ある鈴虫の話

「はァい、まいどありィ〜」


細く尖った手をひらひらと振りながら、鈴虫の店主は上機嫌に左右の羽を擦り合わせた。先程のお客の件も含めて、今日は何かと付いている。こんな日はさっさと店じまいして、一杯ひっかけながら、夜をゆっくりと楽しむに限る。そう思った彼が表の看板をひっくり返すため立ち上がろうとした、ちょうどその時だった。


「スズムシさん、お店まだやってる!?」


からんころん、と鳴ったベルの音と共に息を切らせながら一人の青年が入ってきた。


「お、お客サン。丁度今閉めようとしてたトコだよぉ。ギリギリセーフだねぇ」


看板を引っ込めながら、店主はほんのり口の端を上げてそう言った。


「ああ良かった!薬…鎮痛剤!強いのが欲しいんだ!すぐに効くやつ!」


縋るようにカウンターに手を付く青年に、店主は直ぐにくるりと背を向けて、壁の引き出しを開き始める。


「鎮痛剤?そんならイッパイあるけど、どれくらい強いのがいいかな。お腹が痛いとかならコレ、腕を折ったような痛みだったらコレ、目に針が突き刺さったような痛みだったらコレくらい?後はコレ…だと強すぎるかなァ?」


「それでいい!とにかく1番強いやつをくれ!今すぐ!」


店主の説明を聞くなり青年は慌てて叫んだ。


「はいはぁい。このスズムシ印の特製特効鎮痛剤を飲めば、一晩でどんな痛みもスッキリ、ケロッと治っちゃうよォ。ただし副作用もあるからキチンと療法を――」


「早く!出来るだけ沢山!」


青年に遮られた店主は怪訝そうに少しだけ2本の触角をゆらゆらさせたが、直ぐに奥から薬の瓶をいくつか取り出してカウンターに並べていった。


「高くつくよ。お客サン、お代は持ってるの?」


「ッ…これで足りるか」


店主の声に、青年は金貨が詰まった革袋をカウンターの上に叩きつけた。


「…ま、2本ってトコだねぇ」


「たったの2本かよ!」


「当たり前でしょ、それだけ強い薬なんだからさぁ。ウチ特製だからココでしか買えないけど、どうする?」


「クソッ……2本、売ってくれ」


青年は革袋の中身をカウンターの上にぶちまけた。弾みで大量の金貨がバラバラと転がり出る。


「……はァい、まいどありィ」


店主はカウンターに並べた薬の瓶を2本紙袋の中に放り込み、蓋をした。それを青年に差し出すと、彼はひったくるようにそれを奪い取り、そのまま踵を返して駆け出した。


「お客サン、ちょっと」


丁度青年がドアに触れた時、店主がそれを呼び止める。彼は怪訝な顔で振り向いた。


「……なんだよ。金は渡しただろ」


「お金のコトじゃあないよ。その薬、1本飲んだら必ず1週間は次の薬を飲んじゃいけないよ。絶対に。例え痛みがまた出始めたとしてもね」


店主の言葉に青年は返事をしなかった。

代わりに踵を返し、今度こそ店を出ていった。


「やれやれ、せっかちなお客さんだねぇ」


店主は肩をすくめながら零す。その丸い顔には、若干の哀れみの色が滲んでいるようだ。


「でもま、お金は貰ったし。もうワタシには関係ナイ、か」


カウンターに並んだ金貨をかき集めながら、店主が背中の羽を擦り合わせると、小さな鈴の羽音が静かな店内にこだまする。彼は今度こそ、とカウンターから立ち上がり、表の看板をひっくり返すためにドアへと歩いていった。


「おや、小さなお客サン。こんばんは」


表へ出ると、看板で羽を休める真っ黒な蝶々を目にして店主はにっこりと笑う。看板に手をかけると、蝶々はひらりと飛び立ち彼の細い触覚の間を悠々と舞い始めた。それに少しくすぐったそうにしながら、店主は蝶々に語り掛けた。


「今日はねぇ、高い買い物をしてくれるお客サンばっかりだったから気分が良いんだ。最近は災害がどうとかでいろんな人がお買い物してくれるからねぇ。嬉しいよ、本当に。ちょっと不謹慎かもだけどさ」


クスクス笑って、彼はご機嫌に左右の羽を数回擦る。


「それにしてもキミ、綺麗な闇色だね。ココに止まっていなかったらきっと気づかなかったよ。今日は月も出ていないし、まるで夜空に溶けているみたいだねぇ」


蝶々はその言葉を聞いているのかいないのか、店主の周りでくるくると暫く旋回した後、闇夜へとその小さな姿を消してしまった。


「アレ、もう行くのかい?バイバイ、気をつけてね」


店主は細く尖った手をひらひらと振りながら闇色の蝶々を見送った。


そして上機嫌に鼻歌を歌いながら看板をひっくり返し、からんころんとドアを開けて再び店の中へと戻っていった。

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あの時、私達は死んだ 茶葉 @otya0035

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