第17話 中学三年・八月 その2


 ミーンミーンミーン、シュワシュワシュワ・・・・・・


 セミの鳴き声の合唱が、波の音のようだな。 そんなことを考えながら、熱中症にならないように、俺は木陰に移動する。


 スマホを確認すると、時刻は午前十時前。ほぼ予定通りについたみたいだ。


 このクソ暑いなか、なぜ俺がここ――公園にいるかというと、話は昨晩にまでさかのぼる。

 


「ねえ、井神いかみくん。よかったら、明日いっしょに図書館で勉強会しない?」


 電話の奥からの篠川しのかわ瀬奈せなの問いかけに、俺の胸は自然と高鳴る。だが、すぐに冷静になる。


「図書館・・・・・・涼しいけれど、ちょっとな」

「えー、どうしてよー?」


 文句を言う瀬奈に、返す俺。


「夏休み真っ盛りのこの時期、図書館も俺たちと同じ考えの学生は多いだろう?人混みは嫌いなんだよ」


 それに、図書館では静かにしないといけない。せっかくだから、瀬奈と会話をしたいものな。


 瀬奈は俺の心を読んだように話を続ける。


「井神くんがそう言うと思って、個室を予約しておいたわよ」

「え・・・・・・?」


 個室って、図書館にそんなのあったっけ?瀬奈と二人きりで個室・・・・・・背徳感マックスの字面じづらだ。


「厳密にいえば、会議室よね。五~六人分の椅子があって、会話もオーケーな場所よ。そこなら、人混みも気にしなくていいからさ」


 用意がいいな瀬奈は。というか、俺があまり図書館を利用しないからかな。


 いずれにせよ、俺は瀬奈と図書館に行くことは、決定したようだ。



 ・・・・・・というのが、昨日起こったことの、おおよそのあらましだ。


 で、俺はいまこうして図書館近くの公園で、瀬奈を待っているわけだ。 


「井神くん、おはよ~。あ、待たせちゃったかしら?」


 待ち合わせ時刻の午前十時ぴったりに、篠川瀬奈はやってきた。


「いや、俺もさっき来たところだ・・・・・・」


 振り向いた俺は、そこに出現した瀬奈の姿に、思わず見入ってしまう。


 瀬奈の服装は、ザ・夏とでも表現するべきものだった。白のノースリーブのワンピースに、麦わら帽。なんかもう、狙ってきているとしか思えないな。


 だが、なによりも驚かされたのは、いつもの特徴的な丸眼鏡が、その顔から消滅していたのだ。瀬奈が眼鏡を外した姿は、幾度か目にしたことはあったが、こう堂々と素顔を見るのは初めてだ。


 瀬奈は、おもしろおかしそうに口元を綻ばせる。


「ふふふ、予想通りの反応だね」

「コンタクトレンズに、したのか?」

「うん、そうよ。どうかしら?」


 胸を張り、そう答える瀬奈。


「そうだなあ・・・・・・いつも眼鏡の姿ばかり見ているから、違和感があるな」

「えー、ひどーい。せっかく、頑張ってコンタクトにしたのに」


 頬を膨らませる瀬奈。それはそれでアホみたいに可愛いのだが、そういう問題ではなく。


「そもそも、なんで突然コンタクトにしたんだ?」

「そりゃあ、ねえ・・・・・・眼鏡をかけたグラドルなんて、いないでしょ?だから、ちょっとは慣れておこっかなー、て思ったのよ。ま、審査に落ちたとしても、来年の高校デビューに備えておこうかな、て」

「なんだよ、高校デビューしたいのかよ」

「・・・・・・そこまで、欲はないけれど。気分の問題よ」


 あまりじろじろと見つめるのも嫌がられるだろうので、自制しつつ、瀬奈の全身を見てみる。あらためて見てみると、瀬奈ってけっこうスタイルがいいんだな。背が高いとは思っていたが、スラリとしていて、なるほどこれは確かにグラビアアイドルに向いているかもな。


「それじゃ、図書館に行こうー」


 瀬奈のかけ声を合図に、俺たちは図書館へと向かう。


 

 図書館の奥まった場所に、会議室はあった。長机を二台くっつけた周りに、椅子が7脚配置されている。防音設備が整っているようで、「会話可能。ただし大声はつつしんで」と壁の張り紙に書かれている。


 机の上に、それぞれ持ち寄った問題集や参考書を広げ、俺たちは勉強を開始する。


 瀬奈の得意科目は英語と国語。苦手科目は理科。一方、俺は英語が苦手で、数学・理科が得意。お互い、苦手と得意が逆なので、カバーできるはずだ。


 時計を見ると、午前十一時を少し過ぎたくらい。約一時間ほど経過している。


「ねえ、井神いかみくん。夏休みの宿題って、多いわよね」


 勉強が一段落したところで、瀬奈せなが不意にそう漏らす。


「なんだ、いまさら。毎年のことじゃんか」

「うん、そうだけれどさ。今年は受験があるから、なんか、例年になくめんどくさいっていうかな」 

「それは分かるな。受験勉強もしつつ、課題をこなしていく、て感じだしな」

「はあ~」


 集中力の糸が切れたのか、瀬奈は机の上に突っ伏するように伸びる。むき出しの白い肩とその下から見える脇。その無防備な姿に、理性が揺らぎそうになる。ったく、そういうところだぞ。こいつは俺を男子と認識しているのだろうか。


「そういえば、井神くんって、社会科目は得意だったかしら?」


 瀬奈は社会科の問題集を手に取り、パラパラとめくる。 


「ふつー、かな。文系科目全般が、あまり得意じゃないかもだけれど」

「そうよね・・・・・・井神くんは、高校では理系に進むの?」

「ま、いまのところはそのつもりだな」 

「じゃ、西校の理系科を受験するのね?」

「一応、な」


 県立の進学校の四校のうち、南校と西校は、入学試験の段階で、理系科というものがあり、理系進路を考えている奴らは、大体そこを受験する。ただし、理系科を落ちたとしても、普通科でもう一度採点され、そこでもう一度合否を決められるので、全体的な倍率はそこまで高くない。まあ平たくいえば、西校そのものには、ある程度の学力があれば入れる。「瀬奈は、普通科受けるのか」


「うん、まあね。でも、井神くんとは別のクラスになっちゃうね」


 結局、瀬奈も西校を受けることにしたみたいだ。


「ま、いいじゃん。いや良くはないけれど・・・・・・部活とかでも会えるだろうし」

「そうね。さ、勉強再開よ。サボっていたら、西高に落ちちゃうからね」

「そういえば、瀬奈は社会科目は得意だったのか。国語と英語は得意だろう」


 俺は話題を元に戻す。瀬奈は、なんともいえない表情をする。


「それが、ビミョーなのよねえ・・・・・・他の文系科目は得意なんだけれど、いまひとつ暗記が苦手というか」

「だよな。俺も同じ。社会科目の内容って、どうも無味乾燥っていうか・・・・・・あんまし興味がそそられないんだよな」

「ハゲワシの教え方が、悪いのかもね」


 ハゲワシというのは、三年間俺たちの社会を担当している教師・鷲塚わしづかのことだ。そこまで髪が薄いわけでもないのだが、生徒からは伝統的にハゲワシという渾名あだなたまわっている。


「確かにあいつ、授業やる気無しだもんな」

「だよねえ~・・・・・・そういえば、美菜みなちゃんや咲良さくらちゃんは、結構社会科得意だったわよね」

「二人に電話で質問するか?」

「それより、グループラインに、ここにいるから、来れたら来て、て打っておいた方がいいんじゃないかな」

「だな」

「それじゃ、わたしメッセージをあげとくね」


 瀬奈はスマホを取り出し、操作を始める。



 文芸部の同期・河合かわい美菜みな河合かわい《さくら》は、正午の少し前に、やってきた。


「よっ、瀬奈せなっちに井神。夏休みにデートとは、いいご身分だな」

「どう考えても、違うだろうが。あれだよ、みんなで勉強会だよ」


 茶化ちゃかしてくる美菜に、即座に切り返す俺。


「丁度良かった~。井神いかみくんに数学で聞きたい問題があったのよね。隣、いいかしら?」

「ああ、いいよ」


 咲良が俺の隣に座る。


「そういえばうちも、英語が全然分かんなくてさ・・・・・・瀬奈っち、教えてくれるかな?」

「もちろんよ」


 美菜は瀬奈の隣に座る。


 本当は、もうちょっと瀬奈と二人っきりでいたかったんだけれどな。心の中で、小さく呟く俺。


 でも、こうして文芸部の仲間たちと集まるのも、中学最後の夏休みらしいといえばらしいな。だから、これでいいのだろう。

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