第21話 お母さんなんて嫌いっ!すれ違う思い

 オメラス構成員がワープでどこかに消えてから、二分も経たないうちに一台の車がやってくる。既に変身を解いて、普通の少女に戻っていた奏と伽羅の元にやってきたその車は、二人にとってとても見覚えのあるもの。


「戦闘が終わったと聞いて戻ってきたわ。送っていくから乗ってちょうだい」


 見覚えがあると言うよりも、正確にはいつも見ている車だ。つい先程母がシンフォニーを届けた車で、いつも玄関の前に止まっている車なのだから、見たことがあるのは当然のことである。むしろ見知らぬ車なはずがないのだ。


 戦闘の余波を浴びないように、一度離れたところに移動していた母に連れられて、伽羅は自分が行こうとしていた場所に向かう。本当ならもっと適当にぶらぶらしているはずだったのだが、そもそも歩き疲れてしまっていたのでちょうどいい。


 伽羅から話を聞いて、管理局の位置とそこからの方向を頭の中で整理した母が、ユウキが向かうように言ったであろう地域に向けて車を走らせる。行き先がそれであっているのか否かはユウキしか知らないので、伽羅は素直に送うまてもらうことにした。


「そういえば、奏とお母さんはもうお出かけしていいの?」


 普段であれば、自分も一緒に行くと言い出すはずの奏が、車の中で下を見たまま動かなくなっていることに疑問を持ち、伽羅が母の予定と併せて聞いてみる。途端に空気は若干ピリついて、奏が小さな悲鳴をあげた。


「……ごめんなさいね、まだ奏とはすこし、オハナシしないといけないことがあるの。本当なら伽羅ちゃんとお出かけしたかったのだけど」


 要は、奏へのお説教がまだ終わっていないから、帰ったら続きがあるのよ。と言っているのだが、ゆるふわ系の伽羅にはこんな言い回しをしたとこらで伝わらない。伽羅のゆるふわは、それだけ本格仕様なのだ。


 遊びたかったのに残念だな、と言葉を素直に捉えた伽羅は考えて、それならまた今度一緒にお出かけしようと約束を取りつける。そしてそのまま目的地に連れて行ってもらえば、伽羅はそこで車をおりる。車内に残ったのは、伽羅の前では隠していたもののまだ怒りが収まらない母と、すっかり小さくなってしまった奏。仲良くおしゃべりできる状態ではない二人は、互いに何も話すことなく無言のまま自宅に戻った。


 無言を貫いたまま揃ってテーブルの席につけば、始まるのは少し前までやっていたやりとりの続き。つまりは、奏の成績が悪くなっていることについて。奏にとっては、可能であればトテモワルイゾーとの件で忘れてもらいたかった話題だ。


「それで奏、さっきまでの話の続きになるのだけれど、今の成績は控えめに言ってとても悪いです。どうするつもりなの?」


 奏にとっては忘れて欲しい話題であっても、母にとっては一日を潰す必要がある話題だ。災害が起こったのであればともかく、それ以外の理由ではそうそう止めるわけにいかない。


 なお、こんな言い方をしているから奏には誤解されているが、母はとにかく勉強!何はさておき勉強!と伝えたいわけではない。むしろ他にやりたいことや夢があるのなら、多少成績が悪くても気にしない。もちろん全く勉強しないことを許すわけではないが、案外柔軟なタイプなのだ。


 とはいえ、そんなことは今は関係ないのである。だって、今回のテストで奏の成績が悪かったのは、普段勉強せずに遊んでばかりだったから。そして結局怒られるのであれば、母の考えがどうであろうと奏には関係ない。


「勉強は頑張らないとだけど、今はそれより大切なことがあるから……」


 自分が責められている、と考えている奏は、少しでも母の矛先を逸らそうと必死だ。魔法少女としての活動を出せば、母の勢いも収まるだろうと考えて、それを口に出す。


「……たしかに、魔法少女としての働きは大切な事ね。それでお金を得ている以上、仕事としても重要なものになるし、他に代われる人がいないから役目としても大切です。けれどね、奏。それでもあなたは学生で、学生の本分は勉強なの」


 奏が考えていたのは、魔法少女としての活動を言い訳にするな、と言われることだ。奏自身、言い訳として口にはしたけれど、成績が悪かった本当の原因が自分の怠惰であることはわかっている。だって、勉強時間や自由時間の確保であれば、部活動に励んでいる生徒たちの方が奏よりよっぽど少ないのだから。


「魔法少女としての活動が、健やかな勉学の妨げになるのであれば、それは管理局としても望むものではありません。平和のため、みんなのため、それもいいけど忘れちゃいけないことがあると心得なさい。……魔物との戦闘なんてそんなこと、本来子供あなたたちがやるべきことではないのだから」


 けれど、そんな奏の想像とは裏腹に、母が言ったのは魔法少女としての活動の否定。とても、管理局で責任者をしている人の言葉とは思えないもの。


 一瞬、奏は母が何を言っているのか理解できなかった。だって魔法少女の活動は、魔物や秘密結社と戦うことは、魔法少女にしかできないことだ。奏たちのような魔法少女がやらずして、誰がその役目を果たすのか。


 勉強もそれほど得意ではなくて、運動も同様で、得意なことはお歌を歌うくらい。それだって特別才能があるわけではなく、人に自慢できることなんて愛嬌と両親くらいしかなかった奏。そんな奏にとっては、魔法少女になれたということは、初めて自覚した自身の特別なのだ。優秀な魔法少女として、みんなのことを助けられる。誰かを守れる。それが奏にとってどれほど大きいことだったのか、母にはわからない。奏が慢性的に承認欲求を拗らせていたことなんて、母にはわからなかった。


「……なにそれ。魔法少女私たちが守らなくて、誰がみんなを守るの!?魔法少女私たちしか魔物と戦えないのに、どうやって魔物と戦うの!?私たちがいなかったら、世界が大変なことになっちゃうのに!」


 わからなかったから、母の言葉は奏の柔らかいところを刺激してしまったのだ。何もなかった奏がやっと手に入れた自分の価値。存在意義。それをと言ったことが、奏には許せないことだった。


 母にとっては、想像もしていないことだ。何よりも大切な自分の娘が、自分の知らないところでそれほどまでにこじらせていたことも、奏にとって自慢の両親が、憧れの両親が少しプレッシャーになっていたことも、十分な愛を示してきたと思っていた母には意外な事だった。


「……魔法少女がいなくて滅びてしまうような世界なら、なくなってしまえばいいのよ。本来子供を戦わせるなんて、間違っているのだから。間違っていたせいで壊れる世界なら、壊れてしまえばいい」


 そして、咄嗟に出てしまったのはそんな言葉。管理局という、魔法少女を取り扱う組織の一員として、とてもふさわしいとは言えないその言葉は、しかし母の本心である。一人の子を持つ親として、子供たちに戦わせるしかない大人として、そして何よりかつて青春を犠牲にして“平和”を守った先輩としての本心である。


 けれど、その言葉の裏に隠された複雑な思いは、奏には届かない。届くものはただ一つ、否定されたという事実。


「……なに、それ」


 もし状況が少しでも違えば、奏は母の言葉の意味をもう少し深く考えていただろう。みんなのため、魔法少女のための組織で働く母が、簡単な理由で魔法少女を否定するはずがないと思い至れただろう。もし奏がもう少し冷静であれば、そうなっていたはずだった。


 けれども、今の奏は冷静とは程遠い状態だった。テストの点数が悪くてへこたれて、お説教でへこんで、少女を守れず落ち込んでいた。そんなダメダメだった時の、最後のダメ押しが存在意義の否定。それで冷静でいられるほど、奏は大人では無いのだ。


「私たちがどんな気持ちで頑張ってると思ってるの!怪我はしなくても痛いのに、苦しいのに、我慢して頑張ってるの。自分の不手際で誰かが犠牲になって、弱いせいで守れなくて、それでも守りたいから頑張ってるの!それなのに、壊れればいいなんて二度と言わないで!」


 カッとなった奏は机を叩いて立ち上がり、そのまま外へ駆け出す。残された母は、これまで見た事のなかった奏の激昂にあっけに取られ、止めることが出来なかった。


 母が伝えたかったことは、知らない誰かの平和より、奏の安全の方が、健やかな成長の方が大切だということ。それが出来なくなるのであれば、あなたが頑張り続けなくてもいいのだということ。普段奏がどれだけ遊んでいるかを、仕事に追われていたせいで理解出来ていなかったがゆえの言葉だ。少し考えれば、自身の管理している魔法少女の扱いがやわやわなことくらい理解出来るはずなのに、母はやはりふわふわ系の母だった。



 そんな母の元から着の身着のままで飛び出してきた奏は、特に行きたいところもなく辺りをほっつき歩く。財布も携帯も持っていなかったから、どこかに遊びに行くこともできない。かと言って、それを家まで取りに帰ることも出来ないし、帰りたくもない。


 そんなことを言ったって、いつか帰らないといけないのは奏にもわかっている。今がお昼を少しすぎたくらいだから、遅くても数時間後、家ではきっと、母がお昼を作って待っているだろうから、それを無駄にしないなら長くて一時間。いい子ちゃんな奏には、親と喧嘩して家出するなんて選択肢は存在しない。もしそうなったら泊めてくれる友人のひとりやふたりはいるけれど、真面目ちゃんにはそんな大それたことはできないのだ。


 せいぜいが、こうやって飛び出して、しばらくしてからぷんすかと怒っているアピールをしつつ帰ることくらい。こんなふうに家を飛び出すことすら初めての奏にとっては、既に大冒険なのである。帰ったら絶対に怒られるな、帰りたくないな、と早くも帰りたくない理由が変わりつつあるのは内緒の話だ。


 その辺の公園で、あまり綺麗とは言えないベンチに座り込んで、奏はこれからどうするかを考える。このまま帰るのは、なしだ。奏自身母の言葉が許せなかったこともあるし、元々怒られている途中でもあった。飛び出したことが許されるにしろ怒られるにしろ、帰ったところで仲良しこよしといかないのは間違いない。


 それなら、奏はこうして時間を潰している方が良かった。こうしていれば、いつか父が帰ってくる時間になる。そして父が帰ってきてくれれば、きっと母の言った酷い言葉に怒ってくれるだろう。その後で自分も心配かけたことを怒られるだろうが、それでも母に一矢報いることはできる。そのために無駄な心配をかけてしまう父には少し申し訳ないから、今度なにかお礼をしないといけない。


 帰りたくない、と考えながら、奏が考えているのはもうすっかり帰ったあとのことだ。父と母が心配していて、きっと伽羅も心配していて、父に見守られながら母とお互いにごめんなさいをする。ただの想像に過ぎないけれど、ただの想像と言うには現実的なそれ。経験に基づいた推測だ。


 何もなければ、それはそのまま現実に起きることだった。何事もなく、奏が家に帰ることが出来たなら。けれども、何もなければ起きたことは、つまり何かがあれば起きないことである。


 その何かは、座っていた奏の前に突然現れた。どこかからやってきたのに気が付かなかったとか、そういう比喩表現ではなく、文字通り突然現れた。なんの脈絡も、前後関係もなくただそこにあるのが当たり前かのように発生した。


 出てきたのは、一人の男だ。なにか大きなものを抱えた、一人の男。その男が少し前に遭遇したばかりの、オメラス構成員であることは、奏にはすぐにわかった。


「おっと、妙な真似はよすんだ。こいつがどうなってもいいのか?」


 すぐにわかって、穏やかな様子じゃないことを汲み取った奏が変身しようとタイコンを取り出すと、それを止めるように男は手の内の大きなものに刃物を向ける。ぐるぐる巻きに梱包された、モゾモゾと動く何か。その内側から聞こえるくぐもったうめき声と、ちょうど子供一人分くらいの大きさを見て、奏は動きを止める。


「君が賢い子でよかったよ。こちらとしても、無為に人を殺めたいわけではないからね。なぁに、ただ少し、話を聞いてくれるだけでいいんだ。魔法少女はこうでもしないと我々の話を聞いてくれないからね」


 にこやかに笑いながら、男は言う。自分の行動が正しいと信じきっている、狂人の目だ。自分たちの理想のためなら何でもしてしまえる、狂人の言葉だ。耳を傾けるべきではない。


 そうわかっていても、管理局での教育内容を覚えていても、けれど奏には目の前の命を見捨てることが出来なかった。テロリストと対峙する時は人質ごと焼き払えと指導されていても、1万人の市民よりも1人の魔法少女の方が大切だと教わっていても、小さな命を前にそんな選択をできるわけがない。それができるような少女なら、まず魔法少女にはなれない。


 だから、奏が変身できなかったのは仕方がないことなのだ。こういう事態に、変身して戦えと命令いいわけをくれる管理局は、ここにはいない。連絡を取るための携帯電話は、家を飛び出した時に置いてきてしまった。


「私が、あなたの話を聞けば、その子は無事でいられるの?その子はお家に帰れるの?」


「ああ。約束しよう。君が話を聞いてくれるなら、この子には一切手出ししないし、君だってちゃんとおうちに帰れるさ」


 奏の問いかけに対する、間髪入れぬ回答。まるで最初からそう来ることがわかっていたかのような、あるいは何を聞かれても肯定する気でいたかのような、迷いのない約束。


「それなら、あなたの話を聞く」


 それを信じて、どれだけ疑わしくても信じることしか出来なくて、奏は対話を受け入れた。どうして秘密結社の構成員と話してはいけないと言われているのかなんて、考えもせずに。


 それなら落ち着いて話せるところに移動しようかと言って、男が奏に近付く。そのまま腕を掴まれて、次の瞬間移動していたのは薄暗い部屋。打ちっぱなしのコンクリートと、点滅する電球。窓のひとつもなくて、真ん中には机が一つ。まるで取調室みたいだな、と取調室を見た事がない奏は思った。


「ここなら落ち着いて話が出来るだろう。我々も、こうして魔法少女と一対一で話すのは初めてでね。この部屋はそのために用意したのだが、気に入ってもらえたかな?」


 こんな部屋、気に入る人がいたら見てみたい。そう思いながらも口に出すことはなく、奏は促されるままに椅子に座る。


「本当に、喜ばしいことだ。ここに魔法少女を招けるなんて。安心して欲しい、話を聞いてもらえるのなら、君も、それも、ちゃんとおうちに返してあげるから。我々は人との約束は決して破らないのだよ」


 胡散臭い笑みを見せながら、男は言う。どれだけ胡散臭くても、ここまで着いてきてしまえば、奏にできることは話を聞くことか、周囲にある全てを壊して外に出ることだけ。





 そして結局、この日を境に、奏が家に帰ることはなかった。

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