だ」

「なるほど、確かにこうして目の前で見せられると説得力がありますね」

「別に囲碁がうまい人が名将ってわけじゃないからな、勘違いするなよ? 今の状況を戦場で作れる人が名将ってだけだ。そしてこの詰んでる状況に気が付かずに兵を無駄に死なせるのが愚将、早くに気が付いて降伏か撤退するのが良将だ」


 なるほど、と光秀殿が頷く。


「武将の実力は相手を詰ませる手際にあるというわけですか。興味深い考え方です」

「ああ。付け加えるなら、武将の実力が拮抗しているほど詰みづらくなる。俺と信長様はよく対局してるが勝率は五分、しかも大体終局して整地までする。最後まで競り合ってるってことだ。これは実戦でもいえると思う」

「武田と上杉なんかがそうですね」

「そうそれ!」


 とはいっても実戦でここまで詰んだ状況にするのは難しい。伏せ札や予想外の実力者など計算外のことが起きる可能性は十分にある。


「だから出来るだけ相手の情報を集めておくことが重要なんだ。情報戦で優位を取れれば戦も優位に進む。よりスマートに”詰み”の状況を作れる。武田も上杉も情報網はすごいみたいだったぞ。情報統制もしっかりやってたし」


 現代でもサイバー攻撃で情報が抜き取られたりでニュースになっているのを見ていた。当時の俺はあまり大事だと認識していなかったのだが、今改めて情報の重要さを理解した。


「では名将になるにはどうしたらよいのですか?」


 俺と光秀殿の会話を聞いていた信忠様がそう尋ねる。その問いの答えは俺と光秀殿、一益殿の言葉が重なった。


「「経験です」」


「勉強して、鍛えて、実戦経験を積み上げる。皆そうして良い武将になっていくんだ」

「どんな名将でも判断を誤ることはあります。失敗が死に直結する場合もあるので軽々しくは言えませんが、失敗を恐れ過ぎずにやっていきましょう」


 この日から信忠様はメキメキと成長した。その結果、信長に認められ織田軍初の独立軍の大将に選出され、信忠軍が誕生したのはこの年の末であった。

 

 この日、俺も武将という物の理解度がもう一段階上がった。


 そしてこの次の戦で坂井大助が武将として覚醒する。


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