その11

「あの、もし良かったらなんですが、今度おうちにお邪魔してもいいですか?」


 僕が取り繕った笑顔でいると、それを素直に受け入れたらしい少女から言われたのは、そんな言葉。誰に何を言われなくても、表情にヒビが入ったことを自覚できる。


「うちにかい?問題はないけれど、一体どうして?」


 ふざけるな頼むから来ないでくれ。そもそも出歩こうとしないでくれ。管理局でずっと安全に管理され続けるのがその体のためなのだからと言いたくなるのを我慢しながら、以前社交辞令とはいえ言った言葉の責任を取るために受け入れる。一度言葉にしてしまったことは、大人として取り消すわけにはいかない。子供たちの模範となるべき大人が、自分の言葉にすら責任を持たないなんてことは、あってはいけないのだから。


「実は私、奏さんの心が伝わってくるんです。皆さんと一緒にいる時とか、共田さんと話している時とか、胸がポカポカ温かくなって、私の中で奏さんが喜んでいるのが伝わってくるんです」


 だから、少しでも奏さんが喜ぶことをしてあげたくてと打ち明ける小幸さん。確かに、奏であればたまには家に帰ってきたいと言うだろうし、伽羅さんや縁呪と一緒にいることを望むのも想像にかたくない。僕の娘はそういう子で、そうだからこそ自分の体を小幸さんに明け渡すなんてことになっているのだ、


 信じられない思いと、信じたい思いが心の中でごちゃごちゃになる。少し気になって二井の方を確認してみれば、彼女も僕と同様驚いた様子でいた。このことを知らずにいたのか、それとも知った上で僕には秘密にしておくと約束していたのか。驚いている事実からだけではそのどちらなのかはわからないが、なんとなく、前者のような気がした。少なくとも縁呪はしらなかったのだろうし、伽羅さんは言わずもがなだ。


「その、奏の気持ちがわかるという話だが、本当なのかな?いや、信じていないわけではないんだ。けどあまりにも信じがたいことだからどうしてもね」


 そうなると気になるのは、それが本当のことなのかということと、本当なのであればどの程度の確度でそれを受け入れるべきか。信じていないわけではないのだけどなんて言葉は信じていないやつが言うことだなんて内心考えながら、少しでも小幸さんから情報を聞き出せるように探りを入れていく。


「私も突然こんなこと言われてもびっくりしちゃいますから、信じられなくても仕方が無いと思います。考えていることがちゃんとわかるんじゃなくて何となく伝わってくるくらいだから、あんまり信用出来ないかもしれないけど本当なんです」


 頭の中で、いくつかのパターンを考える。小幸さんが嘘をついていた場合。本当のことを言っていた場合。特に嘘をついていた場合についてはしっかり検討して、そのどれもが魔法少女という事実で妥当ではないと判断できる。魔法少女になるような少女は、基本的に誰かのために自分を犠牲にできる子たちなのだ。そんな子がわざわざ僕らをからかうためにそんなタチの悪い嘘をつくとは思えない。


 否定をしようとして、否定しきれるものが見つからなかったのであれば、それはもう本当と判断していいのだろう。どこかで否定できる要素が見つかるまでの間は、僕はこの子の言葉を本当と信じるしかできないのだ。


 そこまで考えて、ようやく僕は、消えてしまったはずの奏が確かにそこにいるのだという事実を認識する。確かに僕の前にいて、僕の存在を知覚しているのだ。小幸さんが、家に行ってみたいと思うくらいには、奏の感情はまだ生きているのだ。



 断ることなんて、出来なかった。僕から奏を認識できなくても、奏からは僕が見えているのだとしたら、その望みにそむくことはしたくない。


 そういうことなら、是が非でも来てほしいとこちらから頼み直して、久しぶりに帰れることに奏が喜んでいるのだと聞いて、僕はなるべく早くに約束を取りつける。僕の勢いに小幸さんは少し戸惑っているようだったが、この子も親になって、仮に僕と同様の経験をすることになれば、きっとお金を払ってでも家に来てもらいたいという僕の気持ちもわかるようになるだろう。こんな思いをする人なんて、他に生まれないに越したことはないのだが。



「こほん。ところで共田さん、話は変わってしまうのですが、ユウキ先生から伝言です。経過確認をしたいから、遠くないうちに一回顔を出すようにとの事です。……今度は一体何をしているんですか?」


 二井が話を変えつつ、きっとわざわざここに来た理由を伝える。ユウキからの用事、経過観察というのは、きっと僕に渡された薬のことだろうし、言われて思い出してみればそろそろ残りも減ってきたから、その補充のためだろうか。


 僕が普段からおかしなことをしているみたいな、失礼な言い方をする二井に対して、特に変わったことはしていないとはぐらかしつつ、それくらいの内容ならわざわざ言いに来ずとも伝言を頼めばいいのにと思う。ちょうどいいところに、結構な頻度で僕に会いに来る伽羅さんがいるのだ。基本的に忙しい二井がわざわざ足を運ばずともいいのにと考えて、自分なら大切な伝言を伽羅さんに任せられるかと思うと失礼ながら納得してしまう。


 この、不思議そうにこっちを見つめながら小さく両手をフリフリしている少女は、残念ながら少し抜けているところがあるのだ。ちょっとした言伝くらいならともかく、大切な連絡であれば頼らずに済ませたい。


 僕が見ていた意図をおそらく誤解して、そそくさと新しい線香の用意を始めた少女のことをさておきながら、小幸さんとの約束を固める。本当なら今日今すぐにでも来てほしいところだが、人を呼ぶには今現在我が家は掃除ができていない。伽羅さんが動く箇所こそ最低限片付けてはいるものの、人を呼ぶにはかなり不自由分だ。


 片付けの予定を立てて、少し談笑をする。先程まで感じていた強いストレスを感じなくなったのは、奏がそこにいるのだとわかったからだろう。言葉が聞けなくても、そこにいると思うだけでこんなにも気持ちが楽になるなんて、僕は随分とちょろい人間らしい。



 穏やかな気持ちのまま会話をしていたら、子供たちがいるには少し遅い時間になっていた。保護者がいれば話は別なのだが、一人歩きには遅い。縁呪の家のように放任主義でもなければ、小幸さんのご両親は心配している頃だろう。


 小幸さんが魔法少女になったことも含めて、管理局として話をしに行く必要があるとかで、二井が小幸さんを送っていくことが決まる。そうなると残るのは、僕の家と隣の縁呪と、今は一人暮らしをしている伽羅さん。


「伽羅、今日はひとりでお家にいるの寂しい。誰かがいる家にいたい。ちらちら」


 そして伽羅さんは、どうやらお泊まりをお望みのようだ。元々一緒に暮らしていたので、当然のように我が家には伽羅さんの部屋があり、定期的に家に来る中で掃除もしているようだから、泊まること自体は容易である。ついでに長らく僕を苦しめていたストレスも、つい先程だいぶ緩和されてしまったところだ。


「……明日は学校もあるんだから、夜更かしをしないなら大丈夫だよ」


 唯一のネックになっていた僕のストレス問題が解消された以上、頑なに伽羅さんを拒む必要は、もうない。ある程度の距離感には気をつけてほしいくらいだが、自分からここまで気を使ってくれていた伽羅さんがそれを考えないとも思えない。それなら、もういいだろう。


「うれしい。カバンと制服取ってきて、明日はお家から学校行く。縁呪も一緒」


 るんるん、と言いながら、本人に許可を取らずに縁呪を巻き込んだ伽羅さん。楽しそうなので、僕の判断はきっと間違っていなかったのだろう。先程人を呼ぶには片付いていないと言ったばかりで早速少女たちを連れ込もうとしているのは、僕がこの子達を人間扱いしていないから……などではなく、単純に身内だからだ。魔法少女はある意味で人間離れしているかもしれないが、それはどちらかと言えば人間より優先するべき、という方である。きっと同じ事を聞かれたら、誰もがそう答えるだろう。そのレベルで、魔法少女の特別性というのは確かなものなのだ。


 頭の中で思考がよく分からないところに逸れながら、伽羅さんと縁呪を連れて家に帰る。一人二井に連れていかれる小幸さんに疎外感を与えないためか、伽羅さんが泊まっていくと言い出したのは二人が立ち去った後なので、どちらにせよ家まで乗せていくのは僕の役目だ。僕がどうしてもと拒否をすれば代わりに誰かその辺にいる職員が行うことになるのだろけど、今回はそうはならなかった。今回はと言うより、今回もと言った方が正しいかもしれないが、まあ、そこに大した差はないだろう。


 一度伽羅さんの家によって、本人が言うにはどうしても必要なものしか入っていないらしい大荷物を車に運ぶ。どこからどう見てもいらないものが混ざっている量なのだが、女の子には秘密にしておきたい荷物の百八二百くらいあるものだと教え込まれている僕はスルーした。



「おじさん、おじさん、トランプしよう。伽羅、ババ抜きするの得意になったの」


 数秒、なにかのメッセージを送信しただけで泊まる準備を終わらせた縁呪とはことなり、大荷物の伽羅さんが、家に着いて早々僕のことを遊びに誘う。必要なものしか入っていないと言っていたのはほんの数分前だったはずなのだが、もしかすると僕の勘違いだったのだろうか。それとも、伽羅さんにとっては遊び道具がどうしても必要なものなのか。


 絶対に違うだろうと頭の中だけでツッコミを入れながら、特に何も突っ込まずに伽羅さん達をお風呂に入らせる。奏がいた頃であれば、僕が相手をすることはあまりなかったのだが、遊び相手がほかにいなければこちらもターゲットになるらしい。


「おじさん、伽羅と縁呪、お風呂上がった。とってもいいお湯だった。つやつや」


 二人が風呂に入っている間に昼の残りで適当に作った晩御飯を作っておけば、我が家に常備されているパジャマに着替えた二人が上がってくるので、沢山遊びたければ急いで食べるように伝える。遊ぶのも大事だけど、おじさんのご飯を食べるのも同じくらい大事だと言われて、少し嬉しく思ってしまったのはここだけの話だ。


 ゆっくり時間をかけて食べて、食器の片付けを始めようとする伽羅さんに、明日空いている時間にやっておくから、今日はもう遊ぶことだけ考えなさいと伝えると、伽羅さんは心做しか寂しそうにする。この子が積極的にお手伝いをするいい子だということはわかっているが、遊べるべき時に遊ぶのも子供の役目だ。遊べる時に遊べなくて、楽しむべき時に楽しめないのなんて、大人だけでいい。


 無表情を貫通するレベルでわかりやすくババの位置を示す伽羅さんの態度に苦笑しながら相手をしてやれば、遊んでいただけあってか伽羅さんは満足そうだ。


「おじさんも縁呪も、伽羅のジョーカーの場所がわかるなんて、絶対に何かおかしい。今日はズルできないように新しいトランプ買ってきたのに、ショック。しょぼん」


 表情なんて、声音なんてわからなくても何を考えているのかわかるくらいには付き合いが深い僕らを相手に、ただポーカーフェイスを強いられているだけの少女は悔しそうにする。そんなに悔しがるなら負けてあげようとも思ったのだが、そうやって手を抜くとバレた時に機嫌を崩されるからもうしない。


「伽羅ちゃん、顔とか声に出なくても十分わかりやすいからね」


 賭け事とか、絶対やっちゃダメだよと言うのは縁呪。奏が無事だった頃は二人で同じくらい負けていたのが、一人に集約された分負けは独り占めだ。こんなに虚しくなる独り占めも中々ないだろう。


「まだ。こんなに勝てないのはおかしいから、きっと二人がなにかしているはず。それさえ見破れば、もう勝ちは伽羅のもの。きゅぴーん」


 何かを察知して燃えているようだが、あいにくしていることは伽羅さんの様子を見ているだけであり、伽羅さんが考えているようなインチキやズルは一切ない。そのことに気が付かない限り、やはり伽羅さんに勝利の目はないのだ。


 そのままほかの遊びをすることなく、ババ抜きだけを繰り返すこと一時間。順調に伽羅さんの負け数だけが増えていき、子供はそろそろおねんねする時間になる。


「あたし、さすがにそろそろ飽きたから他のことしてるね」


 お布団の準備してくる!と言って、離れていったのは縁呪。一人だけ逃げるのかと思ったが、むしろここまで付き合っている方が異常だ。普通ならもっと早く飽きているだろう。僕がまだ相手をしているのだって、おもてなしをするホストとして、大人としての意地だ。


「……おじさん、伽羅、おじさんにお話したいことがあるの」


 二人だけのババ抜きは、お互いに一枚引く度に札が捨てられていく。ここまで来ると、駆け引きもほとんどない、ただの作業みたいなものだ。そんな作業のさなか、伽羅さんがどこか深刻そうにカードを見つめながら話始める。


「伽羅、やっぱり一人で暮らすんじゃなくて、おじさんと一緒がいい。奏がいなくても、おばさんがいなくても、伽羅のおうちはここだけだから。一人でいるのは慣れてたけど、やっぱりと一緒にいたい」


 誰かがいればいいのなら、僕ではなく二井に頼めばいい。彼女であれば、しっかり伽羅さんのことを理解してくれるし、大切にしてくれるだろう。冷静ではなかったとはいえ、酷いことを口にした僕なんかよりも、そうした方がいい。



 伽羅さんが僕に対して求めているのは、保護者として、親としての役割だ。本当の両親が果たしてくれなかった、家族としての愛情を注ぐこと。僕に、僕たちに執着しているのは、きっと生まれたての雛が初めて見たものを親だと思うようなもの。最初に助けたのがたまたま僕だっただけで、これからもそれが僕である必要はない。


 必要は、ないのだ。けれど、今の僕の考えをそのまま伝えたところで、伽羅さんが納得してくれることはないだろう。ゆるくて、抜けているように見えて、この子は結構頑固なのだ。第一、他の人にしなさいと言ったくらいですんなり乗り換えられるのであれば、既にこの子の保護者は二井になっているだろう。


 ということは、僕に取れる選択肢は二つ。伽羅さんのことを受け入れて、離れてしまった家族を取り戻すことと、伽羅さんは家族じゃないと拒絶して、この少女を一人ぼっちにすること。


 伽羅さんが僕に与えてくれた、冷静になるための猶予はもう終わってしまった。どっちつかずで回答を後回しにして許されるのは、終わってしまったのだ。そして僕にははなから、この子を拒絶するという選択肢はない。


 難しい理由なんかじゃない。とても簡単な、責任の話だ。一度僕と結が話し合った上で、伽羅さんのことを受け入れると決めた。行き場のない子供の、居場所になると決めたのだ。それを多少状況が変わったからといって、簡単に投げ出すことはしてはいけない。


 今の状況だって、結に知られたらきっと怒られてしまうような状況なのだ。伽羅さんに気を遣われて、一人で落ち込んでいる現状は、結が健在ならひっぱたかれていただろう。そもそも結か奏のどちらかが無事なら僕もこんなふうにはなっていなかっただろうが。


「……週末、管理局に行こうか。退去するためにも手続きが必要だから、そこでやっておこう」


 かなり遅くはなってしまったが、こうなるのは最初からわかっていたのだ。いつまでも情けない姿を見せているわけにはいかない。それに、伽羅さんのためにも、誰か大人が一緒に暮らしていた方がいい。それが僕であるのは客観的に見て少しマイナスかもしれないが、伽羅さん自身がそれを望んでいるのであれば仕方がないだろう。なんだかんだ保護者の座を狙っていた二井には小言を言われそうだが、それは僕の責任だ。


「それなら、明日荷物取りに行く。いつでも移動できるように少なくしてあるから、おじさんには車を出してほしい」


 無表情のまま、抑揚がないまま、けれども確かに嬉しそうな伽羅さん。ひとまず学校帰りに管理局に寄ってもらうように伝えれば、こくりと頷いて、伽羅いい子だから歯磨きしてくる、と洗面所に向かう。


 その場に残されたのは、やり途中だったトランプと僕。自身が魔法少女であることを隠しながら、これから活動しなくてはならなくなった僕だ。

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