カミオヒーロー

蘇芳ぽかり

凡人の覚悟

 ヒーローはいつも、優しく困っている人を助ける。

 ヒーローはいつも、飄々ひょうひょうと笑っている。

 ヒーローはなんでもできて、無敵だ。絶対に負けたりしない。


     ✵


「ただいまー」と部室の中に放った声は、どこか自分の耳にも気の抜けたコーラのように間延びして聞こえた。

「おかえり。お疲れだねぇ」

 そう言いながら古い教卓の上に座って足をぶらぶらさせているのはネコネだ。「だねぇ」とも「だにぃ」ともつかない曖昧な発音。夏なのに色白で細長い手足。にやっと細めた目は猫のように切れ長で、個性的な顔立ちとはいえ彼女は明らかに美人に分類されるだろう。猫見ねこみねねさんだから、略してネコネ。簡単な渾名あだな

 僕こと鈴木すずきわたるは後ろ手でドアを閉めながら、ちょっと笑って見せた。格好つけて肩を竦めたら、その裏でドアの蝶番がギイイと揶揄からかうように軋んだ。「外めちゃくちゃ暑かったからさ」

「まあ、梅雨明けもしたからねー」

「今日最高気温30℃だったよね、でも実際は32ぐらいいったんじゃないかな。参っちゃうよ。ほんと疲れた」

「本当にそれだけ?」

 ネコネとは違う涼やかな声が割り込んだ。「なんとなく覇気がないのは、暑かったからっていうだけ?」僕は半分はむっとして、しかし半分は楽しくなって肩を竦めた。まったく、わかっているくせに、わざわざ僕に言わせるなんて本当に君は性格が悪い。けれどそれで「さすがだな」などと笑いながら答える僕は結構Mなのかもしれない。部室の奥の彼から、あえて視線を外して僕は「それだけじゃないよ」と言う。

「依頼を受けてやって来たのが僕だってわかった途端、奥様方がみんながっかりしたみたいな顔したもんだから、ちょっとヘコんだんだ。僕は君と違っていかにもな凡人だからね、カミオ」

 どこから調達してきたのかもわからない、埃を被り、クッションの黄色い綿が破れ目から覗くが、しかし部室ではおそらく一番大きくて上等な椅子。1人がけのソファー、僕らの王座だ。そこに座った彼──カミオは、頷いた。漫画から出てきたかのように整った顔にちょっと意地悪で満足げな色を浮かべる。

「よろしい」

 と。どこか青を彷彿とさせる、澄んでいるが深い声で言った。


 こんなガラクタだらけで狭い物置部屋を部室としてあてがわれ、それでも尚部屋を貰えたことに感謝しなければいけない、そんな弱小の部活「事件解決部」。部員は僕とネコネと、それからこの部を立ち上げたカミオの高校2年生3人だけ。部が正式に活動を開始してからちょうど今1年かあと思うと、少し感慨深かったり。

 入学して3ヶ月で新しい部を作ってしまったことを差し置いても、カミオはすごいやつだ。成績優秀、スポーツ万能、眉目秀麗。仲良くなれば口は悪いし意地悪な部分も多いが、マメな気遣いのできる性格。女子に告白された回数は数え切れず、しかし誰かと付き合っているところは見たことがない。つまり告ってきた女子全員を断っているわけだが、「そんなクールなカミオくんが好き! かっこいい!」と振られた彼女らは言う。ちょっと理不尽じゃないか?

 まあそんなことはさておき、彼の凄さを認めているのは学校の連中だけじゃないのだ。彼の名前は街中に知れ渡っている。きっかけはカミオが中学生の頃、この街で起こった幼児行方不明事件を見事に解決して見せたことだ。幼児がいなくなってから一ヶ月、生存している可能性はもはやゼロかと思えた頃、近くの山から幼い子供を背負って降りてきた少年の姿は全国ネットで報道された。見出しは「若きヒーローの事件解決」。というのも、カミオはこの行方不明事件が誘拐事件であると見抜き、幼児を救助してきた後で犯人の特徴すら言い当ててしまった。もちろん犯人はすぐに特定され、逮捕された。

 カミオはヒーローだ。それはもう、どうしようもなくヒーローだ。

 当時まだ僕らは出会ってもいなかったが、それでも僕は彼に憧れた。たまたま同じ高校だとわかった時には胸が震えた。カミオが事件解決部を作ると聞いてすぐに、僕も人助けがしたい、と入部を希望した。

 街中に貼られた部の電話番号入りポスターはネコネの手作りだ。ウサギだかキツネだかわからない手書きキャラが「ヒーローのカミオくんとその仲間たちがお助けします!」と吹き出しで喋っているデザインは少し奇っ怪だが、それらを電信柱なんかに張りに行った時には心が躍ったものだ。どんな依頼がこれから来るだろうって。

 なんだけど……。

 ここは元来、のどかで平和な街なのだ。海と山に囲まれ、流れる時間はのんびりと穏やかだ。過去に幼児誘拐事件が起こったからと言って、別にそんな事件が何度と起こるわけではない。電話で受け付けている依頼は大体、「ハンコを無くしてしまったから、一緒に探してほしいの」だとか「小学生の息子と一日遊んでくれないか」だとか。事件解決部、などと大層な名前がついていながら、実態は「ボランティア部」とか「なんでも部」とかなのだった。

 今日も電話で入った依頼は「今度の金曜日の夕方にカフェで料理クラブの友達と集まるんだけど、ちょっと話し相手になってくれないか」という、どこかのおばさまがたからのものだった。

「えーっと、どんな事件、というかトラブルが……」

[老人ばっかりで話してても面白くないじゃない。解決してよ]

 僕は思った。自分のこと老人だなんて言ってるけど、絶対に「お姉様」って呼ばないと起こるタイプのおばさまだ。面倒だな、行きたくない。

 考えることは同じだったのだろう。依頼の話を聞いてカミオは、

「今回はネコネかワタルで行って来い」

 と、爽やかな笑顔で言い放った。ネコネと僕は顔を見合わせた。

「ええー? ワタルくん、どうする? あたし行こっかぁ?」

「えっ、ほんと? いいの?」

「うん。あーでも、暑そうだなあ。日焼けしちゃうなあ。汗かきたくないし、レイボウがガンガンのカフェなんて冷えちゃうなあ。知ってる? 女子に冷えは大敵なの」

「……わかったよ、僕が行く」

 1週間前に君の提案でこの3人で、キンキンに冷えた喫茶店にキンキンの巨大かき氷を食べに行ったけどな、というツッコミは仕方無しに飲み込んで。

 こうして僕は料理クラブのおばさまたちの話し相手になりに行ったわけだが、大変悲しい目にあった。さっきも言った通り、カミオは有名だ。イケメンだしヒーローだし。それからネコネも部の活動を始めてから「何でも部の独特な少女、でも美人」として知られてはいる。だけど僕は……いや、これ以上言わせないでほしい。

 つまり何が言いたいかっていうと、

「こんにちは。依頼を受けて事件解決部から来ました、鈴木渡です」

 少なくともファストフード店員の無料の笑顔よりは真心のこもった笑顔で挨拶した僕に、おばさまたちは至って冷たい反応をした。

「あら、えっと、カミオくんとネコネちゃん意外に部員さんがいたのね」

「あらほんとう」

「まあいいわ、今日は私たちの警備をよろしくお願いしますね」

 見るからな気落ち。仕方ないのかもしれない。この人たちからすれば、イケメンヒーローか美少女ちゃんに話し相手になってもらうはずだったのに、来たのは知らない冴えない凡人だったのだから。って、これって本当に仕方ない?

 結果として僕はカフェの観葉植物ならぬ観葉人間として、おばさまがたのテーブルから2メートルぐらい離れたところに立っていた。帰りがけ、依頼者の代表のマダムは「私たちはこれから二次会にでも行こうかと思うけどあなたはもう帰っていいわよ。お疲れ様」と言った。僕はファストフード店員のような笑顔で「では、申し訳ありませんが失礼します。また是非ご依頼くださいね」と返した。

 別にマダムたちのお喋り相手になど最初からなりたくなかった。二次会とやらに連れて行かれても迷惑だった。だけどなんだろう。この虚しいのは。


 カミオはヒーロー。僕は凡人。


 そんなことは承知で「事件解決部」に入った。無力で目立った取り柄も特にない僕だけど、少しでも同年代で輝いている彼みたいになりたくて、僕も誰かを助けたいと思って、ここにいる。だけど1年の経った今、時々何をしたって無駄なように思えてしまう。僕らの間に横たわる溝は、あまりにも深いのかもしれない。そもそも彼のほうがずっと高い位置にいて、それはもう同じ平面上ではないのか。

 カミオはヒーロー。僕は凡人。

 歌うように頭の中で繰り返す自分に、うるさい黙れと僕は叫ぶ。

 部室の王座に足を組んで座ったカミオは、全てお見通しと言うように、でもちょっとだけ寂しいような顔で笑っている。


     ✵


「けんけんぱっ、けんけんぱっ」

 公園のブランコの揺れるすぐそば。幼い子どもたちが無邪気に笑いながら片足で飛び跳ねて遊んでいる。変声期はまだまだ先の甲高い声は、真っ黄色に塗られたすべり台よりも眩しい光を放つ。

「そろそろちがうあそびがしたいなあ」

「じゃあなにする」

「よーし、じゃあお姉ちゃんと追いかけっこだ。お姉ちゃんは足が早いんだぁ。ほら行くよ!!」

 そう言って三人の子どもたちを追いかけるのはネコネだ。きゃあああっとどこか嬉しそうな声を上げて子どもたちが逃げる。夏の光がさんさんと差しているのに日焼けは気にならないわけ?とさっき尋ねた時、「今日は日焼け止め塗りたくって来たしー」と彼女は肩を竦めた。美容を気にするよりも子どもと戯れるほうが、ネコネにとっては優先順位が高いらしかった。まったく、あいつあんな顔して精神年齢が低いんだよなあ。そう思うとちょっとだけ可笑おかしい。

 夏休みが今年もやってきた。部長のカミオは「もちろんできるだけ部室に顔を出すように」と言った。休みだろうがなんだろうが依頼はじゃんじゃん受け付けるのだそうだ。そういうわけで今日は子どもの遊び相手になるという依頼。子どもたちの名前はリョウくん、トシくん、ミアちゃん。トシくんとミアちゃんは兄妹で、リョウくんは従兄弟だと言っていた。

 セミがジジジジッと飛び去る音に顔を上げた時、ふと僕は広葉樹にもたれかかったカミオがすごく穏やかな顔をしていることに気付いた。視線に気付いたのか、ベンチに腰掛けた僕を見下ろしてカミオはうっすらと微笑む。

「どうかした?」

「いや……、なんとなく楽しそうだなって思って」

「そう?」彼は表情を変えずに首を僅かに傾ける。真夏でもカミオは涼しげだ。周りの空気が違うんじゃないかって思うくらいに。一番上の首のあたりまできっちりボタンを止めて、長袖を折ることもしないワイシャツ姿、去年もそうだった。カミオは少し考えるような素振りをして、ネコネとはしゃぎまわっている子どもたちに視線を飛ばした。

「なんとなくね。これが子どものあるべき姿だっていう感じがしない?」

 そう、だね。僕は答える。それから少しだけ息を吸い込んで、吸い込む。ぱあっと胸の中で思いが弾けた。ひがみ、ねたみ、それゆえ卑屈になる。それでも僕はカミオのことが好きだ。もちろん変な意味じゃないし、じゃあどんな意味なんだと聞かれても上手くは答えられないけれど、それでも彼が好きだ。ヒーローは人を救い、そして平和な街で幸福そうに暮らす人々をとても優しく見つめる。

 どうしようもない憧れだな、これは。

「ワタルは子どもは嫌いかい? 子どもたちを見て、何を考えてるわけ?」

 カミオがこっちを向かないまま訊いてきた。僕は今考えたことを誤魔化すために敢えてボケた。「呑気に遊んでるお前たちもいつか定期テストに苦しんだりするんだぞって思う」

「ワタルくんひっどーい」

 意外と近くを走っていたネコネがわざとらしく頬を膨らませてから、きゃははと声を立てて笑った。地獄耳だ。もう少しおしとやかに振る舞えば男子からもっとモテそうなものを、と僕は思うが、天真爛漫でいつも楽しそうな彼女を、実は結構いいと思っていたりもする。結局僕は自分の仲間が好きなのだろう。

 凡人でいいや。

 悪役にもなりきれない、だからこそ愛すべき凡人だ。

 ──なんて自分で言ったら、ちょっと照れるけど。

「おにーちゃんたちもあそぼうよ」

 リョウくんとミアちゃんが話しかけてきた。1番年下のトシくんは少し後ろの方でもじもじしている。かわいいじゃないかよ、と僕は思わず軽く吹き出す。

「あー、このおにいちゃんわらった」

「なんでわらったの」

「ネコネちゃん、このおにいちゃんたち、なんていうの」

 ネコネがふふんと得意顔をする。「こっちがカミオ兄ちゃん。聞いたことあるよね、有名なんだよぉ。で、こっちがワタル……おじさんでいっか」

「おじさんおじさん!!」

 僕が無言で子どもたちとネコネを追いかけ出したのは、言うまでもない。

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