第91話 日光川の戦いと各々の心情
その後の戦の形勢は混沌を極めた。横撃を受けた隆康率いる右翼は変わらず厳しい戦いを強いられていたが、悠賀率いる左翼は敵右翼を圧倒し、すぐにでも敵左翼を壊滅させる勢いだった。中央にも両翼の戦況が伝播し、中央は乱戦になっていた。
敵左翼に突撃を仕掛けた悠賀はもうすでに敵将千種時通の本陣をその目に捉えていた。横から旗と法螺貝で敵の注意を引き付けた城浦正吉も悠賀が敵陣に突入したのを確認したのち、50の兵で横撃を仕掛け、さらに戦場を混乱させた。そんな中、ついに悠賀隊は千種時通を討ち取り、右翼の戦いの勝利を確定させた。
だが右翼が勝っても、他が負けては意味がない。悠賀も当然、そのことは理解していた。悠賀は敵左翼の殲滅を正吉に命じたのち、自身は敵中央に突入した。だが敵中央にはすでに敵将の姿はなかった。では敵将はどこへ行ったのか。
「まさか・・・・・・」
悠賀は川の反対、つまり自軍本陣の方を見る。中央は乱戦になっている。想定していた中で最も最悪な事態。敵の狙いは・・・・・・
「大膳様・・・・・・!」
主人の危機を察し悠賀はすぐに動き出す。川を渡り、中央へ。だが敵の刃はすでに大膳の喉元まで迫っていた。
「貴公がこの軍の大将か?」
「いかにも」
前方に陣を張っていた一益隊の道家正栄殿はどうした。敗れたのか? とにかく大善の陣はすでに崩され、指揮をとっていた大善のところまで敵兵が来る始末。馬に乗った槍を持った武将が今にも大膳を殺そうと槍を構えている。
「我こそは伊勢軍総大将、浜田藤綱である」
「織田軍が総大将。坂井大膳」
「坂井大膳……そうか、お前だったのか。清州には名立たる将がいないはずであったのに戦にキレがあった。お前なら納得だ。死んだものと思っていたが」
「駿河に落ちのびた後、信長様に帰還を許された。清洲で隠居していたのだ」
「それで将がいなくて駆り出されたわけか。お互い大変だな」
「全くだ」
「長話するつもりはない。ここで儂が貴様の長い旅を終わらせてやろう」
「俺も負けてやるつもりはない。俺がここで負けては息子にあわせる顔がない」
「いざ、参る!!」
槍で藤綱が襲い掛かってくる。それに対応しようと刀を抜こうとしたときだった。
「させない!!」
間に馬で割り込んできた武将が槍で藤綱の振るった一撃を防ぐ。そして入ってきたのはーーー、
「なんだ貴様!?」
「彦三郎!!」
元大膳の家の門番。すなわち最も大膳に信用されていた男。現坂井大助部隊1番隊隊長。山下彦三郎が大将同士の対面に乱入する。
「まだ始まっていないようでしたので。主には指一本傷つけさせません」
「ふん、まあいいだろう。相手をしてやる」
互いに槍を構え、にらみ合う。そして一瞬の沈黙の後、動いた。彦三郎の連続の刺突攻撃、藤綱は凌ぎながらもたまに反撃に回る。そんな高度な戦いが行われていた。
彦三郎は弓と槍の達人である。かつて大膳の家を一人で守っていたころ、織田信秀によって放たれた暗殺者15人を一人で皆殺しにしたことがあった。大膳とその息子大助が認めるその実力は大吾に引けを取らない、は言い過ぎにしても今の坂井大助隊で大助、大吾に続く3番目の実力者であることは間違いない。そして何より、親がいない間の大助を支えた、大助からしたら父代わりの人物である。
浜田藤綱もまた、槍の達人である。
今年で60を迎える彼は長くにわたる伊勢国内での争いに嫌気がさしていた。武将たるもの、いや、男たるものあんな狭い所で小競り合いをしていてもどうにもならない、せっかくならば伊勢一国と言わずもっと広い土地を我が物にしたいと考えていた。だがそうは言っても所詮は伊勢国内2位の赤堀家、さらにその分家の一当主に過ぎない藤綱がもっと広い土地を攻める構想(妄想に近い)を考えている間に年はついに60近くになってしまった。槍の実力も最近は落ちつつあり、そろそろ引退か、という時だった。本家の赤堀から尾張攻めを言い渡されたのは。
ついに他国を攻めるということで藤綱は大いなる野望を胸に、伊勢にはもう帰らない覚悟で息子の元網に家督と居城の浜田城を明け渡し、自らは伊勢連合軍の総大将になり武将のいない清洲を落とし、尾張を支配下におさめた後、伊勢の関氏や長野氏らの有力武将を倒すという算段で今この戦場に立っている。だが清洲には坂井大膳という数年前まで尾張で大勢力を誇った強敵がいた。そして総大将の彼を討とうとしたところ、彼の側近らしき槍の達人が目の前に立ちふさがっている。本当に、何もかもうまくいかないな、と藤綱は内心ため息をつく。だがまだ勝つ余地はある。左翼が崩されたことをいち早く察知し、本陣を前に動かしたことで中央の戦いはこちらが優勢で進んでいる。あとは目の前の二人を討ち取ればいい。
藤綱は自身の槍に自信を持っていた。愛槍を握り締め敵の連続攻撃をいなす。そして反撃の一撃を敵の横原に突き立てる。そして勢いよく引き抜く。敵の顔が苦痛に歪む。そしてさらなる一撃をーー
「とどめじゃあ!!」
坂井大膳は一流の策略家である。戦の指揮もそうだが主とするところは敵の家臣を裏切らせたり、敵地で内乱を引き起こしたりなどの策謀である。逆に以前、那古野城で刺客に襲われたとき何もできなかったように大膳個人の戦闘力は決して高いとは言えない。鍛錬は欠かしたことがないため剣も弓も人並みには扱えるがどれも飛びぬけて出来るものはない。
大膳は昔からそのようなセンスのある者が羨ましかった。その考え方が変わったのはあの時だ。那古野で刺客に襲われ、息子が体を張って自分を守ったとき、いや、あの時だけじゃない。3歳の頃から銃術などで天才的な能力を開花させる息子には嫉妬の念は湧かなかった。むしろ嬉しかった。自分に無いものを持っていることが嬉しかった。そして8年越しに再開して信長のもとで大隊を任され戦で次々と戦果を挙げる息子を見て確信した。大助は俺を超える。俺の小賢しい戦い方とは真逆のまっすぐな戦い方で、主君を操り人形にした俺と真逆でしっかりと主君を守り、支えて。誰もが認める最強の武将になる。そう、大助は俺と真逆なんだ。皆に認められ、正しく強い大助を見ていると俺は今までの俺の人生が恥ずかしかった。今までの人生が否定される気分だった。俺は自分の人生の中でやれることはすべて精一杯やってきたと言い切れる。それでも、だからこそ、人にセンスや才能など格差を作った神を憎まずにはいられなかった。
そんな足搔いてばかりの人生だった俺にもまだやれることはある。
「とどめじゃあ!!」
「ッ!?」
彦三郎の脳が判断する、この敵の一撃は回避不可能、防御不可能。即ち死。それを悟った彦三郎は無念ながらも目を閉じた。そして、衝撃が…………その瞬間が来ることはなかった。恐る恐る目を開けると誰かが彦三郎をかばっている。胴体を槍に貫かれて。そしてそれはーー、
「あ、わ、我が主!!」
「ひ、彦三郎、刺せ!!」
主のその言葉の意味を理解するのに僅かな時間を要した。だが腹に刺さった槍を必死につかんでいる主の姿を見て、察した。今が敵将を討つ絶好の機会。
「うあああぁぁぁ!!!!」
「ッ!! 馬鹿な!!」
叫びながらがら空きの敵将の腹を刺し貫いた。それと同時に主の槍を抑えていた手が落ちた。敵将は馬に乗る状態を維持したまま死んでいた。
次の瞬間に様々なことが同時に起こった。敵軍の士気の急落、大膳が刺されたことでの味方内での動揺、右翼の悠賀の中央の戦の乱入。述べることはたくさんあるが、最も大きかったのは、
「全軍突撃! 大助は中央、利家は左翼の救出に向かえ!!」
信長、大助らの到着であった。
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