第20話 中学三年・九月


 長いようで短かった中学最後の夏休みも終わり、中学最後の二学期が始まった。


 七月頃から学年全体にうっすらとただよっていた、「そろそろ進路について考えないといけないな」という空気が、より強くなっているのが感じられた。


 成績のいい奴らは、基本的には進学校に。とはいえ、あえて工業高校に進むのもいれば、高専という選択肢もちらほらいるという噂。それ以外にも、服飾系、美術系等々、進路は様々だ。


「おい、井神いかみは高校どうするんだ?」


 中三になりクラスも別になって、最近めっきりと交流が少なくなっていた我が悪友・松清まつきよと、廊下で鉢合わせたので、久しぶりに会話を交わす。


「西校の予定だけれど」

「へえ、いいなー。やっぱ篠川しのかわ追っかけてか?」

「違う。そもそも、彼女が西校に行くかは、分からないだろう」

「またまたしらばっくれちゃって~。夏祭りで、お前と篠川が歩いているって目撃情報がでてるんだぞ?」

「それは多分、文芸部の連中と一緒に行ったのを、誰かが見たって話だろう」


 多少ごまかしながら、俺は答える。瀬奈せなと二人で花火を見ていたところは、誰かに目撃されただろうか。


 俺は話題を変える。


「そういう松清は、どこの高校に行くつもりなんだ?」

「公立は工業高校をとりあえず受けて、本命は桜間さくらま高校、て感じだな」

「桜間・・・・・・ああ、あのサッカーの強いところか」

「ああ。ま、高校でもサッカーを続けたいとは思ってるんだ。井神いかみは、その点どうなんだ?西校でも、文芸部に入るつもりなのか?」

「んー、ビミョーだな」


 高校に入ると、中学とはそれこそ桁違いに部活の数が多い。特に文化系。うちの中学だと吹奏楽部、美術部、文芸部の三つしかなかつたのだが、物理部やらカルタ部やら、西校には色々とある。


「ま、お前みたいに部活に命かけている連中に比べれば、そこはけっこう適当だよ」

「そうか。ま、お互いに頑張ろうぜ。俺はとりま、推薦を狙わないと・・・・・・」


 そうか。運動部の奴らは、スポーツ推薦とかもあるんだな。まったく、いいよな、運動部はなにかと優遇されていて。


「それじゃ、またな松清」


 俺は松清と別れる。



「ねえ、井神くん。いっしょに帰らない?」


 放課後。部活動もないため、クラスメイトたちも三々五々散り散りに帰り始めたとき、瀬奈が声をかけてくる。


「ああ。いいけれど」

「ありがと。それじゃ、荷物取ってくるね」

 


 俺と瀬奈は、まだまだ暑さの残る帰り道を、とりとめのない話をしながら、だらだらと歩いていく。


 会話が一段落したとき、隣の瀬奈がテクテクと俺の前に歩き出し、くるりとこちらを振り返る。その表情からは、嬉しさと期待と、微かな不安が混然一体となった感情が、伝わってきた。


「ねえ、井神くん・・・・・・」

「どうか、したのか」


 瀬奈は目をつむり、大きく深呼吸をする。そして、口を開く。


「実はわたしね・・・・・・めでたく、審査が通りました!」


 一瞬、なんの話なのかが分からなかった。だが、すぐに理解する。ああ、そういうことか。


「瀬奈、それじゃ・・・・・・グラビアアイドルになるんだな」

「うん。といっても、撮影とかなんとかはまだずっと先だけれどね。まだ、入り口の入り口に立った、みたいな状態だけれど」

「そうか・・・・・・よかったな」

「うん」


 小さく頷く瀬奈。


 瀬奈の水着姿が、高速で脳内を駆け巡り、過ぎ去っていく。


「それで、どうするんだ?」

「まだそこまですることはない、かな。所属する事務所とか、これから決めていくしね」

「正直、まだあまり実感はないけれどね。まあ、芸能界入っても、大して売れないかもだけれど」

「いや、そんなことはないと思うぞ」


 珍しく、俺は瀬奈の言葉をやんわりと否定する。


「たぶんいやきっと、成功する。別に、芸能界なんかちっとも詳しくないから、これはただの直感だけれど」


 しどろもどろになりながらも、そう言葉をつむぐ俺。それは、本心から出た言葉だった。


 瀬奈は、そんな俺を見て、にっこりと笑う。


「ふふふ、ありがと井神いかみくん。井神くんから言われると、なんだか本当にそうなれる気がするよ」


 瀬奈は、眼鏡に軽く手をあてながら、


「あーあ。でもこれからは、もうあまり眼鏡かけなくなっちゃうかもね」


 少しだけ、寂しそうな口調でそう言う。


 夏休み、図書館で勉強会をしたときと夏祭りのときは、コンタクトレンズにしていた瀬奈だが、新学期が始まってからは、再びもと眼鏡めがねモードに戻っていた。


「ま、それも大人になるってことなんだろうけれどさ」

「いや。むしろ、芸能人になって、そこそこ有名になったら、眼鏡は必須になるんじゃねえのか?」

「はい?眼鏡をいつもしている芸能人って、少数派じゃないかしら」


 不思議そうな顔をする瀬奈に、説明する俺。「確かにそれはそうだ。だけれどさ、芸能人って、プライベートでは変装のために、よく眼鏡かけているじゃん」


 週刊誌のスクープ写真とか、大抵、芸能人は眼鏡(かマスク)を着けている印象だ。


「だから、むしろ瀬奈が有名になればなるほど、瀬奈にとっての眼鏡の需要は高まるんじゃないのか、てことだよ」

「ああ、なるほどね・・・・・・」


 どうやら瀬奈は納得したようだ。


「それじゃあ、これからもわたしは眼鏡っ娘なのかな」

「部分的にはそうなるんじゃないのか」


 瀬奈は、しばし空を見上げてなにかを考えたのち、満足そうにうなずく。


「・・・・・・それも、いいのかもね。眼鏡のわたし――井神くんの知るわたしも、立派なわたしの一部だもんね。芸能人になろうと、それが消えることはない。ということかな」

「ん?・・・・・・まあ、瀬奈がそう思いたければそれでいいんじゃないのかな」


 瀬奈の言わんとしていることが、いまひとつ理解できない俺は、あいまいに返しておく。


「ふふふ・・・・・・それに、この眼鏡は井神くんとの思い出のしなだしね。やっぱり、これからも大切に使いたいよ」

「・・・・・・ああ、そうだったな」


 俺は去年の秋頃――彼女がいま着けている眼鏡を一緒に買いに行ったときのことをふと思い出す。早いな、もう一年経つのか。


「あ、じゃあ私はこれで」


 いつの間にか、瀬奈の住む家の前に到着していた。


「おう、じゃあな」


 家に入っていく瀬奈に、軽く手を振ル。彼女も同じ動作をしてくる。


 篠川しのかわを後にして、俺は自分の家への帰路につく。

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