第29話 中学三年・二月


『ああー、もうなんなのいきなり分散登校って』 


 グループLINEに投下された河合かわい美菜みなのメッセージに真っ先に反応したのは、篠川しのかわ瀬奈せなだった。


『仕方ないでしょ。百年ぶりの世界的な感染症なんだから』

『スペイン風邪な。ちなみに、スペイン風邪ってのは、アメリカではじまったらしいな』

『じゃあなんでスペインってつくの?』

『スペインが最初に公表したから、このありがたくない名称をたまわったそうよ』

『でもコロナって、そこまで危険なウイルスなの?世界的感染症って、もっとこう、人がバタバタ死ぬイメージだったんだけれど』

『死んだり死ななかったり、よく分かっていないところが恐いって話よ。そもそも致死性が高すぎたら、人から人に感染させる前に、宿主が死んじゃって、あまり広まらないからね』



 新型コロナウイルスの世界的大流行を受けて、我が中学も一日おきに交互に通学する、分散登校に切り替わった。


 でまあ、なんというか、そこそこひまになった。一、二年生はやれ自宅待機用の課題が色々と出されて大変そうなのだが、受験生の俺たちには、ほとんど出ていない。外出するのもなんとなく自粛傾向なので、必然的に家にいることになる。それで、我が文芸部のグループLINEも、無駄に会話やりとりが増えてきたのが、今日この頃だ。

 

『てか、瀬奈っちのグラビア活動とかどうなるの?』

『事務所も考え中みたい。どちらにしろ、撮影は三月になるし、そのときにどうなっているかは分からないけれどな』

『三月かー。うちらも、その頃に高校受験だね』

『この調子だと、試験もどうなることやら』

『オンライン試験だと、助かるな。寒いから、家から出ないで受験したいよ』

『無理でしょう?家からなら、カンニングし放題だし』

『てか、三月にはだいぶ寒さも和らいでいるだろう?』

『そういう問題じゃないでしょう?』

 

 とまあ、こんな感じでグループLINE内のやりとりはやたらと増えている。皆、人との交流に飢えているってのもあるんだろうな。


『とりま、うちは勉強に戻る。東校、落ちたらしゃれにならねーし』


 美菜のその一言を合図に『そうだね』『おやすみ~』『また明日・・・・・・じゃないな。そのうち学校で、だな』と各々あいさつを交わして、トークはおひらきとなる。


 こういうとき、きちんとグループLINEをめることのできる美菜みなは、強いな。親が子にスマホを持たせたくない理由のひとつに、グループLINEで深夜までだらだらとトークにふけるから、というのがあるという。その点、良い意味で空気を読まず、切りのいいところでさっさと終わらせられる美菜みたいな存在は、貴重だ。


 では、俺も勉強に戻るか。



 翌日。分散登校で、今日は二日ぶりの学校だ。


 瀬奈とは同じクラスだが、悲しいかな、登校日は別になってしまった。まあ、会ってもぺちゃくちゃと会話するのは、はばかられるご時世だが。


 マスクをしたクラスメイト、そして教師たち。彼ら彼女らと共に受ける授業は、いつになくひっそりとしている。マスクをしたまま、誰とも会話を交わさない休み時間。黙々と前を向いて食べる給食。元々、あまり交友関係の希薄な俺にとってはそこまで苦にはならないが、それでも一抹の寂しさを覚える光景だった。


 部活動も全面的に休止状態なので、俺たち三年のみならず、一、二年も一斉いっせいに下校する。


 そんな中、声をかけてきたのは腐れ縁の友人・松清まつきよだった。


「よう井神いかみ。元気しているか」

「元気じゃなかったら、休んでいるな」


 ちょっとでも体調が悪かったら、休みをとることが推奨される空気だしな。


「そうか・・・・・・いやまあ、俺もそうだけれどな」


 いつもより声が小さく聞こえるのは、マスクをしているから、だけが理由ではなかろう。こいつはこいつなりに、つかって、努めて小声で話しているみたいだ。


「でも松清。お前は推薦で桜間さくらま高校は決まっているから、わざわざ学校に来なくてもいいんじゃないか?授業を受ける必要もないだろうし」


 まったく。こういう状況になると、推薦組が羨ましくなってくるな。


 だが松清は、ゆっくりと首を振る。


「いや、それがさ・・・・・・俺、工業高校も、ちゃんと受験しようかって考えてんだよ」

「へえ、どういう心境の変化だ?」


 親の希望で、工業への受験はどちらかといえば消極的。本命はサッカーの強い桜間さくらま。そんな感じだったよな。


「いやさあ・・・・・・俺、サッカーしたくて桜間さくらま目指していたわけじゃん」

「だな」

「それでさ、井神。よく考えてくれ。あと二ヶ月ばかりで俺たちは高校生だ。それまでに、このコロナの大流行が収まっていると思うか?」

「・・・・・・まず無理だろうな」

「だろう?井神先生の見立てでは、このコロナが収束するのはいつぐらいだと考えている?」

「俺は感染症の専門家ではないが・・・・・・100年前のスペイン風邪はたしか、収束まで三、四年はかかっていたから、それぐらいの時間はかかるんじゃないか?」

「だろう?仮に三年後に収束したとしよう。その頃俺たちは、もう高校三年生じゃないか」

「そうだが」

「つまりだ。下手すりゃ俺たちの世代は高校三年間、サッカー部のような運動部はまったく活動できなくなる可能性もあるよな?」

「・・・・・・ああ、たしかに」


 俺は軽くうなずき、松清の意見に同意する。


「だったらさ、あんまりじゃねえか?わざわざサッカーしに入ったのに、高校三年間、部活動はありませんでした、て。なんのために私立の強豪校にいくんだってはなしだよ。それならさ、就職も良い工業もありかな、て。だとすれば、真面目に授業受けて、勉強しなきゃだろ?」

「なるほど」


 コロナ禍で、松清も考えを変えたんだな。そのことに、少し感心する。


「まあ、あと一ヶ月でどこまで伸びるかは微妙なんだけれど・・・・・・じゃ、俺はこれで。見とけよ井神、高校なったら、俺も篠川しのかわより遙かに巨乳な彼女をつくって、お前を見返してやるからな」

瀬奈せなとは付き合っていないと何度いえば分かるんだ?」

「はいはい、またな」


 こうして、俺たちはそれぞれの帰路につく。


 見上げると、どんよりと厚い雲が立ちこめた冬の空が、例年と同じように広がっていた。 だけれど、この空のもとに暮らす人々には、沢山の変化が、現在進行形で起こっているんだろうな。

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