第107話 北伊勢侵攻 ダチと氷雨

「おい、起きろ」

「ん? ッ!?」


 千代松のことを頼もうと、保正は千代松と戦う前に気絶させた二人の側近のうち女の方を起こす。起こされた氷雨は保正の姿を確認してすぐに距離を取り、周りを警戒する。その様子を見て保正は苦笑し、氷雨に戦う意思がないことを告げる。


「俺はもうお前らの主とやりあってへとへとだ。やりあう気はない」

「っ!? あるじ様は!?」

「そこにいる。死にかけてるが、生きてる。一応、応急処置はしたけどかなり危ない状態だと思うからお前らの陣に連れていってやれ」


 千代松を助けるように、と話す保正に氷雨は懐疑的な目を向ける。なぜ殺そうとした相手を助けようとするのか、さっぱり意味がわからない。その視線に気づいた保正は、


「ダチなんだよ。今回は敵だったけど、ダチは殺さねえ。あいつとは仲良くしていきたいしな。それにまだリベンジも済んでねえ」

「……ダチ? りべんじ?」

「ああ、また負けちまった。次はぜってえ負けねえ」


 氷雨はますます混乱するばかり。なぜ友達同士で戦わなくてはならないのか。何がなんだかさっぱりわからなくなった氷雨は考えることを放棄し、今は目の前のあるじ様を倒したこの人に敵意がないということだけがわかればいい、とさっぱり割り切ることにする。そうと決まれば氷雨はすべきことを即座に判断する。まずはそこで寝ているアホを叩き起こしてあるじ様を運ばせる。


「天弥、天弥」

「くう」

 

 いらっ。こっちがいろいろ大変なのに寝息を立てるアホの腹をグーで殴り起こす。


「ゲホッ!? な、なんだよ!?」

「あるじ様、本陣、運べ」

「えぇ」


 天弥があるじ様を担いだのを確認すると、氷雨は目の前にの賊に向きなお。どうする……? 殺しておくべきか? 本来、あるじ様を傷つけたこの目の前の男は殺さなくてはならない対象だ。この目の前の男はあるじ様と一対一で戦ってまだ立っている。氷雨が最強だと信じるあるじを倒して。そんな人物に氷雨が勝てるわけがない。でも、この男はあるじ様と戦って身体中がボロボロだ。もしかしたら、今なら……!

 そう思い、氷雨は和服の袖に隠しているリボルバーに手をかけた。あるじ様が力がない氷雨のために見繕ってくれた一品だ。そんな氷雨の様子などよそに保正は何かを紙に書いている。そしてその紙を氷雨に手渡すと、


「これ、千代松に渡しておいてくれ。いろいろ書いてある」

「わかりました」


 そしてその紙を受け取るタイミングで銃を抜こうと左手の袖に入れた右手でリボルバーを抜こうと……


「やめた方がいい」

「へ?」


 抜こうとした右手の肘が保正に抑えられた。氷雨は血の気が引いていき、距離を取ろうと後ろに飛ぼうとするが、左手の手首をつかまれてそれすらできない。リボルバーも取り落とし、まさに絶体絶命だ。右手で愛用の短剣を抜くが、この程度ではこの男は倒せないだろう。そんな氷雨に保正は「もう一度言うが」と言葉を続ける。


「やめた方がいい。俺はお前も千代松も今は殺す気がないが、お前たちが本気で俺を殺しに来るってなら話は別だ。俺も戦わざるを得ない。お前も気づいただろうが今の俺は余裕がねえ。お前が襲ってきたら俺は躊躇いなくお前を殺す。千代松のためにも、やめとけ。それが一番だ」

「……」


 氷雨は今の短時間のやり取りで自分と保正の実力差を改めて実感した。今のセリフに少し癪に障るところもあるが、今は今の状況から生き残ったことに感謝すべき時だ。


「……放してください」

「ん、お、おう」

「……わかりました。ここは引きます」

「ああ、助かる」


 氷雨は若干の口惜しさと共にその場を立ち去ろうとする。それを保正は慌てて止める。


「ちょっと待って、これ!! 持って行って!!」


 保正が慌ててさっきの紙を渡す。氷雨はそれを奪い取るように受け取ってその場を立ち去った。


______________________________________



「ん、あ?」

「あ、隊長、起床」

「え? 大丈夫っすか!?」

「あ、ああ。っていたたた……」

「急に動いちゃダメっすよ。寝ててください」


 目が覚めると天幕の中だった。遼太郎と小二郎が心配そうにのぞき込んでいる。


「おら、彦三郎隊長を呼んでくるっす。遼太郎、隊長のことよろしく頼むっすよ」

「了解」


 そう言って小二郎が天幕から出て行った。俺は残った遼太郎に状況を聞くことにする。


「遼太郎、俺だいぶ長く寝てたような気がするんだけどあれから何日たってる?」

「丸、一週間。最初、命、危険、だった」

「そうか、心配かけたな。戦はどうなってる?」

「西側、氷雨様、指揮」

「氷雨が?」

「あと、隆康様、弟」

「ああ」


 どうやら俺が抜けた西側の戦場は秀隆と氷雨が協力して指揮を取っているらしい。あの二人では力量不足だと思うが戦線が崩壊してないならいい。


「全体指揮、常道様」

「ああ、なら大丈夫だろう」


 常道が戦の指揮を取ると補給部隊とかに負担がかかるから普段はあまりさせないが本来は常道は俺の隊の軍師的立ち位置。常道に任せているなら戦況の方は大丈夫だろう。


「彦三郎様が到着されたっす」

「我が主、よくご無事で。体調はいかがですか?」

「かなり痛いけど、たぶん動けると思う。さすがに今日明日に戦線復帰てのは無理だろうけど」

「ええ、ゆっくり休んでいてください。もともと我が主は何でも自分でやろうとしてしまう所がありますから、たまには我らに任せてください」


 なんでも自分で? そうだったか? そんな意図が顔に出ていたのだろう。彦三郎は苦笑していくつか例を挙げる。


「策の立案はいつも主がされていますし、大事な戦の時はいつも先頭に立って戦おうとするではありませんか。浮野の時も、桶狭間の時も」


 確かに……、隊長としてはあんまりよくなかったのかな。


「もちろん、それでいつも勝ってきているのですから文句はありませんが。もう少し我らを頼ってください」

「ああ、そうだな。とりあえず明日まではお前らに任せる。それより……俺が戦っていた刺客は? というか俺はどうやってここに?」

「氷雨と天弥が運んできたのです。氷雨によると刺客は逃げたと」

「……そうか。氷雨を呼んでくれ。詳しい状況を聞きたい」

「了」


 氷雨を呼びに遼太郎が天幕を出る。彦三郎も他の隊長に目覚めたことを伝えに行くと言って出て行った。時刻は夜、食事刻のようだ。俺もお腹がすいてきた。枕元におかれていた米とみそ汁、漬物を食べる。一週間ぶりの食事は格別だぜ。


「あるじ様」

「入れ」


 氷雨が到着したときにはすでに俺の皿に料理は無くなっていた。


「あるじ様、体、平気?」

「平気ではないけど、まあ大丈夫だ。それより俺が倒れた後の状況を……」

「ん、まず、これ」


 氷雨が俺に渡したのは何かが書かれている紙片。それに目を通す。それは保正からの手紙だった。要約すると保正たちはこの戦から手を引く、またリベンジさせろ、とのこと。リベンジはしばらく勘弁してもらいたいが、保正たちがこの戦から手を引いてくれるのはありがたい。ん、追記? 「お前の側仕えの女なかなかいい気概だったぜ」? 


「氷雨、お前この刺客と何かした?」

「殺そうとしたけど……失敗した」

「うぇ!? ……よく殺されなかったな」


 氷雨は保正をリボルバーで殺そうとしたらしい。まあ当然無理だったが。


「あの人、あるじ様、ダチって言ってた。どういう、こと?」

「あー……、伊賀で修業してた時の……親友のライバルみたいな感じかな」

「ん、そろそろ、他の人くる。おいとま」

「おう、ご苦労だった。明日も西を頼む」

「ん、任せて」


 氷雨は心強い返事をして天幕を出て行った。



 


 


 


 


 

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