その8
やたらとちょっかいをかけてくれようになったクソリンゴ。僕がいつキレるか、チキンレースをして遊んでいるのではないかとすら思えるアップルンの行動を必死に我慢しながら過ごしていると、自分の忍耐力が鍛えられているのを実感する。
より腹立たしいものがすぐそばに生えていて、より神経を逆撫でする存在が現れたおかげか、いつの間にか伽羅さんが周囲でチョロチョロしているのはそれほどストレスではなくなっていた。やたらと煽ってくるクソリンゴなどに比べれば、近くで静かに座っているだけの伽羅さんがいかに無害なことだろう。しかも、この子が近くにいるあいだはクソリンゴは現れないのである。極力お互いに干渉しないという最初の契約はなんだったのだろうか。
「伽羅、いい子?えへん」
そんな無害な伽羅さんは、僕の心境の変化に気がついてか、少しずつうちにいる時間が伸びていた。最初は数日に一回来るくらいだったのに、その周期がどんどん短くなっていき、いつの間にかしれっと一緒にお昼ご飯を食べている。一人分も二人分も大して手間は変わらないし、既に失って久しい世間体以外になくすものもないのだが、なんというべきか、順調に絆されている感じが否めない。
一度、自分がなぜ伽羅さんを避けているのか考え直してみる。簡単に言えば、それは八つ当たりだ。奏を助けられなかった魔法少女に対する恨み。しかしそれだけではなく、きっと僕はこわいのだ。伽羅さんがいれば、一緒に暮らしたままであれば、僕は普通に過ごさなくてはならない。大人として、子供にまともな姿を見せるために、妻と娘を失った状態で日常を過ごさなくてはならない。
そしてきっと僕は、その生活に慣れてしまうのだ。今こうして、魔法少女としての生活?に慣れたみたいに、繰り返すうちに伽羅さんがいることに違和感を覚えなくなったように、大切な家族がいない生活に、慣れてしまう。この気持ちが消えてしまうことこそないだろうが、いないのが普通になってしまう。
それは、とても怖いのだ。僕の人生の全てだった二人がいなくなっても、普通に暮らせてしまうのが、こわいのだ。誰かに依っていたアイデンティティの喪失を恐れていると言ってもいいかもしれない。
もちろん、これはあくまで僕の思考を露悪的に表現しただけであり、実際にはそこまで考えているわけではない。自分の思考の一つ一つに理由をつけてそれっぽくまとめれば、それっぽく聞こえると言うだけだ。
「おじさん、こわい顔してる。ごはんは笑顔」
考え事をしながらパスタを巻いていると、正面に座った伽羅さんが無表情のままそんなことを言う。同じことを縁呪が言えば、それならまず君が笑えと言いたくなるところだが、文字通り笑えない伽羅さんを相手にそんなことを言ったら、僕はただの嫌なやつだ。
ひとまず表面上だけでも笑顔を取り繕ってみると、伽羅さんから無理して笑わなくてもいいと言われてしまう。さっきと今とで言っていることが違うのだが、よほど僕の作り笑いが酷かったのだろうか。酷かったのだろう。
「おじさん、そんなことより、伽羅お勉強教えてほしい。宿題いっぱいで出て大変」
僕の表情をそんなこと呼ばわりした伽羅さんは、残っていたパスタをむぐむぐと口の中に詰め込むと、床に置いていたカバンからノートと問題集を出す。教科は数学で、伽羅さんの苦手な教科だ。
「すごいよ伽羅さん、ほとんど間違ってる」
伽羅、いい子だからちゃんと宿題する!と言ってその場で宿題を始めた伽羅さんだが、びっくりするほど間違いが多い。式は立てれてるのに、そこからの変形が絶望的なのだ。ぱっと見た感じ、正答率は30%程度。文句なしの赤点である。
「なんで間違えてるのかわからない。お目目だいなりしょうなり」
「おじさんに教えてもらうとわかりやすいから、伽羅嬉しい。いつもありがとう」
実際のところ、あまり授業態度が良くないという話は聞いた。以前までまともに勉強できなかったせいで、かなり周囲より進度が遅れていたことも、知っている。なにより、一度追いついたとしても、魔法少女としての活動のせいで定期的に授業を抜けることになるから、その度についていけなくなっていることも、知っているのだ。
要は、僕たち大人が少女たちに魔物の対処を頼ってしまっているしわ寄せの一つが、伽羅さんの成績なのである。それだけが全てではないのは間違いないが、それが理由の一つであることもまた同様に間違いない。だからこそ、僕はこの子から頼まれたら断れないし、管理局の職員たちも断らない。
まあ、補習を断っているのだから、本人の責任とも言えるのかもしれないが。けれど、この年頃の子供が積極的に勉強をするかと言われたらそれまでなので、僕に教えてと言うだけ伽羅さんは偉いのである。
「ふふん、おじさんはもっと、伽羅のことを褒めてくれていい。伽羅は褒められると伸びるタイプ」
そんなことを言いながら胸を張る伽羅さんに、えらいえらいと投げやりな言葉をかけてやると、伽羅さんはみょーんと言いながら両腕を持ち上げる。伝わりにくいが、物理的に伸びたつもりのようだ。個人的には嫌いではないが、積極的に反応してやるほどでない。
スルーしてみせると、伽羅さんはしょんぼりしたようにゆっくりと両腕を下ろして、勉強に戻る。そのまま伽羅さんの宿題が終わるまで面倒を見ていれば、宿題の終わりと共に伽羅さんは帰っていく。
この引き際の良さ、僕にストレスをかけない振る舞いは、カスコットのアップルンにこそ見習ってほしいものだ。
「グラビティ!お話の時間プルっ!今日も沢山楽しくおしゃべりするプルっ!」
聞いているだけで楽しくなくなる声が、楽しそうに喋っているのが聞こえる。ストレスにしかならないから本当にやめてほしいと頼んでも、一切聞きいれてはくれず、むしろ悪化の一途を辿るアップルンだ。
「本当に、たのむからしばらく出てこないでくれ。お前の声を聞くだけで、この上なく気分が悪くなるんだ」
頼んでも、効果がないことはわかっている。それでも諦められないのは、僕の頭が緩くてすぐに忘れてしまうから……ではなく、何度言ってもアップルンが話を聞いてくれないからだ。正直、問答無用で黙らせたい気持ちもあるのだが、それをしてしまうと今後に影響が出てきてしまう。
「グラビティ、そんなふうにのんびりしている暇はないプル。グラビティが望むのならアップルンも黙るのはやぶさかではないけれど、そんなことをしたら魔物が出てきても何もできなくなっちゃうプルっ!」
それとも、グラビティはそうなるのが望みプル?酷いやつプル!と、心にもない同調をしてから、アップルンはおしゃべりという名の嫌がらせを続ける。
「そしてグラビティ、こんなことを話している間にも、魔物は人々を襲っているプル!早く変身するプルっ!」
グラビティはみんなを助けたくないプルっ!?なんて、まるで僕が悪いかのようにようやく本題を伝えるアップルン。最初からそうだと言ってくれれば、僕だってすぐに動き出せたのだ。
それをそのまま伝えても、アップルンはちゃんと伝えようとしたプル!とか言われて終わることは目に見えているので、黙って変身する。魔法少女としての口上も、当然カットだ。あれは言うだけで能力が上がるらしいのだが、僕は言いたくない。必要になることがなければ、きっとこれからも言わないままだろう。
「今日の出現場所はこの近くプルっ!急がないとこのおうちも壊れちゃうかもしれないから、チャチャッと済ませるプル!」
普通に玄関から出て、そろそろ監視カメラに見つかって特定されるのも時間の問題かと考えていると、空は彼誰時に染っていた。恐らく災害の規模としてはそこまで大きくなくて、僕がわざわざ出ずとも管理局の戦力だけで簡単にどうにかできるくらい。それでもわざわざ出るのは、少しでも被害を減らしたいのが半分と、それ以外の理由が半分。
ぷかぷかと浮かびながら魔物をプチプチしていると、いつの間にか現れているのはインセンスとカース。伽羅さんがお昼ご飯を食べに来ていたことからわかるように今日は学校が休みで、伽羅さんは帰宅中、縁呪は、何事もなければ家でのんびりしていたのだろう。家を出てすぐそこが彼誰時だったのだから、この二人が出てくるのも自然なことだ。
きっと今日も元気に口上まで述べていたであろう二人が魔物と戦っているのを眺めながら、僕は少し離れたところにいる魔物を優先して潰す。もちろん、人命救助も忘れない。災害は前もって予測することができないから、毎度その場にいあわせた人たちが少なからず犠牲になるのだ。その中には戦う力を持たない子供だって沢山いるし、そういう子供を守るのは大人としての義務である。
自分の中で優先度をつけながら人助けをして、その周囲から魔物を減らしていく。自分の中で、とは言っても、その基準は管理局のものだ。魔法少女としての素質が高い少女を最上位にして、次が守られるべき子供たち。人口の維持に必要な人々、労働力、そしてどれにも当てはまらないもの。正確に分類すれば個人ごとで多少の上下は変わってくるが、大まかなところは変わらない。以前までの僕のような、管理局の職員であっても、表向き優先されることはないのだ。実際には戦力の維持という名目で多少重くはなるものの、それでも極端な変動はない。
だから、僕が一番優先させるのは魔法少女達。今日はあまり危険がないからほぼ放置だが、危険があれば他の誰よりも優先して守る対象である。家族よりも、恋人よりも、魔法少女を守る。それが管理局のルールだ。実際にはいつもそんな守るべき相手に守られているのだから、笑うしかないのだが。
そんなことを考えているうちに魔物の対処はほとんど終わって、こちらを見ているインセンスと目が合う。ちょいちょいと手招きされて、少し悩んでから向かうと、緑色の魔法少女は無表情のまま、来てくれてうれしいと呟いた。
「伽羅、あなたとお話できてうれしい。逃げないでくれてありがとう」
ちっちゃな手で、それよりもさらに小さくなった僕の手を掴む魔法少女。逃げようと思えば逃げられるのに逃げなかったのは、単純に絆されたから……ではなく、そうしないとまた伽羅さんが変な落ち込み方をすると思ったから。僕だって、娘のような子がおかしな方向に進もうとしているのは、心苦しいのだ。
けれども、そんなふうに伽羅さん、インセンスのことを心配するのは、僕ならおかしくないが私だとおかしい。だから表面上は、とても不本意だと言いたそうな顔をして、不機嫌そうに振る舞う。
「その、この間はごめんなさい。あなたがあんなことをするほど嫌がっているって、あたし思わなかったの。もうしないから、ゆるしてくれない?」
そんな僕の態度を見て、おずおずと謝ってくるのはカースだ。この子の視点から見れば、嫌がっている子に対して突然拘束プレイをけしかけたことになるのだから、真っ当な価値観を持っている以上悩むのも仕方がないことだろう。
真っ当な価値観の持ち主はそもそもほぼ初対面で拘束しようと思わないと言われるかもしれないが、魔法少女になっている子が魔法少女嫌いだなんて、普通に考えればありえないのだ。そうした方が話が早かったことや、色々な手間を省けたことを考えても、あの対応はそれほど間違っていなかった。魔法少女というものはそういうものなのだ。
あまり引きずられるのも、こちらとしても罪悪感が湧いてくるので、もうしないなら別にいいとだけ伝えて、インセンスになんの用かと聞いてみる。
「ただお話したかっただけ。後、カースが謝りたいって言ってたからそのために」
つまり、用らしい用はないとのこと。それならもう解散して、明日のためにも早く報告してくるように伝えると、素直で何も考えていないインセンスはそうすると頷く。
「まって!あの、管理局まで来るのが嫌ならせめて、資料だけでも受け取って帰ってほしいの。無理に仲間になれとかは言わないけど、知っておかないと困るルールとかもいっぱいあるから、確認しておいてほしくて」
あたしの家、すぐそこだから受け取るだけ!と両手を合わせるカースに対して、嫌だと断るのは簡単だ。実際に管理局で働く以上の情報が書かれているわけではないだろうから、受け取りに行く必要も特にない。けれど、客観的に考えてみれば、今日はこのまま受け入れて、形だけでも受け取っておく方が自然だ。相手のことを信じられるのであれば発言の内容はとてもシンプルだし、管理局における、身元不明の魔法少女に接触した時のマニュアルにも、とりあえず興味を持ってもらいましょうの一文がある。伽羅さんとは違って、しっかり補習を受ける縁呪らしさが出ている真面目な対応だ。
その真面目さに報われてほしい思いもあり、カースの誘いに乗る。カースの家、つまり僕の家のすぐ隣まで一緒に向かって、駆け込んだ部屋から持ってきた封筒を受け取れば、それで終わり。当然周囲に管理局の職員が待機しているなんてこともなく、二人はそのまま報告のために管理局に向かうらしい。近所に住んでいるおじさんとしては、よく知らない人に自分の住所を晒してしまうのは危ないから良くないよと言いたいところだが、今の状態ではどんな立場で言っているのかがわからなくなるからノータッチだ。
「ねえ、伽羅たち、このままワルイゾー退治に向かうことになった。あなたもよかったら一緒に来てほしい」
突然通信機と話し始めたインセンスは、その会話が一段落つくと僕をみながらそう言って、ついでに車より早いから送ってほしい、あとあなたって呼ぶとこんがらがるからお名前教えてと言ってくる。
カースの誘いが上手くいったから、今度こそ罠をしかけに来たか?と考えたが、そうやって騙したとしても今後の友好的な関係が絶望的になるだけだと考え直す。管理局は、少し片寄った考え方こそすれど愚か者の集まりではない。
ついでに、音漏れしている通信の向こう側が、少し騒がしくなっていることを考えれば、送ってくれというのはインセンスの独断なのではなかろうか。名前の方は、間違いなく個人的なものだろう。
そこまで考えて、インセンスからのおねがいを聞いても何も問題はないと判断する。行き先を教えるように伝えて、ついでに僕の魔法少女としての名前、そのグラビティの部分を教えれば、インセンスは無表情のままなのに嬉しそうに見えた。
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