第17話 家族ノカタチ。当たり前の幸せ

「……クッソ。大損じゃないか」


 突然ため息をついたオジサン。一体どうしたのかな?と伽羅は心配になって、その直後に続いた言葉に、びっくりする。突然、なにか大変な事でもあったのかな?と思って、オジサンの意図にはまだ気がついていない。


「育児放棄されていたガキなんか、ちょっと優しくすればコロッと落ちるはずだったのに。我欲がない……いや、満たされているのか?どちらでもいいか」


 急に言葉が汚くなったオジサン。頭がゆるふわな伽羅は、まだ心配している。そしてその呑気な少女の様子が、よりオジサンを苛立たせた。


「居場所がないガキなら、居場所になってやるだけでいい。愛を知らないガキなら、優しくしてやるだけで十分。馬鹿なガキなら、甘やかしてやれば優しいと勘違いする。手元に置いとけば金が入ると思ったけど、これじゃあ無理だ。まったく、管理局の連中は上手くやったものだな」


 ここまで言われれば、いかにゆるふわ系な伽羅であったとしても、自分が馬鹿にされていることに気が付く。これまで向けられてきた悪意とは違って、最初隠されていたから気がつけなかったが、伽羅はけして悪意に鈍感なわけではないのだ。鈍感なのはほぼ全てに対してである。


 そして、いかに鈍感な伽羅であっても、今の言葉が管理局、つまり、自分の大切な人たちが所属している集団を揶揄した発言であることだとはわかる。正確にはオジサンは管理局自体ではなく、伽羅を引き取って大切に育てている共田家、より正確にはその善意を貶しているのだが、伽羅にはそこまではわからなかった。


「……お父さんのことを悪く言わないでほしい」


 このオジサン、いい人かもと少し前まで考えていて、若干柔らかくなっていた伽羅の口調に、最初の硬さが戻る。伽羅にとって一番大切なものは家族で、その次が優しくしてくれるみんな。それらを悪く言うものは、伽羅にとって嫌いなものだ。オジサンが一人目だったけれど、今そう決まった。


 そして、みんなに優しくされて育ったわけではない伽羅にとって、嫌いな人とは自分にいじわるをしてくるもの。自然と警戒心が生まれる。


「お父さん、ね。本来なら、そう呼ぶべきなのは私だと理解しているかい?どこの誰ともしれない他人じゃなくて、君は私を父と呼ぶべきなんだ。そうあるべきだったのに、そうなっていない。全く忌々しいことだ」


 こんなことなら、あの女が生きているうちに引き取っておくべきだったと愚痴るオジサン。その様子を見て、警戒心を手に入れた伽羅は一つ不思議なことに気が付く。それは、目の前のオジサンが自分を引き取ろうとする理由が見えないこと。途中までは、オジサンにも親子の情?とでも呼ぶべきものがあってのことだと考えていたが、目の前のオジサンを見ているとそうとは思えない。


「理由?そんなの金になるからに決まっているだろう。魔法少女は高給取りで、基本的にはそれは親が管理するんだ。ガキ一匹飼って、ご機嫌取りしているだけでそれなりの金が手に入るんだから、誰だってそうするだろうさ」


 あの家族だって、そうでもなければお前みたいなガキを引き取ったりしないだろう。そう吐き捨てたオジサンに、そんなことないと伽羅は言い返す。お父さんは、お母さんは、お金なんかのために自分を引き取ってくれたんじゃないと言い返す。


「それなら、君を引き取って彼らになんの意味がある?金のためでもなく、子供がいないわけでもない。引き取る理由もないのに、管理局で手厚く保護される魔法少女の身元をかっさらう理由が、一体どこにある?」


 理由なんて、伽羅は考えたことがなかった。父も母も奏も、自分に優しくしてくれるから。これまで虐げられてばかりだった自分のことを大切にしてくれるから、それだけで十分だった。理由なんていらなかった。


「……これ、いらない!」


 だから、伽羅は何も答えられなかった。オジサンから吐かれる正論に、何も言い返すことが出来なくて、これ以上は話したくないと逃げる。渡された贈り物をグイッと押しやって、食事の場から勝手に出ていく。


 幸い、携帯電話もお財布も、しっかりポーチの中にしまってあったから、置いてきたなんてこともない。定期的に拭いていて、まだピカピカなお財布の中には、中学生には不釣合いな額の現金も入っているし、携帯で調べればお家までの道もわかる。



 もう外は暗くて、伽羅が一人で出歩いたことがない時間だ。とは言っても、せいぜいが9時前で、まだ補導されるような時間ではない。と言うよりも、そんな時間になるのであれば、過保護な両親が許すはずがない。


 けれども伽羅にとっては、もうそろそろ寝る時間である。ゆるふわ系健康優良発育不良児は、ちょっとおねむなのを我慢しながら近くの駅に行き、おうちに帰れる電車はどれですか、と駅員さんに教えてもらう。



『ガキ一匹飼って、ご機嫌取りしているだけでそれなりの金が手に入るんだから、誰だってそうするだろうさ』


 一時間弱ほどの時間が経って、伽羅はお家の前に着いた。そして家に入ろうとしたところで、オジサンの言葉を思い出してしまった。自分のような魔法少女を置いておくだけで、その家にはお金が入る。もちろん伽羅からしてみれば、大好きな家族の元にお金が入るのは嬉しいことだが、そのために自分が引き取られたのかもしれないと考えると恐ろしい話でもあった。


 伽羅にとって、今の家族は初めて自分を受け入れてくれた人なのだ。初めて優しくしてくれた人なのだ。初めての優しさ、初めて感じた愛。もしそれがお金のためだったとしても、嬉しかった事実に変わりはない。もしそうだったとしても、何も問題はないはずなのだ。


 そのはずなのに、胸がちくちくした。頭では変わらないと思っているのに、こころは違った。ちくちくして、痛かった。痛くって、こわかった。こわくって、扉を開けられなかった。


 そのまま、少し時間が経つ。門の影でしゃがみこんで、頭の中をぐるぐるさせる。難しいことを考えないようにしてきた伽羅には、こういう時にどうすればいいのかが分からなかった。悪い方に、悪い方に進んでいく思考を、止めるすべを知らなかった。



「……伽羅ちゃん!?どうしたの!?」


 ガチャリと、伽羅が開けられなかった玄関が開く。どんどん大きくなっていた不安が、ぺちゃんと小さくなる。大好きな人の声を聞いて、伽羅の大きなおめめから、涙がぽろぽろこぼれてくる。


「……よくわからないけど、大丈夫だよ。私はいつだって伽羅ちゃんの味方だから。嫌なこととか怖いことがあったら、絶対に助けてあげるからね」


 泣き出してしまった伽羅のことを、奏は何も考えずに抱きしめ、子供にそうするように背中をトントンする。おつむが幼児な伽羅は単純なので、それだけで安心してしまうのだが、オジサンの言葉を思い出して思わず小さく抵抗してしまう。


 むずがるような、弱々しい抵抗だ。ともすれば抵抗とも感じないかのようなか弱いそれを、奏はしっかりと認識することが出来た。認識できて、嫌がられているとわかってしまった。


 伽羅から嫌がられた奏は、ショックを受けたようにちょっと固まって、すぐに離れる。その旨にあるのは拒絶された悲しみ……ではなく、これまで普通に抱きつかせてくれた伽羅に、何かしら余計なことを吹き込んだであろうオジサンへの怒りだ。


「とりあえず、おうちに入ろう。お父さんもお母さんも、心配しながら待ってるんだから」


 少し遅れて込み上げてきた、伽羅を泣かせたオジサンへの怒りを隠しながら、不安にさせないよう表面上笑顔を作って、奏は伽羅を誘導する。伽羅に背中向けて歩き出したその表情は、リビングで待機していた両親が何事かと驚くようなのものだったが、後ろを歩いている伽羅には見えないので問題ない。


 小さい声で、伽羅がただいまを言う。普段の様子とは明らかに違うそれと、娘の表情。その2つで両親はすぐに自分たちん失敗に気が付き、どのように声をかけるべきか考える。普段通りの対応ではダメで、かと言って訳知り顔で大変だったねとねぎらうわけにもいかない。そもそもこの一日、伽羅がどこで何をしていたのかすら正確にはしらないのだ。管理局はGPSで居場所を把握していたが、今日はオフだった両親は関与していないのである。


「……おかえり。あの人との時間は、楽しかったわけではなさそうだね」


 伽羅の目尻に残った涙の跡や、その他諸々のことを加味して、父は伽羅が自分たちになにか話したいことや聞きたいことがあるだろうと判断する。ひとまずは座らせて、そこからの対処は話を確認してからだ。


 父からかけられた言葉に、なんでわかったの!?と伽羅は驚いて、小さく一つ頷く。伽羅がわかりやすいのは周知の事実であるのだが、このゆるふわ系少女にはその自覚がなかった。その自覚を持てるほど、伽羅の頭には中身が詰まっていないのだ。


「……お父さんとお母さんにお願いしたいことがある」


 スカスカの頭の中に、オジサンの言葉がよぎる。自分の大切な人を、その人達の好意を否定したオジサンの言葉。そんなことないと否定したくて、否定することができなかったそれを、伽羅は確かめたかった。


「伽羅、お父さんと、お母さんと、奏が好き。みんなが優しくしてくれるから、伽羅は今とっても幸せ。ずっとこうして暮らしていたいから、このままでいてほしい」


 伽羅の言葉に、両親と奏が不思議そうな顔をする。この子は深刻そうな顔をして、突然何を言い出すのかと理解できていない顔。それを見て伽羅は、自分が色々と話す順番を間違えたことに気がついた。


 伽羅が話そうとしていたのは、オジサンについてのことと、自分の過去についてのこと、そして魔法少女としての活動の対価について。それを聞いたうえで、オジサンが言っていたとおりだったら、お金は上げるからこれまで通りに優しくしてほしいと言いたかったのに、伽羅はこわくなってしまったのだ。もしかしたら、オジサンの言っていた通りで、そこを追求したせいで機嫌を損ねてしまうかもしれなくて、その結果今までの幸せが壊れてしまうかもしれない。


 実際の共田家からしたらありえない話なのだが、今の伽羅はメンタルがよわよわなので、そんな事を考えてしまった。考えてしまって、そうなってほしくないという思いだけが先走って、話す順番を間違えてしまった。


 慌てながら伽羅が順を追って説明し直し、その内容を聞いて両親の表情が険しくなっていく。途中でゆるふわ系は、自分のせいで二人が不機嫌になっていると誤解して泣きたくなっていたが、続きを催促する言葉のせいでそうすることもできなかった。


「なるほど。突然変なことを言い出したかと思ったら、そういう理由だったのね」


 一通り話を聞き終えた母が、安心したように、呆れたように息をつく。そこにいわれのない疑いをかけられたことに対する怒りの色が見られなかったのは、伽羅にとっては幸いだろう。


「伽羅さん、まずお金に関してだけど、伽羅さんが稼いだ分のお金は全額残しているよ。伽羅さんが稼いだ分は僕たちのお金じゃないから、勝手に手を付けたりはしないし、受け取るつもりもない」


 今のところ、渡しているお小遣いも僕らが出していて、ぼちぼちそのあたりの話もしようと思っていたところだったんだと、父は言う。ちなみに私のお小遣いは足りない分だけお給料から使っているよ!と主張するのは横に座っていた奏。


「それと、伽羅さんを保護したのは魔法少女のことは関係ない。そもそも、伽羅さんが最初にうちに来た時点では、まだ魔法少女じゃなかったじゃないか」


 魔法少女の素質はたしかにあったけれど、それだけで保護するなら今頃うちは少女まみれだと笑う父に、確かに思い返してみればそうだったとゆるふわ系は納得する。そして同時に、それならどうして自分にこんなに良くしてくれるのか、それがわからなくなった。


 お金のためなら、簡単に納得できた。利益があるからそうするというのは、理由としては真っ当だ。魔法少女だったからだというものでも納得できた。伽羅が詳しく知らないだけで、きっと管理局では何かしらの決まりがあって、それに従っているのであれば納得だ。かわいそうな少女を片っ端から集めているというのも、可能性としてはあった。管理局という職場の都合上、魔法少女候補の身元を確保しておくのはおかしなことではないのだから。


 けれど、理由がないとなると少し話が変わってきてしまう。ゆるふわ系としては、大切な人たちが愛してくれるのであればそれだけで十分ではあるのだが、気にならないと言ったら嘘になる。


「理由、か。……笑わないで聞いてほしいんだけど、なんとなくなんだ。なんとなく放っておけなくて、なんとなく、親近感が湧いた。放っておけなくて、そのままにしていられなかった。僕たちが伽羅さんを引き取ったのは、それだけの理由なんだよ」


 それだけじゃ理由としては弱いかな?と聞き返す父に、伽羅は首を横に振る。一般的に考えれば、普通に考えれば、そんな理由で赤の他人を育てるなんて異常なのだが、伽羅には父の言っていることがなんとなく理解できた。伽羅も、周囲の何も信じられなかった時に、この人たちなら大丈夫という確信めいたものに従って引き取られることを選んだから。


「ううん、それで十分。それならきっと、伽羅はこの家の子になるって運命に導かれていたんだと思う」


 お金のためじゃなくて本当に良かったと言いながら、伽羅はふにゃりと相好を崩す。全部全部、オジサンの妄言で、伽羅の家族は優しいままだった。怖くなる必要なんて、悲しくなるようなことなんて最初からなかったのだ。


 ぐう、とお腹の音が鳴る。ご飯中に飛び出してきたせいで、中途半端に空いていたお腹が訴える音だ。自分の大切なものがこれまで通りだと安心したら、伽羅は自分のお腹が空いていることを思い出した。


「食べてくる予定になっていたから準備はしていなかったけど、簡単なもので良ければなにか作ろうか。オムレツでいいかな?」


 お腹の音を聞いて、苦笑しながらそう申し出た父に、伽羅はありがとうとお礼を言ってから作っているところが見たいと言ってついて行く。その後ろで母が怖い顔をしていて、それを直視してしまった奏がぴぃっと鳴いていたのだが、すでに頭の中がオムレツで一杯になっている伽羅は気が付かなかった。


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