第7話 バレバレなバレンタイン

 部屋に戻ると千早は雑誌を見ていた。本屋で見つけて表紙買いしたカクテル図鑑だ。ちょっとドキっとしたけど、お菓子のレシピ本はキッチンに置いてあるし、これくらいなら大丈夫だろう。


「それ、大人な感じでカッコいいだろ」


「おう、成人したら二人で飲みに行きたいな、でもバーとかハードル高そう」 


「カフェバーっていうのもあるよ、ほらここに載ってるとことか」


「ああ、こういうお店なら気軽に入れそうだな、いつか一緒に行こうぜ」


 千早は雑誌を閉じ、本棚に戻しながら言った。


「約束だぞ」


「うん」


「じゃあ、俺、帰るわ」


「待って、下まで一緒に行く」


 千早の荷物を持ってやろうと紙袋にクッキーの入った瓶を入れながら、

結局これを渡した女の子の事は聞けないままだったのを思い出す。

 でもこれ以上クッキーの話はしたくなかったので黙っておくことにした。

 

(また、今度、聞けばいいや)


 僕はいつものように玄関先まで見送ると千早が靴を履きながら小さく


「ありがとな」と言った。


 僕は最初、何のことか分からなかったけど、家に上がってお茶を出されたことに対する礼だろうと「うん」と答える


 千早は僕の頭をぽんぽんと叩いて「またな」と笑って手を振って帰って行った。


 急に口数が少なくなった千早が少し気になったけどクッキーの事をごまかすのに疲れてしまったので早めに帰ってくれて正直ほっとしてしまった。


 

 その夜、父さんが帰ってきて、夕飯時に「清人~、ク」と話しかけられて

思わず「うわぁああああ」と条件反射のようについ叫んでしまって藍と母さんをまた驚かせてしまう。

 

 父さんはきょとんとしながら「区報知らない?」と聞いてきて、なんだよ、区報かよとつい不貞腐れてしまう。藍が不審な顔でじっと見てくるけど無視を決め込んだ。


 しかしながら僕の沈黙もむなしく藍は紗友里から事情を入手したらしくしばらくはクッキーを見るたびに思い出したように笑っていた。


 なんの運命か一つ年下の藍は同じ高校で紗友里とはテニス部の先輩後輩の関係なのだ。まったくたちが悪いことこの上ない。しかも千早の彼女の事は知らないのか教えてもらっていないのか僕が聞いても本人に聞けばと軽くいなされるのだった。


 嵐のようなバレンタインが過ぎ去ってからも千早が誰かと付き合い始めたという噂はついぞ聞かなかった。千早は何も言わないし、いたって普通に登下校している。

 誰かと一緒に帰るとか二人で歩いているところを目撃されることもなかったのである。


 その後は学校で会った時に何度か話はしたけれどお互いの家に行くこともなく春休みになり、それは唐突にやってきた。


 千早は父親の転勤にともない、家族と一緒に引っ越しをすることになったのだ。


 引っ越しの朝、突然訪ねてきた千早が書店の袋に入った何かの雑誌らしきものを僕に手渡す。


「これ、お礼」


 僕はそんなことよりも千早がいなくなることがショックでほとんど泣きそうになりながら詰め寄った。


「なんで教えてくれなかったんだよ! こんな急に」


「ごめん、言えなかった」


「もっと早く言ってくれたら」


「俺がもっと早く言ったら、どうしてくれてたの?」


「えっ」


 僕はどうしてた? 千早がいなくなるのが分かって、一体僕に何ができる?

自分がはなった言葉に答えがないのに気づく。知ったところで何をどうすることも出来やしないんだ。

 

 僕はもう何も言えなくて俯いてしまう。千早が俯いた僕の耳元に口を寄せ何か囁いたあと、僕の頬を湿った暖かいものがかすめて行った。


「じゃあな」


「じゃあな、なんて言うな。一緒にカクテルを飲むって約束しただろう、守れよなっ」


 今は高校生で自分ではどうにもできない事が多いけど大人になれば自分の意思で会いに行くことだってできる。いつだって僕はポジティブだ。


 千早はあははははと笑い出して


「そうだな、約束したもんな。キヨ、またな!」


「おう、またな!」


 そうして千早は遠く離れた地に引っ越して行ったのだった。


 残された僕は千早がくれた書店の袋を開けてみる。その中には僕がバレンタインに紗友里に頼まれてクッキーを作った時、お礼に欲しいと冗談で言っていたお菓子のレシピ本が入っていた。


 あれっ? なんで千早がこれを僕にくれるんだろう? ああそうか、彼女がお詫びに買ったのを千早が持ってきてくれたんだな。律儀だなぁ。


 えっ、そうするとあのクッキーは僕が作ったって千早が知ったってことじゃないか? ええっ、千早は何も言ってなかったけど? それより、千早の本命って一体誰だったんだ?


 僕は頭の中がクエスチョンマークでいっぱいになりながら、紗友里に会ったら今度こそ本命の彼女の名前を聞いてやるんだと息巻いたのだった。



つづく

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