あの時、私達は死んだ

茶葉

プロローグ

「5年ぶりの大災害メアリー・スーだって!」


猛炎のように赤いポニーテールを揺らしながら瓶底眼鏡の少女、イオは興奮気味に扉を開けて叫ぶ。どうやら彼女の登場によって穏やかな午下は崩れ去ったらしい。深い青色の髪をくるくると指先で弄びながら読書に耽っていた少女、エウロペはちらりと目線だけを動かした。


「イオ、どこに行ってたの?」

「ちょっと街までね」


そう言ってイオは、慌ただしくエウロペの元へ駆け寄り、ガタガタと勢いよく木製の椅子を引いて隣へ座る。その忙しない行動にエウロペは少しだけ顔をしかめたが、イオの話を促すようにそっと本を閉じて机の上に置いた。イオは5年ぶりの災害なのに反応が薄いなぁ、と唇を尖らせながら手提げ鞄から1枚の写真を取り出してそれをエウロペに差し出す。


「見てよエウロペ。これ、今回のメアリー」

「…これが今回の?随分人間に近いというか、美人ね」


エウロペは写真をじっと見つめ、呟いた。


「そう!そうなの!前まではもっとこう…形容し難いモノというかぐちゃぐちゃしてたというか…。でも今回のメアリーはこれでしょ?だから気づくのが遅れちゃったんだって。気づいた時には街の人達がみーんなメアリーにメロメロ!」

「メロメロ…?」


エウロペが首を傾げると、イオはそうだと首を縦に振った。


「写真とかは大丈夫なんだけど、実際に見た人は皆メアリーの事が大好きになっちゃうの。また数日で消えると思うけど…暫くはあんまり出歩かない方が良いかも。ふらふらさまよってるだけっていう行動自体は変わらないらしいからさ」


ぷらぷら脚を揺らしながらイオが言うと、エウロペは静かに目を伏せてそう、と一言返事をした。そして徐に立ち上がり、窓の外を見やる。今日も空は青い。折角の散歩日和であるが外には人っ子一人居ない。どうやら大災害メアリー・スーの情報はもう知れ渡っているらしい。エウロペは暫くその景色を見ていた。が、なんだか廃墟に取り残された遭難者の様な気分になってきたため、彼女はイオの元へ戻ると再び静かに腰を下ろす。


「先生は知っているかしら」


言いようの無い孤独感に蝕まれる前に、エウロペはイオに問いかけた。


「偉大な先生の事だから、もう知ってるんじゃないかなぁ」


重たい眼鏡を押し上げながら、イオはのんびりとした口調で答える。エウロペがそうねと返事をしようとした時、噂をすればなんとやら、階段の軋む音と共に澄んだ心地の良い声が2人の耳に入って来た。金の刺繍が入った純白のローブをゆらゆらと揺らしながら歩く姿はどこか神秘的で美しい。


「こんにちは。良い天気ですね」


2人が挨拶をするよりも先に、先生――ユーピテルはその端正な顔をほころばせながら口を開いた。それにつられて2人もこんにちは、と返す。イオは早速本題に入ろうと身を乗り出したが、それよりも早くエウロペが話を切り出した。


「先生、メアリーについて何かご存知ですか?」


するとユーピテルは一瞬首を傾げて見せたが、直ぐに微笑をたたえると勿論です、と頷いた。彼女は先程エウロペがそうしたように窓際に立ち、外を眺める。虫の羽音まではっきりと聞こえてしまいそうな程すっかり静まり返った街。閉じた2つの双眸が何を見つめているのか、2人には検討もつかなかった。


「貴方達は、何故メアリー・スーなる大災害が発生するか知っていますか?」


窓の外を向いたまま、静かに発せられた言葉に2人はただ知りません、と同時に答える事しか出来なかった。「何故なんですか、先生」と、興味津々と言った様子でイオは眼鏡を押し上げる。が、ユーピテルは暫く黙ったまま答えなかった。その間が、一瞬にして沈黙をこの部屋の支配者にしてしまった。静まり返った部屋の空気に首を絞められそうになった所で、彼女はようやく口を開いた。


「そうですね…話すと長くなりますが」


エウロペがこくりと息を飲む。


「…長くなりそうなので、その話は貴方達がもう少し知識を積んだらにしましょうか」


にっこりと女神のような微笑をたたえながら振り返ったユーピテルの回答に、2人はそろって抗議の声をあげた。


「そ、そこは教えてくださいよ!今のは語り出す流れだったでしょ!」と、イオ。


「そうですよ先生!イオは兎も角、私はイオよりちゃんと勉学に励んでいますし、能力も上です!先生の難しいお話も理解できます!」


エウロペの言葉に何を!とイオが反論すると、2人はやがて大災害メアリー・スーの事などすっかり忘れて取っ組み合いを始めた。その様子を見てユーピテルは小さく笑い、机の上に置きっぱなしになっていた写真を手に取る。そこには、彼女をも超える絶世の美女が人々に笑いかけている姿があった。ユーピテルはその写真を暫く見つめた後、そっと胸元へしまい込んだ。


「あら、いつの間に入り込んで来たのですか?」


ひらひらと舞い踊る蝶が視界に入り、ユーピテルはそちらに目を向ける。普通、気がつきそうなものではあるが、その透明な羽はあまりにも自然に羽の向こう側の背景を透かしていたのだ。それは、普通の人間ならば見逃してしまうような存在。そっと指を差し出せばぴたりと止まり、羽を休める小さなお客にユーピテルは微笑んだ。


「貴方も、その素敵な羽もきっと、誰かが描いた大切な存在なのでしょうね…。ふふ、創作者、私達の神様。一度お目にかかりたいものです」


静かに呟いた彼女の言葉は、喧嘩に夢中の2人の弟子に届くことは無かった。

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