第15話 中学三年・八月


 小学生のとき以来、数えて九度目の夏休みに入った。四十日ばかりの休みは、インドア系の俺でもやはり、それなりに心が浮き足立つものだ。だが今年は、ちょっと今までとは違う。なんたって、受験生なのだから。


 夏休みは受験の天王山。夏をせいする者は受験を制す。世間では、そんな格言がもてはやされるが、さて俺はというと。なかなか身が入るものではないな、受験勉強。


 風呂から上がり、一通りテキストをこなして、時刻は夜九時を少し回ったくらい。


「・・・・・・瀬奈せなはどうしているかな」


 今日は八月二日。終業式以来、瀬奈とは直接には会っていない。何度か連絡を交わしはしたが。


 俺はほとんど無意識に、瀬奈に電話をする。短い呼び出し音の後、瀬奈が出る。


「こんばんは、瀬奈」

「こんばんは、井神いかみくん。どうかした?」

「勉強が行き詰まったから、瀬奈の声が聞きたくなったんだ」

「へえ・・・・・・わたしの声を聞けば、モチベ上がるの?」


 おちょくるような、小悪魔っぽい声が耳元でささやきかけてくる。なんだよ、別にいいだろ。てか、瀬奈って声も割と良いよな、いまさらだが。ちょっとアニメ声っぽいというか。


「・・・・・・ま、いいけれど。わたしも丁度、受験勉強が一段落したところだし。井神くん、調子はどう?勉強ははかどっているかしら?」

「いまいち、て感じかな。まあしてはいるんだが」

「中だるみするよねえ・・・・・・わたしも、いうほど勉強はかどっていないしね」

「瀬奈。夏休み、勉強している時間以外って、なにしてる?」

「そうねえ・・・・・・気分転換にアニメ見たりマンガ読んだり、とかかな」

「相変わらずだな。俺もそんな感じ」


 ふうー、と瀬奈のため息が電話越しに聞こえてくる。


「一応、勉強の予定表は作っているんだけれどね。中々、思うようにはいかないものよ」

「へえ。俺、そんなの作ったことねえよ」

「別に、井神くんに強制するわけじゃないけれどね。たださ、このままでいいかなーて気持ちはあるのよね」

「というと?」

「この前もちょっと話したけれど・・・・・・このまま進学校に行っていいのかなー、て」

「ああ、そうだな」


 本当に芸能界に入るとなると、進学校では色々と厳しいものがあるだろう。瀬奈が迷うのも無理はない。


「審査結果は、まだなのか?」

「うん・・・・・・もし通っていたら、九月のうちには連絡が入るんだけれどね。ま、それが問題っていうかさ。わたしのしたいことってなにかなー、とか夜、ベッドの中でつい考えたりするんだよね」

「中学三年なんて、みんなそんなもんじゃないのか」

「井神くんも、そうなの?」

「まあな。といっても、瀬奈と違って、芸能界に向かう選択肢なんてないから、勉強する以外にはないんだがな」


 自嘲じちょう気味ぎみにそう言う俺に、瀬奈は静かに返す。


「その方がいいんじゃないかな?あんまし、わたしみたいに芸能も学業も、みたいに欲張るのもね」

「いいじゃん、欲張ったって」

「ん~・・・・・・井神くん、へんに思わない?グラビアアイドルとしての活動と学業の両立って」

「え?なにがだ」

「なんていうのかな。グラビアって要は性的な魅力を身体的しんたいてきにアピールする活動なわけでしょ。学業と、真反対なことしていて、ちぐはぐじゃんっていう違和感ってないかな?」

「ないよ」


 俺は即答する。


「人間ってさ、キャラの集合体なんだよ。一人の人間でも、時と場合に応じて、いろんなキャラを使い分けているわけじゃん。だからそれでいいんだよ。グラビアアイドルとしての――もちろん、仮にデビューできたとしての話だが――瀬奈も、学業に打ち込む瀬奈も、どっちも篠川しのかわ瀬奈せななんだよ。それでいいじゃん」

「うーん、そうかなあ?」

「そうだよ」

「・・・・・・うん、分かった。なんか、井神くんのはなし聞いていると、もやもやが少し晴れた気がしたわね。ありがと」

「いいってことよ」

「ところでさ、井神くんは夏休み、受験勉強以外になにしてる?」

「俺?瀬奈と大体同じだよ。アニメ見て、本読んで・・・・・・」

「あはは、わたしと全然変わんないね」

「俺たち文芸部は、インドア系の権化だからな」

「ところで、アニメはなに見てる?わたしは最近、今更ながらハルヒシリーズ見てるのだけれど・・・・・・」


 とりとめもなく、それでいて限りなく心地よい会話が静かに交わされていく。


 俺たちの夏休みは、こうして穏やかに、でも着実に過ぎていくのだった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る