その7

 伽羅さんからもらったキンモクセイには、感謝してばかりだ。我ながら恥ずかしいことだが、これがなければ僕は何度か人間でいられなくなっていただろう。人とは理性があるもので、それを失えばただの獣に成り果てる。


 そして僕は今、そうなってしまうところだったのだ。この少女に対して抑えられない衝動を覚えて、けれどそれを発散する手段なんてものは持ち合わせていなくて、爆発してしまうところだった。目の前の存在を許すことができなくて、けれども傷つけることなんてできなくて。


 めちゃくちゃにしてやりたいという獣性と、守らなければならないという義務感じみた庇護欲。相反する衝動が混ざって、キンモクセイで強制的に鎮られる。一体今どんな顔をしているのか、自分でも想像がつかなかった。こわがられていないようだから、ひどいものにはなっていないと思うけれど、全くわからない。


「来てくれてありがとう。きっと結、妻も喜ぶよ」


 どの口が言っているのだろう。お前さえいなければと、なんの罪もない少女に八つ当たりしようとしていて、それを我慢しながら。一体どの口が言っているのだろう。


「よかったです……、私、おじさんには恨まれててもおかしくないって思ってたから、本当は会いに来るのが怖かったんです。おじさんが優しい人で、よかった」


 ああ、僕がもし優しい人に見えるのなら、その目は節穴だ。悲しくなるくらいに節穴だよ。優しい人が、誰かを傷つけたいなんて思うわけが無いんだ。本当に優しい人なら、君だけでも無事だったことを喜んであげられるはずなんだよ。間違っても、口汚く罵ってやりたい気持ちになんてならないはずなんだ。


 たとえそれが、家族の犠牲の上のものであったとしても、それは別の話と切り分けて喜んであげられないといけないのだ。僕にとっての、一番優しかったあの人がそうしていたみたいに。


「おじさん、顔色悪い。外の空気吸ってこよ」


 伽羅さんがそんな気を使うなんて、よっぽど酷い顔をしていたのかななんて失礼なことを考えながら、心底気分が悪いのは間違いないので、大人しく連れていかれる。あまり良くないのはわかっている。僕に嫌われているんじゃないかって気にしていた子と一言二言話して、すぐに場を離れるなんてあまりにも感じが悪い。この子達がどれだけここに居座るつもりかは分からないけれど、それがよっぽどの長時間でなければ一緒にいるべきだ。少なくとも、変な心配はしなくていいのだと、小幸さんにわかってもらうためにも。


 けれどもそうすることが出来なかったのは、このまま話していると吐くんじゃないかというくらい気分が悪かったから。そんな状態で、伽羅さんが気を使ってくれたのであれば、僕はそれに逃げるしかできなかった。


「小幸さん、今度、二人と一緒にうちに遊びに来るといい。大したもてなしはできないけれど、あの子の最後のことを教えておくれ」


 表面上の、ボロボロになった皮一枚分であったとしても、歓迎するという趣旨の言葉を伝えたのは、大人としての意地だ。僕が内心どう思っていたとしてもそんなことは関係ない。何も悪くないのに、人一人分の命を背負うことになった少女に、いつまでも不安な思いなどさせては行けないのだ。自分が恨まれているかもしれないなんて、思わせたままではいけないのだ。たとえそれが杞憂ではなく事実だったとしても、この子の中では杞憂だったということにする。それが、一人の大人としての義務だ。


 必ず伺います!という元気な声を背中に聞きながら、伽羅さんに手を引かれて歩く。その声を、言葉を聞くだけで精神が削られていくのだから、一周まわって感動的だ。いくらそうするべきだったとはいえ、あの子を招待したのは精神的な自殺ではないだろうか。我ながら早まったかもしれない。


「おじさん、大丈夫?伽羅もおじさんの気持ちわかるから、すごく心配」


 伽羅さんに僕の気持ちの何がわかるのか、なんて、普段の僕なら思っていたかもしれないが、そんなふうにすら思えないくらい今の僕は限界らしい。大人しく屋上まで連れていかれて、ベンチに座る。少し深呼吸をすると、多少気分がマシになった。キンモクセイから離れたのでじきにダメになるかもしれないが、今はまだマシだ。



 いつの間にか横に座っている伽羅さんのことも、今は何故か気にならない。それ以上に気になるものから離れたおかげか、それとも何度かキンモクセイ付きとはいえ話していたことで慣れたのか。どちらでも、今は構わなかった。


 自分の対応の酷さに、頭を抱える。その視界の隅で伽羅さんが線香を焚いているように見えるのは、今はいい。僕の頭の中は娘のこと、かなでのことでいっぱいになっていたのだから。




 奏は、僕らの自慢の娘だった。学校の成績こそあまり良くはなかったものの、優しくて、いつも友達に囲まれているような子だった。僕と結の仕事を尊敬してくれて、大きくなったらみんなを助けられる仕事をしたいと夢を語るような、いい子だった。


 それでも、普通の子だったのだ。親が管理局に勤めているというのは少し普通から離れる要素ではあったが、それでも普通の範疇にはいる子だった。魔法少女に、に選ばれるその日までは。


 思えば、それはただの遺伝だったのだろう。魔法少女の娘だ、最初からそうなる素質はあった。初めて奏に魔法少女の適性があると知った日から、ずっと目覚めないでほしいと祈っていた願いは叶わずに、僕らは奏を魔法少女にしてしまった。本人は喜んでいたが、自分の娘が兵器として命をかけて戦うのなんて、真っ当な親なら喜べるはずもない。


 けれど、止めることはできないのだ。魔法少女になれた時点で、戦う理由を持っているのだから。それを無理やり止めるということは、人類に対して滅べと言っているということで、そんなことは、これまで魔法少女に守られてきた人間が言えることではないのだ。


 だから僕らは奏の選択を受け入れて、少しでも安全であれるように努力した。けれどそれで事態が好転することもなく、次に伽羅さんが、そして縁呪が魔法少女になった。子供が戦うのなんて、見たくないのに。少しでも少女たちを助けるために、僕らにできるのは見守ることだけだ。


 ……伽羅さんが魔法少女になった時に、縁呪が魔法少女になった時に、僕は嬉しく思ってしまったんだ。人々を守ってくれる戦力が増えたことを……ではなく、奏が抱えるリスクを一緒に抱えてくれる人ができたことを。一人で戦っていたらいつどこで力尽きてしまうかわからない奏を助けて、一緒に立ってくれる人が現れたことがうれしかった。危険な目にあって命をかける少女が増えたことを喜んだ。


 とんだ人でなしだ。本当の娘のように思っていた伽羅さんや、産まれたばかりの頃からよく知る縁呪が魔法少女になって、心配するよりも先に安心してしまったのだから。



 そして、そんな日がしばらく続いて、ある日奏は帰ってこなくなった。結と喧嘩をして家を飛び出して、そのまま戻ってこなかったのだ。結果から言えば、奏はその日秘密結社オメラスに捕まって、怪人へ改造された。その時のが小幸さんで、魔法少女たちの決死の作戦の末、何とか体だけが戻ってきた。その中に小幸さんを宿して。


 僕の魔法少女嫌いは、完全な八つ当たりなのだ。愛する娘を取り戻せなかった少女たちに対する、ただの八つ当たり。ましてや小幸さんなんて、奏と一緒に巻き込まれただけの被害者でしかない。悪いのは魔法少女に任せるしかなかった僕たちで、力のなかった僕たちで、そして何より人の娘を怪人に作りかえてしまった、秘密結社オメラスだ。


 そこまでわかっているのにも関わらず、八つ当たりをやめることができないのは、きっと二人に甘えてしまっているからだろう。どこかに感情をぶつけないと心がもたなくて、正当に怒りをぶつけられる先がどこにもなくて、唯一受け止めてくれるところがそこだった。冷静に考えればそこまで自分で理解できているあたり、本当に救いがないと思う。大人大人と偉そうに言っていながら、子供に八つ当たりすることでしか自分を保てていないのだから。飲み会で話せば空気が凍ること間違いなしの笑い話だろう。


「おじさん、伽羅は大丈夫。伽羅、おじさんにはたくさん助けてもらったから、今度は伽羅が助ける番」


 僕の精神安定のためにキンモクセイを数本まとめて焚いている少女は、僕の八つ当たりの手伝いをしてくれているのだ。僕が自分の中で感情の整理をつけるまで、距離を置いて待っていてくれているのだ。本当に、大人として、人として、情けない限りである。




 突然、横から音が響く。発生元は、伽羅さんの持っている携帯だ。聞き覚えのあるその音は、魔法少女に緊急事態を伝えるもの。どこかで魔物が現れたのか、そうでなければ秘密結社が現れたのか。前者であれば僕も行かなくてはならないのだが、目の前に伽羅さんがいるとアップルンを呼ぶこともできなければ薬を飲んで少女化することもできない。


「おじさん、伽羅、ちょっと行ってくるね。むんっ」


 どうしたものかと思っていると、伽羅さんは僕に対してそう言いながら、力こぶを作るポーズをとる。形だけ作ってみせても、コブのひとつも見えないからむしろ心配になるくらいだが、きっと安心してもらおうと思っているのだろう。頑張ってきてくれと応援して見送って、ポケットからアップルンを取り出す。


「グラビティから呼んでくれるなんて珍しいプルっ!アップルンは嬉しいプルっ!」


 なんの意味もなく呼ぶような関係ではないことを理解しているはずなのに、今日はおしゃべりするプル〜?と呑気にとぼけてみせるリンゴに対して殺意のようなものを感じながら体を掴むと、アップルンは苦しいプル〜!と言いながら足をバタバタして見せた。


「そんなふうにふざけているような暇じゃないことくらいわかるだろう?インセンスが管理局から呼び出しを受けたんだ。もし魔物が出てくるのなら、僕らも急いで準備をしないといけない」


「グラビティは少し冷静になるべきプル。ストレスが沢山溜まっているのはわかるけど、もっとのんびり考えるべきプル。もし魔物が出てくるのなら、アップルンがこんなふうにのんびりしているわけがないプル。そんな簡単なこともわからないプル?」


 ひょっとして、グラビティはおばかさんプル?と、一頭身の頭を斜めにしながら煽るアップルン。握りつぶしてやりたい衝動に駆られながらも、言っていること自体は的を得ているので受け入れる。


 そうだ。いくらこのマスコットがクソッタレのカスとはいえ、魔物を倒すという目的のみは一緒なのだ。それがのんびりふざけていられるということは、少なくとも魔物という現象においていえば危険は迫っていないと言える。


「グラビティは、秘密結社の方には行かなくていいプル?あれと戦うのも魔法少女の役目の一つで、なんならグラビティの家族を奪ったのはそっちの方プル。アップルンなら、魔物よりもそっちを恨むと思うプル」


 なのにどうしてそんなに落ち着いているプル?と、自分が落ち着けと言ったことすら覚えていないらしいカスリンゴは頭を傾げる。本当なら首を傾げると言いたいところだが、このリンゴは一頭身。首と呼べるような部位はどこにもなかった。


「秘密結社の相手をするのは、本来魔法少女のための役目だ。あれらはやろうと思えば普通の人間でも対処できるし、そもそも……いや、それはいいか」


 要は、僕には秘密結社に対して恨む理由こそあれど、戦う理由は無いのだ。理由がないから戦わない。魔法少女たちに八つ当たりをしているやつの言葉でなければ、それなりにまともな発言のように思えるのではなかろうか。


「うーん、つまんないプル。のんびりしているアップルンに対して、焦って取り乱すグラビティが見たかったプル。残念プル」


 その人間性を取り繕うことすらやめたのか、人格を疑うようなことを言うクソリンゴをつかみながら、ポケットにねじ込み、強制的に切り替えられた気分のまま結の部屋に戻る。伽羅さんに招集がかかったのだから当然それは縁呪にもかかっていて、付き添いの二人がいなくなったので、直接の面識がない相手の病室に居座る趣味がない限り、小幸さんは離れているか、帰っているかしているだろう。もしどちらでもなければ、その時は諦めるしかない。


 案の定と言うべきか助かったと言うべきか、部屋の中に小幸さんの姿はなかった。伽羅さんと縁呪の荷物もなくなっていることから、職員が回収したのか、あるいは縁呪がまとめて持っていったのだろう。魔法少女が出動すると、だいたい時間がかかって少し遅い時間になる。そこから一度戻ってくるのは手間だからという理由で、彼女たちは荷物を一箇所に集める習慣があった。


 まあ、そんなことは僕にはもう関係のないことだ。置きっぱなしになっていた、大したものの入っていない自分の荷物を回収して、今日はもう帰る。嫌なことがあったから、早く帰って寝たかった。眠れるほどの眠気はないから、アルコールの力を借りてもいい。止めるような人がいないから、溺れるのは簡単だ。


 手足の生えたバスみたいなものが、ワルイゾー!と叫びながら暴れているのを横目に眺めつつ、車を走らせる。元になっているもの次第でいくらでも見た目が変わるのだが、だいたい雑に手足を生やされた姿で暴れているのが、魔法少女のもう一つの敵、秘密結社が操る怪物のワルイゾーだ。見た目も名前も安直な化け物だが、なんの装備も訓練もない一般人にとっては脅威であり、魔法少女による対応が必要とされている。


 されている、と言ったのは、別に魔法少女がやらなければならないわけではないからだ。体が邪気と呼ばれるよくわからないもので構成されているせいで、既存の兵器が全く効かない魔物とは異なり、人間が作っているワルイゾーは既存の兵器で破壊が可能である。


 にもかかわらず、対応が魔法少女に任されているのは、突発的かつ危険性の高い魔物との戦いだけではなく、ある程度安全性が確保された秘密結社との戦いで戦うことになれるため。ということになっている。だから僕は秘密結社と戦う理由がないし、戦う気もないのだ。


 ワルイゾー!と元気な声が、少しづつ小さくなっていく。単純に距離が離れていることがひとつと、あともうひとつは叫べるほどの元気がワルイゾーになくなっていること。つまりは今日も問題なく秘密結社は倒されました。めでたしめでたしというわけだ。もう興味がないし、僕の関係ないところで勝手にやってくれればと思う。


「グラビティは本当に変な子プル。魔物が相手の時はあんなに必死になって守ろうとしていたのに、どうして秘密結社の時はそうしないプル?やっていることがチグハグプル」


 運転中に突然現れて話しかけてきたリンゴに、黙っているように伝える。手元が狂ってしまうかもしれないから、運転に集中できないから、今は本当にやめてほしい。


「そんなふうに誤魔化そうとしてもだめプル。グラビティはもっとちゃんと自分と、周りと、アップルンと向き合うべきだって、アップルンは思うプルっ!」


 そんなに向き合いたいのなら正面から目を合わせて絞めてやろうかと思うけれど、運転中だ。それなりに混んでいて、けれども渋滞で止まるほどでもないから動き続ける車の中。リンゴを握る余裕などは、さすがにない。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る