第28話 中学三年・一月 その2


 新学期が始まった。泣いても笑っても、中学最後の学期。


 新学期早々にあった実力テストは、俺も瀬奈せなも、美菜みな咲良さくらも、これまでと変わりない成績だった。内申点の配分が高いというはなしだが、ひとまずこれまで通りならば、心配するほどでもないだろう。


 で、実力テストが終わるといよいよ高校受験モードに突入する。


井神いかみってさ、私立しりつ受けるの?」


 数ヶ月ぶりに松清と話す機会があった際、そういう話題になった。


「ああ。一応な。公立一本は、ちと恐い」

「そっかー」

「お前はいいよな。桜間さくらま高校、推薦で通ったんだろ?」

「お、情報漏れてるのか・・・・・・あまりひけらかすなって、教師たちから釘を刺されてんだけれど・・・・・・でもま、工業も受けるから、まだ受験生だよ」

「へえ、もう合格してるのにか」

「親が、どちらかといえば公立に行って欲しい感じではあるんだよな・・・・・・だから、とりあえず公立の選択肢は残しておくつもり。といっても、工業落ちたら、話にならないけれど」

「だな」


 理由はよく分からないが、俺たちの住む地域の工業高校の倍率は、三倍前後だ。一倍そこそこしかない公立の進学校と比べると、かなり高い。ちゃんと勉強しておかないと容赦なく落とされる。


「ということで、これからも塾で勉強だよ・・・・・・井神も頑張れよ」

「ああ。じゃあな」


 松清との会話が、こうして終わる。



「はあ~」


 瀬奈の吐く溜息ためいきが、白い呼気となって、大気に溶けていく。


「どうしたんだ、そんな嘆息たんそく、瀬奈らしくない」

「うーむ・・・・・・わたしたちも、いつの間にか高校生かー、てしみじみと思いをせていたのよ」

「まだ受験していないから、高校生になれるかは分からんけれどな」

「大丈夫よ、きっと受かるわよ」

「へえ。瀬奈にしては、随分と自信満々だな」 

「というか、高校どこも受からなかったら、ヤバいでしょ?」

「たしかにな。でもほら、瀬奈はグラビアアイドルになるわけだし、芸能界という道もあるわけじゃん」

「芸能人でも、大抵の人は、高校までは出ているわよ?」

「いや、そう反論されたらなにも言い返せないけれどさ」

「高校ぐらいまでは出ておいた方がいいのよ。芸能人だろうと」

「そうだな・・・・・・ん?ちょっと気が早いけれど、瀬奈は大学進学はどうするつもりなんだ」

「考え中。そもそもまず目の前の高校入試を突破しなきゃだし・・・・・・でも、一応大学までは出ておきたい、て気持ちはあるわね。井神いかみくんは?」

「同じ感じだ。ただ、どういう方面目指すかはよく分からん」

「でも、理系方面に進むのよね」

「ああ。でも、一口に理系といっても、色々あるからな。医療系も工学系も、理論物理とか、どこ目指すかは、高校入って考える」


 多分、医療系はないんじゃないかなといううっすらとした予感はあるかな。


 俺は、話題を変える。


「そういえば、瀬奈のグラビアの撮影はどうなんだ?そろそろ、始まるのか」

「うーん・・・・・・春休みになるみたいね」

「そうか」

「・・・・・・」


 瀬奈からの応答が無く、しばし会話が途切れる。


 その沈黙を破ったのは、俺からだった。


「瀬奈、ひょっとして、いまになって、水着になるのに抵抗をおぼえているのか?」

「え?」


 どうやら図星ずぼしだったようだ。瀬奈は、がちに話を再開する。


「井神くん、よく分かるね・・・・・・うん、そうなの。今になって、急にブルーになっちゃってさ・・・・・・あはは、わたし何いってるんだろうね・・・・・・」


 弱々しく笑う瀬奈。


「胸が大きい、ていうコンプレックスを武器にしよう、て思ってたんだけれどね。いざ、自分の素肌を不特定多数の人の目にさらされるんだ、てなると不安がね・・・・・・ホント、情けないよ」

「いや、情けなくはないだろ」

「へ?」


 笑っちゃうくらいに、けた声で反応する瀬奈。


「グラドルになるっていうのはさ、言うなれば自分を性的な客体きゃくたいとして売り出す、てことだろ。瀬奈はさ、いままで散々、男子の好奇とセクシュアルな視線に晒されて、少なからず傷付いてきたんだ。瀬奈はいま、それを逆転させようとしているんだ。苦しさや不安はあって当然だろ。それでやめても、誰にも文句を言う資格はない。男子の俺がこんなこといっても、説得力がないけれどさ」

「おお・・・・・・」


 隣を向くと、瀬奈が目を丸くして感心しているのが見てとれた。


「さすがは井神いかみくん、二次元にしか興味ないだけあるわね」

「だろう?」

「褒めてないわよ。でも、普段二次元しか異性として認めていないから、そういうことが言えるのかもね」

「まあな」


 あいまいに答える俺。厳密には、二次元しかということはないのだがな。


「色々いっても、井神くんはグラビアアイドルなんて、一人も興味ないんでしょう?」


 どこか挑発するような上目遣いをしてくる瀬奈。なんか、ずるいな・・・・・・こういう態度してくるの。胸元に目がいきそうになるのを、こらえながら、俺はカウンターをかけてみる。


「まあな。だけどこれからは、ひとりくらい好きなグラビアアイドルが出現するかもね」

「へえ、誰よ?」

「そりゃあ・・・・・・」


 ゆっくりと、目の前の同級生に目を向ける俺。しばらくして、瀬奈は俺のいわんとしていることを察したようで、人差し指を自身に向ける。


「え?わたし・・・・・・」

「そうだよ。もちろん、瀬奈がやっぱりグラドルをしない、ていうなら、それでも構わないけれど」

「わたしが・・・・・・好き・・・・・・」

「そりゃ、知り合いが芸能界入りしたら、真っ先に好きになるに決まっているだろう?」


 瀬奈の頬が朱色に染まったような気がするが、それが夕陽の光を受けてそう見えただけなのかは、判断がつかなかった。


 夕焼けに染まる瀬奈は、にっこりと微笑む。


「そっか・・・・・・じゃあやっぱり、もうちょっと頑張ってみようかな。井神くんに、三次元の良さも、知って欲しいしね」

「おう、期待しているぜ」


 実はもう、とっくにお前に思い知らされているんだよ。三次元の良さをな。心の中で、こっそりとそう呟く俺。


「あーあ、なんか井神いかみくんと喋っていると、色々どうでもよくなってくるわね」


 瀬奈は大きく伸びをしながら、誰に向けるでもなく言葉を発する。


「よく考えたらさ、わたしたち初めてなんだよね。こうやって、自分の人生について考えるの」

「そうだな」

「進学校に入ったら、次は三年後の大学受験なんだよね。なんか、あっという間かもしれないね」

「ま、そのときはそのときに悩めばいいさ」


 不安、悩み、焦燥。沢山の感情を抱えながら、これまで多くの先輩たちが通ってきただろう中学三年の三学期を、俺たちもあと二ヶ月ばかり、経験していくことになるのだろう。



 だが――俺のいだいたそんな予想は、大きく外れ、俺たちの三学期は、混沌としたものへと変貌していった。



 一月の後半から、新型コロナウイルスの世界的大流行が、始まったからだ。


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