第13話 中学二年・九月 その2


 夕食も終わり、入浴も済ませて、自分の部屋にもる俺。時刻は九時を少し回ったくらい。


 宿題も片付けたところで、篠川しのかわ瀬奈せなのことを思い出す。やっぱり、電話の一本でも入れておいた方がいいかな・・・・・・でも、ただの風邪だったら、迷惑かな。いやでもやっぱり・・・・・・と、夕方から瀬奈への連絡を先延ばしにして、とうとうこの時刻になってしまった。


 ・・・・・・よし。まずはLINEで、テキストメッセージを送ればいいだろう。俺は早速、スマホを操作する。

 

「こんばんは、篠川。風邪なの?大丈夫?」

 

 ものの五分とたないうちに、ぽわっ、という通知音がする。スマホの画面を見ると、瀬奈からの返信だ。


「井神くん、こんばんは。お気遣いありがとう。体調の方は・・・・・・うーん、お世辞にも良いとはいえないかな」

 

 そんなに重病なのだろうか。不安が全身を駆け巡り、とくとくとく、と俺の心拍数が上昇する。


 返事を考えているうちに、瀬奈からの二通目のメッセージが届く。


「井神くん、今から電話していいかな?」

「いいよ」と短く返して10秒ほどのち、瀬奈からの電話が入る。


「はい、もしもし」

井神いかみくん、いま良かったかしら」

「ああ。大丈夫だ」


 瀬奈せなの声を聞いて、少しだけ安心する俺。重病だから、てっきりガラガラとした鼻声かと思っていたが、そうでもなかったからだ。とはいえ、声だけで体調が判断できるというものでもないが。


「風邪、そんなに悪いのか?」

「風邪・・・・・・?ああ、うん。まあね」


 電話の奥で、曖昧な返事をする瀬奈。


「・・・・・・」

「・・・・・・」


 俺たちの間に、沈黙が流れる。だがそれは決して気まずいものではなかった。ただじっと、相手が次の言葉を探すのをお互いに待ち続けるための、必要な静寂。


 先に言葉を探し当てたのは、瀬奈の方だった。


「ねえ、井神くん。いままでさ、学校に行きたくない、て思ったことはある?」

「え?なんだ急に・・・・・・そんなの、何十回何百回と数え切れないくらいあるよ、小学生のときから。学校教育というシステムは、俺にはあっていないみたいでな」

「ふうん・・・・・・そうなんだ。なんか、ちょっと意外」

「そんなことねえだろ。俺の性格を考えたら、少しは分かりそうなものだろう」

「・・・・・・だって井神くん、中学入学から今日まで、一日も休んでいないでしょ」


 言われてみて、ふと気付く。確かに今のところ、皆勤賞だ。


「そんなに毎日登校しているんだから、てっきり学校って場所が、そこそこ好きなのかと思っていたのだけれど」


 そんなことはない。ないはずなのだが、現に中学には毎日通い続けている。


 なぜだ。心の内で、自問する。振り返ってみれば、小学校のときはしょっちゅう雨が降ったのなんだので、ズル休みをしていた。だけれど、どうしたことか。中学に入ってこの一年半、俺は一度も休んだことがない――。


 俺の頭脳はめまぐるしく活動する。この1年半のことが、脳裏に高速で再生される。入学式。クラスの半分以上は知らない奴らばかり。篠川瀬奈の自己紹介。入学早々、いきなり隣の席になった彼女。昔から本を読むのが好きだったので、ごく自然な流れで文芸部に入部。そこでも一緒になった篠川。同じ文芸部の、河合かわい美菜みな河合かわい咲良さくら。文芸部での日々。いつも隣にいる瀬奈。カタカタ、カタカタ。彼女の打つキーボード音。いつもの音。安心できる音。


 記憶のなかの四季の風景が、流れるように変化していく。そして、様々な情景がひしめき合う混沌とした脳内は、やがて一つの像を結ぶ。クラスメイトにして、部活の仲間・篠川しのかわ瀬奈せなの姿に。


 ああ、そうか。中学に入ってからこの一年半、俺が一度も休まなかった理由は――


「いや、別に学校は好きじゃないんだけれどな。ただ、瀬奈と会えると思ったら、ついついズル休みをしようって気持ちが、せていくみたいな?」


 自分なりに精一杯、おどけた口調で言ってみる。


「はい?・・・・・・つまり井神いかみくんは、わたしと会いたいから、毎日学校に来ている、ていうことかしら?」


 驚きと怒りと、そしてそれを上回る大きな感情を帯びた声が、電話越しに聞こえてくる。 すぅ、と俺は大きく深呼吸をして、目の前に瀬奈せながいるつもりで返事をする。


「ああ、そうだが。なにか悪いか?」


 もうこうなったら、開き直ってしまえ。出たとこ勝負だ。


「悪いもなにも・・・・・・いや、別に悪くはないわよ。ただ、それを堂々と言うのはどうなのか、てはなし」

「話さない方が良かったか?」

「そういうわけじゃないけれど・・・・・・」


 もにょもにょと何かを口ごもった後、瀬奈は聞き取りやすい音域に、声量をあげる。


「井神くん。突然だけれどさ、毎年九月一日は、一番こどもの自殺が多いっていうじゃない?」

「ああ。そうだな」


 俺も似たようなことを考えていたよ。と心の中で付け加えておく。


「でもさ、今年はちょっと違っていたよね。だって、九月一日、二日って、土曜日曜で休みだったじゃん」

「そうだな。おかげで、夏休みが二日ばかり伸びた。めでたいことだ」

「わたしね、それが原因でここ数日、学校に来れなくなっていたんだ」


 俺はただ「そうか」と短く返して、瀬奈の話の続きをうながす。ゆっくりと、電話の奥の声が、俺に語りかけてくる。


「なんかさ、夏休みが終わりに近づくにつれて、学校行きたくないなー、て気持ちが漠然と膨れてさ。四十日くらいの長い休みで、すっかり身体が学校に行きたくないモードになってしまった、ていうのかな。でも、さっき言ったみたいに、今年は九月一日も二日も休みだったじゃん。だから、大丈夫かなって思ってたんだけれど」


 かえって、ふんぎりがつかなくなっちゃった。瀬奈は、弱々しく笑いながらそう言うのだった。


「で、九月三日の月曜日になってもそのまま学校行きたくないなー、て気持ちが出ちゃって。そして、今日まで休んじゃった。あはは、わたし、なにやっているんだろうね」

「なんか悪かったな、瀬奈。ごめん」

「なんで井神くんが謝るのよ」

「だって、もっと早く連絡しとけば良かったじゃん」

「うーん・・・・・・いいよ、別に。なんか色々と、自分のことを考えるいい時間にもなったしね。この三日間は」


 瀬奈の声はいつのまにか、いつもの調子に戻っていた。


「うん。なんか、井神くんとしゃべっていたらすっきりした。ありがとね、井神くん。多分、明日から学校に行けそう」

「無理するなよ。どうせ中学なんて義務教育だ。いくら休んでも、卒業はできる」

「ふふ、それもそうね。でも、多分明日は来るよ。だって、わたしが行かなきゃ、今度は井神くんが学校に来なくなっちゃうもんね」

「おい、違うって。さっきのはそういう意味じゃなくてさ・・・・・・」

「あはは、井神くんいま顔真っ赤じゃないの?それじゃーねー」


 瀬奈の明るい声を残して、電話は切れた。


「ったく、なんだよ・・・・・・」


 通話時間が表示されているスマホの画面を見ながら、俺はぼやく。


 俺、そんなに顔赤いかな・・・・・・?鏡を見てみたい気がするが、本当に赤面していたら、正気をたもてそうにないので、やめておこう。


 スマホを机に置いて、ベッドに寝っ転がる俺。瀬奈との会話の余韻よいんが、全身をぽかぽかと火照ほてらせていた。今晩は、当分寝付けそうにないな。


 だけれど、気持ち的には早く眠りたかった。早く眠って、朝になって、登校して、瀬奈と会いたい。なんだ、やっぱり俺は瀬奈がいるから学校に行っているじゃんか。


 苦笑しつつ、ベッドの上で輾転反側てんてんはんそくしながら、俺は夜が更けるのを静かに待つのだった。

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