第8話 みんなに想いを伝えたいっ!目覚める力、イノセンス・インセンス!

 奏が、シンフォニーが学校に迫る魔物たちをバッタバッタとなぎ倒している間、中学校の空気は平和そのものだった。いかに恐ろしい災害とはいえ、それを唯一解決出来る魔法少女が同じ学校にいて、すぐに対処を始めてくれたのだ。身の安全は保証されているようなものだし、多くの人が緊張感を失って無邪気に応援の言葉を投げかける。


 頑張れ魔法少女!だったり、ありがとうシンフォニー!だったり、応援と感謝が入り交じった声援。シンフォニーの名前を知っている生徒は、熱心な魔法少女ファンなのだろう。最近新しく産まれたばかりの魔法少女の名前なんて、そうそう出回るものではないし、知られていたとしてもごく一部。魔法少女ファン以外であれば、知っている理由なんて助けられた時に聞いたくらいのものだが、この生徒はシンフォニーとは初遭遇だった。


 それはともかく、安心して騒いでいるクラスメイトに囲まれれば、伽羅も多少は落ち着いてくる。先日、トラウマになりかねない経験をしたばかりで、すぐに災害に遭遇するなんて運が悪いのだが、こうして冷静になれる環境にいたことは、数少ない幸運の一つだろう。


 伽羅は、窓の内側から戦うシンフォニーのことを見守る。以前、伽羅が気を失ってしまっていた時に、助けてくれたシンフォニー。ショッピングモールで突然オメラスが現れた時に、守ってくれると約束してくれたシンフォニー。そんなシンフォニーは伽羅にとって、困った時に助けてくれる二人目のヒーローだ。


 そのヒーローの活躍は、伽羅を安心させてくれる。その存在は、それだけで勇気をくれる。みんなにはシンフォニーの招待は秘密だから誰にも言わないけれど、あれが自分のお姉ちゃんなんだぞ!とみんなに自慢して回りたいくらい、大好きで信頼出来るお姉ちゃんだ。


 だから伽羅はシンフォニーが魔物を倒した時に、とってもうれしかったし、何よりも安心した。けれどそれは、シンフォニーが姿を消すまでの短い時間だけ。



 すぐに他の場所、伽羅は知らないが現在進行形で襲われている小学校にシンフォニーが行ってしまうと、中学校の守りはいなくなってしまう。それはシンフォニーの存在で平和を保っていた中学生にとっては酷く予想外で、中には自分を優先して守ってほしいと叫ぶ人もいる。


 それを聞いて、なんて自分勝手なことを言うのだと思うのと同時に、伽羅は自分も助けてほしいと、なるべく離れないでほしいと思っていることに気がつく。それはただ安全がほしいだけなのか、それともシンフォニーに、家族に離れないでほしいだけなのか、その判断は伽羅自身にもつかない。ただ一つだけ確かなことは、シンフォニーが離れたことで、伽羅の心にぽっかり穴が空いてしまったこと。家族のおかげで一度埋まったその穴は、再び空いてしまうととても苦しいこと。


「伽羅ちゃん、大丈夫だよ。魔物はみんな魔法少女がやっつけてくれたから、あとは収まるまで待ってれば無事に帰れるよ」


 普段通りでいられない伽羅のことを見て、縁呪が励ましてくれる。大丈夫、安心してと繰り返し伝え、背中を撫でてくれる。その手はとても温かくて、けれども伽羅はそれでは安心できなかった。


 たしかに、魔物は倒れた。学校の周りにはもう残っていなくて、自分たちの安全は保証されたと言っていいのだろう。けれども伽羅は、それを喜ぶ気になれなかった。守られるだけで、大切な人をあの恐ろしい魔物たちに一人で挑ませてしまうのがこわかった。自分が一人で魔物に連れ去られそうになったあの時よりも、ずっと今の方がこわかった。


 だって、あのころの伽羅には何もなかったのに、今の伽羅には大切なものがあるから。一緒にいたい人がいるから。まだよくわからないけど、自分に親切にしてくれる人たちが沢山いるから。


 大切なものが多くなればなるほど、失うのがこわくなるのだと伽羅は知った。ひとつも取りこぼしたくないと、失いたくないと、伽羅は思った。


 けれど、そんな立派な思いがあったとしても、ただの少女にできることなどなにもない。突っ立っているだけで普通、物陰でガタガタ震えていれば上出来。錯乱して外に走り出したりしなければ、それ以外は大して変わらない。災害というのは、そういう代物だ。


 シンフォニーのためになにもできないという思いが、伽羅の中で強くなる。大切な人はきっと今もどこかで戦っているはずなのに、自分はただここで待っているだけしかできない。そのことを悔しく思えるくらいには、伽羅には魔法少女の才能があった。才能がなければ、ただ自分たちが助かったことを喜ぶクラスメイトたちみたいになれたはずなのに、不幸なことに伽羅には才能があった。


 伽羅の胸に、小さな光が灯る。あまりにも弱々しくて、今にも消えてしまいそうなそれは、しかし確かに光だ。伽羅自身も気付けないような小さなものでも、光だ。縁呪がそのことに気付いて、伽羅に声をかけようとする。


 けれどそれよりも早く、少し離れた横から声が聞こえる。クラスメイトのその声に言われるままに目にしたのは、彼誰時の空の裂け目からこぼれ落ちてくるたくさんのナニカ。これまでの魔物たちが、重力に引かれて落ちてくるだけだったのに対して、そのナニカたちは羽ばたいて、そこら中に散っていく。



 そのうちの一つが、こちらに向けて飛んできた。誰も守ってくれる人がいない学校に向けて、魔物が飛んでくる。


 悲鳴が聞こえた。迫り来る魔物を恐れたクラスメイトたちの悲鳴。そのまますぐに逃げ出した生徒は、飛んで来る魔物とは反対側に移動できたものは、ただの中学生としては上出来だ。けれど、残念ながら伽羅は上出来な部類ではなかった。


 突っ込んでくる魔物に対して、伽羅は動けない。動かないのではなく、動けない。逃げなくてはいけないと頭ではわかっているのに、体が動いてくれなかった。


 そうなっていたのは、伽羅だけではない。横にいた縁呪も同じだったし、他にも何人も逃げられなくなっている子はいた。当然それはこの教室の中だけではなく、隣の教室にも、そのまた隣の教室にも、沢山いたのだ。魔物にしてみれば、取れる獲物はよりどりみどり、十分に選んで、好きなものを連れて帰れる。


 そんな中で伽羅たちの教室を選んだのは、運が悪かったから。……ではなく、魅力的な獲物がいたから。その教室から、他の教室よりも強い“運命”の力を感じ取ったからだろう。魔物からしても、連れ帰る途中で死んでしまいそうなゴミよりも、生きたまま連れて帰れて役立てられる方がいい。魔物に触れられても壊れない運命の持ち主は、最初から狙われて当然だった。


 魔物が、ハルピュイアが狙いを定めて飛んでくる。その先にいるのは、身を寄せ合うように動けなくなっている伽羅と縁呪。どちらが狙われているかは、客観的に見れば半々と言ったところだろうか。


 そして、何もしなかったら半分の確率で助かる状況で、その確率を偏らせるために相手を突き飛ばす方がいた。伽羅だ。伽羅は自分が助かるために縁呪のことを魔物の方に突き飛ばした……のではなく、魔物から離れる方へ縁呪を突き飛ばした。大好きな“お姉ちゃん”を守るために、犠牲になるのなら自分の方がいいと考えて、縁呪のことを庇う。


 そうして魔物が取りやすい位置に着いた伽羅を、魔物が掴んだのは当然の流れだ。美味しそうな獲物が、わざわざ自分の方に突っ込んできたのだから、ハルピュイアは遠慮なくそれを掴む。途中で落とさないように、大きな鉤爪でがっちり掴む。その力の強さで服が破け、伽羅の肌から血が滲んだとしても、そんなことは気にしない。


 特上の獲物を捕まえたハルピュイアは、他に目もくれることなくすぐに飛び立つ。それを連れて帰れば、とてもいいことが待っているから。間違っても他の人間には邪魔されないよう、急いで帰らなくてはいけない。


 ちょっと重くなった体を浮かすために、先程までよりもより強く、早く羽ばたきながら、向かうのは世界の裂け目。自分たちの住む世界。迷うことなく一直線に飛ぶそれに運ばれながら、伽羅は縁呪を守れたことに満足していた。


 元々、少し前に死ぬはずだった命だ。本来ならば前回の災害の時に小鬼に連れ去られて終わっていたはずの人生。それが助けられて、それだけにとどまらず、こんなに幸せな生活ができたのだ。以前までは考えもしなかった、誰も自分をいじめない、みんなが優しくしてくれる生活。夢よりも夢みたいな暮らしができたのだから、伽羅は満足だった。それだけで、生まれてきてよかったと思えた。


 運ばれながら、伽羅は満足気に微笑む。暴れない獲物に、ハルピュイアは怪訝そうにしているが、それも無理はない。普通の人間は、魔物に捕まったら崩れゆく自分の体に耐えられず暴れるのだ。こんなに大人しくしている獲物なんて、いるはずがない。


 暴れないのはもう死んでしまったからだと解釈したハルピュイアが、伽羅を掴む鉤爪に力を入れる。生きているのなら殺さないようにしないといけないが、死んでいるのであればわざわざ丁寧に扱う必要は無いからだ。そのせいで、伽羅の柔らかい腹に鉤爪が突き刺さり、辺りに温かい雨を降らせる。


 それでも、伽羅は満足だった。僅かな間とはいえ、幸せな生活というご褒美をもらえたのだ。これはきっと、これまで頑張った自分に対する“運命”からのご褒美だ。痛むお腹を気にしないために、そんなことを考えていた伽羅。


 そんな考えができたのは、持ち上げるのも面倒な頭で下を見るまでだった。たくさんの魔物の死体でぐちゃぐちゃになった、学校の校庭。そこで戦っていたであろう誰かが見えた。あんなに輝いていた金糸の髪を血で汚して、キラキラしていた衣装も泥まみれにして、そんな状態で打ち上げられている伽羅のヒーロー。


 傷だらけのシンフォニーと、目が合った。本当に目が合ったのかは、伽羅の視力ではわからない。わからないけど、目は合ったのだと言う確信があった。


 きっと、シンフォニーはびっくりしているだろうと、伽羅は考える。自分のことを守ると言ってくれたシンフォニーなら、ショックを受けるかもしれない。悲しんでくれて、悔やんでくれるかもしれない。


 それが、悲しいことだというのは、伽羅にもわかった。大切な人を失って、助けられずに取りこぼしてしまうのは、悲しいことだ。シンフォニーはきっと悲しむ。伽羅には、そのことが嬉しかった。誰にも必要とされなかった自分が、誰にも愛されなかった自分が、最後の最後でこんなに素敵なお姉ちゃんに出逢えたのだ。


 だから、悔いなんてないはずだった。ないと思っていた。なのに、思い出してしまったのは明日の校外学習のこと。一緒に買いに行ったお菓子、とても楽しいものだと笑う奏の笑顔。


「こーがいがくしゅー、いきたかった」


 声が、漏れてしまった。あんなに楽しかったのに、最後くらいは幸せな気持ちに包まれていたかったのに、悔いが残ってしまった。


 それが呼び水になったように、先程まで穏やかだった伽羅の心に強い欲求が生まれる。もっと、生きたい。もっと、奏と、縁呪と一緒にいたい。おじさんやおばさんとも、もっと一緒にいたい。それに何より、


「まだ、おれいいえてない」


 たくさんの幸せをくれた家族に、何も返せていなかった。何もない自分に優しくしてくれた人たちに、ちゃんとありがとうをいえていなかった。それすら伝えられないままで、終わりたくない。終わらせたくない。


 そう強く思った時、伽羅の胸から強い光が生まれる。LEDを飲み込んだカエルみたいに、内側から溢れ出る光。それが飛び出して、ダラりと垂れた伽羅の手に収まる。握力のほとんど残っていない手に掴まれたのはちゃっちい緑色のライター。よく見れば顔が付いていて、よく聞けばなにか喋っているのだが、今の伽羅にはそれを理解できるほどの余裕はなかった。


「まじ、かる。おるた、れーしょん」


 途切れ途切れになりながら、伽羅は何とか言葉を紡ぐ。そのままライターをつけようとするが、ライターを握るのすらやっとな手の力では、火打石を回すことすらままならない。


 弱々しい力で、何度も空滑りして、そのことに気付いたのか、ライターが自力で火花を放つ。そうでもしないと、きっといつまでたっても変身は始まらなかったことだろう。


 妖精の協力があって、ようやく灯った火を、伽羅は自分の体に移す。薄緑色の火が伽羅の全身を包み込んで、驚いたハルピュイアが伽羅のことを離す。重力以外から解放された体は、自由落下に任せて落ちていく。


 全身に燃え広がった火が、揺らめいて、形を帯びていく。一枚の布のように伸びて、伽羅の体を包む。胴体を包んでいた火が消えた時、そこに残っていたのは下に行くにつれて色が濃くなっていく緑の浴衣。真っ白だった髪はくすんだ灰色に、瞳の色は輝かんばかりのオレンジ色に。


「紡ぐ想いは香りにのせて」


 残像のように白い煙を残しながら、伽羅は落ちる。それは、先程の自由落下とは異なって、ゆっくりとした、よく言えば安心感のある落ち方。悪く言えばただとろいだけの落ち方。


「イノセンス・インセンス!」


 どのようにすれば浮けるのか、どうしたら飛べるのか、インセンスにはもうわかった。初めて変身した瞬間に、自分の能力のことは概ね把握ができた。


「みんなの想いは、わたしが守る」


 どうすれば、あの人を助けられるかわかる。自分のことを助けてくれて、そして今、誰よりも傷つきながら戦っている人を、インセンスは助けたかった。その一心で、インセンスは魔法少女になったのだ。一番最初にその人の元に向かうのは、当然だ。


「癒しの香、ラベンダー!」


 シンフォニーの名前を呼びながら、小学校の校庭に降り立ったインセンスは、浴衣の袖から薄紫色の線香を出すと、それをシンフォニーのもとに投げつける。


 シンフォニーのお腹に刺さった線香は、早送りでもしているみたいに即座に燃焼すると、その煙でシンフォニーを包み込む。先程までは沢山あった、魔物たちから受けた傷が、最初からそんなもの無かったかのように消え去った。


「破邪の香、沈香!」


 袖から束で出された焦げ茶色の線香が辺り一面に散る。そこから出てくる煙によって、元気いっぱいでシンフォニーを攻撃していた魔物たちの動きが鈍くなり、苦しそうにうめきだす。


 その隙を逃さず、インセンスはシンフォニーのところへ駆けた。その様子を見て、インセンスの正体が伽羅だとすぐに気がついたシンフォニー。お礼を言うと共に、守りきれなくてごめんなさいと謝罪の言葉を口にする。


「伽羅は、謝られたくなんてない。むしろ、お礼を言わなきゃいけなかった。もっと早く、もっと沢山伝えるべきだった。謝らなくちゃいけないのは、伽羅の方」


 そのまま、謝るのは自分だ、いいや自分だと、インセンスとシンフォニーは時と場所も考えずに謝り合戦をする。それを止めたのは、ようやく状況を理解した二井。


「伽羅ちゃん……ううん、インセンス。二井さんが、このまま二人で魔物を倒せるかって聞いてる。いっぱいいるけど、できそう?」


「ん……伽羅は、あんまり強くない。できるのはシンフォニーのお手伝いと、みんなの安全確保くらい」


 それだけしてくれれば十分だと、シンフォニーは返す。みんなのことを守ってくれるのなら、もっとのびのびと暴れられるから。傷を治してもらえるなら、もっと無茶をできるから。周りからすれば、できたとしても無茶はしないでほしいというのが本音なのだが、人のためという大義名分を手にした魔法少女に、そんなことを言える者はいない。なぜなら、それを言うのは目の前の他人を見殺しにしろと言っているのと同義なのだから。一般的な感性を持つものほど、倫理的な人ほど、そんなことは言えなかった。


 そんな環境に後押しされて、シンフォニーは取り戻した強い意志で魔物を祓う。ポンポンポンッと消えていく魔物は、インセンスの煙で弱っていたのか、それともシンフォニーの調子が良すぎたのか。周囲の魔物はみるみるうちに動けない体になっていく。その間に校舎を狙おうとする魔物もいたが、真っ白な煙に阻まれて近寄ることすら満足にできない。


「送りの香、白檀!」


 動きの鈍った魔物に突き刺さる、緑色の線香。その脆そうな見た目の割に、プスッと刺さった線香は、ゆっくり燃えるのと共に魔物を内側から溶かしていく。シンフォニー程の速度はないが、インセンスの攻撃は確実に魔物の数を減らし、災害の終息に貢献する。



 彼誰時の空が終わったのは、それからしばらくしてからだった。

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