第7話 学校が大変っ!迫る災害っ!!

 伽羅の事情を知って、自分もお姉ちゃんになると意気込んだ縁呪は、初日のお世話焼きだけにとどまらず、伽羅の身の回りのお世話は大体やる、過保護な少女に変わってしまった。もともとその手の素質があったので、周囲からの扱いはやけに入れ込んでいるなくらいのものであったが、おかげで伽羅はマスコット扱いである。これまでの扱いがむしろ真逆の、よくて邪魔者居ないものくらいだったことを考えれば、人間扱いされているだけで、伽羅にとっては最高の環境だ。


 その話を聞いた父なんかは、やり過ぎは伽羅さんのためにならないと難色を示したけれど、残念ながらその意図は正確には少女たちの下に届かない。奏は、伽羅ちゃんかわいいちょっとくらい……と思っているし、縁呪は自分がお世話できないからっておじさんはあたしに嫉妬してるんだ……なんて勘違いをしている。よくわからないけどおじさんがダメって言うならやめた方がいいなと思い、一人で色々できるようになろうとする伽羅も、“お姉ちゃん”たちにいいからと言われてしまったら何も言い返せないまま流されてしまう。残ったのは、女子中学生に嫉妬していると言われもない誤解を抱かれた父が一人。救いはどこにもなかった。


 そんな環境の中で、伽羅はすくすく育つ。とはいえ、体は普通の女の子なので急成長したりはせず、主に変化があるのは情緒面だ。それも過保護な縁呪保護者がいるのであまり健やかではないかもしれないが、それでも以前までと比べれば健全と言っていいレベルである。


「伽羅ちゃん、校外学習、一緒の班組もう!」


 転校してきたばかりの伽羅が、校外学習に関する山本先生のお知らせを、あまり理解していなさそうな無表情で聞いているのを見て、縁呪が声をかける。それを受けた伽羅は首を傾げ、不思議そうにしている。表情こそピクリともしないものの、伽羅は案外感情表現をする性質であった。


「校外学習……伽羅も行くの?」


 純粋に驚いている様子の伽羅に、校外学習なんだから当然みんなで行くの、と当たり前のように返す縁呪。伽羅が以前の学校にいた頃には、いるだけで不快だからお前は来るなと言われたり、せんせーい○○さんは修学旅行のお金払ってませーん!みたいに圧をかけられるのが普通だったなんてことを知らない縁呪にとっては、クラスメイトは一緒に行くのが普通のものである。


 そして、初めて校外学習に行っていいのだと理解した伽羅が、伽羅みんなとお出かけなんてはじめて……とつぶやくのを聞いて、教室の空気が暗くなる。しばしばうかがえる伽羅の闇が深そうな過去は、平和でいじめの欠けらもないような、やさしい世界しか知らないような中学生にとってはすこしばかり刺激が強すぎた。


「……大丈夫っ!これからはいっぱいお出かけもできるし、みんな伽羅ちゃんと仲良くなりたがっているから!楽しい思い出、たくさん作ろうね!」


 暗くなった教室内の空気に気付いた縁呪が、それを払拭する目的半分……四分の一、ただ伽羅のことがかわいいだけ残りで、伽羅にやさしい言葉をかける。大好きな“お姉ちゃん”からそんなことを言われた伽羅は、楽しみ……と小さくうなずいて、それによりみんなが和んだことで教室は明るさを取り戻した。


 みんなが内心で縁呪に親指を立てている中で、自身も同様な山本先生はコホンと咳払いをすると、朝の会を終わらせる。教師としては、話の途中で勝手に話し出した二人のことを注意しなくてはならないのだけれど、叱って伽羅のことを悲しませたくないという理由で職務放棄をしていた。


 全部香揺さんがかわいいのがいけないのよ……と責任転嫁をしている山本先生の内心なんて知りもしない伽羅は、自分の言動ででみんなの心がジェットコースターになっていることになど気が付かずに、校外学習楽しみ……とワクワクしている。なんなら縁呪に励まされているときも、励まされている自覚など持っておらず、ただ楽しみだなあと思いながら話していただけなので、今後もクラスメイト達の苦労は続くことになるだろう。




「伽羅ちゃん!今度校外学習あるんだよね。おやつ買いに行こう!」


 学校で、いまいちついていけていない授業に頑張ってついていこうとして、ちんぷんかんぷんであきらめた伽羅にかけられたのは、奏のそんな言葉。頭から煙を出しているうちに気付けば授業は全部終わっていて、教室まで押しかけてきた奏の声で、伽羅は放課後になったことを知る。今日もよく寝たな、と伽羅は寝ぼけまなこをこしこしした。


 迎えに来た奏は、下級生の教室に無遠慮に踏み入る空気の読めない上級生を見る目……ではなく、みんなを助けるヒーローを見る目で見られる。魔法少女の個人情報は基本的には保護されるものだが、所詮人の口に戸は立てられないので、噂としてみんな知っている。とはいえネットに上げられたり、本人の前では知らないふりをしているのは魔法少女が守られているからだろう。


 そんなわけで、自分の正体が知られているなんて思っていない奏は、最近みんなやけに見てくるなぁくらいの認識のまま伽羅を呼びにきて、縁呪ともども連れていく。伽羅がいまいちクラスのみんなとお話しできていない理由は、みんなのあこがれ魔法少女先輩のお気に入りだということで、高根の花になっていることにもあった。あとは単純に絡みに行きにくいからである。



 そんな教室の事情を知らない奏と伽羅は何も考えずに下校して、知っている縁呪も今のままの方が自分にとって都合がいいからと放置することを選ぶ。そのまま一緒に帰れば制服をペイっと着替えて一緒にお出かけ。


「それじゃあ、伽羅ちゃんはあんまり授業についていけてないんだね……よし!私に任せて、お姉ちゃんが伽羅ちゃんのわからないところを教えてあげるから!」


 学校の調子はどう?なんて、何を話したらいいのかわからない、子供との距離に悩んでいる親みたいな話題を振って、勉強の悩みを聞きだした奏は、三人で歩きながら伽羅にそう言い放つ。なお、自信満々に教えるなんて言っている奏だが、その成績はあまり芳しくない。それを知っている縁呪は大丈夫かと心配になったが、ここでなにか言っても奏の顔を潰すだけになるかもしれないと思って、ニコニコしながら聞き流した。


 縁呪もわからないところがあったら何でも聞いていいからねっ!と笑顔の奏に対して、一体その自信はどこからやってくるのかと考えつつ、縁呪はありがとう、わからなかったらお願いするねと返す。人との和を大切にする性格がここでも現れた。


 その後、三人は近所のスーパーに行って、お菓子コーナーでおやつを物色し、予算以内でいかに好きなお菓子を見繕う。味だけでなく量もあったほうが嬉しいし……と悩んでいる奏と縁呪に対して、安いものをたくさん入れていく伽羅。あまりお菓子を食べたことのなかった少女にとっては、好きな味を選ぶことよりも、いっぱいある事の方が嬉しかったのだが、そんなに多いと鞄に入りきらないからと止められて、少し残念そうにしながら選び直す。なお、当たり前のように自分も選んでいる奏だが、学年が異なるので一緒に校外学習に行くことはない。仲間はずれがいやだから自分のお小遣いでお菓子を買っているだけである。


 そのせいで伽羅は奏も一緒に校外学習に行くものだと思っているのだが、その間違いに気付いて、訂正できるものは誰もいない。縁呪であれば気付けそうなものだが、縁呪も所詮はただの中学生。お菓子の魅力の前には無力であった。



 そうして、校外学習の準備は着々と進んで、前日になる。翌日の校外学習の最終準備として設けられたロングホームルームの時間で、みんながどこを見ようか、どんな順番で回ろうかと話し合っていると不意に空が暗くなる。まだ明るくて、南にあったはずの光源は、なにかに飲み込まれたかのように突然消えた。


 空が、彼誰時かわたれどきに染まる。ひび割れた空から、なにかがまろび出てくる。それが何を意味しているのかは少々常識に欠ける伽羅でもわかった。何なら、今この場にいる中では珍しく最近経験したこともあった。


 災害が、街を襲った。一度起こるとたくさんの物が壊れ、人が犠牲になることから、遭遇したらこれまでの日常は消えると言われている災害。不定期的に全国の各地で発生することを除けば、一部の限られた地でしか起きない災害。


 そんなものがこんなに短いスパンで二度も起きるのは、この地に何かがあるからだ。そしてその何かというのは、因果関係こそ不明なものの魔法少女であることが多かった。


 そんなことは知らずとも、伽羅は、人々は助けを求める。なぜか魔法少女に惹かれて災害が起きるということは、言葉を返せば魔法少女のいないところに災害は起きないということなのだが、人々がそんなことを知っているわけがないので、みんなにとっての魔法少女は救世主で英雄だ。


 そしてその救いを求める声に応えて、一人の魔法少女が学園に降り立った。ほとんど吹いていない風になびく金糸の髪、右手に持った小鼓ハンマー。最近生まれたばかりの魔法少女、エンパシー・シンフォニーだ。みんなの心に、小さな希望が灯った。





 時間は少しだけ戻る。ちょうど5時間目の授業が始まる時間、空が彼誰時に染まるよりも、少しだけ前の時間だ。これから始まる英語の授業を前に、お昼の後は眠くなるんだよなぁと学生らしいことを考えていた奏は、不意に嫌な予感を感知して、これから授業が始まる教室を飛び出す。


 あまりにもいい勢いに、英語の担当をしている先生が、廊下は気をつけて走るようにと間違った注意をしてしまうほど。そうして走り去った奏は、人目につかないところを見つけてタイコンをポケットから引っ張り出す。


「奏っ!奏っ!奏の心配は当たっているポコッ!とっても嫌な気配が、この街に近付いてきているポコッ!」


 タイコンの言葉を聞いて確信を持った奏は、何かが来るという状況を伝えるために、魔法少女管理局から渡されている携帯電話を使って、二井に電話をかける。ただの奏としてではなく、魔法少女エンパシー・シンフォニーとして使う時専用のそれは、速急な対応を用すときしか使われない特別仕様だ。


「二井さんっ!何か嫌な感じがするんです。もしかしたら、災害が近いのかもっ!」


 慌てて、大きな声を出してしまいつつ要件を伝える奏。ここが人目につかない空き教室でなければ、ちょうど予鈴が鳴って声が誤魔化されなければ、大いに周囲を混乱させたこと間違いなしだ。不幸中の幸い、あるいは先見の明と言ってもいいかもしれないが、奏がここを選んだのはただ自分が魔法少女だとバレていないと考えていて、みんなには隠さなきゃ!でも二井さんには教えなきゃ!という理由だったので、ふわふわ系の偶然によるものである。全くもって意味の無い心配をしていたふわふわ系のおかげで、学校は混乱から逃れることが出来た。またすぐに大変なことになるのだが。


 報告を受けた二井が少し考え込んで、黙り込む。魔法少女が、災害の発生前にそれを予見すること自体は、それなりの頻度で起きていて、報告もされている事実だ。そうなれば、今回の奏の報告もただの気のせいや勘違いという可能性は低い。


 そこまで考えて、二井はサポーターとして、オペレーターとして奏に指示を出す。まず最初は、専用の通信機を装着すること。耳につけることによって通話が可能になり、かつ周囲の音を妨げないマジカルなアイテムだ。製造は管理局のとある部署で行っており、完全非売品である。


 奏が言われた通りにそれをつけると、勝手に起動してセッティングが終わる。Bluetoothイヤホンが勝手に接続するのと一緒だ。先程まで携帯から聞こえていた二井の声が通信機からに切り替わり、奏は頭の中に直接声が聞こえるような気持ち悪さを感じた。気持ち悪さとは言っても、別に二井の声が気持ち悪いわけではない。


“魔法少女エンパシー・シンフォニー、災害の発生を確認次第、あなたの変身と戦闘行為を管理局の名のもとに許可します。以降あなたが行う全ての責任は管理局が持ちます。少しでも多くの人が助かるために、ご尽力ください”


 あえて固い言い方がされているのは、何かあった時のためにこれが公式記録として残るからだ。兵器として管理局が魔法少女を運用する、という建前を守るために、魔法少女に罪を背負わせないために必要なことである。


 それに対して奏がはいと返事をするのとほぼ同時に、空き教室が真っ暗になる。元々電気がついていなくて、外が暗くなったからだ。彼誰時の、災害の始まりである。


「マジカル、オルタレーション!」


 でんでん太鼓を持った右腕をピンと伸ばして、手首のスナップを効かせて鳴らす。テントン、と小さな音が鳴って、一際輝き出したそれは巨大化し、光が弾けるとそこには先端が小鼓になったハンマーが残った。


 その際に弾けた光が、奏の全身を包み込む。腕に着いたものは真っ白のアームカバーに、足のそれは黄色のショートブーツに。光が弾ける度に、奏の服装は変わっていく。体の末端から順番に変化を重ねて、体が終わったら次は頭だ。髪の毛が伸びて、光から髪飾りが作られて、パッと弾けるとそこにいるのはもう先程までの奏ではない。


「奏でるこころはみんなのために」


 そこに降り立ったのは、一人の英雄。みんなを守りたいという純粋な願いによって返信した少女は、その光は、みんなを明るく照らすことが出来るだろう。


「エンパシー・シンフォニー!」


 それは魔法少女だ。人々を魔物から唯一救える、希望の象徴。金糸の髪をなびかせながら舞い降りた、救いの化身。


「悲しい音は、私が消してみせる」


 変身が終わる。先程までほとんど真っ暗だった部屋が、シンフォニーが体から放つほのかな光によって照らされる。暗いと言えば暗いが、魔法少女であれば周囲を把握するのに困らない程度の暗さだ。


「エンパシー・シンフォニー、状況の把握をしてください。救援はどの程度必要でしょうか」


 わからないです、とシンフォニーは答える。シンフォニーが今いる教室の中からは、世界の裂け目は見ることができない。見ることが出来たとしても、自身の実力を正確に把握していないシンフォニーにはほとんど判断などできないのだが、どちらにせよわからないことに変わりはない。


 2秒弱思考時間を使って、二井は屋上に向かうようシンフォニーに指示を出す。馬鹿なシンフォニーは高いところが好きだろうと考えたから……ではなく、そちらの方が視界が開けるので多少でも把握しやすいだろうと判断してのもの。


「緊急時なので問題ありません。エンパシー・シンフォニー、破壊してください」


 直ぐに屋上に向かったシンフォニーは、屋上が立ち入り禁止で、鍵がかかっていることを思い出す。一度職員室に行って鍵を取らなきゃと言うシンフォニーに対してかけられたのは、二井のそんな言葉。本当にいいのかなと躊躇いつつも、ちょっと強めに破壊してくださいと繰り返されたことで、シンフォニーはえいっと扉を吹き飛ばす。直前の躊躇とは裏腹に、とても大胆な破壊活動だった。


 なお、普通魔法少女が最初に取る行動は建物からの離脱である。外に出さえすればそのマジカル膂力で屋上だろうとひとっ飛びなのだから、わざわざ人間みたいに階段を上る必要はないのだ。初仕事のせいで冷静さをかいている二井と、いまいち魔法少女のマジカルパワーを自覚していないシンフォニーの両名のミスによって、屋上の扉は犠牲になった。完全に必要のなかった犠牲である。


 ポーンと飛んで行った扉が、幸運なことに無人だった校庭で大きな音を立てる。ようやく屋上に出たシンフォニーが、世界の裂け目から出てくる魔物たちを見て、数、いっぱいですっ!と元気に報告する。


「……はい。こちらでも確認できました。エンパシー・シンフォニー、対応部隊を派遣しますので、それまで魔物の殲滅を行なってください」


 この魔法少女、本当に大丈夫なの?とでも思っていそうな間を挟んで、二井はシンフォニーに指示を出す。みんなを守るために魔法少女になったシンフォニーの答えは、当然YES。自分にしかできないことがあって、そうしないと大切な人たちを、みんなを守れないのだから、シンフォニーはたとえ誰かに止められたとしてもそうするだろう。


 世界の裂け目から落ちてきた魔物、小鬼達を、シンフォニーは屋上から飛び降りながら打ち付ける。この時点でようやく、最初からジャンプすれば扉を壊さずに済んだことに気付くも、時すでに遅し。元扉くんはベッコベッコである。


 ちょっと罪悪感を覚えつつ、まあ仕方ないかと気を取り直すシンフォニー。細かいことを、気にしても意味が無いことを気にしないでいられるのは魔法少女の才能の一つである。ポンッポンッと小気味よい音を鳴らしながら小鬼たちを祓って、学校の周りに落ちてきたものは直ぐに消える。


「エンパシー・シンフォニー、周囲の魔物の消滅を確認しました。近所の小学校に多量の魔物が集結しているとの情報が入りましたので、至急向かってください」


 二井の言葉にはいと返事をして、シンフォニーは学校から出る。残された生徒たちは、自分たちの安全を守ってくれる魔法少女が離れることに抵抗を感じたが、それを伝えるすべも、伝える権利も持っていない。


 人の作った道に囚われず、最短距離で屋根の上を跳びながら、シンフォニーは小学校に向かう。二井から案内されずとも行く先がわかるのは、近所にある小学校なんて奏が二年前まで通っていたものしかないから。自分も知る人たちが絶賛ピンチになっていることを知って、シンフォニーは被害を気にせず屋根を跳ぶ。いくつもの家の瓦やタイルが砕けるが、人命は何よりも優先されるのでコラテラルダメージだ。


 そうしてシンフォニーが小学校に到着すると、そこにはたくさんの魔物が溢れていた。小鬼を筆頭に、少しサイズアップした中鬼、さらにサイズアップした大鬼、鬼系で揃えてくるのかと思わせつつ、突然混ざる謎の触手。


 たくさんのそれらが小学校に襲いかかり、大半は壁と扉に阻まれる。可哀想なことに、魔物たちの知能はそれほど高くなかった。高いものもいるにはいるのだが、今回攻めてきているのはどれもこれも知能の低いものばかり。シンフォニーふわふわ系と比べるのが失礼なレベルの、スカスカばかりである。


 しかしいかにスカスカとはいえ、その膂力は人間を大きく上回る。小鬼や中鬼くらいであればまだコンクリートが役に立つものの、大鬼が混ざってしまえばコンクリートもいずれダメになる。魔法少女と比べればどれも取るに足らない者共に思えるが、普通の人間にとっては小鬼の一匹ですら十分すぎる脅威なのだ。何体も相手に対処出来ていた奏の両親が異常なだけである。


 魔物たちの侵入口は、金属製では無い扉。玄関などのガラス製の扉はいとも容易く粉々にされて、魔物たちを迎え入れている。すぐに助けに行かないとと思った奏が突っ込んで行ったのは、校舎の三階の窓。上から順番に対処していく算段だ。


 下から登りつつ、上にいる敵を攻撃するよりも、上から降りつつ下の敵を攻撃する方が楽で、効率がいい。ふわふわ系にもそれくらいのことを考える頭はあった。そう思って飛び込んで、計算通りに上から順に安全にしていく。身軽なもの、小さいものから上に昇ってくるため、大鬼がまだ校舎内に入り込めていないのが幸いした。おかげで、ボロボロになっているにもかかわらず小学校の犠牲者は未だ0である。


 その犠牲者数を維持するために、シンフォニーはとてもがんばる。ポンッポンッと軽快な音を鳴らしながら、街中から集まってきているような大量の魔物を叩き続け、祓い続ける。それしか、シンフォニーにできることはないのだ。タイコンが才能があると太鼓判を押すほどのものであったとしても、新米魔法少女のシンフォニーにはハンマーで殴るしかできない。このまま成長していけば、いずれは広範囲に攻撃できるようになるかもしれないが、今のシンフォニーにはそんなことはできないのだ。


「シンフォニー!頑張るポコッ!シンフォニーならきっとやれるポコッ!」


 だから、ポンポンポンッ!と叩き続けるしかない。小鬼を一発で祓って、中鬼を二発で祓って、大鬼を四発で祓う。通信機越しにその様子をうかがっている二井が、まさかこれほどとはと驚嘆の声を漏らすくらいには、シンフォニーの戦闘能力は高かった。戦闘能力は、間違いなく高かったのだ。


 けれど、ただそれだけだった。いくら攻撃力が高くても、一体ずつしか攻撃できないのであれば、圧倒的な数の前には無力だ。相手が素直に自分だけを狙ってくれるのなら、まだ何とかなったかもしれないが、魔物の狙いは強い“運命”を持つ者たち。その中でも特に、魔法少女としての適性が高い少女を狙う。そしてそんな存在は、何もシンフォニーだけではないのだ。


 シンフォニーがまだ小学校のみんなを守れていたのは、魔物の侵入箇所が1箇所に絞られていたから。つまりは、新しい道がひとつ増えてしまえば、それだけでシンフォニーは誰も守れなくなってしまう。


 そうならないために、シンフォニーはわざわざ目立つような戦い方をしたのだ。自分が戦っていれば、小鼓の音が鳴っていれば、魔物たちはそれから逃げることができない。聞くだけで、皮膚で感じるだけで存在を削るような忌まわしい存在を許すことが出来ない。


 魔物たちから狙われるその力の性質、そのおかげでシンフォニーはみんなを守れていた。けれど、その均衡は、たった一種の魔物の登場で崩れる。


 ドロリと世界の裂け目からこぼれ落ちた魔物には、翼が生えていた。翼と体のバランス的には飛べないはずのそれは大きく羽ばたいて、そこら中に飛んでいく。聞こえているはずの小鼓の音なんて一切気にすることなく、そこらじゅうを飛びまわる。


 その行先の中には、奏の通っている中学校もあった。大切な人を、友達を沢山残してきた中学校。守らないといけないのに、目の前にはまだたくさんの魔物。


「エンパシー・シンフォニー。戦闘を続けてください。そこを離れたら、小学校を見捨てることになります。大切な命を守るために、戦闘を続けてください」


 感情を感じさせない声が、通信機から聞こえる。それでも、シンフォニーは、奏は友達を守りたかった。だって、守るために魔法少女になったのだ。自分の大切な人たちを守るために、魔法少女になったのだ。


「エンパシー・シンフォニー、戦闘を続けてください。繰り返します。戦闘を続けてください。……目の前の命を救いなさいっ!」


 一番守りたかったものは、大切な家族。それは変わらない。伽羅も、その家族に入っている。守りたい。守らなくてはいけない人に、伽羅は入っている。けれど、通信機から聞こえる声に、逆らうことは出来なかった。だって、今自分が離れてしまったら、ここにいる子供たちは間違いなく助からないのだ。それなら、翼の生えた魔物、ハルピュイアに拐われる人の中に、伽羅が含まれないことを祈った方がいい。


 頭では、わかっているのだ。今から急いだとしても、中学校のみんなを守りきることなんてできない。ハルピュイアが一匹につき一人を攫ったとしても、町中で犠牲になるのは30人程度。対して、シンフォニーが小学校を離れれば、まず間違いなく数百人が犠牲になる。


 簡単な算数の問題だ。さんじゅうにんとすうひゃくにん、かずがおおいのはどちらでしょう。どちらをたすけるべきでしょう。管理局で問題を出された時には、すぐに答えられた命の算数。それを理解できる程度には、シンフォニーの頭には中身が詰まっていた。


「エンパシー・シンフォニー、管理局からの命令です。余計なことは考えず、目の前の命に集中しなさい繰り返します、これは命令です。落ち着いて、目の前の敵を倒しなさい。救える限りの命を救いなさい」


 頭ではわかっている。でも、だからといって冷静でいられるわけではない。体は動き続けるけど、その動きには精細さが欠いている。さっきまで一方的に攻撃するだけだったのに、反撃を食らうようになっている。


 気をしっかり持ちなさいと、今あなたが倒れたら全部無駄になってしまうのだと話かける二井の声も届かずに、シンフォニーは体だけ動き続ける。魔物に吹っ飛ばされるのも、殴りつけられるのも、噛みつかれるのも、どこか他人事のような感覚。痛いのはわかるのに、わかるだけ。まるで自分の体が自分のものではなくなってしまったような感覚に、シンフォニーは気持ち悪さを感じる。


 小鼓ハンマーが、力を失った。魔物を叩いても、倒せなくなった。たた吹き飛ばして、時間を稼ぐだけ。大鬼の攻撃を食らって、シンフォニーの体が、空に打ち上げられる。先程出てきたばかりのハルピュイアが、足に何かを持ったまま飛んで、世界の裂け目に帰っていくのが見えた。シンフォニーが守ることの出来なかった誰かだ。シンフォニーが守りきれなかったせいで、誰かが魔物に連れ去られた。みんなを守りたかったのに、守りきれなかった。その事実が重くのしかかって、さらにシンフォニーの動きを鈍くする。


 人が、さらわれていく。魔物の餌となるために、餌よりももっとひどい何かになるために。その中に見えた、見慣れた制服。奏の通っている中学校のものだ。そして、老人くらいでしか見ることのない真っ白の髪。


 奏が、シンフォニーが一番守りたかった少女。奏のことをお姉ちゃんと呼んで慕ってくれる、かわいいかわいい妹分。ハルピュイアに掴まれて、運ばれている伽羅と、一瞬だけ視線が交差する。人生の全てを諦めたような目。


 その口が小さく、ごめんなさいと動いたように、シンフォニーには見えた。助けなくてはいけない少女が、自らのことを諦めたように、奏には見えた。


「伽羅ちゃっっ!!!」


 声は、届かない。ただの声など、空を飛んでいるハルピュイアの元に、それに運ばれている伽羅の元に届くわけがない。だから、それは無意味なのだ。


 諦念が、シンフォニーの心を蝕む。みんなのために頑張る気持ちによって変身している魔法少女は、大切な家族を失うことで思うように力を振るえなくなる。このままでは、シンフォニーの奮戦虚しく小学校が踏み荒らされるのも時間の問題だ。


 ダメだった。私には、なにもできなかった。誰も守れなかった。そんな思いでシンフォニーはいっぱいになって、最後の意地で手から離さないでいた小鼓ハンマーを落としてしまう。



 空に眩い光が生まれたのは、その直後だった。





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 次回!第8話 みんなに想いを伝えたいっ!目覚める力、イノセンス・インセンス!


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