第90話 元大膳配下と俎上の魚
大膳率いる2000の軍は清洲城から溝口城へ。そしてその西にある日光川で伊勢軍と向かい合った。
明日から戦闘になると思われ、大膳は軍議を開いた。この場で初対面の者も多いためまずは自己紹介から始まった。
「此度、一益隊500を率いる道家正栄でござる。以後、お見知りおきを」
「大助隊の500人隊を率いる山下彦三郎だ。よろしく頼む」
「大助隊の400人隊を率いる森川隆康です。よろしくお願いします」
「今回、足軽兵500を束ねます。元坂井大膳配下、吉村悠賀と申します。戦に出るのは久々で、迷惑をかけないように致しますのでどうかよろしくお願いいたします」
「残りの100は俺自ら率いる。総大将、坂井大膳だ。よろしく頼む。今回は川を挟んでの対陣だがやることは平地の戦と何ら変わらん。だが弓や鉄砲が重要になってくる。この中で遠距離を担当できるのは彦三郎殿と隆康殿、この二人に序盤は戦ってもらう。敵が近づいてき次第、正栄殿と悠賀がこれと入れ替わる。これを基本戦術とする。異論のあるものは?」
「私の隊は半数は近距離に対応できる部隊です。それを無駄にしてしまうのは勿体ないのでは?」
「うむ、なら隆康殿は右翼を一人で担当してもらいたい。中央と左翼は先ほど言った戦術で戦うとしよう」
「わかりました。では配置は?」
「彦三郎殿の隊は中央と左翼で二つに分けて遠距離戦を担当してもらう。そして正栄殿は中央前衛、悠賀は左翼だ」
「その理由をお聞きしても?」
「敵右翼、つまり悠賀の正面にしてる軍は千種時通。四十八家の中では勢力があまり強い方ではない。足軽隊をあてるのに適している。敵中央は浜田藤綱。四十八家の中で2番目に勢力の強い赤堀の分家であり、おそらく今回の敵の主戦力。おそらくここが最も激戦になる。ここを担当できるのは一益隊だけだ」
話を聞いた面々が納得した表情を浮かべる。大膳の話には歴戦の中で培われた合理的な戦略、戦術の話が盛り込まれていた。何を隠そう清洲織田家を支えた家臣の中で最も厄介で強かったのがこの坂井大膳なのだ。
「それでは皆々様、ご武運を」
「「ははっ!!」」
戦は大膳の想定通りに進んでいった。弓や鉄砲の撃ち合いから始まり、敵が川に足を取られている間に敵を次々と射とめていく。長槍が届く距離になったら前後の部隊が入れ替わり、接近戦特化部隊が川を渡ってきた敵兵を1人ずつ倒していく。多少のアクシデントはあれど、結果的に初日は敵に大きな打撃を与えながらもこちらの被害は極めて少ない、大勝利を収めたのである。
翌日も同じように戦は進んだ。およそ1000人差だった伊勢軍との兵力差がだんだん縮まっていく。少なくとも昼過ぎまでは大膳率いる織田軍が伊勢軍を圧倒していた。
風向きが変わったのは昼過ぎ頃だ。こちらの右翼が敵の横撃を受けた。敵は川のはるか上流、大膳たちに絶対に気づかれない所まで登ってから川を渡り、そこから戦場まで戻って攻撃を仕掛けてきたのである。これにより右翼側の森川隆康は大打撃を受けた。左翼こそ戦いを有利に進め続けていたものの、右翼と中央は正面と右から挟み込まれる形となりその後は厳しい戦いを強いられることになった。
「隆康様! もう限界です! 撤退しましょう!!」
「駄目だ。ここで我らが退いては次は中央が餌食になる。まずは横撃してきた敵部隊を殲滅する。大膳殿の中央に右翼正面の敵も相手してもらうよう使者を出せ」
隆康は冷静に戦況を分析し、自分は横から攻撃してきた敵だけに集中できるよう大膳に援軍を要請した。問題は援軍が到着するまで耐えられるかだが、
「やるしかない。鉄砲隊は中央側に寄せて近距離部隊を前に出せ」
隆康が徹底抗戦の構えを見せたことでこの後右翼は陣形など全くない大乱戦に突入していく。
「右翼が相当きつそうですね。僕らは今のところは有利に戦いを進めている。さて、どうしたものか」
左翼の将、吉村悠賀は戦場を眺め、そう呟く。左翼は彦三郎の遠距離部隊が優秀で足軽隊はあまりまだ出番がなかった。左翼だけを見ればこのまま進めば負けることはない。だが右翼が崩された以上、こちらも何か打開する策が必要だ。そしてそれができるのは今最も余裕のある左翼、もっと言えば悠賀だけなのである。
「よし、決めた。ジョー!」
「は、お呼びでしょうか」
城浦正吉、吉村悠賀の大膳家臣時代の側近。今回、大膳の招集にあたり、悠賀と一緒に戦いたいと言うので連れてきた槍使い。大膳家臣時代、命令は必ず達成してきた悠賀の最も信用している男。
「50人兵を率いて川下に行って対岸へ渡れ。そこでありったけの旗を掲げて法螺貝を吹け。とにかくこちらも横撃を仕掛けると勘違いさせろ」
「お任せを」
そう簡潔に答えた正吉はすぐに命令通り自軍50を率いて川下へ向かって行った。さらに悠賀は今前線で指揮している彦三郎の所へ向かった。
「彦三郎さん」
「悠賀!? どうしてここに?」
「今から我が軍は策を使い敵右翼を攻めます。少しだけ協力していただきたいことが」
「勝手に……? いや、状況が状況だ。了解した。何をすればいい?」
「難しいことはない。少し敵への弓や鉄砲の攻撃を緩めてもらいたい」
「は? なぜ?」
「少し敵の意識をこっちに向けたい。その方がすぐ横に軍が現れた時、衝撃が大きい」
「ッ!? こちらも横撃を!?」
「フリだけだ。敵が横に意識を逸らされたところをこの本隊が攻める。敵将が経験が浅いようなのでな。これで十分だ」
「……相変わらず嫌な戦い方だ。大膳様の悪名が尾張中に広まった理由の半分以上はやはりお前にあるな。俺や大吾だけではああならなかっただろう」
「その僕のおかげで大膳様やお前が救われた戦がいくつあった? 少し悪名が広まるくらい許して欲しいものだ」
「で、具体的にどのくらい緩めればいい。まさか全く撃つなとでもいうのではないだろうな」
「敵の数部隊がこっち側へ到達するくらいだ。できるか?」
「また難しいことを言ってくれる」
「お前ならできるだろ」
「まあな。任せておけ」
かつての同僚の信頼。彦三郎は悠賀の方を軽くポンと叩き、悠賀もそれに不敵な笑みを返す。二十年、共に戦ってきた二人にはそれで十分だった。
彦三郎は巧みな技術で敵を数部隊だけこちらに引き込んだ。その様子を見た敵の近接部隊が次々と川を渡ろうと水に足を踏み入れる。そしてそれが次々と彦三郎隊の弓や鉄砲により倒れて行った。
そして半刻ほどたった頃、敵の側面に大量の織田、坂井の旗が立ち、法螺貝が吹かれた。敵軍は想定外の軍の出現に驚き50の兵には過剰なほどの兵を右側に向けた。敵は右に大量の兵がいると思い込んだ。あの大量の旗のせいだ。だが当然、右に兵を向けた分だけ正面は薄くなる。悠賀はその隙を見逃さず一気に川を渡り敵陣に突入した。
そう、すべて悠賀の手のひらの上。俎上の魚。坂井大膳の元参謀。その真価が今発揮される。
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