第190話 刀根坂の決戦 前編

 サルこと、羽柴秀吉は焦っていた。手柄を立てるチャンスだとユナに言われ、半兵衛の静止も聞かず朝倉の背を追って必死に走っていた。


 だがもうすぐ疋田城という所で朝倉の待ち伏せに遭い、あっという間に混戦になってしまった。撤退しようにもできない状況、半兵衛は窮地に立たされた左翼に、ワシも敵に崩され指示が届かなくなった中央に入り、指揮を取った。一時は押し返せたが、それもほんのわずかな時間だけだった。


 あっという間に包囲され、本陣とも両翼とも連絡がつかなくなった。だがワシがいる限り兵たちは戦い続ける。その士気を高く保つため、馬印はずっと掲げたままにした。


 だが何か本陣の方で騒ぎが起きたと思ったら、馬印が撃たれて折れてしまった。慌てて折れた上半分を掲げてワシが死んだわけではないということを示していると側近たちが声を上げた。


「秀吉様! あれ、坂井大助様ではありませぬか?」

「本当だ! たくさんの旗とあの銃を持った姿、間違いありません!」

「助けに来たんだ!」

「おぉ、大助殿……」


 側近たちが次々と喜びの声を上げる。また全滅かと危ぶんでいたワシも安心せずにはいられなかった。

 安心したのも束の間、ワシのいる本隊の真ん中に白い小娘が乱入してきた。


「な、なんだ其方! 敵か!?」

「ん、違う。あるじ様、坂井大助様の側近。羽柴秀吉、いる?」


 側近が慌てて槍を構えるがそれを気にすることなく小娘はそう尋ねた。ワシは武器を下ろすように手で合図しながらその小娘と向かい合った。


「ワシが羽柴秀吉じゃ」

「ん、今あるじ様が敵を引き付けてる。その隙に敵を振り切って本陣まで撤退」

「あいわかった」

「ん、それ、下ろして」


 そう言って折れた馬印を指さす小娘。


「何故じゃ? ワシは死んでおらんぞ?」

「目立つ。何のためにあるじ様が壊したと思ってる?」


 馬印を壊したのは大助殿じゃったのか。なるほど、目立ってここに敵兵が集まってくるのを防いだのだ。


「あいわかった。すぐに兵を集めて撤退する」

「ん、どのくらいかかる?」

「かなり散ってしまっておる、じゃが半刻あれば……」

「ふざけないで」


 散った兵を集めて本陣に戻るまでに戻る時間を大雑把に計算し、そう告げると白い娘がキレた。


「あそこであるじ様が耐え凌ぐのがどれだけ大変だと思ってる? そんな時間は無い」

「じゃが散った兵を集めるには……」

「その必要はない。近くにいる兵だけで脱出」

「ふざけるな小娘! ワシに部下を見捨てよと申すか!」


 部下を捨てろとはっきりと言った小娘にワシは激昂した。大助殿が大変なのはわかっておる、わかっておるが部下を見捨てることは出来ん。大助殿ほど強ければきっと半刻ほどなら余裕で耐えられるだろうとも思った。そう言った瞬間、白い娘がワシを強く睨みつけ小さくも迫力のある怒鳴り声をあげる。


「誰のせいでこんな状況になったと思ってる! あるじ様だって一人の人間、半刻も襲われ続けたら危ないことだってある!」

「む……無礼だぞ小娘!」

「知らない! あるじ様はお前の尻拭いをさせられてるんだ。本来はあるじ様がこんな危ないことをする必要なかった! 隊の兵だって死んだ!」


 そう叫ぶ小娘、じゃがワシにも譲れないところはある。


「ワシの隊の兵を出来る限り集めてから、撤退じゃ」


 そう告げると小娘はキッと強くワシを睨み、左手の袖に右手を入れる。袖から引き抜かれた右手に握られていたのは持ち手は木材、そして銃身は銀に輝く、大助殿が使っているのと同じ、連射が可能な銃。側近たちが息をのんだ。


「貴様ッ!」


 危険を察知した福島正則が即座に小娘にとびかかる。


「邪魔」


 正則は小娘の華奢な足で蹴り飛ばされた。小娘はワシの方へゆっくりと歩いてくる。


「ま、待て……」


 ワシの静止を効かずに小娘は近寄り、一瞬姿が消えたかと思った途端、ワシは馬から落ちた。


「ぐっ!?」


 その衝撃に思わず声を上げるワシを小娘が見下ろした。


「その女を殺せっ!!」


 そう叫んだのは吹き飛ばされ、腹を抑えた正則。その声に従い兵が小娘を囲んで武器を向ける。


「動けば殺す」


 ワシのこめかみには銃口が突き付けられていた。囲んでいる兵士の動きが止まる。この場の主導権はこの小娘に握られている。その事実をここに居る全員が理解した。


「今すぐ撤退、これ以上あるじ様に迷惑をかけるな」


 小娘はただそう言った。ワシも周りの兵もただ頷くことしかできない。

 その反応に小娘は納得したのか、ワシを乱暴にだが開放するとどこかへ行ってしまった。


「秀吉様、大丈夫ですか?」


 側近たちが駆け寄ってくる。


「ああ、問題ない。……撤退する。出来るだけ声を上げ、撤退の旨を隊の兵に周知させよ」

「……それでは離れた兵たちは」

「仕方あるまい。それにあの小娘の言う通り、大助殿に負担ばかりかける訳にもいかん」


 許せ、置いていくワシの部下たちよ。そう心の中で謝り、羽柴隊は撤退を開始した。



 

 氷雨から任務完了の狼煙を確認した。天弥の方は彼自身が羽柴隊の兵を最低限だけ回収して撤退しさっさと任務完了している。つまりこれで俺がここで敵を引き付ける理由もなくなった。


「秀隆、撤退するぞ」

「……やっとですか」


 返り血まみれの秀隆。だいぶ無理させちゃったな。

 俺が戦い続けていた場所は敵の死体が山ほど転がっている。まさに地獄絵図だ。こちらの死者も20人ほど出たが敵に与えた損害を比べれば大勝利と言って過言じゃないだろう。


「全軍撤退! 殿は俺がやる! 四番隊と羽柴隊の生き残りから撤退しろ!」


 こうして、俺は無事に羽柴隊を救出し開戦前の位置まで戻った。俺たちを追ってきた敵兵は頑張って距離を離してから鉄砲隊で一網打尽にした。その後も鉄砲隊が牽制を続けているため、朝倉軍が攻めてくる気配は今のところない。


 右翼と左翼も同じようにうまくやったようだった。特に左翼には竹中半兵衛がいたため、蒲生氏郷率いる五番隊の武力を上手く活かしスムーズに撤退できたらしい。右翼は彦三郎の援護が上手だったおかげで何とかなったようだ。


「よし。彦三郎、長可、秀隆、氏郷、長利、よくやってくれた。すぐに次が始まるだろうから兵をしっかり休ませておけ。彦三郎は俺について来い、サルの陣に行って軍議をしてくる」

「いや、大助殿にわざわざ来ていただくのはどうかと思い、羽柴秀吉、参上いたしました」


 俺が軍議に行こうと立ち上がろうとしたところ、サルが来た。確かによく考えれば俺の方が立場上だし呼びつけるのが正解か。でも俺が話したいのお前じゃなく竹中半兵衛なんだけど。その考えが顔に出てたのか、サルが「竹中半兵衛とユナも同席させていただけますか」と言って二人を陣の中に招き入れる。わかってるじゃん。


「よし、じゃあさっそく軍議を始めよう」

「その前に、坂井大助殿、先程はワシらを助けていただき、深く感謝を申し上げる」


 そう言って深く頭を下げるサル。サルと同時に丁寧に頭を下げる半兵衛。その様子を見て慌てて頭を下げるユナ。


「いや、いいよ。同じ織田の武将なんだから」


 見捨てようとしてましたなんて言えない。


「それより早く軍議を始めよう。朝倉は俺たちに数で勝ってる今のうちに攻めてこようとするはずだからな。そうだろ、半兵衛?」

「その通りです、大助様」

「だから第二陣の二人、もしくは大嶽砦を攻めてた二人のどっちかが合流して数が拮抗するまでひたすら防御、合流した後で反転攻勢に出る、っていうのを基本戦略にする。異論のある奴はいるか?」


 ユナは若干不満そうな顔をしているが反対するわけではない。まだ武功だなんだと考えてるのかもしれない。


「防御はうちの鉄砲隊、弓隊でやる。基本的には近づけさせない。近寄ってきたやつの対処も問題ないはずだ。そうだろ、長利?」

「ハ、問題ございません」

「ということだ。でも相手は数が多い。だから万が一鉄砲に恐れず全軍で突撃してきて、とても鉄砲隊で応戦できなさそうなら接近戦に切り替える。正直、これが一番避けたい展開だ」


 鉄砲は一発につき1人までしか仕留められない。だから2万と8000という数の差でごり押しされて鉄砲隊の所まで敵の接近部隊が近づいてくるかもしれない。その場合は接近戦で対処するしかないんだが、そうすると数の差でどうしても不利になる。


「良い策、何か思いつくか? 竹中半兵衛」

「そうですね、どんな形で突破されるかわからない以上、配置などで対策は出来ないと考えます」

「そうだろうな。それで?」


 対策なんてできないと言いながら先を促す。俺は竹中半兵衛がこれで終わるとは思えない。半兵衛は苦笑しながら、続きを話す。


「何故私がそこまで大助殿に評価されているのかわかりませんが……確かにできることはあります。まず前提としてここは坂です。大軍が一気に坂を下るとどうなりますか?」


 この道は疋田城という山城に向けて登っていくため、坂になっている。ここは緩やかだがもう少し上に行くとかなり急な坂だ。

 その坂を大軍が一気に下るとどうなる……?


「そうか、後続の勢いで軍が止まれなくなる」

「その通りです。それを生かしてまず敵がこの坂を下るように仕向けます。そして下で大助殿の鉄砲隊や弓隊が、というのはいかがでしょう? 最初の方針とは少々異なりますが……」

「いや、こっちから攻め込まないという前提さえ守られてればいい。……どう思う? 彦三郎」

「良いと思います。第二陣が到着する前に低い危険度で敵を減らせるようですし」


 俺も良い案だと思う。普通に防陣を敷いたらどこで突破されるかわからないというリスクがある。ならおびき出して敵のくる位置を把握しておける方が有利だ。


「わかった。その策で行こう。彦三郎、秀隆、長利と俺の側近は坂を下り、開けた場所で防御陣形を敷け。囮は誰がやる?」


 俺がやってもいいのだが、何かサルの方にも役目をあげないと。な、ユナ? このままだとこの戦で羽柴隊は何もしていないどころか先走って俺たちの隊にも被害を出させた戦犯になっちゃうぞ。そういう意味を込めてサルとユナをちらりと見ると、


「ワシがやらせてもらいましょう。だが半兵衛とユナは大助殿と共に本陣に残らせてくだされ。この策の立案者である半兵衛は本陣にいたほうが良いであろうし、ユナをわざわざ危険な囮部隊に入れる必要もないであろうからな」


 サルがちゃんと名乗り出てくれた。ユナはともかく半兵衛は俺と一緒に本陣にいてくれた方が心強い。


「わかった。囮は羽柴殿に任せた。長可と氏郷は防御陣形の脆い部分、特に敵が坂から下りおりてきた勢いを受け止める中央に入ってくれ。近接が強いお前らになら任せられる」

「ハ!」

「かしこまりました!」


 こうして配置も決まった。そしてすぐに移動を始める。いつ朝倉が攻めてきてもおかしくないからな。

 俺も坂を下って本陣を移そうと思い、立ち上がったところで珍しく氷雨の方から話しかけられた。


「え? 俺の側近をやめることになるかもしれない?」

「ん」

「いったいなんで?」

「実は……」


 そこから衝撃の話を聞いた。俺が戦っている間に氷雨がサルを撤退させようとしたら、サルが兵を集めてから撤退すると我が儘を言ったから氷雨がブチギレて福島正則を蹴り飛ばして、サルを馬から落としリボルバーを突き付けて脅した……だと?


「よく首切られなかったな……無事でよかったよ」

「ん、怒らないの?」

「俺のために怒ったんだろ? 怒ったりしないよ。……それにしても強くなったな……」


 福島正則はともかくサルの視線を掻い潜って一切の抵抗をさせず馬から落とすとは。


「ん、あるじ様のおかげ」


 そうだ。視線を掻い潜った攻撃や気配の消し方は俺が氷雨に教えたんだった。氷雨は戦場で偵察として動くことが多かったから、ちょっとだけ忍者の技術を教えたんだった。


「俺はサルが氷雨を差し出せって言ってきても絶対に従わない。俺には氷雨が必要だからな」

「ん、でも……」

「大丈夫、この件は俺がなんとかするよ。氷雨は戦に集中しろ。な?」


 俺がそう言うと氷雨は安心したように微笑んで陣を出て行った。


 また面倒ごとが増えた、っていうか俺の隊、サルの隊と相性悪すぎない? 

 この後連携なんてできるのか不安になってきたぜ……

 

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