第78話 八幡原の決戦 壱
濃霧に紛れて唐突に出現した上杉軍を前に信玄は冷静に状況を整理する。
「裏をかかれたか」
勘助の策では上杉軍が慌てて山を降ってくるのはあと6時間後くらいの予定だった。作戦が上杉に漏れていた? そんなことはないはずだ。作戦を兵士に伝えてからまだ2時間も経ってない。それ以前は我と勘助しか作戦は知らなかった。
信玄の頭に思い浮かぶのは上杉の間者として忍び込んで、我に二重間者として雇われた信長の配下という青年の姿。だが彼も軍議の場で勘助の策を却下したのを見ていたし、その後すぐ城を出て行ったのを確認している。再度侵入したという可能性もなくはないが低いだろう。どこから漏れた? いや、そんなことを考えてもどうにもならない。今わかっているのは作戦の裏をかかれ、ピンチに陥っているということのみ。すぐに対応をしなくては。
「信繁! 陣形を作れ!! 鶴翼だ!!」
「了解です!!兄者!!」
即座に鶴翼の陣を作るよう指示を飛ばす。武田の家臣団はいつも陣形を作れるよう訓練をさせているし、兵士の方も5人組にしているためこういう時にも対応できるはずだ。
「クソっ」
思わず漏らした小さな悪態は誰にも聞かれることなく戦場に消えていった。
政虎たちと別れた俺と利家、祈は少し離れた大きな木の上で川中島の戦い観戦としゃれ込んでいた。
「武田はいきなり襲われたっていうのに意外と冷静に……しかも陣形まで作ってるぞ!? 鶴翼だ」
「陣形なんて実戦でとっさに使うことは現実的ではないって三位先生が言ってたのにな。それに対して政虎様は……」
「ただ一斉に突撃したのならば鶴翼の餌食になるはず……そうならないということはあれも何かの陣形なのでしょうか?」
「あれも陣形だ。しかもすごい高度な。えっと名前は……」
「車懸りの陣、だったと思う」
大将の政虎を中心に兵士が時計回りに回転しながら敵を攻撃する、超攻撃型の陣形。三位先生は確か「理論上は回り続けることで常に新しい兵を敵に当てることができる。だが兵がこれほどに緻密に動くことはない。机上の空論だ」って言ってた。三位先生が机上の空論と切り捨てた戦法を実現してみせた。
「さすが、政虎様ですね」
「ああ、すさまじいな」
「このままだと武田はあっという間に壊滅するぞ!? 大助、武田信玄はこれでやられるような男なのか?」
「……」
正直あの信玄がこれでやられるとは思えない。だが相手はあの上杉政虎だ。政虎の攻撃を前にして何もできずに敗北、というのも考えられる。利家に聞いたところ武田軍は半分を別動隊として妻女山を攻めて、今ここにいる本隊で上杉を殲滅、という作戦を立てていたらしいがそれが完全に裏目に出た形だ。兵力面でも作戦面でも今、上杉軍は武田軍を圧倒している。
「何もできずに負けるってことはないと思うけど、政虎様の攻撃が凄まじいから、何とも言えない。戦術的な話をするなら武田は今無人の妻女山を攻めようとしている別動隊が合流するまで耐えるしか勝ち目はないと思う」
「俺も同意見だ。逆に言えばそれまで耐えれば上杉軍は武田の作戦通り挟み撃ちにされる形になる」
「でも政虎様は……」
「ああ、そんな時間はかけないだろうな。車懸りはその表れだ」
「じゃあこの戦は……」
「「政虎様が勝つ」」
祈の質問に俺と利家の言葉が重なる。そう、この時点では政虎の勝利は確実なように思えたのだ。
「意外に攻めきれないな」
「ああ、別動隊が合流するっていうのが現実味を帯びてきた」
開戦から3時間。上杉軍が依然有利、有利なのだがなかなか攻めきれずにいた。こうなってくると武田の別動隊と合流して挟み撃ちっていうのが現実味を帯びてきてた。
「あっ」
「ん?」
「動きが、変わった……?」
上杉軍の動きが変わった。部隊を3つに分ける。二つは鶴翼の両端、そしてもう一つは真ん中に突っ込んでいく。車懸りで十分敵を削ったから直接首を取りに行くってことかな?
「武田の左翼は赤備えってことは山県昌景、右翼は……俺の上司(数時間のみ)だった副将軍の武田信繁だな。中央は信玄本人と軍師の山本勘助……万全の体勢だな」
「政虎様突破できるんでしょうか?」
「わからん。もちろん上杉も精鋭ぞろいだし」
そんなことを話している間にも戦は進行する。
「左翼は拮抗してますね。上杉の方は……宇佐美定満殿と柿崎景家殿ですね」
「右翼は……おっ!! だいぶ押してるぞ!!」
「あれは……村上義清殿と北条高広殿ですね」
「んん? あれは……」
俺がたまたま右翼で見ていた戦場に見知った顔が見える。
「これマジやばいっす!!」
「死ぬ!! ほんとに死ぬって!!」
「そーだそーだ!」
「……絶対、絶命」
上杉の兵士に囲まれている。うーん、一応武田信繁隊、第3部隊、歩兵6番、ヘ組の仲間だし見てるところで死なれるのは気分が悪いな。
「ちょっと行ってくる」
「へ? どこに?」
「知り合いが死にかけてるから。ここで待ってて」
「え?ちょ!?」
「大助!?」
組長の顔をつけて囲まれている現場に乱入する。
「組長!?」
「ふぇ?」
「そーだそーだ?」
「……英雄は、遅れて、登場」
「待たせた、だべ。 オイラ参上!!」
かっこいい登場のはずが一人称と語尾のせいでクソだせぇ。とりあえず周りにいた上杉兵をキックと峰打ちで気絶させる。
「待たせたべ」
「ほんとっすよ! どこいってたんすか?」
「そーだそーだ!」
「……失、踪?」
「日課のジョギングを……」
さすがに無理があるか?
「なるほど」
「そういえば言ってましたっすもんね」
「そーだそーだ」
「……迷、子?」
「ま、まあそんなとこだべ」
相変わらずチョロいなこいつら。
「とりあえず助かりました、組長」
「ほんっとーに死にかけたっす!!」
「今この戦場は上杉軍が三軍同時で左翼、右翼、中央を攻めてる。ここ、右翼は相当こっちが押されてる状態だべ」
「……激、ヤバ」
「そーだそーだ」
「で、オイラ遅れてきたから知らないんだけどこの軍はどういう命令受けてるんだべか?」
「主に副将軍様の護衛っす」
「そして副将軍様はここで敵軍を押しとどめるために戦っているようです」
「でもたぶんこのままだと右翼は崩壊する。上杉の一部はすでに……」
「武田の将・武田信繁を討ち取ったり!!!!」
「「ウォォォォォォ!!!!」」
右翼の防陣を突破しつつある、そう言おうとした時だった。上杉軍の大きな歓声と戦場に副将軍・武田信繁の首が高く掲げられたのは。それは右翼の武田軍が崩壊したことを意味していた。
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