第3話、桃太郎=ミリッシュ、決別する


 ミリッシュ・ドゥラスノは、品行方正、大人しい娘だった。見目も麗しく、清楚。王子の婚約者に相応しいともっぱらの評判だった。


 その裏では、体型に気をつかったり、夜遅くまで勉強したり、運動したり、武芸を習ったりと、目指せ完璧超人とばかりに、涙ぐましい努力もあった。――うん、彼女の記憶とシンクロしたから、何をやってきたかわかるけど、よく頑張っていたと思う。


 事情を話し、次いで婚約破棄をされ、目の前で別の女にいちゃつかれたので、グーパンしました、と正直に、両親にオレは語った。

 ミリッシュの努力の果てが、とんでもない裏切りでございましたよー、と。


「なんてことをしてくれたのだ、ミリッシュ!」


 父親である侯爵に怒鳴られた。


「私がこれまで築き上げたもの、全てをぶち壊すつもりか!」


 おやおやおや……。これは穏やかではないぞ。


「いったいお前にどれだけのお金を注ぎ込んできたと思っているのだ! 王子殿下を殴りましただぁ? 馬鹿者め! 女は、黙って男の言うことに従っておればいいのだ!」


 それ女性蔑視じゃね?


「旦那様の仰る通りです!」


 母親――ではなく、後妻なので、ミリッシュの実母ではない。ドゥラスノ侯爵夫人も声を荒らげた。


「お前は、旦那様の娘。旦那様が敷いてくださった道の上を黙って歩いていればよかったのです! ドゥラスノ侯爵家の繁栄のためなら、黙って従えばよいのです」


 ああ、と後妻はあからさまに額に手を当てて、困ったアピールをする。こういう演技臭いオバサン、オレは嫌い。


「王子殿下と結ばれるはずだったのに、なんてことをしてくれたのかしら!」

「いえいえ、婚約破棄を言い出したのは向こうが先ですから。殴る以前に――」

「黙れ!」

「黙りなさい!」


 ピシャリと父と義母は怒鳴った。


「言い訳をするな!」

「そうですよ。そもそも、婚約破棄をされるということは、お前に落ち度があったからではないですか? 旦那様の御期待に背くなんて、なんていけない子!」


 ……。

 それは、これまで親の期待に応えようと頑張ってきたミリッシュちゃんに対してあんまりじゃないか?


 そりゃ殴ったのは前世と前々世の記憶が混じった影響もあるんだろうけどさ。婚約破棄云々は、王子が先で――むしろ、一回目の破棄の言葉のショックで、前世の記憶が蘇ったまである。


 何というか、愛がないなぁ。義母はともかく、実の父親が、娘を政治の道具にしか見ていないんじゃ、愛想もなくなるってものだ。

 それを思えば、前々世も、疎遠になった前世の両親も、愛情があったなぁ。


「おい、聞いているのか、ミリッシュ!」

「あーあー、うっせぇな!」


 ミリッシュ、悪いな。ふつふつと怒りと共に悲しい気分が混じっているのは、お前の記憶かもしれない。こんな両親だ、もう付き合わなくていいよ。


「ミリッシュ! なんだ、その口の利き方は!?」

「そのような下賤な言葉、どこで覚えたのかしら……! やはり母親の血が――」

「うるせぇよ、後妻ババァ。お前の方が成り上がり男爵家の娘だろうがよ! こっちの実母は伯爵令嬢だ、黙ってろ!」


 後妻は目を白黒させている。ドゥラスノ侯爵も信じられない顔になる。


「ミ、ミリッシュ……?」

「あー、もううざったいな。はいはい、全部オレが悪いよ。出ていきます。こんな糞みたいなところに居られるか。つーか、挨拶はしたけど、はじめから出て行くつもりだったし」


 王家の報復とかあるかもしれないから、縁を切ってもらおうと思ったが、この際どうでもいい。こんな糞みたいな家なら、王家の報復の巻き添えでも何でもくらえばいい!


 同情の意味もないし、迷惑をかけたと謝る気も失せたわ。

 オレは席を立った。父親ヅラしたドゥラスノ侯爵が口を開く。


「お、おい、話は終わってないぞ!」

「もう話すことなんてねえよ」


 壁に鏡と、その下にアンティークの机。この引き出しに、ハサミが――あったあった。


「な、何だ。ハサミなんて取り出して――」


 外野の声をよそに、オレは自分の長い髪を左手でまとめて、ハサミでジョキジョキと……。


「お、お前っ!?」

「っ!」


 後妻ババァまで、顔を引きつらせている。まあ、髪は女の命って言うもんな。ミリッシュもよくその長い髪を手入れしていたし、皆も褒めていたけど……こっから先はいらないんだよな。


「決別ってやつだ。あばよ。二度とツラ見せんなよ」


 オレはハサミを置くと、退出した。……てっきり怒って追ってくるかと思ったが、そんなことはなかった。暗に追ってくるな、のニュアンスが伝わったのかもしれない。単に目の前で起きたことの整理がついていないだけかも。


 侯爵令嬢という身分もいらない。前世も前々世も、そんな大層な身分じゃなかったからな。庶民で結構。何かの時に貯めていたミリッシュ貯金だけ持って、ドゥラスノ侯爵家とおさらばだ。



 ・  ・  ・



「え、お嬢様……。お屋敷を出るのですか?」


 侍女たちが驚いていた。毎日、身の回りの世話をしてくれた彼女たち。


「そうだよ。もう愛想も尽きたからな。婚約破棄されたんじゃ、侯爵令嬢なんて肩書きも恥さらしもいいところだし。オレ――わたくしは自由に生きるわ」

「あの、お嬢様、言葉遣い……」

「もう侯爵令嬢はやめたの。今まで世話になったね」

「あの、その服」

「わたくしのドレスと交換ね。売っていいよ」


 屋敷を手早く移動し、従者や雇われ警備兵と、ミリッシュの私物を交換し、旅支度を整える。皆、オレが長い髪を切ったせいか、例外なくビックリしていた。


 ズボンは動きやすさを優先して男物に。荷物を入れるバッグ、あと、年季は入っているが短剣を手に入れる。武器は欲しいが、消耗品と考えれば、よそで調達しよう。


「じゃ、お世話になりました」


 深々と頭を下げる。侍女や兵たちは、とても驚いていた。侯爵令嬢が頭を下げたことか? ミリッシュは割と下々の者にもお礼は言っていたが、確かに頭を下げてまではなかったかもしれない。


 いいんだ。もう侯爵令嬢じゃないから。ここからはオレが、好きなように生きていくさ。


 気づけば、屋敷に務める人が門まで見送りにきてくれた。途中まで『やはり危ないですから』とか、『考え直されては』と言ってくれる人もいた。

 でもねえ、あれだけ親に啖呵を切った以上、ここで戻るなんて、かっこ悪いことはできねえよ。


 それに、オレと縁を切ってくれたほうが、家への迷惑は最小限に留まるかもしれない。あんな親でも、ミリッシュにとっては親だしな。

 ……とはいえ、さすがに勢いで王子を殴っちまったからなぁ。いやまあ、オレは謝らねえよ? 悪いのは浮気王子のほうだ。


 そんなわけだから、家を出るのは、ケジメってやつだな、うん。

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